2015年11月13日発売
品番:MHC7-30038
価格:¥4,630+税
CD3枚組
三方背ボックス入りデジパック仕様
Blu-spec CD2
タワーレコード、Sony Music Shop限定販売
本コンピレーションのために、山下達郎自身がオリジナル・マルチ・テープから
リミックスを行なった最新2015年バージョン。
1997年、大滝詠一が約1か月にわたり極秘裏に行なった通称《ナイアガラ・リハビリ・セッション》より、
エルヴィス・プレスリー作品のカヴァー音源を奇跡の初CD化!
まだ30代のサハシが、鈴木茂、徳武弘文と熱いギター・ソロ・バトルを繰り広げる。
●楽器と同じくらいレコードを愛するサハシの熱烈なオファーにより、
《レコスケくん》でおなじみ人気イラストレイター/漫画家の本秀康氏が
ジャケット&ブックレットのイラストレーションを担当。
ロゴマークになっている新キャラ《サハシくん》にも要注目!
●選曲・監修:佐橋佳幸&能地祐子
●イラストレーション:本秀康/デザイン:岡田崇
1. UGUISS / Sweet Revenge (1983)
2. NOBUYUKI, PONTA UNIT / Digi Voo (1985)
3. 藤井康一 / LITTLE BIT LOUDER (1986)
4. EPO / 12月の雨 (1987)
5. 岡村靖幸 / 不良少女 (1988)
6. 大江千里 / ROLLING BOYS IN TOWN (1988)
7. 渡辺美里 / センチメンタル カンガルー (1988)
8. 宮原学 / WITHOUT YOU (1988)
9. Peter Gallway / BOSTON IS BURNING (1989)
10. 鈴木祥子 / ステイション ワゴン (1989)
11. 佐橋佳幸 / 僕にはわからない (1989)
12. 杉真理 / Wonderful Life〜君がいたから〜 (1990)
13. 桐島かれん / TRAVELING GIRL (1990)
14. 矢野顕子 / 湖のふもとでねこと暮らしている (1991)
15. 小田和正 / ラブ・ストーリーは突然に (1991)
1. 槇原敬之 / もう恋なんてしない (1992)
2. ROTTEN HATS / ALWAYS (1992)
3. 藤井フミヤ / TRUE LOVE (1993)
4. 佐橋佳幸 / Zócalo (1994)
5. 佐橋佳幸 / Time Passes On (1994)
6. 鈴木雅之 / 夢のまた夢 (1994)
7. 氷室京介 / 魂を抱いてくれ (1995)
8. GEISHA GIRLS / 少年 (1995)
9. 福山雅治 / HELLO (1995)
10. 山下久美子 / TOKYO FANTASIA (1996)
11. 佐野元春 and The Hobo King Band / 風の手のひらの上 (1997)
12. 川本真琴 / 1/2 (1997)
13. 坂本龍一 featuring Sister M / The Other Side Of Love (1997)
14. 山下達郎 / 氷のマニキュア (2015REMIX) (1998)
15. SOY / 約束 (1998)
16. 山弦 / SONG FOR JAMES (1998)
1. 大貫妙子&山弦 / あなたを思うと (2001)
2. 竹内まりや / 毎日がスペシャル (2001)
3. Fayray / I'll save you (2001)
4. 小坂忠 / 夢を聞かせて (2001)
5. MAMALAID RAG / 目抜き通り (2002)
6. Emi with 森亀橋 / Rembrandt Sky (2005)
7. 松たか子 / 未来になる (2005)
8. スキマスイッチ / ボクノート (2006)
9. GLAY / MILESTONE〜胸いっぱいの憂鬱〜 (2012)
10. 真木よう子 / 幸先坂 (新緑篇) (2013)
11. Darjeeling / 21st. Century Flapper (2014)
12. 渡辺美里 / オーディナリー・ライフ (2015)
13. 佐橋佳幸 / ジヌよさらば メインテーマ (2015)
<ボーナストラック>
14. 大滝詠一 / 陽気に行こうぜ〜恋にしびれて (2015村松2世登場!version) (1997)
佐橋佳幸。その名前は知らなくとも、彼が奏でるギターの音や、プロデューサー/アレンジャーとして紡ぎ上げてきたポップでキャッチーなサウンドを耳にしたことがない人などいないはず。そんな佐橋佳幸が、ギタリストとして、ソングライター、編曲家として、プロデューサーとして、はたまたシンガーとして……様々な立場で関わった名曲をひとつにまとめた画期的なコンピレーションが誕生しました。
80年代からライブでもレコーディングでも不滅の黄金コンビぶりを発揮してきた渡辺美里。J-POP黄金時代の幕開けを告げる忘れがたいギター・イントロを名曲「ラブ・ストーリーは突然に」に提供した小田和正。90年代、ともにウッドストックへと渡り独自のカントリー・ロック・サウンドを作り上げた佐野元春。ジャンルを超越してすべてのギター好きを泣かせた山弦。そして、本コンピのために自ら新リミックスをほどこしてくれた山下達郎などなど。特大ミリオンセラーもあれば、長らく入手困難だったレア曲も、知られざる名曲もあり。大滝詠一の未CD化音源もボーナス収録!
