一杯のビールで追い払え、黄昏時の魔物たちを!

『黄昏のビール』山木康世

山木康世

セルフ・プロデュース&全曲書き下ろしによる待望のニュー・アルバム!

『黄昏のビール』山木康世
品番:: DQCL-742 / 価格:¥2,778+税
山木康世による全曲解説付き!
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ふきのとう解散後も精力的にソロ活動を続けている山木康世。

全国津々浦々をギターを携えて回り、年間数十公演をこなしている。

そんな山木が書き溜めてきた数々の楽曲をセルフ・プロデュース、セルフ・レコーディングで記録したネイキッドな作品集。

ソロ作品としては1982年の『泳いで行くにはあまりにも水の流れが速すぎる』以来、36年ぶりにソニーからリリース。

  • 収録曲
  • 01. 憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース山木康世
  • 02. 道祖神の唄山木康世
  • 03. ロザリア (with 観月)山木康世
  • 04. いったりきたり(Inst)
  • 05. 松浦武四郎山木康世
  • 06. ウエイティングサークル山木康世
  • 07. 打ち水の唄山木康世
  • 08. むりむりむりむり(Inst)
  • 09. 山登り山木康世
  • 10. 天人様山木康世
  • 11. まわれまわれ(Inst)
  • 12. ギターは僕の友達山木康世
  • 13. 黄昏のビール山木康世

01 憂鬱で厄介な笑顔のサンタクロース

僕がサンタクロースから最後の贈り物をもらったのは小学2年の冬だった。
毎年美原の厳冬にサンタはやってきてくれたが最後の贈り物の水色の画板を枕元に置いていってくれたきりで来なくなった。
しかし翌日から何かにつけて嬉しくて持って歩いたもんだ。
やがて3年の春に札幌へ父の仕事の関係で転勤になって移り住んだ。
生まれたところへ戻ってきたという感じだった。札幌はすべてが未来都市だった。
原野の美原から大都会札幌へ。この頃の心境たるや想像を遥かに超えた刺激に満ちた日々だったろう。
そしてサンタクロースも来なくなった。
小樽のタケコおばさんがサンタさんだったと知ったのは中学に入ってからだ。
おばさんは若い頃フェリスを出て皇室の方で仕事をしていた。
当時は札幌から東京の大学に行くというだけで新聞の写真入り記事になったそうだ。
自分の年齢とサンタさんを重ねて、このような辞めるに辞められない?サンタもいるよなー、いるはずだと思って書いた。

02 道祖神の唄

なにかにつけて素朴なものが好きだ。
道祖神はもともとはインドの方から来たもので、夫婦和合、男女円満の神様らしい。
鬱蒼たる街道を一人の旅人が急いでいる。
やがて道が二つに別れた。
旅人はスマホなどのない時代の旅人なので、いっとき思案する。
どちらが私のゆくべき道でしょうか。
そのとき足元を見ると小さな石の神様が微笑んでいた。
しゃがむと神様の頭をなでなで「どうぞ教えてください、どっちの道を行けば良いのでしょう?」目を 閉じて手を合わせて小さな声で訪ねた。
「信じる道を行きなさい。迷っていても日が暮れるだけだよ」 旅人は立ち上がり歩き始めた。
「そうだ、間違っていたらさっきの神様のところへ引き返せばいいだけだ。」
自分の心の中にいる神様は風雨にさらされいろんな大勢の人たちに触られて顔も分からなくなった様な 素朴な小さな石の神様。

03 ロザリア(with 観月)

世界で一番きれいな子供のミイラの名前が「ロザリア」と知ったのはつい最近のこと。
ネットのニュースで知ったのだが、彼女は時々目を開けて薄笑いのような表情をすると映像入りで紹介されていた。
まるで生きているかのようなミイラだという。
にわかには信じられないが、それよりもこの名前の奇遇に驚いた。
この歌を書いたとき「ロザリオ」と歌っていた。
これは男の名前だとお客さんに指摘されて「ロザリア」に換えた。
確かに少女が主人公で名前が「ロザリオ」ではおかしい。とも言えきれない昨今である。
同性結婚は許されているようだが、名前を届けるとき男か女かの区別はあるのだろうか。
その昔、字は忘れたがアクマクンが話題になって、結局受理されなかったはずだ。
今でもそうだろうか。
一時キラキラネームが流行った。
その頃の子どもたちも、もう良い年頃のはず。
名前は通常一生つきまとう大事な基本である。
かの有名な芸人住職は「名前は一生のものではない。 親が勝手につけたもので、もしも芸人などする人は自分に合った名前を付けて改名すべき だ」と熱く語っていた。
人生を左右しかねない名前。
親からもらった名前ではあるが、あなたは自分の名前、気に 入ってますか?
なお一緒に歌っている女性は、今年の夏発売された山木康世トリビュート「天衣無縫」で 「風に吹かれてMinstrel」を歌っていた観月さんです。
一押しの故郷の有望なシンガーです。

