エッセンシャル・ドリス・デイ (Doris Day)ドリス・デイ

なるようになる、それが私のおまじない。

圧倒的な存在だった1940年代半ばから60年代にかけて放ったヒットの数々を中心に全36曲を収録した究極のベスト集。

エッセンシャル ドリス・デイ

エッセンシャル・ドリス・デイ (Doris Day)ドリス・デイ
◆品番:SICP6192-3◆価格:¥3,600+税◆解説・歌詞・対訳付
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収録曲

  • Disc 1
  • 01.センチメンタル・ジャーニー
  • 02.マイ・ドリームズ・アー・ゲッティング・ベター・オール・ザ・タイム
  • 03.時の終わりまで
  • 04.ユー・ウォント・ビー・サティスファイド
  • 05.イッツ・マジック
  • 0.ラヴ・サムバディ
  • 07.マイ・ダーリン、マイ・ダーリン
  • 08.アゲイン
  • 09.レッツ・テイク・アン・オールド・ファッションド・ウォーク
  • 10.魅せられて
  • 11.君を想いて
  • 12.月光の入り江で
  • 13.上海
  • 14.シュガーブッシュ
  • 15.ガイ・イズ・ア・ガイ
  • 16.恋におちたとき
  • 17.ミスター・タップ・トー
  • Disc 2
  • 01.バイ・ザ・ライト・オブ・ザ・シルヴァリー・ムーン
  • 02.懐かしいダコタの丘
  • 03.シークレット・ラヴ
  • 04.わが心を君に
  • 05.シェイキング・ザ・ブルース・アウェイ
  • 06.愛のもつれ
  • 07.アイル・ネヴァー・ストップ・ラヴィング・ユー
  • 08.ケ・セラ・セラ
  • 09.ザ・マン・フー・インヴェンテッド・ラヴ
  • 10.そんな男がおりました
  • 11.先生のお気に入り
  • 12.ラヴ・ラヴ・エヴリバディ
  • 13.夜を楽しく

   2019年5月に97歳で亡くなったアメリカが誇るエンターテイナー、ドリス・デイを追悼しての発売。彼女のキャリアを振り返るとトップ40にランク・インした歌はレス・ブラウン楽団専属時代をふくめ55曲、そのうちNO.1ソングが5曲でミリオンセラーが5曲という実績に加え、映画には39本出演しそのほとんどが主演作という、アメリカ・エンターテインメント界で輝かしき足跡を残しました。「センチメンタル・ジャーニー」にはじまる懐かしきヒットが並んだこの究極のベスト集は、圧倒的な存在だった1940年代半ばから60年代にかけて放ったヒットの数々を中心に全36曲を収録。ここに収められた彼女のスタイルは歌詞に敬意をはらい言葉や音節のニュアンスづけに磨きをかけ極めて繊細で丁寧に歌うというもの。そして歌のキーワードは“ロマンティック”。ロマンティックな歌をロマンティックに歌う歌手、ドリス・デイの決定版です。

萩原健太の解説より   彼女の歌のいちばんの魅力といえば、その素直さだと思う。
   往年の名曲をカヴァーしたりする際、必要以上に自意識の強いフェイクをこれ見よがしに繰り出してみたり、あえて原曲とイメージの違う奇をてらったアレンジを施してみたり、そうしなければ気がすまないタイプのシンガーもいる。それはそれである種のクリエイティヴィティの発露ではあると思うけれど。しかし、ドリス・デイは違う。優れたソングライターたちが作り上げた名曲の深い歌詞と豊かな旋律をありのまま、素直に、淡々と歌い綴りながら、しかし同時に自らの個性もさりげなく発揮してみせる。「どう? 私、うまいでしょ」ではなく、「どう? 素敵な曲でしょ」と微笑みかけてくれているような…。そんな、優しく気品のある歌声は20世紀のアメリカが残した宝物だと思う。

ドリス・デイ (Doris Day)

ナンシー・シナトラのライナーより   ラジオから、蓄音機から、映画のスクリーンから。いつだって、ドリス・デイの歌声はそこに漂っていた。まるで私の生活の一部であるかのように。彼女のあの澄んだ、凜とした素敵な歌声。それは誰のものとも違っていたし、子供の私に語りかけてくれるようだった。そんな彼女の声に導かれ、歌うことに対する私の姿勢もできあがった。
 
