本田路津子への100の質問

本田路津子の歌は好きだけど彼女の事はよくは知らない、という方のために「本田路津子への100の質問」を今回、otonanoで募ります。
本田路津子本人が回答しますので、この機会に、知りたいことを是非質問してください。
質問は、100になった時点で締め切りとさせていただく予定です。

これまでの質問と回答

Q1. 本田路津子という名前に関しての印象的なエピソードはありますか?
A. クリスチャンホームに生まれ両親が旧約聖書ルツ記から取ってルツコと名付けられました。英語のルース(Ruth)と同じです。
Q2. 生まれ育ちはどこでしょうか?
A. 福岡県で生まれ、小学校2年から中学卒業まで新潟県で過ごしました。
Q3. 授業で一番好きだった科目は何ですか?
A. 勉強が好きだったのは、中学生の頃。数学が面白かったです。
Q4. 学校の音楽の成績はよかったですか?
A. 勿論です!
Q5. 初めて人前で歌われたことを覚えていますか?それはいつどのような状況でしたか?
A. 地方版のNHKラジオ「声比べ、腕比べ 子供音楽会」で鐘が鳴りました????
Q6. 自分は歌が好きだ、上手い、歌手になりたいと思い始めたのはいつ頃でしょうか?
A. 両親が音楽好きでしたから、自然に歌う事が好きになりなした。小学校低学年でしょうか?
Q7. 好きな歌手は誰でしたか?
A. 子供の頃は童謡歌手の人達でしょう。レコードを聴くようになってからはジュリー・アンドリュース…ブレンダ・リー…
アメリカン・フォークソングの歌手たち。
Q8. 目標としていた歌手は誰ですか?
A. ジョーン・バエズをよく聴きました。
Q9. ギターはいつから弾きはじめましたか?
A. 高校生
Q10. ギターを弾き始めたきっかけは何でしょうか?
A. まずはPPM(ピーター・ポール&マリー)が弾きたくて。
Q11. ギター以外の楽器の経験はありますか?
A. ピアノ。今も脳トレになるよう中学の頃弾いた曲をやり直しで習っています。弾き語りは無理です!
Q12. やはりフォークソングが一番好きだったのでしょうか?
A. 高校生の頃からですが、自分が声に出して歌うのに丁度良かったですね。
Q13. 1970年に「ハルミラフォークコンテスト」に出場し、優勝されプロデビューのきっかけを掴まれました。出場のきっかけは何でしょうか?
A. ニッポン放送の「バイタリス・フォークビレッジ」での募集に応募しました。
Q14. その時のエピソードはありますか?
(ハルミラフォークコンテストをネットで検索しても本田路津子さんしか出てきません。どんなコンテストだったのでしょうか?)
A. ニッポン放送と当時の東京12チャンネルの主催で晴海で開催されたので そのようなタイトルがついていると思います。1次2次とあり3次が晴海でありました。他にも同会場ではいろんなイベントが行われていたように思います。
Q15. そのコンテストでジョーン・バエズの「シルキー」を選曲された理由は何ですか?
A. その頃私は、ジョーン・バエズ一辺倒でした。ポピュラーの曲より地味なバラッドと呼ばれる物語詩が大好きでしたので歌い慣れたこの曲を3次でうたったと思います。
Q16. これからどのようにしてレコードデビューに至ったのでしょうか?
A. ソニーのディレクターが小室等さんに電話で誰か良い歌手がいないかと聞いたところ、今丁度12チャンネルでコンテストの放送をやっていて、女の子が優勝したみたいだ。と情報を教えられたようですが、小室さんは、実際私の歌をお聴きになってたわけでは無かったのです。
Q17. レコードデビューにあたって家族は応援してくださいましたか?
A. 芸能界に入るに当たっては心配したと思いますが、コンテストに優勝したのをとても喜び、応援してくれました。
Q18. 他にもコンテストに参加されていましたか?
A. いいえありません。
Q19. ネットにデビュー曲の「秋でもないのに」は、市民権を得つつあった深夜放送ラジオ番組の「オールナイトニッポン」で齋藤安弘さんが気に入ってプッシュしてヒットに結びついたとありましたが、実際どのようにしてヒットを肌で感じられましたか?
