ローラ・ニーロは、NYC、ブロンクス生まれ。ミュージシャンであった父の影響を受け5歳頃には既に作曲をしていたと言う。1966年にヴァーヴよりデビューし話題を呼ぶものの、‘68年にはCBSへ移籍。この頃から彼女の書いた曲が、フィフス・ディメンション、スリー・ドッグ・ナイト、ブラッド・スエット&ティアーズ、バーブラ・ストライサンドらに取り上げられ大ヒット。「ウェディング・ベル・ブルース」「ストーンド・ソウル・ピクニック」「アンド・ホエン・アイ・ダイ」「イーライがやって来る」「ストーニィ・エンド」といった曲がチャートを賑やかした。カヴァー曲のヒットが続いた事で、ローラ・ニーロはソングライターとしての卓越した才能を評価される。
ソウル、R&B、ジャズ、ゴスペルの要素を基調に等身大で綴ったユニークで洗練された詩的な歌の数々。その独自性はローラ・ニーロならではのものであり、スピリチュアルかつ情感豊かに表現するローラのヴォーカルも、彼女の大きな魅力となって印象的なアルバムを残した。二度に渡る結婚や出産のため活動停止や復帰を繰り返し、80年代以降は寡作となってしまう。‘94年に2度目の来日を果たし健在振りをアピールするが、‘97年に癌により49歳の若さで死去。
残された歌の数々は現在でもエバーグリーンの輝きを放ち続け、再びここに甦ります。
『アメリカン・ドリーマー』収録の解説より<一部抜粋>
「ベルが聴こえる ああ 私の耳元でベルが鳴り響く あなたは私を愛してる? あなたは私を愛してる? ええ 私はあなたを愛しているわ」。ローラ・ニーロはメロディと歌詞の母なる大地だ。それまで誰もやったことのない方法でそれを生み出す。ブルース、ブロードウェイ・ナンバー、ロック、ジャズを融合した彼女のハイブリッドなサウンドは、音楽をさらなる高みへと連れていく。
陽の当たらぬ“スパニッシュ・ハーレム”で燻っているかと思えば、“石のような最果て”で、“ハイなソウル・ピクニック”をしながら、“イーライがやってきて”は空高く舞い上がる。ハドソン川からイースト川まで、彼女が居るのはニューヨークのウォーターフロントのあらゆる所。ニューヨークは心ときめく恋愛と、一気に心潰れる失恋だらけの“テンダベリー”。アリゾナのような僻地に住んでいた私たちに、彼女はそんな見知らぬ世界と体験を見せてくれた。
暑い夏のアスファルトの匂い、窓から漂う葉の匂い、初めての雪を待つ5人の少年たちがまとう“汗のビーズ”、必死に降りようとしていた“貧困の列車”。私たちは彼女と歩いた。賑やかな人通りを、艶めくバーを、ハーモニーが溢れる街角を。これはローラ・ニーロの旅だ。だがそれは私たちをいざなう旅でもあった。満足や退屈を捨て、彼女の音楽から挑まれる賭けに出て、より大きく、より賢く、より深く、より思いやりを持つための旅