『THE BARN DELUXE EDITION』
THE HOBO KING BAND special interview vol.2

井上富雄
INOUE TOMIO(Bass)

Tommyの愛称で親しまれながらロック・シーンのフロントでタイトなリズムを刻み続ける元ルースターズのベーシスト井上富雄。20年前、ウッドストックで敢行されたTHE BARNセッションではTHE HOBO KING BANDの屋台骨として活躍。あの忘れることが出来ないと言う夏の日々を語ってもらう。

インタビュー・文/大谷隆之

「あの温かい雰囲気の中、3週間しっかりと音楽と向き合った経験が、どこかで心の余裕に繋がっているというのかな。あの日々を経験できたことで、何かが変わったような気はします。そういう大事な時間でしたね」

── 井上さんと佐野さんは、実はデビューの年が同じなんですね。

井上 そうなんです。年齢は僕の方が5歳ほど下なんですけどね。僕が19歳で上京して、ルースターズというバンドでデビューしたのが1980年の冬。たしかその年の4月には佐野さんの1stアルバムの『BACK TO THE STREET』が出ています。もちろん佐野さんは都会派。僕たちは北九州出身のロックンロール・バンドで音楽性はまったく違いましたけど(笑)。当時の佐野さんの勢いみたいなものは鮮烈に覚えてます。

── その頃はまだ、直接の交流はなく?

井上 ええ。同じ時期に「原宿RUIDO」というライヴハウスにも出ているんですが⋯⋯。僕は自分がTHE HOBO KING BANDに入るまで、実は佐野さんのライヴを観たことがなかったんですよ。初めてお仕事をしたのは1995年。佐野さんがTHE HEARTLANDを解散させて、いろいろなミュージシャンとセッションを重ねながら『FRUITS』アルバムを準備されていた頃ですね。

── 『FRUITS』にはどういう経緯で参加されたんですか?

井上 はっきり覚えてないけれど(笑)、当時の佐野さんのマネジャーさんに音楽評論家の渋谷陽一さんからお勧めがあったよう気がしています。

── へええ、そうだったんですか。

井上 僕は1984年にルースターズを抜けて、ブルー・トニックという自分のバンドを始めたんですね。当時ロッキング・オンがよく取り上げてくれてたので、もしかするとその繋がりだったのかな。すみません。その辺ちょっと記憶が正確じゃない(笑)。

── ブルー・トニックはストレートなロックンロールというより、いわゆる“UKソウル”に近い編成のバンドで⋯⋯。

井上 はい。一度、佐野さんのラジオ番組でかけてもらったこともあるんですよ。ただ、僕はあの頃はベースではなく、歌とギターを担当していたので。初対面のときにそのことを話したら、「へえ、あのバンドにいたんだね」みたいな感じでした。

── じゃあルースターズ、ブルー・トニックの流れとは関係なく、あくまでベーシスト・井上富雄として呼ばれたわけですね。初参加された『FRUITS』の現場はいかがでした?

井上 あのときは、いきなりレコーディングではなく、最初はまずリハーサル・スタジオに集まったんですよ。で、行くたびに毎回、セッションの顔ぶれが変わっていきました。たしか初回はギターが元シュガー・ベイブの村松邦男さんで、ドラムがQujilaの楠均さんだったのかな? おそらく当時の佐野さんは、そうやっていろんな組み合わせを試しながら、次のバンドのイメージを模索していたんでしょうね。僕自身は、けっこう緊張していた気がする。佐野さんご本人も含め、初対面の方ばかりでしたし⋯⋯。

