―― 『十年フォーク 1970-1979』の評判が良いようですね。
尾形 ありがとうございます。あ、そのままタイトル通りなんですけどね。1970年から1979年の間にヒットしたフォーク・ソングをコンピレーションした4枚組です。2年前に発売して好評を頂いた『十年十色~想い出の歌謡曲1970-1979』のフォーク版だと思ってくれれば幸いです。本当は『十年十色 あの頃のフォーク』にしようと思っていたんですけどね、お客さんを混乱させてはいけない、という上司の意見を尊重しました。
―― 「勉強といいながら、ラジオの音楽番組を聴いたり、いつのまにか学校でフォークを口ずさんだり、小遣いを貯めてフォークギターを買ったり、1970年代に青春を過ごした男女に向けたフォーク・ソングのBOXです」。この商品の宣伝コピーって、尾形さんのことですよね(笑)。
尾形 あ、そうそう(笑)。でも僕自身というか僕らの世代のことだから。中学生の時に<よしだたくろう>のアルバム『元気です。』(1971年)がずっとチャートの1位だった。それ以前も<マイク真木>、<ザ・フォーク・クルセダーズ>、<はしだのりひこ>とかもいましたが、このアルバム1枚で学校ではフォークブームでしたからね。で、みんな楽器を持つようになっていくわけですよ。フォークギターを。僕も高校に入って頑張ってはじめちゃいました。
―― ギターを弾いてる男子はカッコイイみたいな?
尾形 それは80年代のバンドブームの頃のことでしょ。この頃はそういうのは関係ないかな。歌謡曲とかフォークが純粋に好きだから真似して弾いてみる。勉強の合間の息抜きに少し弾いてみる。友達が始めたから一緒に楽しんで弾いてみる。そんな感じ。高校3年の時の学園祭で1000人くらいの前で演奏しましたね。
―― 何を演奏したんですか。
尾形 <布施明>の「シクラメンのかほり」……あ、でも『十年フォーク』には未収録だから話題を変えましょう(笑)。ほら、ギターの話とかあるじゃない……。
―― Fコードとか……。
尾形 下手だったからFなんて押さえられないよ~。
―― アルペジオ奏法で……。
尾形 もう覚えてないよ~。
―― ギターはどこのメーカーでした?
尾形 昔のことだからね~。
―― 全然ギターの話にならないじゃないですか(笑)。
尾形 あ、そう? ごめんゴメン(笑)。
―― この時代のフォークってどのような手段でリスナーに届いていたんですか。
尾形 基本的にはラジオ。テレビに出ているのは<よしだたくろう>と<ガロ>ぐらいで、あとはみんなラジオだよね。70年代って、ラジオ全盛期でそれこそ歌謡曲、フォークはラジオ番組からヒットが生まれていたもん。『セイ!ヤング』(文化放送)とか『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)とか『パックインミュージック』(TBSラジオ)。大阪だったら『MBSヤングタウン』(MBSラジオ)、『ABCヤングリクエスト』(ABCラジオ)とかね。みんなラジカセの小さなスピーカーから聴いていたもんね。
―― 尾形さんの中では明確なフォークの定義はあるんですか。
尾形 まあ、単純にアンプラグドが基本なんだよね。そうじゃないのも『十年フォーク』には入っているんだけど生演奏スタイルが大事。あとは、ギターを中心に集まって、みんなが一緒に歌えるような楽曲ということになるかな。大好きな先輩が<ふきのとう>とか演奏してたなぁ。それと、フォークは別れが大事なの。学生っぽい別れと言えばいいかな。
―― 学生っぽい別れ?
