ここ数年、太田裕美に対する再評価がまた進んでいるようだ。
そのきっかけは、2014年に話題を呼んだ『レコード・コレクターズ』9月号の特集「日本の女性アイドル・ソング・ベスト100 <1970-1979>」で「木綿のハンカチーフ」が1位を獲得したこと。あるいは、彼女も出演した2015年の松本隆作詞活動45周年記念コンサート<風街レジェンド2015>を契機に、メディアでの“松本隆ブーム”が再燃したことなどが挙げられるようだが、今回注目したいのは、リアル世代ではない層も広く巻き込んでいる点である。
その流れを受けて、70年代の名盤2タイトル『こけてぃっしゆ』『ELEGANCE』がオーディオ専門誌『Stereo Sound』主導でSACD化。さらにオーダーメイドファクトリーでは25枚組のCD-BOX『太田裕美 オール・ソングス・コレクション』が再エントリーされるなどパッケージの再発が相次いでいるが、ついにハイレゾを含む「配信」もスタート。作品のほとんどが、より気軽な形で聴けるようになった。
デビューから43年目を迎えた現在も、“ルックスも歌声も変わらない”という驚きとともに支持される太田裕美。そのイメージも「アイドル的でありながらピアノ弾き語り」「シンガー・ソングライターっぽいのに、代表曲は松本隆+筒美京平コンビの作品」「テレビの歌番組にもよく出るが、活動の中心はアコースティックライブ」……というように、とにかくユニークなままだが、今回の配信を機にあらためて再評価すべきポイントを探ってみよう。
フォークと歌謡曲、アイドルポップスのはざまで 〜ジャンルを超越した独自のスタンス
太田裕美がデビューした1974年は、ピアノ弾き語りのシンガー・ソングライター、小坂明子の「あなた」がミリオンセラーを記録し、吉田拓郎作曲による森進一の「襟裳岬」が日本レコード大賞を受賞。そしてあの山口百恵が大ブレイクを果たすなど、フォークや歌謡曲、アイドルポップスといったジャンル—今でいうJ-POPに連なる要素—がバランスよくしのぎを削っていた頃である。そして、それらのちょうど中間に立つように、すべての要素をクロスオーバーさせたスタイルで登場したのが太田裕美だった。
彼女がその絶妙なスタンスでヒットを連発した裏側には、スタッフ陣の緻密な戦略をはじめ、本人の資質や順応力、そして天才的なヒットメーカー・筒美京平の技量などそれ相応の要因があったが、中でも松本隆の功績は大なるものがあった。
はっぴいえんどのドラマーを経て作詞家になったばかりの松本にとって、太田裕美は初めて本格的に取り組んだアーティスト。従来の職業作詞家とは出自も毛色も異なる松本の存在こそが、歌謡曲とフォークを高度に調合させ、太田裕美に文学的で詩情豊かなシンガー・ソングライターのイメージを持たせたといっても過言ではない。
また、松本にとっては太田裕美という最大の表現者が歌うことで詩世界が広がったのも事実で、彼が作詞家としての方向性を見出すのにも大きな役割を果たしたという。松本の作品群は、フォークからニューミュージックへと移ろう音楽シーンの新しい流れに先鞭をつけたが、80年代に入ると太田裕美の役割は松田聖子が受け継ぎ、歌謡曲とニューミュージックの理想的な融合点が示されることになる。
なお、松本が中心的役割を果たしたアルバムは『まごころ』(’75年)から『海が泣いている』(’78年)までの9作と、’98年に活動を本格的に再開した後のミニアルバム3部作。うちラストの『Candy』(’99年)は、カバー3曲を収録した松本隆トリビュート・アルバムである。
単発では、大瀧詠一作曲のシングル曲である「さらばシベリア鉄道」(’80年)と「恋のハーフムーン」(’81年/「ともに70s~80sシングルA面コレクション」収録)および「ブルー・ベイビー・ブルー」(’81年、未配信)、太田裕美が曲をつけた「サヨナラの岸辺」(’81年「君と歩いた青春」収録)がある。
クオリティの高いコンセプト・アルバム 〜多彩な作家陣を起用した楽曲制作