── それは意外ですね。オフィシャルのバイオを見ると、90年代前半はSION、オリジナル・ラブ、小沢健二など錚々たるミュージシャンとお仕事をされていますが⋯⋯。

井上 いま思うと当時は、まだ自分の得意なフィールドでのんびり活動している感覚も強かったんですよ。ただ、年齢的にはちょうど30代半ばに入って⋯⋯。僕なりの方向性というか、スキルアップやステージアップも意識するようにもなっていた。そういった転機のタイミングで佐野さんと出会い、結果的にTHE HOBO KING BANDに参加することになったのはすごく大きかった気がします。大規模なホール・ツアーを経験できたのも、僕の場合は佐野さんの仕事が最初でしたし。そもそも作品に対してあそこまで情熱的で、「この人は一体いつ眠っているんだろう」と不思議になるくらいエネルギッシュな人には、会ったことがなかった。

──ははは(笑)。なるほど。

井上 と同時に、実際にセッションで音を出してみると、当たり前ですが「あ、やっぱりこの人もロックンロールが好きなんだな」という瞬間もあって。それで何となく安心した記憶もあります。

── 話は戻りますが、井上さんが『FRUITS』セッションに参加した時点ではまだTHE HOBO KING BANDのイメージは固まっていなかったんですね。

井上 だと思います。僕自身、佐野さんから「井上君とグルーヴの合う人で、誰かいいドラマーはいないかな?」って聞かれたことがあるんですよ。で、当時スタジオの現場で小田原(豊)君と一緒になることが多くて。彼はいろんなビートが柔軟に叩ける人なので、「小田原君なんて、すごくいいと思いますよ」と言ったんですね。それで「じゃあ今度ぜひ呼ぼう」という話になって⋯⋯。

── 井上さんを通じて小田原さんが繋がったと。

井上 僕の記憶が間違ってなければ(笑)。たぶん、KYONさんもそうだったんじゃないかな。セッション途中で、同じように「誰かアコーディオンを弾ける人はいないかな?」みたいな話になって。それで僕が、よく一緒に演奏していたKYONさんの名前を出したと思うんですね。『FRUITS』アルバムに「楽しい時〜Fun Time」というナンバーが入っているでしょう。

── アコースティックで躍動的なパーティー・チューンですね。

井上 そうそう。あのベースは僕が弾いているんですが、「ここにKYONさんが入ったらめちゃくちゃフィットするだろうな」って。まだ彼が呼ばれる前だけど、何となくそう思ったんですね。これは僕個人の印象ですが、佐野さん自身もセッションを重ねる過程で、THE HEARTLANDと比べてよりアーシーで、ルーツ・ロックっぽいサウンドに近付いている感じもあった。それで自然とKYONさんの名前が浮かんだんでしょうね。実は僕自身、ちょうどアメリカン・ミュージックの魅力に改めてハマっていた時期で⋯⋯。

── あ、そうだったんですか!

井上 30代に入る頃まで、僕の好みは基本的にはブリティッシュ一辺倒だったんですね(笑)。アメリカのブルースを知ったのも、最初はローリング・ストーンズ経由だったし。ポール・ウェラーやクラッシュなど同時代の英国人ミュージシャンも、50〜60年代のブラック・ミュージックを好んでカヴァーしていたので⋯⋯。それを通してアメリカ音楽を見てた部分があったんですね。

── まさにブルー・トニックのアプローチに近い。

井上 で、イギリスで再解釈された黒人音楽って、やっぱりどこかお洒落で洗練されてるんです。たとえばベースにしても、リズムの取り方がシーケンシャル(規則的)だし、キャッチーなフレーズも多い。実は十代の頃に、それこそウッドストックの代名詞でもあるザ・バンドの名盤を頑張って聴いたこともあったんですが、全体にモッサリしていて、いいと思えなかった。

── たしかに、若者には爺むさく感じられるかも(笑)。

井上 アメリカ人のルーツ・ミュージックって、イギリスのものと比べるとリズムも緩やかで⋯⋯。グルーヴ自体が“グジャッ”としてる印象があるんですね。でも30代に入った頃から、そういう土臭くて飾り気のないアメリカのルーツ・ミュージックがどんどん好きになってきた。それこそウッドストックのベアズヴィル・レコードの名盤もたくさん聴いて⋯⋯。決して派手じゃない、なにも作為がないようなベースラインが、いかに奥深いかも分かってきました。

