大貫妙子スペシャルインタビュー [後編]

『クリシェ』『シニフィエ』『カイエ』を語る

大貫妙子スペシャルインタビュー

Special Interview Onuki Taeko talks about the " CLICHÉ ", " SIGNIFIE ", " カイエ "

── いわゆる“ヨーロッパ3部作”の最後にあたる『クリシェ』、そして『シニフィエ』 『カイエ』についてお伺いします。

大貫  自分史上一番売れたのは、オリコンランキング6位までいった、『シニフィエ』です。もちろん『クリシェ』があったから、『シニフィエ』へと続いていったわけで。売り上げも大切ですが、長い間廃盤にならずにいたことは、ひとえにファンの方々のおかげです。心から感謝しています。ソロになってからプロデュースしていだだいた初期のアルバムを経験するなかで、自分に合う合わないものを選択して、『クリシェ』から少しずつ自分でもプロデュースできるようになるまでに、育てていただいたという感覚です。

── 一作ごとにご自身で徹底的に検証していき、何が必要なのかが見えてきた。

大貫  そうですね。できあがって少しおいて聴いてみると、なんかしっくりこない曲ってあるんですよね。それは単に自分が書いた曲としての問題なのか、曲とアレンジの齟齬なのか。そもそも、うまくいく曲というのは、レコーディングの時から滞りなく進んでいくもので、それは音楽にかかわらずそういうものですよね、どんな仕事でも。ですから曖昧な伝え方しかできないものとか、自分に迷いがあるものはできる限り減らし、いいところはもっと膨らませていこうと。例えば『クリシェ』に収録されている、シングルにもなった「ピーターラビットとわたし」は好評だったので、私の好きなものシリーズを入れてみようと。アルバム『シニフィエ』に「テディ・ベア」という曲を入れました。このアイデアはその先も使っていて、コミックや好きな映画の主人公だったりと。

── 『クリシェ』では、初めて海外レコーディングを行っていますね。

大貫  B面がパリレコーディングです。ヨーロピアンとかいって、それまでヨーロッパには行ったことがなかったので、それならパリでレコーディングしようと。現地のミュージシャンと作ればヨーロピアンっと謳っても恥ずかしくないんじゃない?ということで(笑)。

── ジャン・ミュジー編曲の、オーケストラの音が美しいですよね。

大貫  それ以前も、日本でストリングスは入れてはいますが、当時の日本のストリングスのチームは、「こんなポップスをやってられるか」って感じが態度にも演奏に出ていたというか。レコーディングしたものをスタジオで聞くこともしないし、ずっと漫画を読んでいたり。態度が悪かったです。今はそういうこと全くないです、協力的でよくないところは何度でもやり直してくれますし。ですから当時パリでレコーディングするというのは、そういう理由もありました。その後の『カイエ』もそうですが、オーケストラは海外でと決めて、1999年までは日本では一切ストリングスを入れませんでした。坂本(龍一)さんが声をかけて集めて下さったミュージシャンは別でしたが、個人的には最初の印象が悪すぎて頑なに(笑)。でも2000年を過ぎてからは、世代も時代も変わったからでしょう、日本でのストリングスとのレコーディングは問題なく楽しく、びっくりしました(笑)。

── 大貫さんの楽曲の美しいストリングスの裏には、そういう葛藤があったんですね。『シニフィエ』は、ご自身の中でどういう存在のアルバムですか?

大貫  全体が明るいというのが好きですね。シングルにもなった「夏に恋する女たち」(1983年)は、同名のドラマ(主演;田村正和)の主題歌で、当時のトレンディドラマの走りだったので話題になりました。ドラマの舞台が六本木で、当時、音響ハウス(銀座)でレコーディングした帰りに、夜、首都高を走って東京タワーの横を通るときすごくきれいで、それがこの曲のイメージなんです。夜の東京も、すごくロマンティックだなと思って。

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── 坂本龍一さんのアレンジと共に、清水信之さんが『シニフィエ』、 『カイエ』でもアレンジを手掛けています。

大貫  坂本さんのアレンジは、曲によりますが基本的に重厚。例えば全く同じ大きさの鉄球があって、持ってみたら、ひとつはズッシリ重いという感じ、見た目ではわからない質量の違いですが。アルバム全体のバランスを考えると、清水さんのようにポップなアレンジをする質量の違う人がいてくれることで、調和されるというか、それによってどちらも際立つのではないかと思っています。

── 『シニフィエ』 は、冒頭でもおっしゃていますが、一番セールスがよかったということもありますが、忘れられない一枚という感じですか?