歌番組で見せたアイドル歌手的な雰囲気や、松本+筒美コンビによるヒットシングルの多さから誤解されることも多いが、太田裕美の本領は丁寧なアルバム制作にある。デビュー当時からコンセプト・アルバムに定評があり、セールス的にも秀でていた“アルバム・アーティスト”なのだ。
作家陣は初期の松本+筒美コンビだけでなく、ユーミン、吉田拓郎、伊勢正三、宇崎竜童、来生たかお、濱田金吾、網倉一也、大瀧詠一、下田逸郎、銀色夏生(山元みき子)ら多彩な顔ぶれ。アクの強いシンガー・ソングライターの作品でさえ、自身の歌として完全に消化しきっているところに太田裕美の凄さがある。
サウンド面では、ヨーロッパ調でクラシカルなフォーク歌謡から、カントリーのエッセンスを取り入れたポップソング、フュージョンやウェストコーストサウンドを意識したシティポップスなどを展開したが、名アレンジャー・萩田光雄が中心となった緻密で斬新な音作りは決して色褪せることがない。
それぞれのアルバムのクオリティがいかに高かったのか、それは「木綿のハンカチーフ」をはじめ「九月の雨」「失恋魔術師」「君と歩いた青春」といった一連のヒット曲さえ、当初はアルバムの中の1曲にすぎなかったという事実が物語っている。
ちなみにレコード会社の担当ディレクターは、後に大滝詠一の『A LONG VACATION』(’81年)や加藤和彦の『あの頃、マリー・ローランサン』(’83年)など、日本の音楽史に残る名盤を世に送り出した白川隆三。その彼にとって、初めて新人から手がけ、強い思い入れとこだわりを持って取り組んだアーティストが太田裕美なのである。白川が関わったアルバムは『I do, You do』(’83年)までだが、この背景だけでも太田裕美のアルバム制作のレベルが分かるだろう。
いい楽曲であればこだわりなく歌おうとする志向は近年も変わらず、『始まりは“まごころ”だった。』(2006年)では、YO-KING(真心ブラザーズ)、島袋優(BEGIN)、新藤晴一(ポルノグラフィティ)、永積タカシ(ハナレグミ)、原田郁子(clammbon)、宮川弾ら若手ミュージシャンを起用し、古くからのファンを驚かせた。
若いリスナーなら、このアルバムから入るのもいいだろう。1曲単位でダウンロードできる配信なら、まずは好きなアーティストの提供作品からという聴き方も可能である。
ボーカリストとしての才能と実力 〜ハイレゾで初体験するリアルな美声
楽曲のクオリティだけではない。どんなスタイルの曲も自分のものにするという、ボーカリストとして傑出した才能と実力の持ち主だけに、太田裕美の歌にはさまざまな魅力がひしめいている。音楽学校出身者ならではの素養に裏打ちされた表現力、ひたむきな“まごころ”が感じられる歌心、可憐なキャラクターを生かした歌唱法など挙げるときりがないが、最大の魅力はやはり唯一無二の声質だろう。
甘く透き通るようなファルセットからハスキーな低音まで、多彩な音色を奏でる天性の歌声は筒美京平をも魅了し、地声からファルセットへと移るスイートスポットを意識した曲作りが施されたほどだという。
ハイレゾ配信では、その美声がより艶やかに、繊細な響きや息づかいまでを伴ってリアルに聴こえてくる。日本の音楽界を支えてきたスタジオミュージシャンたちの楽器の粒立ちや、レコーディング時の空気感の再現性なども含め、長年聴き慣れた楽曲さえ新たな発見があるに違いない。その意味では、オリジナルのアナログ盤や復刻CDなどの既発パッケージを持っている人にこそ強くおすすめしたい。
なお、太田裕美の制作チームはシングルとアルバムは別物ととらえていたため、「しあわせ未満」「恋人たちの100の偽り」「青空の翳り」「南風」などアルバム未収録のシングル曲も多いうえ、「木綿のハンカチーフ」「失恋魔術師」といったシングルカット曲はアレンジ自体が異なっている。
今回は配信オリジナルベスト『70s~80sシングルA面コレクション』もハイレゾ化されているので、オリジナルアルバムと併せて楽しむべきだろう。
2017年4月 中崎あゆむ
(文中敬称略)