05 松浦武四郎

地元北海道が元気である。
開基150年という節目の年であるので、何かと知事を始めとする経済人、文化人が一同に介してプロジェクトを組んで盛り上げている。
学生の頃、開基100年の年があって札幌の郊外、野幌の原野にシンボルの記念塔が建った。 あれから50年、早いのか遅いのか半世紀である。
50年前といえば18歳、大学生だった。
その頃の思い出の一つは伯父さんが記念塔ロビーに描いた大きな壁画である。
北海道開拓の歴史をパノラマ風に描いたもので、子供ながらにすごい叔父さんだと新聞の記事を読みなが ら母と一緒に喜んだものだ。
伯父さんは母方のお兄さんで木村画伯だった。
昨年礼文島ツアーで稚内を訪れた。
途中で小平町という町に差し掛かり、海辺に建てられた道の駅に立ち寄った。
建物は小平の栄華を忍んでニシン番屋で見事なものだった。
海辺にひっそりと一人の侍の像が海を見つめていた。
その人こそ北海道の命名者の松浦武四郎であった。
彼の持ち前の探検心がなければ、今の北海道はないのである。
150年前に夢見た彼の北海道像は果たして如何なるものだったのだろうか?
ウイキペディアで前もって松浦武四郎のことは調べていたわけだが、なんとも上品な優男風な松浦さんにどんなメロディが向いているのかずいぶんと苦心をした。

06 Waiting Circle

野球で次打者は自軍のそばに書かれた白いサークルで待たねばならない。
打者の動向を伺っているのか、それともピッチャーの球筋を見極めているのかはたまた今夜の食事のことでも考えているのか。
いずれにしてもそこで片膝をついてバットを斜めに心静かに待たねばならない。
しかし実際はバットの素振りに余念がないのが普通だろう。
この歌を書いたのはずいぶん昔である。
ふきのとう解散直後、原点のフォークソングにもう少し戻ろうと多くのフォークソング風な歌を書いた。
出入りし初めのころの全国のライブハウスにマッチングしていると思い書いた歌の一つである。
自分がどのように見られているのかあまり考えない主義だった。
過去よりも現在、近い未来のほうが夢や目的を持てて好きである。
未だに「白い冬」をどのように歌えば良いのか迷路に佇む旅人一人なのである。
作った本人なのだから、自由闊達に歌えば良いのではと慰められることもある。
歌っていたらこんな迷いはない。
確かに歌っていなくはないがハモっていたのである。
お客様はどんな気持ちで家からチケットを握りしめて会場に足を運んでくれたのだろう。
そして今どんな心境で「白い冬」を聞いているのだろう。
サークルで待つ次打者、道祖神様どちらの道へ行ったら良いのでしょう、と独言。

07打ち水の唄

小池東京都知事が打ち水運動を広く推進しているとニュースで見た。
知事は江古田に住んでいて、何かとエコ、江古田ハウス。
この打ち水も先人の知恵をちょいと拝借、都政に一役買ってもらおうとのことなのか。
しかしそれほどの効果はないらしく、気分の問題であると専門家が評して話していた。
似たような言葉に「水を打つ」という言葉がある。
こちらは静まり返る様を言う。
打ち水が清々しく感じるのは水を打ったような感じがいっときするからかもしれない。
ホコリが立って心が乱れていた矢先、散水車がやってきて打ち水をしていった。
たちまち水を打ったような静寂さがひととき真夏の大通りに戻ってきた。
「よござんす」のニュアンスは「良いですよ、気にしないでください」「そうですか、それ ならそれでよく分かりました」微妙な違いがあるかも。
すさんで寂しい心にも打ち水がたまには必要であるよなないよな。
人は自分ひとりで生きているのではない。
自分の態度や顔がどれほど周りの人間に影響を与えているかということをそこの君、よーく 考えてみよう。

