『ザ・ブラックベリー・トレイン』
英シンガー・ソングライター、ジェイムズ・マッカートニーの2013年のデビュー・アルバム『Me』以来3年ぶりとなるセカンド・アルバム『ザ・ブラックベリー・トレイン』は、スティーヴ・アルビニをエンジニアに迎え、全11曲に加えて日本盤ボーナストラック2曲を追加収録。
アルバムのオープニング曲「トゥー・ハード」には、ジョージ・ハリスンの息子ダニー・ハリスンがギターとヴォーカルで参加している。
日本盤の発売は今回が初で、晴れて日本デビューを飾る。
『ザ・ブラックベリー・トレイン』は、ポップでキャッチーな「トゥー・ハード」で幕を開け、パワフルなロック・チューン「ユニコーン」、アンセミックな「ペヨーテ・コヨーテ」、ソウルフルなバラード「プレイヤー」、厳かでフォーキーな「ピース・アンド・スティルネス」、そして、亡き母リンダ・マッカートニーの想い出にインスピレーションを得た、非常にパーソナルな楽曲「ウォーター・フォール」などを収録(「ウォーターフォール」とはジェイムズが一時期一人で暮らしていた、キンタイア岬のマッカートニー家所有の農場敷地内の「小さなまるい家」のことで、通称「ウォーターフォール」と呼ばれていた)。アルバムのエンジニアにはニルヴァーナ、ザ・ピクシーズ、PJハーヴェイなどで有名なスティーヴ・アルビニを迎え、よりロック色の強いエッジの効いた多彩なサウンドを作り上げている。
収録曲中最もステーヴ・アルビニらしい音ともいえるのが2曲目の「ユニコーン」だろう。
「すべてがひとつの進化になっている。この一連の楽曲は間違いなく前作よりも鋭い内容で、とにかく妥協をしなかった。音楽に前衛的でサイケデリックな要素を入れて、ほんの少しだけ神経を逆撫でするようなものにするのが好きなんだけど、最終的に大切なのは、できるだけ感情をさらけ出すこと。音楽がカタルシスをくれて、心から響いてきて、正直であることがすべてなんだ」-James McCartney
幼いころからギターを弾き、17歳で曲を書き始め、父のアルバムにも参加した。
しかし、世界で最も有名なミュージシャンでもある父親の後を継ぐという茨の道を歩むことを決めるまで、様々な葛藤があったと語っている。
「自分で自分にプレッシャーをかけながら成長してきたんだ。ビートルズのレガシーが、自分に音楽をやるようにとプレッシャーをかけているような気がしていた。音楽は昔から大好きだったし、家でもいつも自分の周りには音楽があったけど、他のことをやろうと思って、アートもやってみたし、家具も作ってみた。 以前は、ビートルズの息子がミュージシャン、みたいな陳腐な存在にはなりたくなかったんだ」
彼が本格的な音楽キャリアをスタートしたのは30歳をゆうに越えてから。
最初は別名でプレイすることから始め、静かにキャリアをスタートさせた。
自分も、自分の音楽も機が熟すまでミュージシャンとして下積みをする必要があると考えている。
「座ってボーっとしているんじゃなくて、自分の食いぶちは自分で稼ぎたいんだ」
そして、その言葉通り、ビートルズがキャリアのスタート時にハンブルクのナイトクラブでタフな修業をしたときのように、2013年には、小さな会場で47日間で27回もの公演をアメリカで行なった。
移動は数人で白のミニバンに乗って13,000マイル以上を走り、安いモーテルに宿泊した。
「大切なのは音楽。車の方が安いからミニバンで回っていた。5つ星のホテルに泊まる必要もない。こうするのが理に適っているんだ」
その後もヨーロッパ、そして再びアメリカをくまなくツアーし続け、一周するごとに会場を大きくしていくという昔ながらの手法により、地道な努力を続けてきた。英デイリーメイル紙では彼のライヴをこう評している。
「アンコールは熱狂的なスタンディング・オヴェーションに迎えられ、彼の実力を疑う者たちにとってすら、 ジェイムズが生まれながらのパフォーマーであることは明らかであった。ポールの自信とカリスマ性を“遺伝子”によって引き継いでいるかの如く・・・」
ジェイムズは自分が置かれた立場も期待も充分にわかっている。
しかし、「新しいポール」になるつもりはないし、偉大な父の恩恵に預かろうとも微塵も思っていない。
地に足をつけて、地道に音楽活動を続け、心のままに自分の音楽を追求し、彼の音楽を聴いてくれるファンと真摯に向き合っていきたいと考えている。
「とにかくソングライターとして前進し続けて、努力し続けて、向上し続けていきたいんだ。人間としてもソングライターとしても可能性をフルに実現した手応えを感じたいと思う。たくさんの音楽を作って、アーティスティックにより深みを目指して努力すること――それが僕のゴールなんだ」