サハシ自身のこだわりと思い入れたっぷりの名曲たちを時系列に収録したこの最強アンソロジーは、自身の音楽的個人史であると同時に80年代、90年代、00年以降という3つのディケイドの日本ポップ・シーンを駆け足でタイムトリップするような歴史アーカイヴスでもあります。
佐橋に初めて会ったのは'80年代中頃だったはず。当時レコーディング・スタジオに勤務していた私は、決して記憶力が悪い方ではないけれど、その時のことは思い出せない。いつの間にか近くにいることが自然となっていた。当時のマネージャーだった阿久津氏と親交があったからかもしれないし、佐橋の高校の先輩でもあるEPOさんのレコーディングを担当していたからかもしれない。この作品に収録した「12月の雨」の編曲を依頼したのも、ごく自然なことだった。
その後、小林武史さんがプロデュースした大貫妙子さんのレコーディングで彼のギターを耳にしたのを最後に、しばらくは会うことはなかった。彼は日本を代表するギタリスト/プロデューサーへと成長し、数々のアーティストのサポートを続け、一方の私はEPICソニーへ転職し佐野元春さんを担当することになる。自身のバンドと活動を伴にする佐野元春さんの下では、バンド以外のギタリストに会うことはなかった。5年くらいが過ぎた時、そのバンドが解散することになった。そして佐野さんの口から出た次のギタリストの名前が佐橋だった。「また佐橋か!」。ちょっと安心した。先日、その話をすると「ものすごい偶然だよね?」佐橋が呟いた。後から知ったのだが、中学生の時から佐野さんとは知り合いだそうだ。そのことの方が驚きだ。また数年、近くに佐橋がいた。ウッドストック・レコーディングにも一緒に行った。
そしてしばらく制作現場から遠のいていた私の目の前に佐橋が現れた。15年ぶりだった。「UGUISS」の再発。そして佐橋の芸能生活30周年を記念したライブ・イベントが開かれ、テレビのオンエアを観た時、不思議な気持ちが芽生えた。かつて私も一緒に仕事をした数多くのアーティストが出演し、佐橋とアイ・コンタクトをしている。そしてその眼差しは尊敬と感謝に溢れていた。自分も過去にはそこにいたはずだったし、佐橋に感謝もしている。だからこの気持ちを何かに残させないものか?そんな想いがこの作品へと結びついた。
ギター・テクニックが優れているだけでなく、佐橋はいつも穏やかで、アーティストから好かれている。うらやましい愛すべき性格だ。最近ではうまくいかないとき、怒りが込み上げたとき、佐橋だったらどう振る舞うのだろうと考えるようにしている。この作品にこれだけの貴重な楽曲を収録することができたのも佐橋の人柄だからだろう。楽曲を提供していただいたアーティストとスタッフの皆さまに深く感謝します。これからも佐橋と心に響く音を紡ぎ出してください。特に大滝詠一氏の未発表音源を提供していただいたナイアガラ・レーベルの城田氏、坂口氏、そしてマルチ・テープを引っ張り出してきて、ミックスしていただいた山下達郎氏とスタッフの皆さま、この作品に大きな花を咲かせていただきありがとうございました。