尾形 <風>の「22才の別れ」は『十年十色』に収録していますが、学生最後の年の別れはロマンティックでもあるわけ。中学、高校から付き合っていてそのまま結婚というのは昔も今もそんなに多くはないと思うんですよ。でも大学生になってから付き合ったカップルはそのまま一緒になることも少なくないわけなのに別れなきゃいけないこともある。愛とか青春だよね。このあたりの情景を爪弾いて歌うことがフォークには多いわけ。結構わかりやすいでしょ。
―― 男視点だとまだ人生に責任をとらなくてもいいような別れ。
尾形 ま、そういう言い方もあるんだろうけど、お互いの人生にまだ希望がある別れだよね。今よりもっといい人と出会えるかもしれない。でも、やっぱりこの人以上の人にはもう出逢えないかもしれない……そういう感情だよね。♪今日鎌倉へ行って来ました~二人で初めて歩いた街へ~
―― 何か想い出しましたね(笑)。
尾形 大学1年の時に付き合った女の子とデートで鎌倉の大仏に行ったよね。♪今日のあの町は人影少なく~ 素晴らしい曲だよね。♪源氏山から北鎌倉へ~ あの日と同じ 道のりで~
―― もしかして……デートで「縁切寺」(バンバン)に行ったんですか?
尾形 デートでわざわざ「縁切寺」に行くわけないじゃん!(笑) 僕のあの頃の記憶ですよ。想い出に浸るには素晴らし過ぎる曲。大切な曲。1976年、もう41年前のことですよ。<イルカ>の「海岸通」も好き。
―― その2曲はDisc1の『愛とフォーク』収録ですね。
尾形 そうそう。Disc2が『青春とフォーク』、Disc3が『人生とフォーク』、Disc4が『四季とフォーク』。80曲を全部聴いていたらテーマごとに分けることが出来ることに気がついてね。悩んだ曲もあったけれど、気がついたらきれいに収まりましたね。
―― 曲順も悩まれたのでは?
尾形 これは以前も別の作品グラスシリーズのインタビューでお話したけれど、1曲目と最後がスゴく大事だから。僕らが作るコンピはプレイリストではなくて1枚のアルバムですから。制作側の意図やこだわりはここで試されるぐらい重要なことだと思っていますよ。
―― Disc1の最後が松山千春の「銀の雨」ではなくて、山崎ハコの「織江の唄」だったのが印象的でした。
尾形 嬉しいポイントを指摘してくれるじゃない! 言わんとすることはわかりますよ。どっちも知名度も高くインパクトがある曲ですよね。その時点でどちらが最後でもおかしくないんですね。実際に最初は「銀の雨」をエンディングにしていましたから。「織江の唄」くらい暗い唄は途中ではもたないんですよね。やっぱりそのあとの余韻を考えても最後に持ってくるしかないんですよね。自分が10年くらい福岡に在たことがあるから九州弁の「織江の唄」には特別な感情があったことも関係はしていますよ。でも、今回ね、<山崎ハコ>というシンガーソングライターをフォークというくくりで本作に収録することの意味を表示したかった。
―― Disc1の冒頭はすぐに決まったのですか。
尾形 <ダ・カーポ>の「結婚するって本当ですか」は、大学時代を経てバラバラになった仲間へのアンサーソングみたいな感じですよ。結婚するって本当……いろんな人が経験する気持ちだと思うんだけど、フォークの時代感が出ていますね。
―― Disc3に関しては、よしだたくろうではなく森山良子で終わらせてますね。
尾形 これね。悩んだね。そうなんですよ。本来なら、たくろうの「人生を語らず」で終わるはずなんだけど。テーマも『人生とフォーク』にしましたから。 でもね「さとうきび畑」が長いのよ。♪ざわわざわわ~が確か11フレーズだったかな、10分くらいあるでしょ? これも人生かなって(笑)。ちなみにDisc4の最後を<アリス>の「秋止符」にしたのはこのBOXの”終止符”にしたかったからで、それ以上でも以下でもないです(笑)。
―― 全80曲に「あの頃とフォーク」という解説が付いていますが。ご自身で書かれたって本当ですか。
尾形 本当ですよ。最初は評論家やライターの方に頼もうかと思ったんですけど、いろいろ調べているうちに、このまま資料を自分で文字にしちゃえばいいんだって。テーマも決めて選曲したのも僕自身ですからね。曲によってはなぜフォークに入っているのかという説明もしたいし。制作費を抑えられたし(笑)。ま、忙しくなって、いつもどおり入稿前に、少し後悔しましたけどね。でも1曲に1曲に想い入れが強いから自分の文字で残したかったんでしょうね。でも最初の頃はね、てっきり原稿料は給料とは別にもらえるもんだと思っていたんだけどね。そしたら、先輩ディレクターから「それ懲戒になるよ!」って。汗かいちゃった(笑)。
