VENU デヴィッド・ボウイ、ライヴ・フィルム『ジギー・スターダスト』 11月28日(火)東阪のZEPPにて、一夜限りのライヴ絶響上映決定!

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ライヴ・フィルム『ジギー・スターダスト』

STORY

ボウイはロックンロールという音楽を、ひとつの芸術形式としか説明できない境地へと高めた―――――――

大概のポップ・アーティストよりも完全に深遠な原動力に突き動かされたデヴィッド・ボウイは、たぐいまれなサウンドと果てしないヴィジョンという非常に特別な世界に生きている。ロックの巨匠たちのマンネリズムに甘んじることを拒絶し、陳腐という屈辱的なネガティヴ・スパイラルに陥ることを避けながら、ボウイは好きな曲を好きなときに書いて演奏してきた。

1947年1月8日、ブリクストンで生まれ、1966年にはデヴィッド・ボウイと名乗るようになる。1972年、世界的名盤『ジギー・スターダスト』(The Rise and Fall of Ziggy Stardust and The Spiders from Mars)を世に放ち、ボウイはジギー・スターダストのペルソナとなり、このアルバムを引っ提げてワールド・ツアーを敢行した。自らが異星からやってきた架空のスーパースター「ジギー」となり、ロック・スターとしての成功からその没落までを描く物語を、アルバムに収録された曲で構成している作品である。それまでにボウイ自身が体験してきた音楽、演劇、絵画やパントマイム、また日本の歌舞伎といった大衆芸能を網羅し、自らの作品へと結実させている。聴衆は「デヴィッド・ボウイ」ではなく、「ジギー」として彼を讃え、「ジギー」は虚像のスターとしてロック界の頂点に立った。妖艶さと狂気を兼ね備えた「ジギー」のキャラクターは、ボウイ自身の「バイセクシャル」であるという公言や、ステージでの宇宙人を思わせる奇抜な衣装やメイク、パフォーマンスによって神格化されていく。1972年ロンドンで初演され、当時最も鮮烈で画期的なライヴ・パフォーマンスとなり、グラムの人気を世界中で爆発させ、ボウイが世界的なスーパースターへと出世を果たすこととなる。1973年春までにジギーは世界を一周し、ボウイは1973年7月3日、「ロックンロールの自殺者 (Rock‘n’Roll Suicide)」演奏前のこのような発言によって、ジギーとスパイダーズを突然葬り去ってしまった。「今回のツアーで行った公演のうち、これが一番思い出に残るものになるだろう。今日はツアーの最終公演なだけでなく、最後の公演でもあるのだから」。

この言葉にはバンドのメンバーはもとより、会場の誰もが驚いた。

●スタッフ・出演者|

監督:D.A.ペネベイカー

出演|ジギー・スターダスト・アンド・ザ・スパイダース・フロム・マーズ

デヴィッド・ボウイ(vo/g)、ミック・ロンソン(g/vo)、トレヴァー・ボルダー(b)、ウッディ-・ウッドマンジー(dr)

撮影:ジム・デズモンド、マイク・デイヴィス、ニック・ドーブ、ランディ・フランケン、D.A.ペネベイカー

編集:ロリー・ホワイトヘッド 衣装:フレディ・バレッティ、山本寛斎 メイク:ピエール・ラロシュ

音楽プロデューサー(2003年のリミックス&リマスターver.):トニー・ヴィスコンティ

  • デヴィッド・ボウイ ライヴ・フィルム『ジギー・スターダスト』収録曲
  • 01. HANG ON TO YOURSELF/ 君の意志のままに
  • 02. Ziggy Stardust / ジギー・スターダスト
  • 03. Watch That Man / あの男を注意しろ
  • 04. Wild Eyed Boy From Freecloud / フリークラウドから来たワイルドな瞳の少年
  • 05. All The Young Dudes / すべての若き野郎ども ★
  • 06. Oh! You Pretty Things / ユー・プリティ・シングス
  • 07. Moonage Daydream / 月世界の白昼夢
  • 08. Changes / チェンジス
  • 09. Space Oddity / スペイス・オディティ
  • 10. My Death / マイ・デス ★
  • 11. CRACKED ACTOR/ 気のふれた男優
  • 12. Time / 時間
  • 13. The Width Of A Circle / 円軌道の幅
  • 14. Let’s Spend The Night Together / 夜をぶっとばせ ★
  • 15. Suffragette City / サフラジェット・シティ
  • 16. White Light/White Heat / ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート ★
  • 17. Rock 'N' Roll Suicide / ロックン・ロールの自殺者
  • ★はカヴァー曲
  • Intro: Symphony No. 9 [Wendy Carlos] - オープニング/イントロ:ベートーヴェン「交響曲第9番」(演奏:ウェンディ・カルロス)
  • Outro: Incorporating 'Pomp And Circumstance' - エンド・ロール/アウトロ:エルガー 行進曲「威風堂々」