マスタリングが終わってコンピレーション・アルバムらしからぬ、サウンドのまとまりを感じた。佐橋の音がいつの時代も響いていたのだろう。いつもは歌を中心に聴くのが当り前かもしれないけど、たまにはギターに注目し、佐橋が何を考え、何をやっているのか聴いてみるのも面白いと思う。
ソニー・ミュージックダイレクト 滝瀬 茂
『佐橋佳幸の仕事』には渡辺美里の作品が2曲収録されている。まずディスク1に「センチメンタル カンガルー」。いかにも佐橋らしいエレキ・ギターのイントロが印象的な1988年の大ヒット・シングルだ。そしてもう1曲はディスク3の終盤に収められた「オーディナリー・ライフ」。今年4月、佐橋のプロデュースのもとリリースされた渡辺美里デビュー30周年記念アルバムからのタイトル・チューンだ。
『佐橋佳幸の仕事』は、佐橋が音楽の世界で繰り広げてきた“旅”を描いた旅行記のようなコンピレーション。その旅の始まりの時期に彼は渡辺美里と出会い、以降10年以上にわたり佐橋がライブでのバンマスを務めるなど濃密な音楽体験をともにし、やがてそれぞれの道を歩むようになり…。が、長い歳月を経て二人は再びタッグを組んだ。各々歩んできた道を確かめるように、充実したアルバム『オーディナリー・ライフ』を作り上げた。
やっぱり渡辺美里。サハシ・ヒストリーには欠かすことの出来ない最重要人物である。そんな彼女が今回、佐橋佳幸をたっぷりと語ってくれた。高校の先輩後輩の間柄ということもあり、どこか兄妹のような二人。その出会いから、互いに切磋琢磨した“武者修行”の思い出、誰よりもたくさんのステージをともにしたボーカリストだからこそわかるギタリスト・佐橋の魅力、素顔のヒミツ…などなど、4回にわたってたっぷりお届けする。
(インタビュー・文/能地祐子)
●佐橋さんとの出会いは、美里さんがデビューされた1985年のことですよね。
もともと私がデビュー・アルバムを制作するにあたって、できることなら清水信之さんにもアレンジをお願いできたら…と思っていたことがすべての始まりなんです。それでデビュー・アルバムの『eyes』で、〈きみに会えて〉と〈Bye Bye Yesterday〉という2曲をアレンジしていただけることになって。
●清水さんも都立松原高校の卒業生で、美里さんと佐橋さんの先輩なんですね。
そうです。清水さんは私より7学年上で、佐橋さんよりも2学年上。その間にEPOさんがいらして。私はいちばん後輩です。当時、80年代のポップスの世界のなかでノブさん(清水)はアレンジャーとして華やかに活躍をされている憧れの大先輩だったんですね。その先輩とデビュー早々お仕事できることになり、その時にノブさんから“オレの後輩で、みさっちゃんの先輩で、もともとUGUISSってバンドをやっていたギターのうまい男がいるんだよ。バンド解散したばっかりでヒマだから呼ぶわ”って言われて。そんな人がいるんだぁと思って“じゃ、お願いします”と(笑)。それで、初めて佐橋さんに来ていただいてギターを弾いてもらったのが〈きみに会えて〉だったんです。
●それが初対面ですか?