A. アンコウさんが気に入って下さったと云う事はハッキリ覚えていませんでしたが、ニッポン放送で力を入れて、よく曲をかけて下さったと思います。
Q20. デビュー曲の「秋でもないのに」は、元々ラジオ番組「バイタリス・フォークビレッジ」で石川鷹彦さんが歌われた今月の歌でしたが、その曲でデビュー曲として選ばれた理由は何でしょうか?
A. ソニーと事務所のミュージカルステーション、そしてニッポン放送のフォークビレッジのスタッフで検討されたと思います。
Q21. マネジメントが、ミュージカルステーションに決ったのはどのような経緯でしょうか?
A. 社長もフォークビレッジのスタッフで、審査員でした。
Q22. ミュージカルステーションの社長だった金子洋明さんとのエピソードを教えてください。
A. フォークソング界のボスと云うところでしょうか。
Q23. 所属レコード会社がソニーに決まった時にどう思いましたか?
A. レコード会社から連絡が来るとは思っていなかったので、レコードが出せると云うだけでビックリで嬉しかったです。ソニーは新しい会社と云う印象でした。5年間しか実際に所属しなかったのですが、9年振りにアメリカから帰国した時にディレクターが中心になって、販促の方、録音の方々に声を掛けて下さり美味しい鰻をご馳走になりました。センセーショナルに売れた歌手でもない私のために集まってくださった皆様の温かさに感謝 感謝です。ソニーで良かった!
Q24. 初めて担当ディレクターと会った時の印象はいかがでしたか?
A. レコードを制作してる芸能界の人!
Q25. デビュー時はどちらに住んでいましたか? 一人暮らしでしたか?
A. 家族で東京に住み始めた頃です。
Q26. 食事は自炊されていましたか? 料理は好きでしたか? 得意料理は何ですか?
A. 両親が東京に来るまでは、当然の様に自炊をするものと思っていましたが、そんなに得意ではありません。カレーとか簡単に焼いて食べられる生姜焼きとかです。
Q27. 1970年11月に合歓の郷で開かれた「第2回ポプコン」に「誰もいない島」で参加されましたが、その時のエピソードは何かありますか?
A. えー!全く記憶にないのです。
Q28. デビュー曲の「秋でもないのに」のレコーディングはどちらのスタジオで行われましたか?またその時のエピソードを教えてください。
A. 六本木のソニーのスタジオでしょうか?雨か雨上がりで長靴を履いて行ったように思います。
Q29. 初めてテレビで歌われた時の事は覚えていますか?
A. 何が最初か覚えていませんが、もしかしたらデビュー前か、デビューの頃にNHKの教育テレビでフォークの番組の企画があり、初めてギャラを直接頂いた様な気がします。
Q30. ラジオでレギュラーのDJはやられていましたか?
A. ラジオ関東で せんだみつおさんと文化放送で小室等さんと。
Q31. 2枚目のシングル「風がはこぶもの/野に咲く花」についてコメントをください。
A. ジャケット撮影がとても寒かった事。初めて本格的なキャンペーンをして、いろんな所で歌いました。ギターも弾きやすく、覚えやすい曲ですが、1988年に日本に帰ってから、近所に住む元中学校の音楽の先生から、良くこの歌を学校で演奏したと聞いたり、ママさんコーラスでも良く歌われたと聞いて、ビックリしました。
Q32. 3枚目のシングル「家路/金色の時間」についてコメントをください。
A. チョット歌謡曲路線っぽい歌ですね。綺麗なメロディーで好きでした。
Q33. 4枚目のシングル「一人の手/出発のある人生」についてコメントをください。 「一人の手」はピート・シーガーの曲ですが、これをカバーしようと思ったのはご自身ですか? 日本語詞をご自身でつけた理由は何ですか?
A. シンガーソングライターが活躍する中で、私も何か書いて見たらと云う事だったと思います。作詞家の岡本おさみさんが、ピート・シーガーのこの曲を持って来られ、訳詞は既にあるけれど、私なりに書いて見たらどうか、と云う事で生まれた歌です。
Q34. 7枚目のシングル「耳をすましてごらん/藍より青く」はNHK連続テレビ小説「   藍より青く」の主題歌ですが、こちらを歌うことになった経緯を教えてください。
A. 良く覚えていませんが、NHKが私を使ってくださったのに、驚きと感謝でした。
Q35. このドラマは、見ていましたか?
