京須:講談は以前、寶井馬琴先生の15枚組のレコード(1982『講談寶井馬琴』現在CDで復刻)を出しました。こないだ亡くなった方ではなくて、その前。議員にも立候補したけど当選しなかった人です(笑)。
松之丞:(笑)私の中では、5年で真打に昇進した馬琴先生。「影響力が非常に大きい方だった」と伺っています(笑)。(出されたCD全集を見て)あ、私の知ってるやつだ。
京須:残念ながら、80に近かったから年寄り声になっているんです。
松之丞:いわゆるこれは全盛期ではなかった。
京須:そう。しようがない。きっかけは、圓生さんが亡くなっちゃって、その翌々年ぐらいに、何かの出版パーティが新宿の京王プラザであって、馬琴先生も出席なすった。そのときはまだ自分でベンツ運転して、地下の駐車場に停めたんだけど、年だから時間かかって。馬琴先生にスピーチ求めたら、「このホテルはなっとらん!」と始まった(笑)。
松之丞:ああ、気が短いらしいですもんね(笑)。
京須:自分のほうがよっぽど失礼だと思ったけどね(笑)。だけど元気がいいなあと。で、年寄りにはなっているけど、音源を残しておかないといけないと思って。そしたら二つ返事で受けてくれた。僕は最初、圓生さんのようにはいきませんが、10枚組でいこうと考えたんだけど、年を取ったなりにいいから、もう5枚増やしちゃったの。
松之丞:それまでに講談のレコードは出ていたんですか?
京須:昔から、それこそ“触り”みたいなものはありますよね。ビクター、日本コロムビア、キングなんて古いところは少しずつ出しているんだけど、それは僕が「落語のレコードでまとまったものがないから圓生をやる」って言ったのと同じで、皆さんいいとこ取りなんですよ。
松之丞:たとえば六代目貞山の『忠臣 二度目の清書』とかほんとポツポツあって、全集でその人物にスポットを当てているのは、京須先生の馬琴全集が初めてですか?
京須:初めてでしょう。馬琴先生でもね、コロムビアの『玉川上水の由来』、あれいいんですよ! ほんとに馬琴先生の全盛時代。実にいい。それがあんまりいいから、僕の全集では録音してないんですよ。それはコロムビアさんの財産。
松之丞:この全集はいわゆるスタジオ録音ですよね。読み物すべて京須先生が指定したのか、それとも馬琴先生が決めたんですか。
京須:いや、相談して。馬琴先生はやっぱり時代物の人でね、世話物には向かないことはわかっていたけど、つまりこれが講談というものだ、と。だから一応まんべんなく世話物もやってもらおうと。
松之丞:つまりこれで全部網羅できるってことですか。
京須:そう。いくらやったって講談の全貌なんてとてもじゃないけど、落語以上に難しいから。で、時代物あり、幡随院長兵衛が出てくるような世話物あり。明治の散切物(ざんぎりもの)もありってことで。『正直車夫』なんてね、邑井貞吉さんの十八番ですよ。僕、NHKのテレビでね、『正直車夫』聴いてね、しみじみと実にいい。でもさすがだと思ったのは、馬琴先生の脂ぎった嫌味のようなものがね、『正直車夫』には感じられなくてね、年は取らせるもんだと(笑)。
松之丞:なるほど(笑)。
京須:形として講談を残したいってこと。それにその頃あまりにも講談がガクッと落ちていた時期でしたよ。だからね、講談だっていいんだよ、と。たまたま落語の文楽、圓生、志ん生、ちょっと別のところに金馬がいてという、そういう駒の揃いが講談にはちょっと欠けていた。特に貞丈さんがね、早く死んだのは惜しいことでしたね。その弟子の貞鳳さんが議員になっちゃったことも惜しいことです。「四谷怪談」の貞山さんもあまり長く生きなかった。馬琴さんだけが80越えて。
松之丞:そうですね。