……のはずだったんですが。私、ほとんどのレコーディングには立ち会っているのに、その時に限って大阪でのラジオ番組があって、ノブさんにおまかせしてスタジオを出ちゃって。その後に佐橋さんが到着したんですね。だからレコーディングでは会えずじまい。実際に会ったのは、その後、最初のライブハウス・ツアーのリハーサルをやっていたリハーサル・スタジオです。ケータイもない時代だったので、私、スタジオの階段にあった公衆電話で10円玉いっぱい握りしめて電話しているところだったんですね。そしたら、佐橋さんが階段から降りてきて、私を見ると“あっ!”って言って立ち止まって。ニコニコしながら“渡辺美里さんですね。僕、サハシです”って。もう、今とまったく同じ口調で。
●その場面、目に浮かびます。佐橋さんらしい。
スタジオの壁には、当時出ているアナログ盤のLPがばーっと並べて飾られていて、私のアルバムもあったんですけど。それを指さすと、私の顔と見比べて“あ、これと同じ人だ!”って言ってました(笑)。そのライブハウス・ツアーには佐橋さんは参加していないので、たぶんレコーディングか何かの打ち合わせで来てもらっていたのかな。とにかくその時が初対面でした。
●そして、ほどなくツアー・バンドにも参加するようになるんですよね。
翌年、デビュー2年目のツアーからですね。86年4月に初めての渋谷公会堂があって、8月には西武球場……この時にはもう佐橋さんにお願いしていました。そこからは10年以上、レコーディングでもライブでもいつも一緒で。365日のうち360日は一緒にいた年もあったくらい。
●佐橋さんはバンドのバンマスであり、レコーディングにもアレンジャーやギタリストとして参加。まさに盟友という印象ですが、おふたりは“コンビ”なのか“相棒”なのか…他にはない、ちょっと不思議な間柄ですよね。
そうですね。うーん、なんだろう。私はデビューしたばかりで、佐橋さんはバンドが解散したばかり。お互いに“今から”というスタート地点で一緒にやり始めて。それぞれ自分の中にある、音楽で表現したい“何か”はすでにあったんだけど。それをどういうカタチで出していったらいいかを考えていたような、そんな時代だったんですよね。きっと。真ん中に立つボーカリストとして何かをやりたいと思っていた私にとっては、やっぱり佐橋さんは…“相方”かな。最初に会った時から、自分にとって必要な存在だとなんとなく感じていたと思うし。別に“コンビを組みましょう”なんて言葉にしたこともないですけど。気がつけば何の違和感もなく、何の疑いもなくずっと一緒にレコーディングやツアーをしていました。
●その時代の美里さんにとって必要だったものを、佐橋さんは持っていた?
そうですね。でもそれは佐橋さんに限らず(山本)拓夫さんや、当時の他のプレイヤーの人たちもみんなそう。曲ができあがって“こんな風にしたい”という思いが私の中に芽生えてきた時に、その思いをすべて覆い尽くすほどの圧倒的な“音”で返してくれる。そういう人たちと一緒に音楽を作れることが、私は楽しくて楽しくて。きっと他のみんなも同じように音を出したくてしょうがなかった、奏でたくてしょうがなかった時代だったんだと思います。
●ボーカリストして、ギタリスト・佐橋さんのいちばん頼りがいがあるところって?
ギタリストって、オレが弾きたくて弾いてるんだ!という“オレがオレが…”タイプの人も多いじゃない? それはそれでギタリストのひとつのカッコよさだとは思うんだけど、佐橋さんはそのタイプじゃない。歌に対してどうあるか、ということをいつもいちばんに考えてくれる。歌い手の気持ちを誰よりもわかっていてくれる。その上で、自分はこう弾くんだ……という、あ・うんの呼吸をすごく理解してくれているギタリストですね。そういう意味では、確かに“相方”なんです。私が歌っていてブレスした瞬間に“ここで、こんな感じで来てほしい!”って思うようなことを、何も言わずともスッと弾いてくれる。私はそういうギタリストである佐橋さんとデビュー当時から一緒だったから、以前は、ギタリストってそれが当たり前だと思っているところがあったんですね。ところが、時にはそうじゃない人もいて“あれ?”と思うようなことも(笑)、まぁ、その後、人生勉強として経験しましたけど。佐橋さんは本当に、抜群に腕のいい整体師さんみたいなギタリストというのかな。何も言わなくても、いちばんのツボだけを的確にギュッ、ギュッと押してくれる(笑)。そんなギタリストにデビューした時から巡り会えたことは、本当に幸運だったと思います。
●美里さんのライブは、音楽性の幅広さと難易度の高い演奏力が求められるので、ミュージシャンにとっては“虎の穴”みたいな鍛錬の場だと聞いたことがあります。佐橋さんにとっても、美里さんとのライブ活動は修行の場だったのでは?
