インタビュー:田家秀樹
近年、それが当たり前になっている、デビュー数年というキャリアのアーティストではない。単にシングルヒットをまとめました、という企画でもない。
何しろデビュー35周年である。その間に二度もメジャーを離れ、今もインディーズの活動を続けている筋金入りの現役シンガーソングライターにとって初めての「All TIME BEST」である。唯一無二、不屈の軌跡が凝縮されている。これを待望と言わずに何と言うのだ。
「10年以上前に、自分たちが原盤を持っている曲の中から選んだものはありましたけど、全てのキャリアを網羅したものは全く初めて。ソニーの内藤さんから話をもらった時は僕もびっくりしました(笑)。選曲は、ほぼお任せで数曲のバージョンを差し替えてもらったくらいです。並べて全部聞いてみたら、技術的なこともあるんでしょうね。音圧とかが全然違う。マスタリングは大変だろうなと余計な心配をしたり(笑)。曲にしても若い頃に作った曲の勢いと今出したいと思っている曲の味わいの質も違いますし。その変化も感じてもらえると思います。」
アルバムは2枚組。DISC1は、1983年3月発売のデビューシングル「FILM GIRL」から1989年3月発売のアルバム『夢の島』の中の「Gallery」。DISC2は、1991年のアルバム『成長』の1曲目の「欲望」から新録音の未発表曲「南十字星」まで。35年というキャリアが2枚に区切られている。
「DISC2には差し替えをお願いした曲がありますね。『花を育てたことがあるかい』の中の「負けないで」は、アルバムの中ではちょっとオーバーなアレンジにしてたんで、インディーズで出したアコギ1本のものにしてます。「真夜中のボードビル」もアルバムのテイクも気に入ってはいたんですが、これは梅津和時さんのKIKIバンドが演奏してます。イメージは相当変わってますけど、これを入れてもらえたのが嬉しい。」
「DISC1まではサウンドプロデュースの相棒はいましたけど、セルフプロデュース的にやってたんで、ほぼそのままですね。DISC2の何曲かは非常に素晴らしいアレンジャーにやって頂いたこともあって、ゴージャスで自分の手元に引き寄せられない感じもしてたんです。それもあってDISC2の後半の曲は、自分で責任をとってサウンドプロデューサーを立てて作ってますね。2003年の「種の歌」は、センチメンタル・シティ・ロマンスのギタリスト、中野督夫さん、2008年の「クリスタルレインドロップ」と「靖国通り、月曜の午後」は、高橋研さん。色んな人と組むことで自分の殻を破るつもりで取り組んでました。」
実はこのインタビューには僕の中での“裏テーマ”があった。決して順風満帆とは言えない35年の中で“何に幻滅して、何を諦めてきたのか”、そして、“何に幻滅してなくて、何を諦めてこなかったのか“だ。
DISC1は1983年から1989年。日本がバブルに向かってまっしぐらだった時期だ。そんな始まりの景色の中には彼の後を追うように9か月後にデビューした尾崎豊もいた。日本青年館でのライブの時、二階の客席の通路で尾崎豊が「FILM GIRL」を歌いながら踊っていた光景は今も思い出すことが出来る。
「ずっとメジャーデビューを目指してやってきて、自分の作りたいものはこういう方向なんだろうなと定まったタイミングでデビューしましたから、あの頃は希望に満ちてました(笑)。幻滅ということでは、期待に応えられなかった、もっとやりようがあったんじゃないかという、自分に対しての幻滅はありましたね。」
「尾崎君は、一緒に飲みに行ってじっくり話しもしてましたけど、カリスマのイメージは全くないナイスガイでした。世間的には同じ方向に行ってると思われていたみたいですけど、それは全く違っていて。尾崎君がそっちなら俺はこっちの道を行くという。同じように捉えられるのはちょっと心外でしたね。」
それは時代の巡りあわせとしか言いようがない。
同じ時期に同じレコード会社からデビューした二人である。アイドル全盛だった80年代前半。きらびやかで虚飾に満ちた芸能界とは一線を画し、人生や社会の光と影を真摯に見つめていた男性シンガーソングライター。共通点もあっただろうし、彼らの登場が、次の世代の扉を開いたということもある。
でも、作風は、かなり違った。
「尾崎君との比較で言えば、彼は最後に“頑張ろうよ”と言える人だった。俺は口ごもってしまう方。ライブでもそう。彼は両手を広げて受け止めようとするタイプだった。受け止めきれたかどうかは別ですけどね。そこは明らかに違ってたと思う。尾崎君のように自分をあけすけに歌うということは全てをさらけだすことですし、そのことを自分で受け止めないといけない。その力は半端なものじゃないです。僕の場合は、物語にしてましたから。ある男がいてね、こういう人がいてね、という語り部の立場。ナレーションをしているような作り方。それが僕のやり方だと思ってました。それは今もずっと変わってませんね。」
●このインタビューは『Well ~Songs of 35 years~』ブックレットからの抜粋です。続きはCDをご購入のうえお楽しみください。
田家秀樹(たけ・ひでき)
1946年、船橋の映画館の横で生まれ、子守歌代わりに歌謡曲の洗礼を受け、小学校の時に、東京・府中の米軍基地近くに引っ越し、FENでポップスに目覚める。
雑誌編集者、放送作家として音楽に関わり、80年代以降は音楽評論家、ノンフィクション作家、ラジオパーソナリティとして活動。
<主な著書>
「陽のあたる場所 浜田省吾ストーリー」
「オン・ザ・ロード・アゲインー浜田省吾ツアーの241日<上・下>」
「ラブ・ソングス-ユーミンとみゆきの愛のかたち」(いずれも角川文庫)
「夢の地平-GLAYツアー・ドキュメント・ストーリー」(ソニーマガジンズ)
「読むJ-POP 1945-2004」(朝日文庫)など、アーティスト関連、音楽史関連の著書多数。
<選曲・監修>
「大人のJ-POPカレンダー~365 Radio Songs~」