A. その当時は1年間の放映でしたから、毎日見る事は出来ませんでした。何処かの本屋さんで作者の山田太一さんの出版記念サイン会?があり、私も主題歌を歌うと云うことで同席させて頂きました。役得!でした。
Q36. 1971年に「一人の手」、1972年に「耳をすましてごらん」でNHK紅白歌合戦に連続出場されましたが、その時のエピソードを教えてください。
A. 71年に初出場で、二度とない様な経験をさせて頂き、もうないだろうと思っていました。「耳をすましてごらん」のお陰で2年連続となりました。凄く緊張して、歌いながら、次の歌詞は何だったかなと考えながら歌った事を覚えています。勿論足もガタガタです!
Q37. 「耳をすましてごらん」を18年後に南野陽子さんがカバーされた時に何か感想はありましたか?
A. 確かではありませんが、南野さんのお母様がお好きだった曲と伺った気が致します。アレンジも殆ど変わらなかったので、スーパーで買い物をしている時にイントロが流れてくると、どっちの歌かしら?と立ち止まって聞きました。南野さんでした。
Q38. 1972年にNHK「みんなのうた」で放送された「小犬のプルー」は名作だと思いますがどうしてレコード化しなかったのでしょうか?
A. みんなの歌でもその後何人かの方の録音で放送されていた様です。ファンの方から「小犬のプルー」が大好きでした。と云う声を良く聞きました。10年ほど前に朝日新聞の主催で西宮で大きなコンサートをさせて頂いた時にリクエストを頂き歌わせて頂きました。
Q39. 9枚目のシングル「この空の下で/時はとどめられない」についてコメントをください。
A. 良い歌がないかと、昔の曲の中から探していた時、この歌「この空の下で」を見つけ、2004年に再びレコーディングしました。(いのちのことば社「マイポートレートⅡ-足跡-」)
Q40. 11枚目のシングル「空と話そう/日だまりのうた」についてコメントをください。 「空と話そう」は、TBSのポーラテレビ小説の主題歌でした。   これはドラマのために作られた曲ですか?
A. ドラマ「薩摩おごじょ」のために書かれた曲です。好きな歌の一つです。
Q41. このドラマは見ていましたか?
A. 毎日は無理でした。
Q42. 13枚目のシングル「エレス・トゥー/それぞれの愛」についてコメントをください。 この曲をカバーしようと選ばれたのはご本人ですか?
A. 自分で選んだか良く覚えていませんが、かっこいい歌だなと思っていました。アメリカで良くラジオから流れていたので、アメリカでかなりヒットした曲だった様ですね。
Q43. 最後のシングル「手紙/幼い子供のように」についてコメントをください。
A. 「手紙」は結婚に至るまでの思い出に。「幼い子供の様に」は 子供の様に素直な気持ちでいられたらいいのと、幼い子供時代を懐かしむ思いだったと思います。
Q44. さよならコンサートはどちらで行われたのでしょうか?
A. 中野サンプラザ 大阪サンケイホールと思います。
Q45. 結婚を機に表舞台から遠ざかった時に未練はなかったのでしょうか?
A. アメリカの生活が始まり、日本から遠のいて、キッパリ離れる事が出来ました。
Q46. 自作曲が少ないですが、シンガー・ソングライターにはこだわらなかったのでしょうか?
A. 元々歌う事が好きでしたので、シンガー・ソングライターの方々の才能、感性に驚くばかりでした。
Q47. 第二の森山良子と呼ばれていたことに対する思いはいかがでしたか?
A. 良子さんは、高校時代からの憧れの方でした。よくラジオ関東の番組を聴いていました。その番組でゲストに迎えられた時には、ドキドキものです!自分では、声が似てるとは思えませんが、フィーリングや。好みが似ているな、とよく思いました。良く比較されて困りましたが、それも光栄な事でしたね!
日本に帰ってから、度々コンサートに行かせて頂きますが、歌に関しての良きアドバイスを下さる素敵な先輩です。
Q48. レコーディングとコンサートとどちらが好きでしたか?
A. それぞれ、それなりに良さがありました。レコーディングはいろんな曲に挑戦出来た事。コンサートはバンドやスタッフの皆さんと仲間となって、作り上げられた事。
Q49. コンサートのセットリスト(曲目)はご自身で選ばれていましたか?
