第3回:「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」発売記念イベント
この連載は、圧倒的名盤と称されるアルバム『家庭教師』(1990年)完成に至る当時の時間の流れを、現在の時間の流れとリンクするような形で展開していきます。
『家庭教師』を含む岡村靖幸プロモーション担当だった私、福田良昭が1997年来、24年ぶりに復帰、本講のナビゲーターを務めさせていただきます。
この連載を通じて、あらためて1990年の岡村靖幸の動きを再検証しながら21世紀の『家庭教師』の補習となればと思っています。
連載第3回のテーマは「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」発売記念イベント。
あらためまして。ナビゲーターの福田です。ついにアナログレコード「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」が発売されました。別件の原稿をまとめている最中ですが、丁度いいタイミングなので、31年前のイベントに触れることにしました。今回は僕自身が証言者として振りかえります!
証言者:福田良昭
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ 制作一部 部長
「ある意味この日のライヴも"伝説のライヴ"と言えるのではないでしょうか?」
この曲を初めて聴いたのは、1990年の夏。場所は当時のCBS・ソニー信濃町スタジオのマスタリングルーム。イントロで背筋がゾクッとし、1コーラスが終わらないうちに感動で全身が震えていました。今でも僕の歴史の中でNo.1ソングです。この時に長いタイトルも知りました。余談ですが、長いタイトルはエピックの小坂(洋二)さんの発案であることを最近聞きました。
すぐに宣伝プランに着手。考える中で、発売日(当時10月10日は「体育の日」)と曲タイトルからのイージーな発想で、バスケットボールをキーワードにしたファンイベントをやろうと決めました。
まずは会場探し。PCやスマホの無い時代、一件ずつ電話で問い合わせするものの、「体育の日」に半日以上空いている体育館はなかなか見つからず。ようやくJR総武線亀戸駅近くの亀戸体育館の空きを確認し、速攻現地に向かい、そのまま施設利用申込書を提出。
次に連携先メディアをどうするか。岡村くんに馴染みがあって、時間が少ない中で多少の無理が言えるのはCBS・ソニー出版ただひとつ。編集担当の方(『GB』安達さん、『PATi▶PATi』吉田さん)に相談し、快くOKを頂いて内容の詰めが始まりました。僕の記憶が曖昧で決して正確ではありませんが、1チーム5名でイベント係宛にハガキで応募、選ばれた20組100名が招待されたと思います。
続いての準備は岡村チームのユニフォーム作り。岡村くん・スタッフ用・プレゼント用で30着くらいでしたが、同じ色で揃えることができず2色(赤と水色)になりました。
岡村靖幸チームのユニフォーム(赤)
イベント当日は早朝から会場へ。岡村くんもミニライヴのリハーサルがあり、かなり早くに会場入りしました。
午後に参加者が集合し、イベントスタート。第1ステージ「○×クイズ」で半数脱落、第2ステージ「フリースロー合戦」失敗即脱落で最終的に残った2チームが岡村靖幸チームと実戦対決。前後半各10分、勝ち残りチームは前半と後半に1チームずつ登場、岡村チームはメンバーを入れ替えながら20分間奮闘しました。岡村くんは唯一フル出場、チーム最多得点を記録するが試合は惜しくも敗戦。試合に出ることが叶わなかった参加者の熱い声援がゲームを盛り上げてくれました。
少しの休憩を挟んでイベントはクライマックスへ。
簡易ステージがセットされ、着替えた岡村くんが登場し、ギター弾き語りのミニライヴがスタート。演奏曲は「Out Of Blue」しか覚えていません。5~6曲で30分くらいの演奏時間だったと思います。セットも照明もPAもなく、広い空間に体育座りの約100人の観衆。いつもと違う環境の中、この日を共にした皆さんへの感謝をこめた情熱的な弾き語りは、いつもと違う距離感や一体感を作り出し、温かさみたいな感じもあったように思います。岡村くんには大変申し訳ない例えになるかも知れませんが、キャンプファイヤーのような空気感。想いが強く通い合う分、感動もひとしおだったかと。ある意味このライヴも"伝説のライヴ"と言えるのではないでしょうか?
最後にプレゼント抽選会を行い、イベント終了。参加者退出後、スタッフ全員で岡村くんの控室へ。早朝に起きて、目一杯バスケやって、ライヴやって、相当疲れていたと思いますが、心地よく楽しそうな表情で僕らを労ってくれました。岡村くんもこの日の出来事に感じるものがあったのでしょう。
今になって思うと、このイベントが岡村靖幸宣伝担当としての転機になったような気がします。 このイベントに参加された方がいましたら、メッセージ欲しいですね。
第3回補習の僕(福田良昭)の証言を見て、なんと当時のイベントに参加された方からメッセージをいただきました!
しかも、僕の記憶になかった(すみません!)イベントの内容もしっかり書いてありました。
せっかくですので、その一部を"追加補習"として公開します。
いただいたメッセージによると、
岡村くんのミニライヴの演奏曲は、
①Out Of Blue
②聖書(バイブル)
③イケナイコトカイ
④バスケの唄(即興)
第1ステージ「〇✖クイズ」は、
●デビューは、3/21の「yellow」か?
