福田  僕がこの会社ソニー・ミュージックダイレクトに異動になったのが2005年2月なのですが、それからまもなくして「村下孝蔵の制作を担当してみるか」と前任者から言われました。「わかりました」とふたつ返事で答えたものの、その時点では正直「初恋」と「踊り子」の2曲しか知らなかったんですね。村下さんのライヴに行ったこともなかったし、もちろんご本人にお会いしたこともない。昔、テレビで観たことがあったような……くらいの感じで。「それでもいいですか?」と先輩に確認したんですけど、「大丈夫だよ。やりながら、勉強していけばいんだから」という返事で。それでいきなりプロデューサーの須藤晃さんとの打ち合わせになりました。そこでも正直に「すみません!2曲しか知らないんです!! これから勉強します」と言ってスタートさせてもらいました。僕が幸運だったのは『七夕夜想曲〜村下孝蔵最高選曲集 其の壱』から制作に参加できたということですね。
―― 2月に異動されて、その年の6月にもうリリースされた作品ですね。
福田  はい。それはもう企画は出来上がっていました。村下さんの七回忌に合わせた三部作企画の1枚目だったんですが、それがシングル・コレクションだったので、僕のような人間にはとても入りやすかったんですよ。基本的なところをまず知らないといけないと思いながら、どこから手をつけていいかわからなかったものですから、そこでまず全シングル集というのは僕自身も入口としてはすごくわかりやすかったんです。
── 『七夕夜想曲〜村下孝蔵最高選曲集 其の壱』から始まって、『月待哀愁歌〜村下孝蔵最高選曲集 其の弐』『清聴感謝祭〜村下孝蔵最高選曲集 其の参』と続く三部作は “村下孝蔵ビギナー”に向けて作られたところもあったと思いますが、その魅力をいちばん実感したのがそれこそ福田さん自身だったと?(笑)
福田  そういうことなんです(笑)。2枚目の『月待哀愁歌〜村下孝蔵最高選曲集 其の弐』がライヴ・セレクションという感じの2枚組ですが、そこで初めてライヴの音源に触れて、映像も観ました。だから、村下さんの音楽の重要な情報が順序よく流れるように耳に入ってきたという感じなんですよね。だから、この村下さんの仕事については、本当に最初のスタートのところがすごく幸運だったと思っています。
―― 3部作の制作を通して、福田さんのなかでも村下孝蔵の魅力というものについての基本的なイメージが作られていったと思いますが、それはどういうものでしたか。
福田  村下孝蔵さんの作品には、とにかく人間的な温かさというものが常にあるということはすごく感じました。それに村下さんの言葉の選び方が村下さん自身の在り方というか、本質みたいなものとすごく重なっているのではないかということも感じました。いわゆる“シンガーソングライター“と言ってもいろんなタイプがいますよね。その人が書く言葉とその人自身の在り方が必ずしもリンクしていないという場合もけっこうあると思うんですが……別にそれは悪いことではありませんが、村下さんの場合は言葉と実像が見事にリンクしている。僕はそういう印象を持ちました。ライヴの音源を聴いていても、なんとも言えない温かみを感じて、“これはきっと人柄なんだろうなあ”とつくづく思いましたね。実は『清聴感謝祭〜村下孝蔵最高選曲集 其の参』には少しライヴのMCも入っているんですが、それを聴いていると、村下さんの人間味が伝わってくるんです。それから、もちろん歌が圧倒的に上手い。それは、テクニカルな上手さというのとはちょっと違うというか、天性の声質の魅力もあるんでしょうね。それに、ギターもむちゃくちゃ巧い。これは、本当にその三部作も聴くまではまったく知らなかったことですが。その3つのことが、僕のなかにまず刻まれた村下さんについてのイメージですね。
―― そこから、ほぼ毎年のように村下さんの作品がリリースされています。
福田  僕としても「村下孝蔵という人の音楽をつねに世に送り出して、いろんな人に触れてもらいたい」という気持ちがどんどん強くなっていったんですね。やっぱり、新しくCDを出し続ければどこかで知ってもらえるきっかけが必ず生まれてくるはずです。だから、いまご本人はいませんが、6月の命日を目指して、どんな形にしても企画CDを出し続けて、村下さんの素晴らしい音楽に触れてもらいたいという……今はその思いだけでやっています。