A. スタッフと考えたと思います。
Q50. コンサートでのエピソードを教えてください。
A. 色んな事がありました。コンサートで一番多かったのは、労音でした。現在はどんな市町村でも立派なコンサートホールがありますが、当時は小学校の体育館や町の公民館のような所もあり、照明設備が十分でない場所も沢山ありました。歌っている最中に緞帳が落ちて来て九死に一生!を得た時もありました。旅の思い出は尽きない程です。
Q51. 仲の良かった歌手は誰ですか?
A. 今でも交流があるのは当時トワ・エ・モワの白鳥英美子さんです。帰国してからの賛美歌アルバムを製作した時などにアレンジャーを紹介して頂いたりお世話になっています。
Q52. ジャケットなどの写真撮影の時の衣装は自前でしたか?
A. 自前でした。
Q53. 一番苦労したレコーディングの曲は、何でしたか?
A. どの曲と言う事はなかったと思いますが、レコーディングが深夜に及んだりするのは辛かったです。
Q54. CMソングを何曲か歌われていたそうですが、どのような曲を歌っていましたか?
A. 最初の曲はゼロックスのBeautiful Beautiful 。小林亜星さんの曲は他にもあったと思います。三ツ矢サイダー シルバー や トワイニング 、旭化成などです。
Q55. 「一人の手」が、2011年の東日本大震災の応援歌として歌われましたが、その感想を教えてください。
A. テレビ報道を見ていて、被災した方々が「これからみんなで手を繋いでやって行かなくては!」と口々に言われているのを聞いて、「一人の手」を思い出していました。 亘理郡にある 中浜小学校の子供達が毎朝先生のアコーディオンに合わせて 、この歌を歌っている事を知りました。先生が避難先の中学校で、子供達と元気になれる歌が何かないかと探していたところ、歌集の中にこの歌を見つけられ、「この歌だ!」と思われたそうです。震災から半年後に子供達と一緒に歌う事が実現しましたが、子供達と同じ経験をしていない私は、子供達を前に緊張の想いでした。
Q56. 今回のBOXで初収録された、(由紀さおりの)「手紙」、「家路」の別バージョン、「窓が話してくれる」、「愛のハーモニー」、「幸せという名の町」はどういった経緯で録音され、またレコード化されなかったのでしょうか。
A. 当時は、現在のCD の様に、沢山の曲が一枚のレコード盤に収まりきれなかったのではないでしょうか? どれも歌い易そうな素敵な曲ですね。未発表の曲があったのは、覚えていませんでした。でもデータを送って頂いて、聴いてみると、一曲、一曲、「歌った事がある!」と思い出しました。このCD-BOX のお陰で甦る事が出来て良かったです。
Q57. 全国地方の名物がありますが、一番気に入ったものはどこの何ですか?
A. 関西に行った時には、やはり「赤福」 ですね。でも段々と甘い物を控えなくてはいけない体になってしまいました。
Q58. 小さい時の愛称は何て呼ばれていましたか?いまもなお呼ばれていますか?
A. 子どもの頃から友達から「るっちゃん」です。それも高校時代の友達までです。
Q59. 尊敬する歴史上の人物は?
A. 歴史上の人物を特に挙げるのは、とても難しいですね。
クリスチャンの私としては、イエス・キリストとお答えするのが、一番ですが、 第二次世界大戦中、迫害されていたユダヤ人の命を救う為 リトアニアの領事館にて「命のビザ」を発行された、杉原千畝氏の判断と勇気に感動し、尊敬しています。
Q60. 私はガロの「たんぽぽ」の本田路津子さんバージョンが大好きです。透明感があって、本当に美しい曲だと思います。いくら探してもCD化されたものがなかったのが、今回収録されていて大変嬉しいです。この曲を歌った経緯やこの曲へのコメントをお願いします。
A. アルバムの中に入っていた一曲をこのように覚えて頂いて有り難うございます。
今朝ケルティックウーマンのアルバムを聴きながら朝食の準備をしていましたが、冒頭のWalking in the Airと云う曲の詩に、のどかな情景を思い浮かべていました。
この質問にお答えすべく、「たんぽぽ」を改めて聴いてみましたら、同じ雰囲気の詩に驚きました。
何だか幻想的で、ふんわりと包み込んでくれる詩は、昔からきっと好きで選曲させていただいたのでしょう!綺麗な曲ですね!チェロの調べも雰囲気を盛り上げてくれていますねー!