京須:長生きしたんですよ。せめてこの人で、20世紀の末にこういう話芸があったんだよって残しておきたかった。
松之丞:なるほど。そうすると当時よりも、今のほうがどんどん貴重さが増していくというか、このときの音源を残しておいてよかったっていう思いは先生の中でありますか。
京須:それはありますね。会社には損失をかけたんですよ。売れてない(笑)。ただ、あと何年かたっても値打ちはあんまり落ちないと思うんですよね。
松之丞:おもしろい。じゃあ、講談でいうと、この馬琴先生以来ですか? CDは。
京須:その間、誰もやってないでしょう。
松之丞:それは光栄でうれしいですよね。
松之丞:僕は大学時代にNHKのラジオ深夜便で圓生師匠の『御神酒徳利』を聴いて、感激して圓生師匠にはまったんです。『圓生百席』が当然出ていたけど、高くて買えないから図書館でCDを借りて、解説書も一つひとつみんなコピーしました。最初に『札所の霊験』を聴いたんです。これが落語の原体験。
京須:『札所の霊験』おやりなさいよ。講談の基礎のある人には向いている噺だし。
松之丞:あれは楽しいですよね。
京須:圓生さんが『札所』をやろうと思ったきっかけって知ってます?
松之丞:知らないです。
京須:坊主が昔振った女をなんとかしようとするところをやってみたいと。
松之丞:圓生師匠も私生活で遊んでらしたから(笑)。
京須:『乳房榎』もかやの中で口説くところをやってみたいんだと(笑)。
松之丞:それは『おきせ口説き』のところですか
京須:そう。ということを話してたら、文楽さんに「おまえさんは趣味がよくない」って(笑)、言われたというのは圓生さんから聴いた。
松之丞:へえ(笑)。そういう女性を口説く描写って、圓生師匠はほんと好きですよね。ネチネチずっとやってますよね(笑)。性格なんですよね。
京須:そうですね(笑)。
松之丞:だから僕は『圓生百席』が教科書で、さんざん聴いたあとに寄席に行ってびっくりしましたもん、ギャップに。そのとき寄席では『子ほめ』とかやってて、なんでこんな珍しい噺をやってるんだろうっていうのが当時の感想ですよ(笑)。柳昇師匠が『南極探検』やってて、『圓生百席』と全然違う!と思った(笑)。それはそれでおもしろかったんですけど。
京須:でも、『札所』はやってみたいけど、『子ほめ』はやりたくないっていうのはどこかにあるんじゃない?
松之丞:それは確かにそうかもしれない。原体験で『圓生百席』を聴いてなくて、『南極探検』を聴いてたら、落語家になっていたかもしれませんね(笑)。
京須:おそらく、筋があって悪いやつが出てきてとかね、人間模様のある、そういう噺のほうがお好きなんだと思う。
松之丞:『牡丹燈籠』とか、圓朝師匠が講談的なものをかなり意識して取り入れているじゃないですか。
京須:昔は講談とか落語の区別はあまりはっきりしてないんですよ、幕末の頃までは。
松之丞:なるほど。
京須:ただ噺ということで。交流もあったし、落語から講談へ転向したり、またその逆もいっぱいあったわけですよ。乾坤坊良斎なんて作者は両方書いたわけでしょ、落語も講談も。
松之丞:志ん生師匠は一時期、講談師の小金井蘆風(ろふう)を名乗っていたこともありましたよね。で、『名人長二』とかああいう噺とか好きだったり、そういうものが元からあったということなんですよね。
京須:志ん生は三語楼のところへ行ってね、こういう笑わせ方があるんだぞって、それで目覚めてあんな人気者になったってことは言えるけども、あの人の芯にあるものはきっと人情噺なんですよ。
松之丞:だから僕も圓生師匠から入ったんだけど、本質のほうを見極めていったら講談に行き着いたってことかもしれません。