それはまぁ、私もそうだし、お互いにそうだったと思いますね。特に、最初のホール・ツアーからスタジアムを経験したことは大きかったんじゃないかな。だって、デビューして1年しか経ってない女性アーティストがスタジアム公演やるなんて、それまでなかったことで。佐橋さんにとっても初めてのことだったわけだし。そういう場だからこそ見えてくる音、というのもあると思うんですね。ステージに立ってみて初めて“こういう場所ではこういうことをやったほうがいいんだな”と学んだことは、私自身もたくさんありますから。あと、音楽的な面で言えば、当時、私の回りには80年代半ばからの音楽シーンを支えた、本当にたくさんの才能あふれる人たちがいて。ちょっと手前味噌になっちゃいますが、そういう人たちが“このコ、こんな歌が歌えるならこんな曲も歌わせてみよう”とか、本当にいろんな曲を書いてくださったんですね。だから佐橋さんがもともと好きだったイーグルスみたいな世界観だけではない、もしかしたら今まで弾いたことのない真逆のジャンルの音楽もあったかもしれないんですけど。あらゆるジャンルを“歌モノ”として演奏したり、時にはアレンジもしたりすることになって。虎の穴なのかどうかはわかりませんけど(笑)、お互いに切磋琢磨の場だったなと思いますね。でも、辛いことではなくてね。楽しみながら鍛えられたという感じ。
●レコーディングでも、毎回毎回が切磋琢磨の場だったのでは?
はい。今でもよく覚えているのは、89年の『Flower Bed』というアルバムのレコーディングでのこと。私は“音楽武者修行”と呼んでいるんですけど、ノブさんと佐橋さんとアメリカに行って。ロサンゼルスやニューヨークのミュージシャンたちとのセッションを経験したんです。あれは日々ほんっとーーに、濃厚な時間でしたね。
●そうそうたる豪華メンバーが揃った、まさにスーパー・セッションでしたよね。
佐橋さんたちのあこがれの、ずっと聴いてきたアーティストたちと一緒にスタジオに入って音楽を作るという。そのスタジオでの佐橋さんがもう、なんだか、とりつかれたように真剣に〈パイナップル ロマンス〉を弾いていた姿は今でも忘れられない(笑)。
●たとえば今回の佐橋作品集にも収録された曲の中に、佐橋さんがジェフ・リン風味のアレンジをしているものがいくつかあるんですが。それは美里さんとのレコーディングで、ジェフ・リンの片腕だったエンジニアのリチャード・ドッドさんとがっつり組んで仕事をした経験から研究して生み出したサウンドだとおっしゃっていました。
あ。なーるほどー(笑)。
●なのでライナーノーツでも、美里さんのおかげですというご本人コメントが(笑)。
ふふっ、そうですか。光栄です。リチャード・ドッドさんの他にもアリフ・マーディンさんやTOTOのメンバーや、私たち、そうそうたるプロデューサーやミュージシャンの人たちとの武者修行を経験させてもらいましたからね。それが生かされているなら、うん、修行の甲斐がありましたね。やっぱり、修行の成果は次につなげないとね。
●今回のように年代別に佐橋さんの代表的な仕事を並べてゆくと、80年代に美里さんとのコラボレーションが始まったことをきっかけにいろんな人との出会いがあって、それがつながっていったんだなぁ…というのがよくわかるんです。
うれしいですね。当時のEPIC・ソニーって、ワン・アンド・オンリーな方たちが、圧倒的な存在感で音楽の“濃さ”みたいな部分を提示する作品を次々と発表していましたし。ひとことで言えば、おもしろい人たちがどんどん集まってくる場所だったんですよね。それはね、私、今考えても胸を張って誇れることだなと思う。もちろん自分自身が作品を残していくのは大事なことだけど、それだけじゃなくて、そういう場で、自分を通していろんな人がつながっていくことってうれしいじゃない? それもまた、音楽をやっていることの喜びだったりするし。佐橋さんもたぶん、UGUISSというバンドがEPICからデビューしたことを誇りに思っていると思います。
●ちなみに、美里さんの作品の中でいちばん好きな佐橋ワークスは?