●「Peach time」は、11枚目のシングルか?
●『早熟』では、金のネックレスをしていたか?
などの問題が出たようですが、確かではないとのこと……。
"ヤスユキマン"のイラストを描いていた神沢礼江さんも会場にいらっしゃっていたようです。
貴重な情報とメッセージ、本当にありがとうございました!!
ナビゲーター:福田良昭
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ
制作一部 部長
1984年ソニーミュージック入社。EPICレーベルの洋楽・邦楽で主に宣伝・マーケティングの仕事に携わり、小室哲哉(ソロ作品)、大澤誉志幸、岡村靖幸(1990~1997年)らを担当。2005年ソニー・ミュージックダイレクトに異動、カタログ・企画盤の制作を担当する。2021年、24年ぶりに岡村靖幸の担当に復帰した。
第2回:「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」スポット映像
岡村靖幸「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」スポット映像
この連載は、圧倒的名盤と称されるアルバム『家庭教師』(1990年)完成に至る当時の時間の流れを、現在の時間の流れとリンクするような形で展開していきます。
『家庭教師』を含む岡村靖幸プロモーション担当だった私、福田良昭が1997年来、24年ぶりに復帰、本講のナビゲーターを務めさせていただきます。
この連載を通じて、あらためて1990年の岡村靖幸の動きを再検証しながら21世紀の『家庭教師』の補習となればと思っています。
連載第2回のテーマは「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」スポット映像。
あらためまして。ナビゲーターの福田です。始まったばかりの連載でしたが、夏季休講となってしまいました。お詫び申し上げます。
9月2日に公開された「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」スポット映像は、既報の通り1990年に制作された15秒TVスポットを2021年版としてブラッシュアップしたものですが、ここで映像について補習したいと思います。
このスポットの元々の素材は、EPICレコード製作の音楽番組『eZ』(1988年4月~1992年10月放送/テレビ東京系)放送用に撮影された「(E)na」(カッコイーナ)の映像素材を転用して制作しています。監督は勿論坂西伊作さん。35mmフィルムを使用。何と岡村くんにまつわる映像素材の捜索結果、約20分のオリジナルフィルムが発見されました。機会があれば特別公開したいと思いますが、その前に『eZ』で放送された「(E)na」(カッコイーナ)をここで公開します。
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」スポットに話を戻すと、オリジナルのナレーションは当時入社4年目の若手映像制作スタッフの中山さん。偶然にも中山さんが現在ソニー・ミュージックグループに在籍していたことから今回も起用。31年ぶりのナレーション録音が実現できました。新たにテロップ修正して完成した2021年版スポット、皆さんはどのような感想をお持ちでしょうか?
1990年当時の撮影に参加し、現在僕と同じ職場で仕事をしている塩坂芳樹さんに撮影当時のことを聞きました。
証言者:塩坂芳樹
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト デジタルプロモーション課 ディレクター
「曲のサビ以降を繰り返し撮影、フィルムの関係で、約40分で収録は完了しました」
「あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう」の15秒テレビスポットは、地方エリアのプロモーション担当者から強いリクエストがあり急遽制作されたものです。完パケまで時間がほとんど無かったかったこともあり、「(E)na」(カッコイーナ)の映像を流用して作ったと記憶しています。
このスポットの元となった「(E)na」(カッコイーナ)は1990年10月1日テイクワンスタジオ六本木で撮影されました。映像の背景にある黒い水玉模様は当日美術さんが手作業で張ったものです。カメラは1台のみでカメラマンは夏野大介さん。
曲のサビ以降を繰り返し撮影、フィルムの関係で約40分で収録は完了しました。編集・MAは音響ハウス。この時同じ編集スタジオで別作業をしていた中山さんが急遽ナレーションを担当することになりました。完パケ映像は、1990年10月放送第35回『eZ』(BO GUMBOS on eZ)で公開されました。
ナビゲーター:福田良昭
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ
制作一部 部長
1984年ソニーミュージック入社。EPICレーベルの洋楽・邦楽で主に宣伝・マーケティングの仕事に携わり、小室哲哉(ソロ作品)、大澤誉志幸、岡村靖幸(1990~1997年)らを担当。2005年ソニー・ミュージックダイレクトに異動、カタログ・企画盤の制作を担当する。2021年、24年ぶりに岡村靖幸の担当に復帰した。
第1回:「どぉなっちゃってんだよ」ミュージックビデオ
岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」(1990)ミュージックビデオ
この連載は、圧倒的名盤と称されるアルバム『家庭教師』(1990年)完成に至る当時の時間の流れを、現在の時間の流れとリンクするような形で展開していきます。
『家庭教師』を含む岡村靖幸プロモーション担当だった私、福田良昭が1997年来、24年ぶりに復帰、本講のナビゲーターを務めさせていただきます。