―― なかには書ききれない想い出が詰まった曲もあったんでしょうね。
尾形 たくさんあるけれど、Disc3の9曲目、<山田パンダ>の「風の街」は再発見もあったかな。表参道と原宿が舞台の青春ドラマ『あこがれ共同隊』(1975年)の主題歌。「ペニーレイン」(1973年開店)や「ライムライト」(1975年開店)など、フォーク歌手が入り浸っていたこともある70年代伝説の喫茶店というかBARがあったんだよね。僕は学生になった頃、分不相応に原宿の「デポー」っていうお店に出没していたの。で、たまに背伸びをして「ペニーレイン」「ライムライト」に行ってたのね。当時は2000円もあれば飲めるところ、4000円、5000円を先輩が払ってくれたりして楽しかったな。「ペニーレインでバーボン」というのが流行っていたしね。
―― いまも覚えている味ですか。
尾形 味はね。でも場所がね……僕の記憶通り「ライムライト」の場所は今の「キディランド原宿」の裏だったんだよね。「ペニーレイン」の場所はずーっと竹下通りだとばっかり思っていたんだけど。この前、当時よく行っていた原宿のお店の支配人がもう40年くらい前に独立して神宮球場の近くでお店をやっているんだけど。あ、それこそ、『宵街グラス』のジャケット撮影したウッディなお店。マスターに、その話をしたら「何を言ってるの尾形くん。ペニーレインはライムライトの隣だよ」って。「あれ、竹下通りじゃないの?」 って。びっくりして当時おごってくれた先輩にも電話したら「ペニーレインはライムライトの隣だよ!」って。記憶はけっこういい加減なんだけど、記録を調べる作業が楽しかったですよ。
―― 『十年フォーク』は尾形さんの青春サウンドトラックでもあるんですね。
尾形 自分の歴史と重ね合わせたという意味ではその部分はあるんでしょうね。でも、この世代を代表して作らせてもらったという意識ですよ。それと今年で定年退職だから最後も悔いのないようにコンピレーションしたかったんですよ。自分の学生時代に慣れ親しんだフォーク・ソングばかり集めた4枚組CDを制作できるなんて、当時の自分では想像すら出来ないし、信じられないくらい嬉しいことですから……。
―― これが最後のインタビューでしょうか。
尾形 きっとそうでしょうね。いま最後に愛と情熱を注いで昭和のスターの映像作品を手がけていますが、コンピレーションCDという意味ではこれがラストでしょうね。でも、ほらウチには最近“ミスターソールドアウト!“の異名を持つ最強のコンピ職人・後藤達也がいるからね。あとは彼に任せておけば大丈夫だし、そもそもコンピの売上成績は彼がメインで僕はその隙間を埋めてきたわけでね(笑)。あーでも、後藤チーフは演歌いけるのかな~? 70年代は大丈夫かなぁ~? やっぱり僕の出番がまだあるかなぁ~!?
インタビュー・文/安川達也(otonano編集部) 写真/阿部清香
尾形靖博(おがた・やすひろ)株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
ストラテジック制作グループ 制作1部 チーフプロデューサー
1980年、CBS・ソニーレコード(現Sony Music)入社。ソニー・クリエイティブプロダクツにて文具一筋8年、レコードを売るはずが、シャープペンシルや化粧品を売ることとなった同期たちと共に、営業、宣伝、管理、資材部門を経験。何気なく使っていたシャープペンシルに3つの特許があることを知って驚き、文具の深さを知る。その後、CBS・ソニーグループ映像事業部に異動。 レコード営業、演歌制作部等を経験し、GTMusicから現在のソニー・ミュージックダイレクト在籍となる。趣味は、昭和カラオケと競馬観戦。プロの歌手とスナックにカラオケに行って、その歌手が歌ったところ、騒いでいたお客さんたちが、だんだん静かになり、歌い終わったら全員が拍手喝采で、握手を求めてきた。歌手の凄さを目の前で観たことが、サラリーマン人生の宝物のひとつ。
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