── つまり、佐野さんがTHE HOBO KING BANDを構想した時期と、井上さんがアメリカン・ルーツ・ミュージックに開眼したタイミングが、絶妙にシンクロしていたと。

井上 しかも元ボ・ガンボスのKYONさんに加え、佐橋(佳幸)君というアメリカン・ルーツ・ロックの“生き字引”的なギタリストが入ってきたので(笑)。それで一気に、バンドの方向性が固まった部分はあった気がします。2人とも、当時僕が知りたかった音楽についてめちゃくちゃ詳しかった。THE HOBO KING BANDの結成直後は、それこそ毎晩のように飲みにいって⋯⋯。2人の会話をよくメモったりしてましたよ(笑)。「え、なになに? それってどういうミュージシャンなの?」みたいな感じで。

── なるほど、そういう飲みの場でも『THE BARN』アルバムの芽が育まれていたのかもしれませんね(笑)。当時、とりわけよく聴いたアルバムは覚えておられます?

井上 いっぱいありますけど⋯⋯ボビー・チャールズの1枚目とか好きでしたね。たしか佐野さんとTHE HOBO KING BANDと初めて出たツアー(1996年1〜2月の「INTERNATIONAL HOBO KING TOUR」)のパンフレットに、“好きなアーティスト”を記すところがあって。僕は彼の名前を書いたんです(笑)。アルバムに「Small Town Talk」という名曲が入ってるんですけど、今でも自分のライヴではよくカヴァーしています。あとは初期のトッド・ラングレンとか、もちろんジョン・サイモンさんのソロ作だとか。とにかくいろいろ聴きました。

── 今回『THE BARN』のデラックス・エディションに付属するドキュメント映像のDVD(『THE WOODSTOCK DAYS』)で、佐野さんは「ツアーの楽屋でいろんなアルバムを聴き、それぞれの音楽的バックグラウンドについて話し合う中で、バンドの交差点がウッドストックにあることが見えてきた。だからシンプルにそこに行ってレコーディングしようと考えた」と話されています。実際にそのアイデアを聞かされたときは、どう思われましたか?

井上 ツアー途中からずっと、佐野さんやメンバーとそういう話はずっとしていたので。ごく自然な感じで受け取ったと思いますね。ウッドストックの「ベアズヴィル・スタジオ」というアメリカン・ルーツ・ロックの“聖地”のような場所に、メンバーが3週間も合宿してレコーディングするなんてまずない機会ですし。数々の名盤を手掛けたジョン・サイモンさんのプロデュース仕事を間近で見られるのも、すごく楽しみだった。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── 佐野さん自身、当時のインタビューでは「THE HOBO KING BANDメンバーは全員、優れたプレーヤーであると同時に、若い世代のミュージシャンをプロデュースした経験を持っている。彼らと一緒に、ジョン・サイモンのプロデュース法を見学したいというのも、大きなモチベーションだった」と語っています。

井上 たしかにそれは大きかったと思います。ちなみに、その少し前、ナタリー・マーチャントの『タイガーリリー』(1995年)というアルバムがリリースされてましてね。

── ナタリーが10,000マニアックスを解散し、最初に作ったアルバムですね。

井上 そう。僕はこのアルバムの独特な空気感が好きで、当時よく聴いてたんですけれど、これがまさにウッドストックの「BARN」スタジオで録られてたんですね。しかもミキシング・エンジニアが僕らを担当してくれるジョン・ホルブルックさんだったので。ので。自分たちも同じ環境でレコーディングできるというワクワクもありました。たしか、THE HOBO KING BANDのメンバーと一緒に試聴もしたんじゃなかったかな。

── つまりウッドストック入りする前から、佐野さんとメンバーの間で、録りたいサウンドのイメージは共有できていたと。

井上 そうですね。『THE BARN』というアルバムは、それこそドキュメンタリーに映っているようなだだっ広い部屋で、限りなく一発録りに近いやり方でレコーディングされている。でもそれは、即興的なセッションで曲を練っていったということではなくて⋯⋯。むしろ事前に、かなり入念なリハーサルを重ねてるんです。実際に東京のスタジオで何曲かレコーディングもしていますし。ジョン・サイモンさんも来日して、作業を見学していましたから。それでも現地で演奏すると、サウンドがまるで違ってくるんですよ。

── どうしてでしょう?

