『この1週間、私はずっと一ヶ所でパーティーしてたわ!』ジャニス・ジョプリン
『ジャニス、初めて見たときから君を愛してる、本当だ』ジェリー・ガルシア(グレイトフル・デッド)
『列車は、一日中音楽漬けのイカれた人間たちを乗せ、ひたすら走っていった。そして俺たちは時々、列車を降りてはコンサートをやったんだ』フィル・レッシュ(グレイトフル・デッド)
1970年夏、ロックの歴史を彩った豪華ミュージシャンを乗せた貸し切り列車「フェスティバル・エクスプレス」は、24時間絶やすことなく音を奏で続け、最高なロックを乗せてカナダを横断した! “カナダ版ウッドストック”と称されることもある「フェスティバル・エクスプレス」だが、60年代末から70年代初頭にかけて行われた数々のロック・フェスティバルとは明らかに一線を画している。なぜならミュージシャンやスタッフ、機材がすべて一緒の列車で移動し、本当の旅をしていたからである。結果としてこのツアーは興行的には失敗に終わってしまうが、ミュージシャンたちのツアーへの情熱が失われることはなかった。カナダを横断する列車の中では、豪華なジャム・セッションが途切れることなく続いた。ジャニスやジェリー・ガルシアら、今となっては見ることのできないアーティストたちの素顔も垣間見ることができる。ローリング・ストーン誌が“100万ドルのバカ騒ぎ”と呼んだこのツアーを収めた本作は、そこで自由に歌い、酒を飲み、セッションするミュージシャンたちの生き生きとした姿が赤裸々に描かれている。『ザ・ビートルズ アンソロジー』でおなじみのボブ・スミートンが監督を務め、音楽はジミ・ヘンドリックスをはじめザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリン、サンタナ、デビッド・ボウイなどのレコーディングを手がけた超大御所エディ・クレイマーが担当している。約半世紀前の映像ではあるが、まるでライヴを観ているような臨場感で、歴史的饗宴を一緒に疑似体験しよう。
【STAFF】
●監督:ボブ・スミートン/Bob Smeaton
●製作:ギャヴィン・プールマン/Gavin Poolman、ジョン・D・トラップマン/John D. Trapman
●撮影:ピーター・ビジウ/Peter Biziou、ボブ・フィオーレ/Bob Fiore
●音楽:エディ・クレイマー/Eddie Kramer
【CAST】
●ジャニス・ジョプリン/Janis Joplin
●グレイトフル・デッド/Grateful Dead
●ザ・バンド/The Band
●マシュマッカーン/Mashmakhan
●バディ・ガイ/Buddy Guy
●フライング・ブリトー・ブラザーズ/Flying Burrito Brothers
●シャ・ナ・ナ/Sha Na Na
●デラニー&ボニー/Delaney & Bonnie ほか
「フェスティバル・エクスプレス」
1970年6月27日にカナダのトロントを皮切りに、ウェニペグ、カルガリーへと大陸を横断しながらライヴ・ツアーを行うためにミュージシャンたちを乗せて走ったカナダ鉄道の特別列車。
■FESTIVAL EXPRESS 日程
・CNE Stadium, Toronto|June 27-28, 1970
・Winnipeg Stadium, Winnipeg|July 1, 1970
・McMahon Stadium, Calgary|July 4-5, 1970
■グレイトフル・デッド/GREATFUL DEAD
ジェリー・ガルシア(ギター)を中心に1965年に結成。そのむさ苦しい風貌とは裏腹に、自由と愛と平和にあふれたメッセージを送り続けた。ヒッピー・ムーヴメントの背景もあり、彼らに共感する熱心なファン層が拡大し、数々のコンサートを行った。またコンサートでは録音も自由、そのテープを交換するのもOKといった彼らのスタンスも特徴的であり、彼らもファンも非常に純粋な志を持ち、温かい集団であった。日本では「尊厳死」を意味するネーミングや、「ガイコツ」「バラ」といったキャラクターにより、サイケデリックなバンドとしての偏ったイメージが先行していたところがあるが、しかし当時も彼らに共感し、何度も海を渡った若者も多数存在したほどの魅力あふれるロック・グループ。1995年にジェリー・ガルシアの他界により活動を休止するも、グレイトフル・デッドのフォロワーとしてフィッシュ、ストリング・チーズ・インシデントといった“ジャム・バンド”が誕生するなどシーンは継続されている。2015年には、トレイ・アナスタシオ(フィッシュ)をフィーチャーして“フェア・ジー・ウェル”と題された大きなツアーが行われ、世界中のデッドヘッズ(熱狂的なデッド・ファン)が会場のサンタクララやシカゴに集った。
■ジャニス・ジョプリン/JANIS JOPLIN
27歳の若さで夭折した伝説の女性シンガーとして知られるジャニス・ジョプリンは、1943年1月19日テキサス州ポートアーサー生まれ。ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのシンガーとして67年、モニュメント・レコーズからアルバム『ファースト・レコーディング Big Brother And The Holding Company』をリリース。同年行われたモンタレー・ポップ・フェスティヴァルでの衝撃的なステージが評判を呼び、米コロンビアと初のメジャー契約。68年アルバム『チープ・スリル Cheap Thrills』を発表。シングル「心のカケラ Piece Of My Heart」の大ヒットで一躍新しい時代のロック・シンガーとして注目を集めるようになる。ビッグ・ブラザーを脱退したジャニスは新たにコズミック・ブルース・バンドを結成し、69年、アルバム『コズミック・ブルースを歌う I Got Dem Ol' Kozmic Blues Again Mama!』を発表。理想のバンドを追い求めていたジャニスは新たにフル・ティルト・ブギー・バンドを結成、レコーディングは好調に進み、アルバムがほぼ完成した頃、突然この世を去ってしまった。享年27歳(1970年10月4日没)。ヘロインのオーヴァードースが原因だった。70年、遺作であり代表作ともなったアルバム『パール Pearl』を発表。シングル「ミー・アンド・ボビー・マギー Me And Bobby McGee」は全米ナンバーワンとなり、アルバムも9週間全米第1位を記録した。
■ザ・バンド/THE BAND
ロニー・ホーキンスのバック・バンド、ザ・ホークスとして60年代初頭にトロントで結成。1965~66年にかけてボブ・ディランのバック・バンドを務めたのち、68年にアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』でデビュー。アメリカ音楽のさまざまな要素を表現に取り入れた独自の音楽性で、70年代にかけて次々と名作を発表し続けた。解散ライヴを収めた『ラスト・ワルツ』(76年)まで全9作のアルバム(ライヴ2タイトル含む)を残す。83年にロビー・ロバートソン抜きで再結成されたが、86年にはリチャード・マニュエルが自殺。93年にはリヴォン・ヘルム、リック・ダンコ、ガース・ハドソンのオリジナル・メンバー3人に新メンバーを加え、『アイランド』以来16年ぶりとなるアルバム『ジェリコ~新たなる伝説』を発表している。その後2作のスタジオ・アルバムを発表したが、99年12月、ダンコの他界によって活動休止となった。ロバートソンはザ・バンド脱退後、ソロ・アーティストとして活動を続けている。
■『FESTIVAL EXPRESS』