アナログ12inch
CD
TOTOの連中とは、15歳の頃からの学校の友達だった。その頃の俺たちの究極の<夢>は、セッション・ミュージシャンとして極めながらも、ロック・バンドとして成功を収めることだったんだ。今思えば、とんでもない願いだよ。スティーヴ・ルカサー
高い音楽性を持ちながらも大衆にアピールするバンドにすることが、僕らのチャレンジ=<夢>だった。ヒット性と音楽性は手と手を取り合うことができる、両立は可能だ、と。TOTOはそれを目指したんだ。デヴィッド・ペイチ
(デビュー当時の事を)まるで昨日の事に様におぼえているよ。僕らは<夢>を実現させようとしていた・・・。僕らにしか作れない、本物のアルバムを作ろうとしていたんだ。スティーヴ・ポーカロ
当時僕は、ずっと憧れていたバンドに新メンバーとして加入した。そこで、以前から一方的に良く知っていた人たちと演奏したり、曲を書いたり、レコーディングしたり・・・。僕にとっては<夢>の様な時間だったよ。ジョセフ・ウィリアムズ
TOTO(1978)
祝40周年。いくつもの困難を乗り越え築き上げたその数字には、言葉では表しきれない重みが込められている。1978年10月2日に発売されたシングル<Hold The Line>でデビューを飾り、同年10月15日にアルバム『TOTO(宇宙の騎士)』も登場。<Hold The Line>は全米5位を記録し、アルバムも全米9位まで上昇。ダブル・プラチナム(200万枚)という大ヒットを記録し、世界の音楽シーンにまさにセンセーションを巻き起こした。大衆的な人気を獲得しながら、音楽業界のコアな人たちからも絶賛されるという、まさにミュージシャンにとってこの上ない理想的なスタートを切った彼らは、その後、山あり谷ありを経験しながらその度に進化。40周年を記念してレコーディングした3曲の新曲を含むこのベスト盤で、その長き歴史の集大成をファンに届けてくれる。しかも、デビュー時のレコード会社、CBS/Sonyに復帰してのリリース、というのがなんとも嬉しいところだ。このライナーノーツではデヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ルカサー、スティーヴ・ポーカロ、ジョセフ・ウィリアムズという現在の正式メンバー4人が語る最新ヴォイスを交えながら、改めてその歴史と収録曲の紹介を進めていきたい。中でも、新曲3曲のうちの1曲は1984年のアルバム『Isolation』制作時に未完で終わった楽曲を再構築したもので、リズム隊にはジェフ&マイク・ポーカロの当時のプレイを使用。涙なくしては聴けないトラックとなり、2018年のTOTOでありながら80年代のテイストもしっかりと感じられる、ファンには堪えられない楽曲になっている。
(中略)
そして1978年10月にデビューしたTOTOは<Hold The Line>(全米5位、全英14位)、<I’ll Supply The Love>(全米45位)、<Georgy Porgy>(全米48位)と、全く個性の異なる3曲をヒットさせ、その演奏能力、アレンジ力、幅広い音楽性を強烈にアピール。特に“TOTOっぽいアレンジ”は世界の音楽シーンに大きな影響を与え、日本の歌謡曲にもそのエッセンスがあちらこちらで借用されている。
HYDRA(1979)
TOTOは1979年に2作目『Hydra』を発表し、翌年3月、初めての来日公演を行った。大阪、名古屋、京都、東京で全10公演行い、その時のファンの熱さ、歓迎ぶりにメンバーが感激。『ロック・スターのような気分を味わえた!』(ペイチ)と表し、それ以来、日本のファンを特別な存在として大事にしてくれている。この2ndからはメロウな<99>がヒットするが、1981年の3作目『Turn Back』からはヒット・シングルが生まれず、アルバムもゴールド・ディスク(50万枚)に届かないロー・セールスで終わってしまう。そして、『TOTOはもうヒット曲を書けない!』とアメリカのプレスから酷評され、レコード会社からの信頼もかなり小さくなってしまう。そしてそれに発奮したペイチは、『次のアルバムではヒット曲を書いてプレスの連中を見返してやる!』と誓い、1982年の『TOTO IV~聖なる剣~』で見事な巻き返しを図るのだった。