09 山登り

父は山登り、山歩きが大好きだった。
よく一緒に歩いた。
あまりにも好きが高じて結婚する前の若いころ仕事を辞めさせられたといとこ会で生前告白した日があった。
真面目な父にそんなことがあったとは誰も知らなかった。
札幌の周りの山々は全制覇したようで、非常に山々の名前など詳しかった。
市民の山、藻岩山に曙小学校時代には毎年春に登りに行った。
531メートルとスカイツリーよりも100メートルも低い山だが、4時間ほどもかかって登ったような記憶がある。
藻岩山の公式テーマソングに選ばれて今年の7月は格別な年だった。
父が生きていればどれほど喜んだろう。そろそろ山は茶色に色づき始め、やがて冬の使者が舞い降りてくる。
朝起きて障子の向こうが白っぽくなっていたら雪だ、夜に雪が降ったのだ。
待ちに待ったスキーの季節の到来だ。
大学生の頃まで12月冬休みになると毎年心ときめいたものだ。
ウクレレがカラッとした黙々のひたむきさで地面を見ながら歩いてゆく僕の表情を出していま せんか?

10 天人様

短調のこの歌に慣れていた人が違和感を感じることにお詫びをいたします。
この長調への変換には時間を要した。 10年以上前からある歌だったが歌いづらい歌だった。
あまりにも詩と曲が一致しすぎて、なんとも言えぬ寂寥感を味わう局面が多々あった。
今回この水と油ほどの違いのあるような詩と曲の融合は想像以上の広がり感を見せてくれた。
天にお住まいの鬼籍の方々へご挨拶。
いつかみな行かねばならぬ黄泉の国がある。
みんな行って戻って来ないのは、よほど居心地がいいものと想像する。
この世に生まれ落ちたときも一人ぽっちでやってきた。
まったく記憶のないただ泣くだけの出発点から太陽の周りを何度回ったことだろう。
来たものは去らねばならぬ。
その前に美味しいものをいっぱい食べて、良い音楽をいっぱい聞いて、良い人といっぱい話して去ってゆこう。

12 ギターは僕の友達 考えてみたら怖いものがある。

そして驚くものがある。
何がってギターがなければ今の自分もいないし、人生もない。
いつの間にか半世紀が過ぎて古希一歩手前まで漕ぎつけた。
音楽の人生といってもまるで基礎など勉強していないでの人生なので人に大きな声で言えるものではない。
ギターが好きであるのは人には負けないが、もっと負けないものに創作がある。
詩とメロディを創作することが何より好きである。
職業の選択はいくつかあったようだが、この「好き」ということが大きな推進力であったのは確かである。
誰に言われることもなく日夜励んできた結果が今の自分である。
何か新しい芽ができると信じられないほど幸福な気分になり、そのことで頭はいっぱいになる。
どんどん妄想は広がって宇宙の果てまで行ってしまう。
またタダで行けるのが創作の良いところである。
悩んで自らを滅ぼすような人生を歩むよりよほどましだな、といつも自分に言い聞かせている。

13 黄昏のビール

札幌大通り公園で毎年夏に一ヶ月行われるビールまつりは素晴らしい。
身も心も夏の大空、星空の下でビール、ビールで洗われて、こんな毎日で過ぎる人生も本当に 良いと心底思えるまつりだ。
酒と夜は付き物だが夜の一歩手前、大禍時(おおまがどき)の一杯は何とも言えない開放感が あっていつもの夜の酒とは違う味わいがある。
♪黄昏のビール♪のフレーズはずっと大事にしていたフレーズだ。
いつか機会があったら使おうと常々愛していた我が身から出た分身がこのように使われることに得も言われぬ喜びを感じる。
決して人生の黄昏時のビールではない。
大禍時は遭魔ケ時とも言われ、人が昼間から夜に移り変わる時間、大きな災に遭遇しやすい時 間と昔から思われていたんだな。
魔物が闊歩し始める夕暮れ時の災いをビールで追っ払おう。
矢魔鬼より。

山木康世

山木康世

1950年札幌市生まれ。

1974年、フォーク・デュオ「ふきのとう」のリーダーとして音楽家生活をスタート。

同グループのシングル曲、ほぼ全てを作詞作曲。

28枚のシングル作品、14枚のオリジナル・アルバム、さらには数多くのライヴ盤やベスト盤を遺し1992年に解散。

以降ソロ・アーティストとして2018年現在までに18枚のアルバムをリリース。

生涯発表作品も400曲を軽く超え、音楽作家として現在も精力的な活動を続けている。

山木康世オフィシャル・サイト【となりの電話】

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