1971年夏。ピンク・フロイドの初来日公演=日本初の野外ロック・フェスティヴァル『箱根アフロディーテ』
今から50年前。1971年(昭和46年)8月6日、7日、箱根芦ノ湖畔北斜面特設ステージ(成蹊学園所有の広大な敷地「乗風台」)で日本初の野外ロック・フェスティヴァル「箱根アフロディーテ」が開催された。ヘッドライナーはピンク・フロイド。これがピンク・フロイドの初来日公演だった。
初来日のライヴ・ステージや日本に滞在するピンク・フロイドの姿を捉えた「原子心母」の映像は、これまで数多くのブートレッグにも収録され、ファンにとっては有名な映像だったが、『The Early Years』(2019年)のボックスに収録されたものも含めてクォリティの低いものしか存在せず、そのマスターの行方やこの映像が撮影されたいきさつも含めて長年の間“謎”に包まれていた。しかし、ついに当時のオリジナル・フィルムを発見、初来日から50周年となる2021年、『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』で、美しい映像となって鮮やかに蘇る
60年代後半、海外ではモンタレー・ポップ・フェスティバルやウッドストックが開催され、日本でも1971年、数多くの海外アーティストが来日……そんな時代背景の中、ニッポン放送は、海外アーティストを招聘した日本初の大規模野外ロック・フェスティヴァル『箱根アフロディーテ』の開催を決断。しかし、実現に至るまでの様々な困難と努力、大変なご苦労があったということはあまり知られていない……。特典のフォト・ブックにはこちらも新たに発見された数多くの未発表写真満載、そして、デジタル・ブックレット『追憶のアフロディーテ』には、当時の関係者や目撃者たちの証言と血と汗と涙の物語を収録。1971年ピンク・フロイドの初来日はいかなるものだったのか? そして、伝説の『箱根アフロディーテ』とは何だったのか? 50年前、日本のロック・ファンが初めて体験したロックフェス『箱根アフロディーテ』に関わった方々の物語から紐解き、フジロックやサマーソニックなど日本のロックフェスの原点がここにあったという歴史的事実を再検証する。
『原子心母(箱根アフロディーテ50周年記念盤)』は、ピンク・フロイドの当時最新作であった『原子心母』のCDとともに、新たに発見した『原子心母』のオリジナル・フィルムをデジタル化、レストア、Blu-rayに刻印。さらに特典として当時のパンフレット、チラシ、チケット、ポスターのレプリカ復刻し、7インチの紙ジャケットに収録。日本が世界に誇る音楽遺産ともいえる新発見映像、当時の空気感を詰め込んだスペシャル・ブックレットやパッケージとともに、半世紀前の“聖杯”に想いを馳せて欲しい。