TOTO IV(1982)
アルバムからは<Rosanna>(全米2位)、<Africa>(全米1位)、<I Won’t Hold You Back>(全米10位)と3曲がトップ10入りを果たし、<Rosanna>がグラミー賞の”Record of the Year”を獲得。『TOTO IV』も”Album of the Year”に輝き、全米で300万枚を記録した他、イギリス、オーストラリア、カナダ、ドイツ、フランス、オランダ…各国でゴールド、プラチナムを獲得し、日本でもプラチナ・ディスク(25万枚)に輝いている。この年、TOTOは二度目の来日を果たし、日本武道館3回を含む10公演を岡山、福岡、大阪、京都、名古屋、新潟で行うが、この時からベーシストがマイク・ポーカロにチェンジ。家族を大切にし、ツアーに出ることを望まなかったデヴィッド・ハンゲイトはナッシュヴィルでスタジオ・ミュージシャン、プロデューサーとしての活動に専念するようになる。
ISOLATION(1984)
そして1984年の5作目『Isolation』制作途中にヴォーカリスト、ボビー・キンボールも脱退。オーディションの結果、元トリリオン、ル・ルーのハイ・トーン・シンガー、ファーギー・フレデリクセンがグループに参加するが、結局アルバム1枚で脱退。86年の6作目『Fahrenheit』と88年の7作目『The Seventh One~第7の剣~』ではジョセフ・ウィリアムズが三代目リード・ヴォーカリストとして活躍する。ジョセフは、『未知との遭遇』『E.T.』を始め、数多くの作品を手掛ける映画音楽の巨匠、ジョン・ウィリアムズの息子であり、TOTOの面々とは10代から顔馴染みだったアーティストだ。音楽的なバックグラウンドもTOTOのメンバーと近く、ヴォーカリストとしての魅力はもちろん、ソングライターとしての才能もしっかりと発揮。ペイチと共作した<Pamela>(1988年、全米22位)でしっかりと結果を残している。また、オリジナル・メンバーのスティーヴ・ポーカロが『The Seventh One~第7の剣~』から正式メンバーを離れ、レコーディング時のサポートのみになっている。
THE SEVENTH ONE(1988)
ジョセフ時代のTOTOの評価は日本でも極めて高く、キンボールの時代よりも好き、というファンが多く存在するが、それはそう長くは続かなかった。ツアーの連続が=連夜のパーティーとなった当時、ジョセフは自己の喉の管理を怠り、ステージで最高のパフォーマンスを披露できなくなってしまう。そしてグループを脱退。今度はレコード会社に紹介された南アフリカ出身のシンガー、ジャン・ミシェル・バイロンを迎えて、新曲4曲を含むベスト盤『Past To Present 1977-1990』を1990年に発表するが、バイロンは全く目立つことなく短期間で脱退。すると今度は新しいヴォーカリストを探さず、ジェフ、ペイチ、ルカサー、マイクの4人でやっていくことを選択。そうして制作された『Kingdom Of Desire~欲望の王国~』が間もなくリリースされるという1992年8月5日、ジェフ・ポーカロが38歳という若さでこの世を去ってしまう。
KINGDOM OF DESIRE(1992)
グループは途方に暮れ、今までに味わったことのない悲しみのどん底へと突き落とされる。しかし、グループを続けることがすなわちジェフの意志を継ぐことこ判断し、新たにサイモン・フィリップスを迎えてワールド・ツアーを敢行。サイモンはその後もグループに残り正式メンバーとして『Tambu』(1995年)、『Mindfields』(1999年)、『Falling In Between』(2006年)といったオリジナル・アルバム、およびライヴ・アルバム、カヴァー・アルバムでアクティヴなプレイを披露している。また、ライヴでは女性シンガーを起用し、キーの高い曲をカヴァーしていたが、1995年からボビー・キンボールがグループに復帰しデビュー当時のファンを喜ばせてくれた。