井上 ああいう自然豊かな場所で、僕らがリラックスしていたのもあるでしょうが、やはり「BARN」という空間が大きいですよね。もともとあれは、おもにリハーサル・スタジオとして使われている建物で⋯⋯。言ってしまうと、単にだだっ広い小屋なんです(笑)。ベアズヴィル・レコード本来のレコーディング・スタジオは、すぐ近くに別にある。おそらく佐野さんとジョン・サイモンさんが相談して、あえてそっちを選んだと思うんですが⋯⋯。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── ドキュメンタリー映像を見ると、レコーディング初日に全員で大工仕事をしている姿が確認できます(笑)。

井上 ほとんど何もない空間に、パーテーションを立てたりね。たしか僕がベースを弾いてた場所のすぐ後ろが、キッチンになっていて⋯⋯。立ち上がるとすぐコーヒーが飲めたり(笑)。で、そこにギター・アンプとベース・アンプを置いて、ドラムスと鍵盤2台を含めて「いっせーの!」でレコーディングしているのに、なぜだか音のカブりが少ないんですよ。

── そこが面白いですね。

井上 ほんと不思議です。曲によってはアンプに毛布をかぶせたり、絨毯を床に敷いてみたり、細かい工夫もしていましたが⋯⋯。東京のスタジオで同じ手法を採っても、まず同じサウンドにはならない。たぶん天井が高く、床も壁もすべてが木製だったので、いい感じで音を吸ってくれるんじゃないかな。室内は本当にデッドで、余計な残響はほとんどなかった気がしますね。

── それが『THE BARN』アルバムの温かい音色になったのかもしれませんね。ちなみに、ご自分の演奏パートを聴き返した印象はいかがでしたか?

井上 うーん、どうかなあ。

── たとえば「7日じゃたりない」や「風の手のひらの上」などに顕著ですが、ちょっと後ろに引っ張り気味のベースが、本作全体のどっしりしたトーンを作っているようにも思えるのですが⋯⋯。

井上 これはどんな音楽についても同じですが、わざとテンポ感をズラしたり、微妙に引っ張って演奏することはないんです。楽曲に対し、つねにジャストのタイミングを保っているつもりなので⋯⋯。もし『THE BARN』の収録曲に、数々のウッドストックの名盤と同じニュアンスを感じるのだとすれば、それは佐野さんが書かれた曲がそのリズムを求めているからだと思う。いわゆる“タメ”というのはむしろ、1拍を3つで分けたりするシャッフル感をどう出すかという問題で⋯⋯。そこには決まった法則がない。だからベーシストぞれぞれ、固有のグルーヴ感が出るわけですよね。

── ああ、なるほど。

井上 そういったリズムのニュアンスに関しては、サイモンさんは細かかった記憶があります。たとえば、「ヘイ・ラ・ラ」のようなミディアムスローの楽曲でも、僕がベースをレガートっぽく(音を滑らかに繋げて)弾いていると、身振りで「もっと跳ねる感じで、グルーヴを出して」と言われて⋯⋯。彼は“bouncing”という言葉を使ってたのかな。「この曲もそんな感じで弾くんだ」と、けっこう意外だった記憶があります。3週間の合宿レコーディングは基本、晴れが多かったんですけど、「ヘイ・ラ・ラ」を録った日は昼からずっと雨が降っていてね。その風景もすごく覚えています。あとはやっぱり、ベースの音色かなあ。