Q61. これからも教会でのコンサートだけで普通の会場でのコンサートはないのでしょうか?
A. 基本的に 教会関係のコンサート中心にさせて頂いています。
Q62. 一人息子さんでしたでしょうか・お孫さんはいますか?
A. 孫はいません。
Q63. 新聞でCDboxの発売を知りすぐに申し込みました。発売にあたり全曲録音しなおされたのですか?
A. ご注文 有り難うございます。
昔 録音した そのものです。 若かりし頃の声を楽しんでください。
Q64. 歌にどのような思いで歌っていますか?歌を通して何を伝えたいですか??
A. デビュー曲が「秋でもないのに」に決まり、もともとこの歌を歌っていらしたギターリストの石川鷹彦さんの御宅で、練習させていただきました。
その時に、石川さんが、私の歌を聞かれて、「うーん、まだ絵になっていないねー」と評されました。その時以来「絵になるように歌う」と云う事が課題となっています。そして、その歌の持つ、優しさや、言葉をはっきり伝えられたらと思っています。
Q65.今まで歌ってこられた楽曲の中でこれから先も歌い継がれてほしい曲はどれでしょうか。
A. コンサートで歌っている曲ですが、
「見上げてごらん夜の星を」 は日本の宝だと思います。
病院で、またいろんな施設で歌う機会が多かったのですが、
ある 知的障害の皆様の施設では、本当に興奮して、涙を流しながら歌われるのに
びっくりして、感動した思い出があります。
どの会場でも、私が先に歌って、皆様をお誘いするのですが、「皆様もご一緒に
どうぞ」と声を掛ける前から歌い出される方が必ずいらっしゃいます。
この歌は、本当に多くの方々の祈りや希望、思い出が詰まっていると思います。
Q66. 日本には素敵な春夏秋冬があります。どの季節が一番好きですか。
A. 暑さ、寒さの苦手な私は、お花が咲き出す 春が一番好きです。
Q67. 今後も大阪のキリスト教会 などで賛美の奉仕をされることがありますか?
A. 今年は、主に、関東の教会が多く、大阪近辺は、今のところありません。

2018年11月30日  軽井沢バイブルハウス
2018年12月 8日  小岩栄光教会
2018年12月 9日  呉市民クリスマス
2018年12月22日  浜田山教会
2018年12月24日  那須高原教会

他は、地元九州の教会になります。
Q68. 本田さんのデビュー曲「秋でもないのに」をラジオから初めて聴いた時からの大ファンです。当時ラジオ関東のせんださんとのポケットいっぱいフォークも真空管ラジオの雑音の中大阪から聴いていました。その番組でリスナーからの電話リクエストの週を提案し採用され、「出発のある人生」をリクエストした当時中学生でした。私も12年前からマーチンのギターで弾き語りを行うようなったのですが、緊張しすぎて失敗することも多く、いつもライブされる時の何かいいアドバイスがあればご教授ください。(秋でもないのに等にもチャレンジしたく頑張っています)
A. 「ポケットいっぱいフォーク」とても懐かしいですね。リスナーの方々に支えられて番組が成り立っていたのですね。覚えていてくださって、有難うございます。弾き語りは、難しいですね。私も楽器の演奏は、得意ではありませんので、緊張いたします。 やはり練習でしょうか!
Q69. 日本キリスト改革派花小金井教会に2度ほどいらしてくださいましたが、教会は新築して18年になります。パイプオルガンがあります。また、賛美歌を賛美していただけないでしょうか。
A. 素晴らしい教会になっているようですね。
チャンスがありましたら、是非歌わせて下さい。
Q70. CDBOX購入申込しました。届くのが待ち遠しいです。
東京・西宮でのコンサートは楽しかったです。「小犬のプルー」探して買いました。
教会でのコンサートは心が温かくなります。【足跡・footprint】の詩の朗読、大好きです。
福岡は遠いので、またいつか、本州でのコンサートも期待して良いですか?
A. 秋からは、関東の教会でのコンサートを予定しています。
このOTONANOサイトの質問のページの終わりに予定が出ています。
いのちのことば社の 本田路津子スケジュールなどで、検索お願い致します。
Q71. コンサートはやらないのでしょうか?楽しみにしております!
A. 上記に同じです。
引き続き、質問を募集しております。