―― その作品作りの作業の流れはどういうふうに進んでいくのか、聞かせてください。
福田  毎年、3月頃までに「こういうのをやりたい!」という企画を2つほど選曲例まで含めて……と言っても5、6曲ですが企画書を作り上げて、それをもとに須藤さんと村下さんのマネージメントの方と僕と3人で話し合います。須藤さんからは「あまりピンと来ませんね」と言われることもあるし(笑)、ほぼ企画書どおりそのまま採用されることもありますが、須藤さんは優しいから、「興味がわかないよね」と言う場合でも、その後に「だったら、こうすればいいんじゃないの?」というヒントを必ず出してくれるんです。村下孝蔵さんに二人三脚で作品を作ってきた方の意見を伺っているわけですからとても貴重な時間です。それを会社に持ち帰って考え直して、それでまた提案して、ということを何度か繰り返して、それで最終的に双方のOKが出たら制作ラインに乗せて進めていく、ということになるわけです。
―― 福田さんが関わられた村下孝蔵さん企画作品はすべて須藤晃プロデュースであるわけですが、福田さんから見て、須藤さんと村下さんとの関わりというのはどういうものだったんだろうと感じられますか。
福田  須藤晃さんという方は、普通のアーティストとプロデューサーの関係よりも、もっともっと近い距離感で仕事をされているんだろうなということは感じますね。村下さんだけではなく、プロデュースを担当された他のアーティストも同じなんだろうと思うんです。そんな中でも村下さんに対してはすごく大きなリスペクトの気持ちを持っていらっしゃることも感じます。他のアーティストもそうなのかもしれないですけど、須藤さんが村下さんのことを話す時には必ず“さん”付けなんですよね。それから、僕が須藤さんと村下さんの企画仕事を進めるなかでよく口癖のようにおっしゃれていることがあるんです。「いまこの企画を進めて、村下さんは喜ぶかな?」「これは、村下さんが“それはないよ”と言うはずだから、やめよう……」とか。つまり須藤さんが村下さんと過ごしたなかで積み重ねた物事の是非を判断する基準みたいなものがあって、それがいまでもきちんと須藤さんのなかで保たれているんです。企画を詰めていく最後のところでもその是非に照らし合わせているんだなと感じることはよくあります。
―― 村下さんを担当された最初の時点で、歌が上手い、ギターが巧い、温かい人柄という3つの魅力が基本的なイメージとして出来上がったという話でしたが、須藤さんと仕事を続けられてきたなかで、あらたに見えてきた“村下孝蔵のイメージ”というようなものはありますか。
福田  須藤さんだけでなく、当然たくさんの方から村下さんに関することを教えてもらい、アーティスト・村下孝蔵さんに関する情報量は僕のなかでどんどん増えていったわけで……新たに何かということはなくて、最初に感じた人間味がもっともっと増幅されていきましたね。重ねて、圧倒的な人間の広さみたいなものをより強く感じるし、歌の素晴らしさをより強く感じる。ギターの巧さもそう。それ以外に何かを新たに感じるということは、僕はないのかもしれないですね。
―― それは、音源や映像から感じる印象と、村下さん自身をよく知る人から伝わってくるものとがまったくズレていないということでしょうか。
福田  まったくズレていないと思いますね。村下さんのなかの本質的な見えないモノが言葉になり、メロディになり、レコードに刻まれ、ライヴで披露されていた。僕のなかではそういう印象です。今年、最初にMC集企画を須藤さんに提案したときには、MCの中に村下さんの人間的な本質が詰まっているというか、曲だけでは見落としがちになりそうな部分がより良く露呈されると思ったからです。それは僕がこれまで10年以上、村下さんを担当させてもらい学んだことかもしれません。すごく魅力を感じている人間的な広さとか、そういう本質の部分をどうやって伝えるかということをずっと制作担当として考えていたからなんですよね。
―― Disc1は単純なベスト選曲ではない?
