DSD録音7タイトルはハイレゾ入門音源、いやこれぞハイレゾ音源としてふさわしい作品群です。
―― 椿さんがソニー・ミュージックダイレクトのハイレゾ配信の担当になったいきさつを教えてください。
椿 去年の夏に現在の部署に異動してから配信全般を担当しています。僕は以前SA-CDプロジェクトにいて、SA-CDのデモ用音源を制作していました。「いい音を知らしめるためのソフトを世に出す」っていう仕事です。銀座のソニービルとかの試聴用の部屋で、デモ音源を聴いてもらって、いかにスーパーオーディオCDが通常CDに比べて素晴らしいものかを説明していました。その時に制作した音源は一から録音したもので、言ってみれば元々ハイレゾであり、ハイレゾ配信の時代になっても全然活かせる……いやハイレゾ配信だからこそ活かせる、それこそもってこいの音楽データだったんです。だったらその音源を寝かせておかないで配信することが、まずは何よりも重要なことだろうと思いました。
―― それが今回、8月31日のハイレゾ配信20タイトルの中のDSD録音7タイトルになるわけですね。
椿 はい。DSD録音された7タイトルっていうのは、それこそSA-CDのために開発されたレコーダーで最初から録ってる音源なんです。すごく音が生々しいし、周波数レンジも広いし、ハイレゾリューシュンっていう言葉で、表現するのに一番ふさわしい音源です。それらはSA-CDと並行して通常CDとしても商品化しているのですが、その成り立ちからして元々良い状態で録られているから普通のCDで聴いてもじつは音は良いんです(笑)。素性の良い音源は何をしても良い音に聴こえるっていうのはあながち間違いではないですね。逆に言うと元の音の状態が悪いと残念ながらいくら加工しても、何をやってもやっぱり最後まで悪い音のまま(笑)。この7タイトルはハイレゾ入門音源、いやこれぞハイレゾ音源としてふさわしい作品群です。
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―― 音源は一緒でも、当時のSA-CDと現在のハイレゾの再生環境は全然違いますよね。
椿 本当にそうですね。SA-CDは、専用のプレーヤーがなくちゃ聴けないとか、専用のディスクを買わなきゃいけないとか、敷居が高い商品と思われていました。SA-CDソフトを置いている店も結構限られていましたし、いまほどネット販売も普及していませんからけっこう面倒だという印象も持たれていたようです。一方でハイレゾに必要なのはネット環境です。音にこだわらなければパソコンに搭載されているメディアプレーヤーでも再生可能だし、スマホなら再生アプリもありますし、欲しいと思った瞬間にダウンロードすればいいわけですからね。
―― サブスクのストリーミング再生と違って容量の多いハイレゾのダウンロード再生にはちょっとした“所有感”もありますよね。
椿 そうですね。まあ、でも、僕らのパッケージ世代からすると目に見えない分だけ正直あまり所有感はないですよね。僕が言うのも何ですが(笑)。若い世代が音楽を買うことが「音源ファイル」で満足だとするならば、やはり本当に便利な時代になったと言うことです。さらに僕らの世代と違って選択肢も多いわけで、音質をどこまで求めるかは個人の価値観なのでそれは絶対に尊重しないといけません。
―― なるほど。ところで椿さんの音楽原体験は?
椿 子供の頃の話をすると長くなりますよ(笑)。小学3年生から中学1年まで親の転勤で海外生活でした。最初の2年がロンドンで、そのあとの2年は香港。だからロンドン発のいわゆるポップス全英トップ10みたいなランキング番組で当時流行っているものを自然と聴いていましたね。だからだと思うのですが、僕の年代では珍しく子供の頃にビートルズとか全然聴いたことがなくて、家にビートルズのアルバムも一枚もないんですよ。
―― それは意外でした。楽器の演奏とかは……。
椿 ベースを弾いていました。高校に入ったら絶対にバンドをやろう!って思ってて、みんな好きな楽器を我先に手に取るんですけど、みんなギターを弾きたいからギタリストだらけ(笑)。僕も中学3年の時にエレキギターを買ってもらっていたのでそれなりに準備は出来ていたんですけど、ベースならバンドに入れるって事でベースを弾くことに。でも弾き始めてみるとすごく面白くて、すごく奥深くて。ベースラインはバンドの上手い下手を左右するぐらいの位置づけですからね。それが弾くごとにだんだん分かってくるんですよね。人気のあのバンドの演奏が面白くないのはベースとドラムがダメだからだ!って分かったり(笑)。本当に肝。ベースラインに注目できたのは今でも良かったと思っています。
―― 好きなベーシストは。