── 丸みがあって、粒だった音ですね。

井上 けっこうブリブリいってるように聞こえるでしょう(笑)。面白いのは、楽曲全体で見ると、ロー(低域)がそれほどガツンと出てるわけでもないんですよ。

── へええ、そうなんですね。

井上 これはエンジニアのジョン・ホルブルックさんの好みなんでしょうが、ベースの音量自体はそんなに大きくない。でも、全体のまとめ方というのかな。それぞれのパートが干渉しないよううまくミックスされているので、美味しいフレーズがちゃんと耳に届く。音色自体、コンプ(圧縮)感がなく自然だしね。そういうところはさすがに上手いなって、当時すごく感心しました。


『THE BARN DELUXE EDITION』 写真集より

── ウッドストックですごした3週間、レコーディング以外で心に残っている思い出を挙げるとすると、どういうことですか?

井上 これまたいっぱいありますが⋯⋯アルバムに参加してくれたガース・ハドソンさんを筆頭に、リヴォン・ヘルムさんとリック・ダンコさんというザ・バンドのメンバーがスタジオまで遊びに来てくれたのは、やっぱり感動しましたね。みんな「ヘイ!」みたいな気軽な雰囲気で⋯⋯。リックさんに至っては、履いている靴下の色が左右で違っていたという(笑)。あとはレコーディングを終えて、焚火を囲んでバンドのメンバーとビールを飲んだり⋯⋯。そうやって四方山話をしていると、不思議と会話が進むんですよ。

── それもまた都会のスタジオでは手に入らない、ウッドストックならではの“恵み”かもしれませんね。

井上 うん。たとえば、先ほどお話に出た「7日じゃたりない」や「ロックンロール・ハート」のような余裕のあるグルーヴは、あの環境でなければ出せなかったと思います。ミュージシャンとしてもいろんなことを学べましたし。それ以上に、ウッドストックの森ですごした感触みたいなものが、今も自分の中にしっかり残っている気がする。その経験が音楽を続けていくうえで、想像以上に大きな糧になってくれているんじゃないかと。

── どういうことでしょうか?

井上 あの温かい雰囲気の中、3週間しっかりと音楽と向き合った経験が、どこかで心の余裕に繋がっているというのかな。もちろんTHE HOBO KING BANDとしてメンバーの結束が強まって、ジャムバンドとしてより自由な演奏を楽しめるようになった部分もあるだろうし。僕個人にとっても、あの日々を経験できたことで、何かが変わったような気はします。

── それはTHE HOBO KING BANDを離れて、井上さん個人としてまったく違う音楽を作っているときにも、どこか心の支えになっているのでしょうか?

井上 うん、もちろん。あの森の空気、焚火の温かさ、ウッドストックの住民の優しさ、ジョン・サイモンさんの笑顔もぜんぶ含めて。ふとした瞬間に思い出したりします。そういう大事な時間でしたね。

井上富雄(いのうえ・とみお)
1980年、ルースターズのメンバーとしてデビュー。’84年にルースターズ脱退後、自身のバンド、ブルー・トニック結成。同バンドにおいてはヴォーカル、ギターを担当する。’89年にブルー・トニック解散。’90年、ベース・プレイヤーとしての活動を開始。その後はTHE HOBO KING BANDを含む数多くのセッションを経験し、プロデューサー、アレンジャーとしても活躍。おもな共演、佐野元春、布袋寅泰、桑田佳祐、SION、福山雅治、トータス松本、コブクロ、スキマスイッチ、椎名林檎、元ちとせら。

インタビュー・文/大谷隆之

写真/佐々木理趣(otonano編集部)

THE HOBO KING BANDリレーインタビュー次回(vol.3)は西本明(キーボード)の登場です。

THE BARN
 DELUXE EDITION

■発売日 :
 2018328

■規格 :
 BOXセット
(アナログレコードBlu-rayDVD写真集)

■価格 : ¥14,000+税

■品番 : MHXL 43-46

■完全生産限定盤

■発売元 :
 ソニー・ミュージックダイレクト