いちばん!? いちばんはねぇ、無理です。あまりにもたくさんあるから。でも、何と言っても、どの曲もイントロ弾かせたらピカイチですよね。
●当時、ギター少年の誰もがマネしたという「センチメンタル カンガルー」のイントロとか。
そうそう。あの曲は、レコーディングで♪ジャジャジャジャッ〜って弾き始めた瞬間、“おおっ、キメてきたね!”と思ったことをよく覚えています。他にも〈HAPPY TOGETHER〉〈恋する人魚〉〈パイナップルロマンス〉〈ロマンティック・ボヘミアン〉……これぞ佐橋さん、“サハシ印”がポンポンポンッと押されているような曲はたくさんあって。そうだ、〈恋したっていいじゃない〉も忘れちゃいけませんね。うーん、ホントにね、たくさんあるんですよ! 私の曲を聴いてきてくださった方々も、それぞれにいちばん好きな佐橋さんのプレイがあるんじゃないかな。ちなみに自分の曲ではないですけれど、小田和正さんの〈ラブ・ストーリーは突然に〉を聴いた時にも、私、すぐ“あ、佐橋くんだ!”ってわかりましたよ。超ウルトラドンでわかっちゃった自分も嬉しかったし、佐橋さんがいい仕事しているんだなぁっていうのもうれしかったな。
●楽曲に限らず、これまでの佐橋さんとのお仕事を振り返って思い深いエピソードをひとつ挙げていただくとすると?
これも山ほどありすぎて、どこから紐解けばよいのやらですね(笑)。でもやっぱり、最初の西武球場は忘れられませんね。あの時はノブさんも小室哲哉さんもみんな参加してくれたんですけど、佐橋さんがバンドリーダーとして他の人たちのこともまとめてくれたんですね。
●その後ずっと何年も一緒に組んでやっていくことになるのは、この時に生まれた信頼関係というのも大きいのかもしれないですね。
佐橋さんって“それはムリだよ”とか“ダメだよ”とか絶対に言わないんですよ。デビューしたばかりで、右も左もわからず突っ走っていた私が“こんなことやってみよう、あんなことやってみたい”といろいろ言っても、ニコニコしながら“おお、やってみよう!”と言ってくれる。私の無謀な要望をモノともせず受け入れてくれるチャレンジ精神とおおらかさには、いつも助けられていました。でも、やってみて“あれ、違ったかな!?”ということも当然あるわけですよ。そんな時は“うーん、ごめん。じゃ、次!”って、切り替えも驚くほど早いの(笑)。
●昨年、佐橋さんの30周年記念ライブの時に、美里さんのかたわらで佐橋さんがギターを弾いているのを見て、やっぱりこのコンビがステージに立つ図はテッパンだなぁと。
ステージの上手(かみて)側、私の左側のちょっと後ろあたりに佐橋さんというカタチね。確かに、下手(しもて)に佐橋さんがいるとちょっと落ち着かないかも(笑)。私も、佐橋さんの音は左側から聴くものだというのが長年の習慣になっちゃってますもん。
●佐橋さんも美里さんの隣で弾いてる時、長年の信頼関係が伝わってくるような自然な表情をされていますよね。ボーカリストにとっても、傍らに佐橋さんがいる安心感ってあるんですか?
ありますよ。佐橋さんは今でも、ボーカリストのそばにいるギタリストの中では絶大な支持を集めていますよね。それはきっと歌う人たちにとって、とても安心感があるからじゃないかな。私も自分の歌をぐっと引っ張ってもらってきたと思うし。
●そんな美里さんと佐橋さんとの間でも“ここは合わない”という部分はあるんですか?
佐橋さんは何か言ってました?
●いや、言ってないです(笑)。
私はね、ときどき佐橋さんに“もっと派手でもいいんじゃない?”と思うことがあるんです。そもそも私、音楽に限らず何でも“どうせだったら、もっと派手に〜”とか思っちゃうタイプなんですね。だからスタイリストさんやメイクさんにも、いつも“なんか地味じゃない?”とか口癖のように言って“ぜんっぜん”とか笑われるんですけど(笑)。音楽に関しても、なんかね、もう、つけられるものは何でもつけちゃえばいいのに!みたいなところがあるの。性格的に。
●せっかくだから、盛れるものは全部盛ろう!みたいな。
そう。でも、佐橋さんはどちらかと言うと、ほんっとに音数少なくやりたがるタイプですよね。だから、私なんかは音作りの上で“もうちょっとオマケつけて欲しいな”とか思っちゃうことがあるんです。でも、とにかくシンプルにしたいというのは佐橋さんをすごく表している面だと思うし。結果として、それが正解だったなと思うことも多いし。だからこれは、ま、合わないというより、私との違いということなんですけど。
●だからこそ一緒に音楽を作れるという。
そういうことなんですよね。どっちもデコラティブなタイプだと、おなかいっぱいになっちゃうけど(笑)。お互い、うまい具合に足し算、引き算で相乗効果になっていいカタチを作ってこられたんだと思うんですね。
●大ゲンカとか、したことあります?
