上々颱風の思い出 その1
僕が1988年に参加してすぐ、長崎の船上ビアーガーデンで演奏する仕事がありました。
数日間1日数回のステージ。まだ未熟な僕は力任せにコンガを叩き、手も腫れましたが曲を覚えられました。
そしてあの時、白崎は初めてステージを降り客席を歩き回り「客いじり」を開花させたのでした。
デビュー前に泊まった宿で印象的なのは名古屋。
畳の部屋に隙間無く敷き詰められた煎餅布団。
メンバーと社長の8名で寝る。女子は押し入れで寝る。ひとり1000円。
そんな我々がデビューして間もなく日比谷野外音楽堂に出た日の事。
あの日は「振り落とし」という幕が設置され、オープニングテーマと共に下にバサッと落ちる趣向。
どのくらいの人が入っているのか実感が無かった僕は、とても平常心で定位置に付き、
紅龍のきっかけフレーズを待ち〜全員で「ドカ〜ン!」幕が落とされ目の前には満員のお客さん。
巻き起こる大歓声『うお〜!』僕は鳥肌が立ち、デビューを実感したのでした。
上々颱風の思い出 その2
野外ライブが多かった我々は、コーラスしていて虫が口に入る〜コンガの打面に付いている虫を叩き潰してしまう〜何て事は日常茶飯事でした。
スポットが沢山当たる白崎と西川は、より多くの虫を食べている事でしょう。
あれは大阪能勢の農場でライブをした時の事。
手作りのステージ、庭で焼かれる牛の丸焼き。ワイルドこの上なく。それは良いのですが、、
さてコーラスをしようとマイクを見れば、スタンドにスズメバチがとまっている!
小さい頃一回蜂に刺されている僕はアナフィラキシーショックが怖い。
さてどうする?
一曲は唄わず様子を見ましたが、一向に動く気配はなく、、
仕方がないのでマイクから少し離れつつもコーラスしてみる。ビビりながらの消極的なコーラス。
ずっと困った顔で演奏していたに違いないのです。
数年後屋久島では巨大なゲジゲジ(20センチ)に遭遇、鼻先まで近づいた僕は、忍者か!
くらいの勢いで飛び退いたのでした。日本は広いです。
上々颱風の思い出 その3
僕が在籍していた時代にかなり多く行ったのが九州だと思う。
イベントを企む人が居て、ジャズ好きも多く居て、素晴らしいキャラクターが揃っていたせいでもありましょう。
そんな中、今でも続いている御縁がある。
北九州門司にお住まいの画家トーナス・カボチャラダムス先生。
上々颱風の理解者であり、応援して下さる貴重な御人。
昨年自分のミニライブをカボチャドキア王立美術館でするはずだった。
しかし、十二指腸潰瘍が限界で小倉へ入院。
申し訳ない流れから文通交流が始まった。
後日、東京で行われる展覧会の招待状が送られて来たので観に行くと、一番奥の部屋に飾ってあった絵には笛を吹いている僕が描かれていた。
もちろん他のメンバーも。(衣装から察するに「ためごま」の時代)
さて今月、先生から郵便が届いた。
封筒の中には2015年の作品が掲載された雑誌のコピー。新作の中程に上々颱風の帆が張られた卵の乗り物!
先生の応援は続いているのだ。
※画家・トーナス・カボチャダラムスさんの作品