David Bowie/デヴィッド・ボウイ

デヴィッド・ボウイ(David Bowie)ライヴ・フィルム『ジギー・スターダスト』

1947年1月8日、英ロンドン南部ブリクストン生まれ。本名デヴィッド・ロバート・ジョーンズ。

67年、デビュー・アルバム『David Bowie』を発表。69年のアルバム『スペイス・オディティ』のヒットを経て、72年『ジギー・スターダスト』をリリース。グラム・ロックの旗手として人気を拡大、日本を含む大規模なワールド・ツアーを敢行。その後分身ともいえる「ジギー・スターダスト」という人格を封印、アメリカに拠点を移す。映画『地球に落ちてきた男』(1976年/ニコラス・ローグ監督)に出演。ジョン・レノンとの共作シングル『フェイム』で初の全米1位を獲得する。77年~79年にベルリンに移住し、のちに「ベルリン三部作」と呼ばれるアルバム『ロウ』、『ヒーローズ』、『ロジャー』を発表。再度アメリカに戻り83年『レッツ・ダンス』で名プロデューサー、ナイル・ロジャースを起用、全米4位、全英1位というキャリア最大のメガヒットを記録した。またその頃、『ハンガー』(1983年/トニー・スコット監督)、『戦場のメリークリスマス』(1983年/大島渚監督)、『ラビリンス/魔王の迷宮』(1986年/ジム・ヘンソン監督)など映画の話題作への出演が相次ぐ。89~91年頃のロック・バンド“ティン・マシーン”としての活動や、その後はソロとしてもコンスタントに新作を発表しワールド・ツアーも行ってきたが、2004年心臓麻痺による体調不良により活動を休止。約9年間シーンから遠ざかっていたが、2013年に『ザ・ネクスト・デイ』で電撃復活を果たした。2016年1月8日、69歳の誕生日に『★』を発表、その2日後の1月10日、死去。

D.A..ペネベイカー

1925年7月15日、イリノイ州バンストン生まれ。

1960年代初期にドキュメンタリー映画、記録映画のよりストレートな表現方法とされた「ダイレクト・シネマ」ムーブメントの代表的人物であるリチャード・リーコックとロバート・ドリューとともに、「ドリュー・アソシエイツ」を設立。しかし1963年、リーコックとペネベイカーは、自分たちのプロダクション「リーコック・ペネベイカー社」設立のため、「ドリュー・アソシエイツ」を去る。

1965年、ペネベイカーのもとに人気絶頂のシンガー、ボブ・ディランのドキュメンタリー映画製作の依頼が舞い込み、『ドント・ルック・バック』を製作。ロック・ドキュメンタリー映画の歴史を塗り替えてしまうほどのリアリティーに満ちた傑作と評価され、ペネベイカーは一躍ダイレクト・シネマ=シネマ・ヴェリテの旗手として注目を集める。1968年にジミ・ヘンドリクスのギター・パフォーマンスで知られる『モントレー・ポップ・フェスティバル‘67』、1969年にジェリー・リー・ルイスとリトル・リチャードによる『Keep On Rockin’』を発表。そしてデヴィッド本人からの指名により本作『ジギー・スターダスト』の記録を任される。

のちに妻のクリス・ヘジダスと設立した会社「ペネベイカー・ヘジダス・フィルムズ」は影響力のあるドキュメンタリーを数多く製作している。

また1960年代初期、ペネベイカーはフランス・パリに滞在中にヌーヴェルヴァーグの映画作家ジャン=リュック・ゴダールと出会い、映画を共同製作する話が持ち上がったが、結局頓挫している。

数年後、ゴダールのオファーで再び話が持ち上がり、アメリカの公共テレビ局PBSも出資に合意。ベトナム反戦運動や五月革命がパリで起きたように、カリフォルニア州でも起きるというゴダールの主張で、アメリカのバークレーやニューヨークで撮影が行われた。この映画は当初、ゴダールにより『One A.M』というタイトルがつけられた。日本では、このタイトルを訳した『ワン・アメリカン・ムービー』(日本未公開)という名で知られている。ただし日本以外では、その後に改題した『One P.M』ないしは『1PM』というタイトルで知られている。