大貫  どれも忘れられない一枚です(笑)。『クリシェ』と『シニフィエ』以前は、プロデューサーのお力を借り、ただ自分がやりたいことだけではなく、私自身が気づいていない側面に光を当てていただいたことが大きかった。それによって学んだことはたくさんあります。作品を重ねていくうちに、音響技術も進歩し、坂本さんの腕もどんどん上がり、みんな若くて元気で今の何倍も仕事ができました(笑)。そういうエネルギーの詰まったアルバムですね。

── 大貫さんの作品は、毎回ミュージシャンのクレジットを見るのが楽しみでした。そして「お気に入り」という、インストが中心のアルバム『カイエ』ですが、これは映画のサントラ盤のようなアルバムを作ろうというコンセプトで制作したそうですね。

大貫  そうですね、映画音楽をずっと書きたかったので、同名のビデオ作品のサウンドトラックという位置づけです。当時はまだMUSIC VIDEOは一般的ではなかったのですが、CM業界で活躍していた関谷宗介さんに映像監督を依頼して、「モノクロ・フィルムを使用し、パリの切り取られた風景の連続性」をテーマに撮影しました。今見てもすごくきれいで、古さを感じさせない。

── これもストリングスの旋律が美しいですよね。

大貫  フランスならではのストリングスの音という感じですよね。録音は映画『男と女』のサントラが作られたパリのスタジオ・ダヴー。それだけで大感激でした。『クリシェ』と同じく、アレンジャーにジャン・ミュジーを迎えて作り、「若き日の望楼」はピエール・バルーがフランス語詞をつけてくれました。『カイエ』は今回復刻したLPのライナー・ノーツで、あらたに撮影に関する覚書を書きましたので、読んでいただけると嬉しいです。映像も是非!

── 1997年、竹中直人監督の映画『東京日和』で、念願の映画音楽を手掛けられたんですよね。

大貫  念願が叶いました、嬉しかったです。全曲はこれが初めてです。この時は制作スケジュールの都合上、クランクアップしてから音楽を作るのでは間に合わないということがわかり、台本だけを読み、クランクイン前にすべて書き上げました。それで竹中さんに聴いてもらい、全てOKしていただきましたので撮影前にレコーディングしました。先に音楽ができあがっていたので、撮影現場では音楽を流しながら撮影してもらえたので、映画の尺に合わせる必要がなく、ほんとにラッキーでした。でも音楽を流しながら映像を撮るのって、その方が撮る方は安心だと竹中さんはおっしゃっていました。音楽が支えてくれるからって。

── この音楽は「第21回日本アカデミー賞最優秀音楽賞受賞」も受賞して、ますます映画音楽に心は傾いていったのではないですか?

大貫  映画音楽がとにかく好きで、サントラはかなり聴いています。映画を観ていなくてもサントラを買ったりします。曲を書いているときがいちばん幸せ。どこまでも自由に感情のおもむくままに書ける。でも歌うことを考えるとメロディは、1オクターブ半超えは無理なので引き返す。歌える範囲にメロディを閉じ込めちゃうってことです。歌わなければ、どんなメロディでも書けるし、自分の気持ちを好きなように表現できるから。集中すればするほど溢れてくる。でも歌うとなると、ああダメかーって。一生メロディだけ書いていたい(笑)。『東京日和』のお話をいただいたときは嬉しかったですね。

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── その後も、何作も映画音楽と主題歌を手掛けていますが、これから映画音楽と共に力を入れていきたいのは、やはりライブですか?

大貫  歌の上手い山下(達郎)君と一緒に音楽を始めたことで、歌に対してのトラウマから長い間抜けることができませんでしたが、少しずつ克服し、今はやっと歌うことが楽しいと思えるようになりました。それまでは、ステージの幕は上がっているのに、私の目の前にはいつも緞帳が下りているような感覚で(笑)、なんで自分の声が届かないのかなって、うまく表現できないけれど、声が飛んでいかない感じ。客席のいちばん後ろまで届いていかない感覚が40代頃までずっとあって。だからステージが怖くて自分が情けない。しかし20代の頃は、お客さまがハラハラするほどのステージでしたから。それよりはマシになったとしても、納得できない。でも2010年に坂本龍一さんと『UTAU』というアルバムを作り、それを持ってツアーにでることが決まり。坂本さんのピアノと私の歌だけのライヴ。よく考えればこんなに恐ろしいことはない!私の歌がこけたらライブ自体が台無しですよね。自分にとって究極のライブ。独特の緊張感と静寂の中で、もうあれ以上の試練はないと思います。階段を一歩ずつ登るのではなく、一挙に10段くらいジャンプする感じ。思う前にやれ!って、歌の神様に背中を押された感じでした。お陰さまであれから歌うことがとても楽になりました。なので、年齢のことを考えると、今すべきことはライブなのかなと思っています。そういう意味ではこれからひかえているコンサートを含め、11月の「otonanoライブ」もその一環かもしれません(笑)。

インタビュー・文/田中久勝 写真/島田香

大貫妙子スペシャルインタビュー[前編]はこちらから▶

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