福田  今は移動中でも仕事しているときでもランダムにいろんな音楽が流れてくるのをスマホや携帯プレーヤーで聴きますよね。その「プレイリスト」感覚を、村下さんの曲で再現できないかなぁと思いました。ここで一番重要なことは、誰が選ぶ「村下孝蔵プレイリスト」にするかというのが問題で、いろんなアイデアが出たのですが、最終的に僕のなかでは「須藤晃が選んだプレイリスト」というのが一番すっきりしていると思ったので、須藤さんにあらためて選曲のお願いをしたら、須藤さんも快く受けてくれたということです。これまでにいろんな村下孝蔵コンピレーションを作ってきて、それはすべてやっぱり須藤さんが選んできたわけです。でもそこにはあらかじめコンセプトやテーマがあって、それに沿って須藤さんが選んできました。でも今回はフリーハンドで、村下さんの全部の曲のなかから須藤さんが一番聴きたい、あるいは聴かせたい曲は何ですか? という問いかけへの答えとして選んでもらったのがこのDisc1のプロダクツなんです。
―― その須藤さんのプレイリストについて、福田さんはどんな印象ですか。
福田  これは僕なりの解釈ですが、Disc2がライヴMC集ですから、もしかすると須藤さんが今、村下さんのライヴ本編を構成するとすれば、ということなのかなあと思ったんです。
―― セットリストということですか?
福田  そうです。最後の4曲「ゆうこ」「夢の跡」「踊り子」「初恋」はアンコールというイメージで、「大安吉日」から「同窓会」までの12曲が“ひとりぼっちのあなたに”というライヴの本編なんじゃないかなって。なぜ最後に有名な曲が続いているのかな? と最初は思ったんですけど、これはもしかしたらライヴのアンコールなのかなと思ったら……MC集のほうに「夢の跡」のことに触れている内容があって、それでDisc1にはちゃんと「夢の跡」も収録されていて……最新ライヴのセットリストだ、と。僕は、そういうふうに解釈しました。
――『ひとりぼっちのあなたに』というタイトルを最初に聞いたときには、どんなことを思われましたか。
福田  これも須藤さんのアイデアですが、僕は、ものすごく意外でした。例えば僕が最初に担当した三部作『七夕夜想曲』『月待哀愁歌』『清聴感謝祭』みたいに、漢字だけの造語っぽくて、でも季節感も含めて内容が文字から浮かび上がってくるというようなものであったり、あるいは『絵日記と紙芝居』みたいに昭和的な郷愁を感じさせるものをふたつ並べるというような、須藤さん一流の手法とか。今回もそういう方向のタイトルになるのかな、と最初は思っていたんです。それとも、このDisc1のなかに入っている曲タイトルがそのままのアルバムタイトルになるか。そんな予想をしていたんですけど、そこに『ひとりぼっちのあなたに』というタイトルが来て、これはヤラれたというか、まったく想像もしなかったですね。
―― 村下さん企画の今後に関してはどんなふうに感じていますか。
福田  少なくとも、僕がソニー・ミュージックダイレクトの制作にいる限りは毎年この時期に村下孝蔵さん企画盤はリリースしていかなければとならないと思っています。村下さんの素晴らしい音楽にひとりでも多くのリスナーに触れてもらいたいですね……正直に言って、“もう今年はテーマがない”と思うこともあります(笑)。でも、何か不思議な力に助けられるんです。例えば、おそらく村下さんの最後の演奏と思われる、地方公演の音源が突然出てきたり……。
福田  レコード会社の人間として村下さんの音楽を発信することで自分が何か役に立てないのかなと思った瞬間があったんです。おこがましいですが。“村下さんだったら、こういうときどうしたんだろう?”ということを考えていました。道がまだ全然通っていないようなところにギター1本抱えて出かけて行って、ミカン箱か何かに腰かけて歌っているんじゃないのかなあと思ったんです。村下さんの曲には人を励ます力とか、背中を押してくれる内容がたくさんあるから、そういう歌をもっともっと集めて作って届けようと思いましたね。だから、これからも僕はずっと出していくと思います。大好きなアーティストですから。
インタビュー・文/兼田達矢 写真/安川達也(otonano編集部)
福田良昭(ふくだ・よしあき)
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト ストラテジック制作グループ 制作一部 部長
1984年、ソニーミュージック入社。EPICレーベルの洋楽・邦楽で主に宣伝・マーケティングの仕事に携わり、小室哲哉(ソロ作品)、岡村靖幸、大澤誉志幸らを担当。2005年ソニー・ミュージックダイレクトに異動、カタログ・企画盤の制作を担当する。
『ひとりぼっちのあなたに
~村下孝蔵選曲集~』
須藤晃 スペシャル・インタビュー