一方、2000年代中盤になるとペイチがいろいろな問題からライヴに同行しなくなり、グループはL.A.を代表するキーボーディストの1人、グレッグ・フィリンゲインズを正式メンバーに迎えてライヴ&レコーディングを行うようになる。グレッグはペイチも参加した『Falling In Between』でプレイヤーとしてはもちろん、ヴォーカリストとしても活躍。ライヴでも素晴らしいパフォーマンスを披露するが、その頃からベースのマイクが大病に見舞われ、ツアーを断念。今度は名ベーシスト、リー・スカラーがその穴を埋めるが、2008年の日本公演を最後にグループは活動を停止。祝うべき30周年が、寂しい節目となってしまった。
しかし、TOTOは再び立ち上がった。ALSとの闘病を続けるマイクを支援しようと2010年からツアーを再開。そこではジョセフがキンボールに替わって参加し、スティーヴ・ポーカロもグループに復帰。ベースにネイザン・イーストを起用したツアーは長い期間続きグループは完全に復活を遂げる。その後、サイモンが脱退し、スティーリー・ダンとのセッションで知られるキース・カーロックがグループに参加。そして2015年に久し振りのスタジオ盤『TOTO XIV~聖剣の剣~』を発表するが、その直前にマイクが天へと旅立ってしまう。再び悲しみを乗り越えるべくTOTOは精力的にツアーをこなし、アルバムも非常に高い評価を得る。ヨーロッパや日本では人気の衰えを知らない彼らだが、こと本国アメリカでは『Kingdom Of Desire』から全くチャートに顔を出していなかったが『TOTO XIV』で久しぶりに全米98位にランク・イン。グループは再び絶頂期を迎えることになる。
それに続いて発表されるこのベスト盤。タイトルはジョセフ・ウィリアムズのアイデアによるものだった。
40 Trips Around The Sun(2018)
『普通、40周年というと『40th Anniversary Greatest Hits』とか『40 Years of …』みたいな同じタイトルばかりで退屈じゃないか。それで、何か違うのがいいなと思ってて。そんな時にテレビで軌道力学に関する番組を見たんだ。一つの惑星がどんな周期で惑星を廻っているかという。その翌日、スタジオで「40年って言うのはつまり地球が太陽の周りを40回廻ったということになるんだよ」と僕が話しているのを聞いた誰かが「だったら40 Tripsにしたら?」と言って、それがタイトルになったというわけさ』(ジョセフ)
新曲は3曲収められているが、いずれもメンバー4人ーーペイチ、ルカサー、スティーヴ、ジョセフーーがスタジオに入り一緒に構築していった、ということだ。その作りは『Falling In Between』でも試みているが、プログレッシヴなヘヴィ・ロックを根底に作り上げたそのアルバムとはカラーが全く異なり、80年代のTOTOを想い出す素晴らしいサウンドになっている。
今回の選曲に関してはペイチがこう語ってくれた。
『SONYと僕らのコラボレーションだったんだ。ほとんどが彼らの提示してきた選曲に沿ったが、少し足したり削ったりしたよ。例えば、すでに何度もベスト盤に入っている曲の代わりに、アメリカではヒットしなかったがヨーロッパではヒットした曲を入れたりね。少しだけこれまでとは変えるようにしたよ。いつもどれを聞いても同じ7-8曲だ、ということがないようにね。SONYのように音楽を理解してくれるレコード会社にいられるのは本当にありがたいことだね。曲順かい? まずジョセフが第1案を作る。それをバンドで見て、問題がなければそのまま。せいぜい1ー2箇所を変えてあとはそのままというのが大抵だね』
今回新たにリマスターされたクラシック・ヒッツに関しては、グラミー賞とエミー賞の受章歴を誇る伝説的なレコーディング・エンジニア/プロデューサーのエリオット・シャイナーと、同じく数度のグラミー受賞歴を誇るマスタリング・エンジニアのギャビン・ルアーズセン率いるチームがその工程を手掛けている。
中田利樹氏ライナーノーツより抜粋 S.ルカサー、D.ペイチ、S.ポーカロ、J.ウィリアムズへの最新インタビュー(2017年12月)に基づくもの