   1940年代からずっと、シナトラ家のありとあらゆる場所にドリスの音楽はあった。父はいつも彼女のレコードをかけていたし、1947年に復帰したラジオ番組『ユア・ヒット・パレード』でも共演した。コロンビアからは、このコレクションに収録されたアーヴィン・バーリン作曲「レッツ・テイク・アン・オールド・ファッションド・ウォーク」というシングルを一緒に出している。でも私自身が、あの温かくて、輝くようなドリスの声を初めて知ったのは12歳の頃。女友達が何人か集まってのお泊まり会でだ。持ち寄ったドリス・デイのシングル盤 — 1枚ずつアルバムのようなバインダーに大切に収められていた — をポータブル・レコードプレイヤーでかけて、ひと晩中過ごすのだ。そんな楽しいリスニングパーティで出会った忘れられない1曲が、ドリスが歌う「ガイ・イズ・ア・ガイ」だった。オスカー・ブランドのその曲に合わせ、パジャマに着替えた私たちも大合唱。初めて聴いた瞬間からすっかり虜。以来、私は恥じることない彼女の“信奉者”のひとりだ。ドリスが、あらゆる意味で、私のアイドルだと胸を張って言おう。

ドリス・デイ (Doris Day)

ドリス・デイ (Doris Day)

   ドリス・デイは1924年4月3日にオハイオ州シンシナティで生まれた。本名はドリス・メアリー・アン・カペルホフ。両親はともにドイツ系二世で、ドリスが幼いときに両親が離婚したため母親のアルマに育てられる。ハリウッド進出を目指していた十代の頃、自動車事故にあい、療養中にラジオで聴いたエラ・フィッツジェラルドの歌に魅せられ歌手の道を決意。歌詞の大切さとひとりの人に語りかけるように歌うことに重きをおいてレッスンを重ねた。ラジオ番組がきっかけで、バーニー・ラップ楽団のオーディションを受け専属歌手となる。楽団のトロンボーン奏者アル・ジョーダンと結婚するものの離婚し、故郷のラジオで歌っているところを偶然聞いたレス・ブラウンに呼び戻され、1945年に「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒットでスターになった。
   1947年に独立してコロンビアとソロ契約を結び、以後は一貫してコロンビアでレコーディング。代表的なヒット曲は「ラヴ・サムバディ」(1948年/1位)、「イッツ・マジック」(1948年/2位)、「アゲイン」(1949年/2位)、「ガイ・イズ・ア・ガイ」(1952年/1位)、「シークレット・ラヴ」(1954年/1位)、「ケ・セラ・セラ」(1956年/2位)など。LP時代に入ると、アルバムへと重心を移し、『デイ・バイ・デイ』(1956年)をはじめ『デイ・バイ・ナイト』(1957年)、『カッティン・ケイパーズ』(1958年)、『デュエット』(1961年)、『ラテン・フォー・ラヴァーズ』(1964年)など傑作を残した。
   一方、1948年に『洋上のロマンス』でスクリーン・デビューを果たし、これが好評で『情熱の狂想曲』(1950年)、『二人でお茶を』(1950年)など多くのミュージカル映画に出演。特に『カラミティ・ジェーン』(1953年)と『情欲の悪魔』(1955年)は代表作として知られる。ロック・ハドソンと組んだ都会派のコメディー映画は『夜を楽しく』に続いて『恋人よ帰れ』(1961年)と『花は贈らないで!』(1964年)が作られた。シリアスな演技の代表作はヒッチコック映画『知りすぎていた男』(1956年)。『カラミティ・ジェーン』の「シークレット・ラヴ」と『知りすぎていた男』の「ケ・セラ・セラ」はアカデミー主題歌賞を受賞している。
   1968年からTV番組『ザ・ドリス・デイ・ショウ』に出演し、高視聴率的を記録し健在ぶりをアピールした。また、かねてより動物保護に関心が高く1978年にドリス・デイ動物愛護財団を設立して活動に専念していた。2004年には米民間人最高の栄誉である自由勲章を授与された。
2012年、17年ぶりのスタジオ・アルバム『マイ・ハート』を発表し、亡き息子であるテリーとの幻の競演を含む極上のポップ・アルバムとして大きな話題を呼んだ。残念な事に遺作となってしまった作品だが、エヴァーグリンの輝きを放つ、若く瑞々しい歌の数々が並ぶ。

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