この連載を通じて、あらためて1990年の岡村靖幸の動きを再検証しながら21世紀の『家庭教師』の補習となればと思っています。
連載第1回のテーマは「どぉなっちゃってんだよ」ミュージックビデオ。
ロンドンで撮影されたこの映像の記憶を呼び起こすために、当時、この撮影に現地で関わった方で、現在唯一連絡が取れる大竹健さんにインタビューしました。
大竹さんは、当時EPICレコード制作部に在籍。多くのアーティストの海外での制作活動を現地長期滞在でフルサポートしていました。多くの名盤の陰に彼の大きな存在があるといわれています。
TM NETWORK『CAROL』(1988年)、佐野元春『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』(1989年)、DEAMS COME TRUE『LOVE GOES ON…』(1989年)、小室哲哉『Digitalian is eating breakfast』(1989年)、TM NETWORK『DRESS』(1990年)、渡辺美里『Hello Lovers』(1992年)などの制作に関わり、数年に渡ってロンドンに拠点をおいていました。「どぉなっちゃってんだよ」ミュージックビデオ撮影もこの間に行われました。
証言者:大竹健
株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント コーポレートSVP|株式会社ソニー・クリエイティブプロダクツ代表取締役執行役員社長]
「音楽におけるダンスの価値を解いたのは、当時、岡村くんだけだった」
海外向けデモ音源制作は岡村靖幸を海外にプレゼンテーションするために行われ、2曲の英語詩のカヴァーをレコーディング。1曲は「Lion heart(仮英題「HOPE」)、もう1曲は「友人のふり」(仮英題「Love Rain Over Me」)。
岡村くんは幼少時ロンドンにいたこともあり、英語の発音がとても自然でした。多くの日本人アーティストが英語の歌唱する際、“頑張った感”がどうしても拭えないですが、岡村くんの英語はとてもナチュラルで、海外の人にもきっと伝わるものと思っていました。デモ音源は仮歌まで制作されましたが、残念ながら様々な事情でプレゼンを実現することが出来ませんでした。
ダンスレッスンは彼の今後のクリエイティヴの進化を目的とし、かつミュージックビデオ撮影用にセットされたものだと記憶しています。
専属のコリオグラファーのシレーナ(TM NETWORK『CAROL』ライヴ・ステージも担当)によるダンスレッスンは、彼の滞在中、多くの時間を割いていたと思います。ミュージックビデオ「どぉなっちゃってんだよ」に出演のダンサーのセレクトや振り付けを彼女が担当しました。
ミュージックビデオの撮影はロンドン郊外のスタジオで行われました。日本から坂西伊作、ウェンディ・フェイガン(当時EPICレコード映像制作部に所属、DREAMS COME TUREのデビュー・アルバムのヴィジュアルなども担当)、そこに現地撮影監督が加わり撮影が進められました。撮影監督のフルネームがどうしても思い出せないです……恐縮。
撮影現場では、岡村くんが監督と積極的に英語で対話をしながら、彼が納得いく形で進んでいたと記憶しています。ただ、その一方でスタッフ間では激しい議論もありましたが、トラブルはなく1日で撮影は完了しました。その後の現地での編集作業にも岡村くんが加わりビデオが完成しました。
今この映像を観ると、当時のミュージックビデオにはなかったダンスを前面に出した映像で、色調のクオリティも素晴らしく、画期的なビデオだと改めて思いました。35ミリで撮ったのでしょうか? ロンドン撮影の大きな理由のひとつに、当時日本に無かった機材を使用することがあったと聞きましたが、はっきりした記憶はありません。
振り返ってみると、音楽におけるダンスの価値を解いたのは、当時岡村くんだけではなかったか、この後にダンスを前面に打ち出すアーティストが次々に世の中に登場し今ではダンスの才能溢れるたくさんのアーティストが、音楽とダンスの価値を見事にマッチさせとても高い評価を得ています。岡村くんはそういったアーティストのパイオニアだったんだと思います。
余談ですが、岡村くんが滞在中に、彼が幼少期に過ごしたエリアをセンチメンタル・ジャーニー風にふたりで訪ねたことも記憶に深く残っています。僕にとって、彼との1か月はとても大事な時間でした。
「どぉなっちゃってんだよ」ミュージックビデオは、その後ビデオシングルディスク(VSD)として1990年11月1日にリリースされました。わずか1曲入りのビデオパッケージでした。この頃はこのパッケージ・メディアを広めるため、岡村靖幸をはじめ当時のEPICのメインアーティストが同様に1曲入りのVSDをリリースしていました。販売価格は1200円、商品番号:ESFU-7202(現在廃盤)。
ナビゲーター:福田良昭
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ
制作一部 部長
1984年ソニーミュージック入社。EPICレーベルの洋楽・邦楽で主に宣伝・マーケティングの仕事に携わり、小室哲哉(ソロ作品)、大澤誉志幸、岡村靖幸(1990~1997年)らを担当。2005年ソニー・ミュージックダイレクトに異動、カタログ・企画盤の制作を担当する。2021年、24年ぶりに岡村靖幸の担当に復帰した。
音楽専門誌『GB』1990年9月号から
「どぉなっちゃってんだよ」記事をスペシャル公開!!
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『GB』1990年9月号[1990年7月24日発売|CBS・ソニー出版]より(エムオン・エンタテインメント)