About Doris Day
ドリス・デイは1924年4月3日にオハイオ州シンシナティで生まれた。本名はドリス・メアリー・アン・カペルホフ。両親はともにドイツ系二世で、ドリスが幼いときに両親が離婚したため母親のアルマに育てられる。ハリウッド進出を目指していた十代の頃、自動車事故にあい、療養中にラジオで聴いたエラ・フィッツジェラルドの歌に魅せられ歌手の道を決意。歌詞の大切さとひとりの人に語りかけるように歌うことに重きをおいてレッスンを重ねた。ラジオ番組がきっかけで、バーニー・ラップ楽団のオーディションを受け専属歌手となる。後にレス・ブラウン楽団の専属となるが結婚を機に退団。しかし2年もたたないうちに離婚し、故郷のラジオで歌っているところを偶然聞いたレス・ブラウンに呼び戻され、1945年に「センチメンタル・ジャーニー」の大ヒットでスターになった。
1947年に独立してコロンビアとソロ契約を結び、以後は一貫してコロンビアでレコーディング。代表的なヒット曲は「ラヴ・サムバディ」(1948年/1位)、「イッツ・マジック」(1948年/2位)、「アゲイン」(1949年/2位)、「ア・ガイ・イズ・ア・ガイ」(1952年/1位)、「シークレット・ラヴ」(1954年/1位)、「ケ・セラ・セラ」(1956年/2位)など。LP時代に入ると、アルバムへと重心を移し、『デイ・バイ・デイ』(1956年)をはじめ『デイ・バイ・ナイト』(1957年)、『カッティン・ケイパーズ』(1958年)、『デュエット』(1961年)、『ラテン・フォー・ラヴァーズ』(1964年)など傑作を残した。
一方、1948年に『洋上のロマンス』でスクリーン・デビューを果たし、これが好評で『情熱の狂想曲』(1950年)、『二人でお茶を』(1950年)など多くのミュージカル映画に出演。特に『カラミティ・ジェーン』(1953年)と『情欲の悪魔』(1955年)は代表作として知られる。ロック・ハドソンと組んだ都会派のコメディー映画は『夜を楽しく』に続いて『恋人よ帰れ』(1961年)と『花は贈らないで!』(1964年)が作られた。シリアスな演技の代表作はヒッチコック映画『知りすぎていた男』(1956年)。『カラミティ・ジェーン』の「シークレット・ラヴ」と『知りすぎていた男』の「ケ・セラ・セラ」はアカデミー主題歌賞を受賞している。
1968年からTV番組『ザ・ドリス・デイ・ショウ』に出演し、高視聴率的を記録し健在ぶりをアピールした。また、かねてより動物保護に関心が高く1978年にドリス・デイ動物愛護財団を設立して活動に専念し現在に至っている。2004年には米民間人最高の栄誉である自由勲章を授与された。