椿 それはもう死ぬほどいますよ(笑)。日本でいえば、富倉安生とか高水健司とか。とにかく日本のスタジオミュージシャンが大好きでした。大学時代はPARACHUTEのファンクラブに入っていました。松原正樹(ギター)、今剛(ギター)、林立夫(ドラム)、井上鑑(キーボード)、斉藤ノブ(パーカッション)ら’80年当時の日本の一流スタジオミュージシャンばかり。TOTOみたいな感じで巧い人たちが呼応したバンドでした。当時、ライヴも六本木ピットインとかで定期的にやっていたし、それをせっせと足繁く通ったりしていました。この頃は巷では日本のいわゆるJフュージョンがブームだったんですよね。一番アルバムをたくさん聴いた時期かもしれません。
リスナーが気持ちいいって思えたらその商品は音楽作品としては成功だと思っています。
―― CBS・ソニー(現ソニーミュージックグループ)に入社したのは’80年代のど真ん中ですね。
椿 はい。’85年です。そこから7年間はずっと洋楽宣伝にいて、そのうちの2年半は名古屋営業所でした。大好きな音楽が仕事にできればいいなって思ってレコード会社に入ったものの、いざ音楽を仕事にしてみると辛いんですよね。いま振り返ればただの甘えなのですが自分の趣味じゃない音楽を良いよって人に伝えたりすることがすごく辛いなって。そんな時期もあったけどいつの間にか乗り越えていましたね。
―― きっかけはあったんですか?
椿 どうなんでしょうね。当時のソニーミュージック営業が扱わないような、CD-ROMとかゲームソフトとかそういうのを販売するグループ内別会社にいたことや、アーティストものの制作担当になったことなど多くの経験を積ませてもらうことで程よい音楽との距離感を保つこともできるようになったのかもしれません。いまに繋がっているという意味ではSA-CDプロジェクトがやはり大きいと思います。何だかんだ言って8、9年くらいは続いていました。このプロジェクトには社内の他部署から選ばれたスタッフが兼任で参加してたりで、「SA-CDフォーマットの普及啓蒙」という大きな目標が与えられている以外ある意味、自由に何でも実現できた。僕が一番尊敬するのは当時の上司で、日本を代表するジャズ・プロデューサーだった伊藤八十八さん(2014年没)。仕事への取り組み方が凄過ぎて、近くにいて殺気を感じるぐらいの人でした。いつも横にいるだけで、怠けてられないなって気持ちにさせてくれた方。若いという言葉が使えなくなったあの時期だからこそ、伊藤さんの下でたくさん勉強できたのが、今すごく役に立ってると思います。思っていることを具現化するために動く時には何が必要なのか?と。8月31日のハイレゾ配信20タイトルの中にSA-CD時代のDSD録音が7タイトル含まれるわけですが、そのほとんどが伊藤さんのもとで一緒にやらせてもらった企画です。
―― ハイレゾ音楽の聴き方のポイントってあるのですか。
椿 高音質を感じやすいのは生音ですね。太鼓とかブラスとか、電気で加工されてない音と言ったほうがいいでしょうか。パーカッションの音が生々しいことで、より高中正義のエレキギターが鮮やかに聴こえたりする相乗効果のようなことも生まれたりします。そういう意味でいうと、アコースティック楽器が一番効果が出ると思います。ハイレゾって言うとどうしてもCDとの「比較試聴」ということになりがちなのですが、僕はその行為よりも実は感性とか心地良さを大事にしてほしいと思います。リスナー自身が、ああいい音だって思えることが最も重要なわけです。CDよりも良い音とか、そういうのは本来は関係なくて、リスナーが気持ちいいって思えたらその商品は音楽作品としては成功だと思っています。
―― このあとも、ハイレゾ配信は控えているのですか。
椿 DSD録音7タイトルをハイレゾで出すという責務みたいなものを全うした感はあるので、これから先は埋もれた旧音源の中からリマスタリングして、新規にハイレゾの音を作っていくことになると思います。だから、基本に帰って、ニーズを探すところから始めています。世の中が求めているものをハイレゾ音源で配信する。まだ発表できることは何もありませんが、あの一世を風靡したテクノポップグループのハイレゾ配信なども求められていると思います。
インタビュー・文/安川達也
椿洋也(つばき・ひろや)
株式会社ソニー・ミュージックダイレクト
マーケティンググループ 配信マーケティング部 プロデューサー
1985年にCBS・ソニーレコード(現Sony Music)に新卒で入社以来、洋楽宣伝、営業、営業企画、国内制作、SME系販売会社、SA-CDプロジェクト等で多岐に渡る業務を経験。
*プロデューサー椿洋也によるDSDレコーディング7作品の詳細解説も後日アップします。お楽しみに。