1970年、ジミ・ヘンドリックスが亡くなる寸前までニュー・アルバムのために録音していた音源を基に編まれた1997年発表作。生前の契約問題が災いし不完全な形で発表されていた音源をラスト・レコーディング作としてまとめたのはジミの信頼も厚かったエンジニア、エディ・クレイマー。彼は最新のテクノロジーを駆使しジミの意向を最大限に活かした作品に仕上げており、やっと本来の姿に整ったアルバムとして評価が高い。
SIDE ONE-①②③、SIDE TWO-①②、SIDE THREE-①③、SIDE FOUR-①②と、見事なばかりのファンク・ロック・ナンバーが並んでいる。亡くなるまで彼が追求していたのがこの方向性だということの表れだろう。そして、その間に配された珠玉のバラード、SIDE ONE-④やSIDE TWO-③も光る。特に「天使」は、代表曲「リトル・ウィング」と同時期に書かれ、長く温められていたもので、この上ない哀しさと美しさを放っている。死後、約30年を経ようとしている時期の発売ながら、名演が並ぶ今作をジミの最高傑作にあげる人も多い。
最新リマスターによる輸入盤LP2枚組に解説・歌詞・対訳をまとめた日本版ブックレットを付属した完全生産限定盤。
▼『クライ・オブ・ラヴ』に収録されていた「天使」はこちら
自らの音楽に対する 絶対の自信を胸に、
ジミは聴衆を未知の音楽世界へと 誘おうとしていた
1970年9月にジミが早世したため、アルバムは完成を見なかった。仕上がっていれば、我々の胸にどれほど強烈なインパクトを残せたのか。今となっては想像するしかない。『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』の中にジミ・ヘンドリックスが思い描いた壮大な夢は、ついに叶わなかった。バンドのメンバーとしてジミと誰よりも近しかった盟友ミッチ・ミッチェルとビリー・コックスでさえ、彼が生きていれば2枚組LPにどの曲を選んだのか、はっきりとはわからなかった。ジミが残した膨大なテープの中には数々の宝が、そして発展途上だった新たな素材のさまざまな姿が残されている。「ヘヴン・ハズ・ノー・ソロウ」「ヴァリーズ・オブ・ネプチューン」、ボブ・ディランの改作「ドリフターズ・エスケイプ」はいずれも、1970年の実り多き夏に生まれたものだ。「ディス・リトル・ボーイ」「ロコモーション」など、手書きの簡単な譜面だけが残っているものもあり、スタジオ録音の存在は確認されていないが、ジミの肉筆の間から魅惑的なアイデアの萌芽が見て取れる。最終決定を下す前にジミが逝ってしまったため、アルバム『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』には「ドリー・ダガー」「ナイト・バード・フライング」「イージー・ライダー」といった完成品と、最後の仕上げを待つばかりだった楽曲が同居している。
ただ、本作の17曲から確実に言えることがある。ジミ・ヘンドリックスの創造力はさらなる活性化のただ中にあった、ということだ。自らの音楽に対する絶対の自信を胸に、ジミは聴衆を未知の音楽世界へと誘おうとしていた。その新たな世界では、彼の偉大なる功績とロックとR&Bをブレンドした独自の手法が自由に混ざり合うはずだった。たとえば「ドリー・ダガー」の洗練されたファンクには、「フォクシー・レディ」や「ウェイト・アンティル・トゥモロー」の軽妙さが息づいていた。「直進」や「自由」「焼け落ちた家」の激しさの奥からは、「焼け落ちた家」にあったヘンドリックスの真摯なメッセージが、かすかだが確実に聞こえてきた。「イージー・ライダー」や「鏡の部屋」から噴き出す強力なエネルギーは、1970年代と80年代のファンク・ブーム到来を予言していた。
1968年3月のセッションで録られた「僕の友達」を除けば、残りの16曲はすべてあの激動の4カ月間にエレクトリック・レディ・スタジオでゼロから作られた、あるいは一から作り直されたものだ。本作の17曲はどれも、ジミの死後にリリースされた最初の4枚のアルバムのうち3枚に収録されていたものだ。未解決だった契約上の問題のせいで、ジミが温めていた2枚組LPの計画は潰され、彼が残した楽曲群は散り散りになり、1971年の『クライ・オブ・ラヴ』と『レインボウ・ブリッジ』、1972年の『戦場の勇士たち』に収められた。どういうわけか、そのほとんどは長らく本来の姿で聞くことができなかったが、今回ついに、エレクトリック・レディ・スタジオで録ったオリジナル・マスターテープのデジタル・リマスタリングが叶った。もちろん、リミックスなど余計なものはいっさい加えられていない。
▲ジミ・ヘンドリックス 『ファースト・レイズ・オブ・ザ・ニュー・ライジング・サン』ジョン・マクダーモットの解説から一部抜粋/MASA ITO)よりテキスト抜粋。フル・ヴァージョンは実際の商品でお楽しみください。