音楽的な部分で、アレンジの意見が合わないとか。もちろん、そういう些細なことはありますけど。ケンカはしないですね。“それは違う”と思った瞬間、佐橋さんはシャッターをピタッと下ろしちゃうタイプだし。私もケンカになりそうだなと思うと、その前に“はい、終了。ここまで!”っていう感じで。うん、ホントにケンカはないです。すごい! これは自慢ですね。私、佐橋さんとケンカしたことないんだわ。
●なるほど最高のコンビですね。
まぁ、佐橋さんのほうは内心“あんにゃろー、なんで言うこと聞かないんだ”って思っていたかもしれませんけど(笑)。そういうところは、向こうがオトナだったんじゃないかな。先輩だしね。お兄ちゃんだから、妹の言うことは“ああ、また言ってるな”みたいに受け止めてくれてたのかもしれないですね。
●美里さんってすごく女性的であるのと同時に、男前な面があるじゃないですか。佐橋さんも頼れるお兄さん的な面と同時に、どこかオバチャン的な面が(笑)。
あはは。そうそう。みんなで一緒にいても、ひとりひとりに“ごはん食べた? 大丈夫?”っていちばん気をつかってくれるのが佐橋さん。でも、もともとそういう世話女房的な性格だからプロデューサーに向いていたんですよ。オレ様タイプのギタリストだったら、絶対にプロデューサーなんか出来ないと思うし。私も、どこかで大ゲンカして衝突しちゃっていたかもしれない。佐橋さんって、女性は3歩後ろに下がって歩け…的なことを求めるのではなくて、好きなようにのびのびさせてくれる。だけど、ちゃんと見守っていてもくれて、いいところを引き出してくれる。そういうタイプのミュージシャンであり、プロデューサーなんだと思いますね。
●昨年は佐橋さんの30周年ライブがありましたが。今年は美里さんのデビュー30周年アニバーサリー・イヤー。30周年記念ニュー・アルバム『オーディナリー・ライフ』は佐橋さんが全編プロデュース。アルバムまるごとプロデュースというのは初めてなんですか?
意外にもそうなんです。アルバムで全曲ギターを弾いてもらった作品はありますけど、佐橋さんがアレンジしていない曲も含めて全曲プロデュースするのは初めて。
●『佐橋佳幸の仕事』を聴くと、佐橋さんが『オーディナリー・ライフ』でプロデューサーを務めた理由がより深くわかるような気がします。ここまで佐橋さんが旅をしてきた途中で出会った人たちを、自分のセッション・ミュージシャンとしてのキャリアの原点である美里さんに紹介するというか。そんな意味あいもあるアルバムですよね。
そう。旅先でこんないい景色を見つけたよ、こんな人と出会ったよ……というのを、私にも教えてくれたような。そんなアルバム。それぞれ、ずっと同じ景色ばかり見ていたらそれ以上の広がりは生まれなかったと思うんです。一緒にやっていた時期があって、それぞれに自分の道でやっていた時期があって、それが30周年という節目の時にまた再会して。私も今回のアルバムを作る前から、30周年のアルバムはいろんな人に携わってほしいけど、だったらまとめ役は佐橋さんかなぁって漠然と考えていたんです。そしたら、UGUISSの30周年の時かな、“みさっちゃんも、もうすぐ30周年だよね。アルバム作ったほうがいいんじゃない?”と。そこがもう、さすが世話女房タイプの絶妙なタイミングなんですけど(笑)。で、これは“だったらオレに頼みなさい”って意味だなと思い、お願いしてみたら全面プロデュースを引き受けてくださることになったんです。アルバムはこれまでを振り返る意味あいもあるけど、でも、昔話だけではなくて、未来を見据えながらいろんな曲を歌うことができました。やっぱり、30年の節目を佐橋さんにお願いしてよかったなと思います。
●アルバム・タイトル曲でもある「オーディナリー・ライフ」は詞が美里さん、曲は佐橋さんと美里さんの共作。