松之丞:今回発売するこのCDには『金棒お鉄』が入ってますけど、非常に落語的ですよね、長屋物というか。振りがあって落ちもある。だからまったく落語も講談も知らない人がこのCDを聴いたときに、講談だから落語だからというのを取っ払って、聴いていただけるものかなという気がしましたね、昔のように。
京須:これからはね、そうじゃなきゃいけないと思う。
松之丞:今、落語も講談も垣根なくなってきたかなって。昔はちょっと10年前ぐらいまでは、すごい強かったと思うんですけど、お客様のほうになくなりつつあると感じます。
京須:講談だから駄目だ、落語だからいいという考え方がつい数年前ぐらいまでは染み付いていたけど、今はそうじゃない。もっと言えば、つまり「松之丞を聴く」でいいんですよ。
松之丞:ああ。
京須:昔のことだけどテレビドラマでね、「カラヤンの切符が手に入ったのよ」っていうせりふを聴いたことがあるんですよ。それだけで通るんです、音楽に関心のある人にも。それと同じ。松之丞を聴きに行く。おそらく圓朝を聴きに行く、志ん生を聴きに行く、っていうのもそれだけて通ったんじゃないかな。
松之丞:カラヤンっていうジャンルなんですね。
京須:そう。で、そこで怪談噺をやろうが人情噺やろうが講釈のネタをやろうが、お客は志ん生がおもしろいことしゃべってくれたらそれでいいんでしょ。
松之丞:おもしろいかどうかで判断される。
京須:漫談のような落語ってあるでしょ。漫談っていうと洋服着て立って話す。形が違うから別のものだと思ってるけど、中身はあまり変わらない。ただ話術の基本が違うから、どうしてもそこでアングルなりテイストの違いは出てきますけど、客はそんなことわかる必要はなく、楽しめればいいわけで。昔の三平さんなんか漫談にかなり近いですよ。でもそれは落語ってものの強さで、講談的なものも漫談的なものも全部つかんで落語ってことになっている。
松之丞:三平師匠のは元は『源平盛衰記』ですよね。
京須:そうです。
松之丞:落語の『源平』は講釈のいわゆるパロディですよね。あれで漫談をやるというのは、三平師匠は崩しに崩して、落語を崩し講談も崩し、と両方やられていたと。
京須:そうですね。三平ナイズしちゃったんでしょう。だから松之丞ナイズをしたらいい。『札所』をやったらいいというのはそれなんですね。圓朝の作品だから落語家がやるというのは、別に決まってるわけじゃないから。
松之丞:講談師のネタは落語家さんいっぱいやってるじゃないですか、左甚五郎物であるとかほかにもいっぱいありますよね。でも、講釈師が落語のネタをやるというのはあんまり、ま、ありますけど、そんなに例はないですよね。
京須:少ないですよね。
松之丞:なんとなく偏見じゃないですけど、「講談師は落語のネタをやるもんじゃない」っていうような空気感がまだありますね。
京須:話芸の本流は講談だと。
松之丞:そこが変わってない。でも今どう考えても人数の上で講談師は少ないですし、落語家さんが圧倒している時代にあって、積極的に変化をつけるとしたら圓朝物はやってもいいかもしれないですね。古くから講談師は圓朝物を読んでいますけど、そこは積極的に、もちろん講談ネタはいっぱい仕込みながら、講釈の技術を使って。
京須:人情噺的なものはもちろん、それでなくてもやれるものがあると思いますね。
~第二回につづく
京須偕充(きょうすともみつ)
1942年東京神田生まれ。慶應義塾大学卒業。ソニーミュージックのプロデューサーとして六代目三遊亭圓生「圓生百席」や古今亭志ん朝、柳家小三治など数々の落語レコード、CDの録音制作を行う。「朝日名人会」プロデューサー。「TBS落語研究会」レギュラー解説者。著書「圓生の録音室」(中公文庫)、「落語家昭和の名人くらべ」(文藝春秋)、「落語名作200席上下」(角川ソフィア文庫)など。