2012年第85回アカデミー賞にてアカデミー名誉賞を受賞。

Tony Visconti/トニー・ヴィスコンティ

1944年4月24日、ニューヨーク生まれ。

10代の頃からミュージシャンとして活動していたが、24歳となった1968年に渡英、以後ロンドンを拠点に音楽プロデューサーとして活動している。

ブリティッシュ・フォーク、プログレッシヴ・ロック、ハード・ロックから、後のニュー・ウェーヴ、オルタナティヴ・ロックに至るまで幅広いジャンルの作品を手掛けているが、中でも当時まだ新人だったデヴィッド・ボウイやティラノザウルス・レックス(T.レックス)らを見い出し、数々の作品のプロデュースを通じて彼らをスターダムへと押し上げ、グラム・ロック・ムーヴメントを仕掛けたのはよく知られるところだろう。

彼がプロデュースしたボウイの作品は『スペイス・オディティ』(1969年)、『世界を売った男』(1970年)、『デヴィッド・ボウイ・ライヴ』(1974年)、『ヤング・アメリカンズ』(1975年)、『ロウ』(1977年)、『英雄夢語り (ヒーローズ)』(1977年)、『ステージ』(1978年)、『ロジャー (間借人) 』(1979年)、『スケアリー・モンスターズ』(1980年)、『ヒーザン』(2002年)、『リアリティ』(2003年)、『ザ・ネクスト・デイ』(2013年)、『★』(2016年)の13作。『ジギー・スターダスト』(1972年)、『ジギー・スターダスト・モーション・ピクチャー』(1983年)ともに初出時にヴィスコンティは関与していなかったが、後者については2003年再発の際に彼がリミックスを手掛けている。

Mick Ronson/ミック・ロンソン

1946年5月26日 - 1993年4月29日(享年47歳) イングランドヨークシャー州キングストン生まれ。ギタリスト兼音楽プロデューサー。

トニー・ヴィスコンティを介してデヴィッド・ボウイのバンドに参加することになり、ボウイの『世界を売った男』(1971年)に参加。『ハンキー・ドリー』(1971年)から『ピンナップス』(1973年)に至るまで、ボウイのレコーディングやライヴをサポート。この頃のボウイのバック・バンドは、スパイダーズ・フロム・マースと呼ばれた。また、1972年にはルー・リードの作品『トランスフォーマー』を、ボウイと共同プロデュース。スパイダー・フロム・マース活動休止後はモット・ザ・フープルに加入、リーダー、イアン・ハンターのソロ・アルバム『IAN HUNTER(双子座伝説)』(1975年)にギターとプロデュースで参加したのち、ハンターと活動をともにしている。ギタリスト兼音楽プロデューサーの先駆け的存在である。

A New Career In A New Town(1977 - 1982) ア・ニュー・キャリア・イン・ア・ニュー・タウン [1977-1982]

2017/10/18 発売/¥20,000+税/WPCR-17897/907

ご購入はこちらから

スペース・ヒーロー~グラム・ロックのスターという地位を自ら脱ぎ捨て、新天地アメリカで独自のソウル・ミュージックを追求し、「フェイム」で初の全米No.1ソングを獲得したボウイが、自らのアイデンティティであるヨーロッパに回帰し、東西冷戦下のベルリンでいわゆる<ベルリン3部作>を生みだした6年間 [1977-1982]を集大成。

『★』

ご購入はこちらから

1960年代から、その多彩な音楽性をもって制作された名盤の数々は、その時代のアート(芸術)とも言え、移り変わり行くロック・シーンの中で変化と進化をし続けてきた、英国を代表するロック界最重要アーティスト、デヴィッド・ボウイ。2013年、世界中の誰もが驚いた予期せぬ復活劇は、「事件」として瞬く間に全世界を駆け巡り、10年振りの新作にして、ロック史上最大のカムバック作となった『ザ・ネクスト・デイ』の発売から3年──。

2016年1月8日、69回目の誕生日を迎えるその日に、最新アルバム『★』(読み方:ブラックスター)発表。その2日後、2016年1月10日永眠。本作が、最後のオリジナル・アルバムとなった。

チケット詳細