アルバムを作り始めた時に、お互い忙しいから、作れる時に一緒に一曲くらい作っておこうってことになって。私自身が歌いたいなと思っていたメロディラインがなんとなくあったので、それを佐橋さんのスタジオに持って行ってカタチにしていったんです。歌詞は、私の“今まで”と“これから”を歌いたいという思いから書いたものなんですけど。それが私と同じだけ…いや、私よりちょっと長く音楽活動をしてきた佐橋さんの“今まで”をまとめた作品集のラストの、“これから”につながる場面を飾れたというのはすごくうれしいです。
●美里さんにとっての30年に思いを馳せながら、聴く人それぞれが自分の人生も振り返ってみたくなるような。そんな歌詞ですね。
自分が何を歌いたいかとか、何を届けたいかとか、表現したいかという心の中の声をカタチにすること。それは30年間ずっと続いてきた私の“日常”だから〈オーディナリー・ライフ〉。この曲を聴いてくださる方たちもそれぞれ、高校生だった、大学生だった、就職した、結婚した、子供ができた、とか、子供がいうこときかない……とか(笑)、そういうドラマを日々経験してこられたと思うんです。まぁ、人生、思い通りに行かないことのほうが多いかもしれないけど、それでもやっぱり自分の人生ですから。その道は、自分で選択してチョイスしているはずだから。自分の心の声に身を任せながら日々を生きていく……という、私自身の音楽人生と重ね合わせて、何か共鳴してもらえたらいいなと思っています。
●最後に、この30年で佐橋さんが変わったところ、変わらないところを教えてください。
さっきもお話しした世話女房的な、細やかな気遣いは30年前から変わらない。細やかさ。あと“今、これをやるべき”と思った時の集中力のすごさと、“これは今じゃなくていいな”と思った時の集中力の散らし力(笑)のすごさ。どっちも同じくらいすごいという、両極端なところがすごい。それは、ずっと変わらないなぁ。あと、変わったところは…パパになった。
●やっぱり、パパになると違いますか?
オトナになったかどうかはわからないけど、最近の佐橋さんを見ているとパパになったんだなぁという感じがしますよ。あとは、お酒はちょっと弱くなったのかな。いや、単に昔が飲み過ぎだっただけかな(笑)。
●近々の共演は、30周年の締めくくりとなる来年1月の横浜アリーナ“オーディナリー・ライフ祭り”ですね。
このタイトル、自分でつけといて今さらなんですけどすごいですよね。“オーディナリー・ライフ”って日常のことで、“祭り”って非日常のことじゃない? なんなんだろ、私(笑)。ま、でも、それを合体させちゃうのも面白いかなと。
●そのダイナミックさも美里さんらしい。
ゲストに佐橋さん、Dr.kyOnさん、有賀啓雄さんに、山本拓夫さん、西村浩二さん…。これまで私の音楽を彩ってきてくれた人たち、一緒に音楽を作ってきてくれた人たちが大集合してくれる予定なんです。ホントに安心して歌える、まさに家族ですよね。
●佐橋さんの作品集に入っている2曲もライブで聴けたら嬉しいです。
ねぇ。やっばり大切な2曲ですからね。やるかな? どうかな? 楽しみにしていてください。
1985年デビュー。翌年「My Revolution」がチャート1位を記録するヒットとなり、一躍脚光を浴びる。日本の音楽シーンにおける女性ヴォーカリストの代表的存在として、第一線で活躍、2015年にデビュー30周年を迎えている。そのアニヴァーサリー作品となる通算19枚目のオリジナル・アルバム『オーディナリー・ライフ』(2015年4月1日リリース)は佐橋佳幸がプロデュースを手掛けている。
12月16日にはデビュー・アルバム『eyes』の30周年記念盤をリリース、2016年1月9日には“渡辺美里 30th アニバーサリー 横浜アリーナ オーディナリー・ライフ祭り”が開催される。
渡辺美里オフィシャルサイト
http://www.misatowatanabe.com/