証言①
この映像を観終わって最初に思ったことは、“昔はMCでよく「バカバカしい」とか「くだらない」とか言ってたよなあ”ということだった。
自分より先に酔っ払ってしまった人間を見ると自分の酔いが醒めていくのに似て、宮本浩次より少し歳上の僕は彼がステージ上でそういう言葉を吐くと“そうでもないんじゃない?”と訳知り顔になったりしたものだけれど、その僕がエレファントカシマシに強く惹かれていたのは、当時の僕も世の中のいろんなことをバカバカしいとかくだらないと思っていたからなんだろうと思う。
僕は、彼らがデビューするタイミングでメンバー全員にインタビューしたのだが、何を話してもらったか見事に何も憶えていない。渋谷の宇田川通りから少しはずれたところ、当時はまだなかったクラブ・クアトロの先の一画にあった事務所に入っていったところまでは憶えているのだけれど、取材が始まっても彼らはとにかくしゃべらなくて、“参ったなあ”と思ったところで記憶が途切れている。もっとも、“世の中なんてくだらない”と見切っている中心人物がいて、その男が思うようにやればいいんだと思い定めているメンバーがそれを支えているバンドなのだから、ほぼ同世代の、ネクタイを締めた雑誌編集者がわかったような質問を投げかけたところで、実のある話が展開されるはずもない。
ちなみに、デビュー時点の彼らは、ごくごく限られた範囲で話題になっていただけで一般的な認知はほとんどないに等しかったと思うし、レコード会社の人間からプロモーションをされた記憶もない。そういうなかで取材をしたということは僕が相当入れ込んでいたということなんだろうが、その僕も編集部の人間や、当時仕事で話す機会が多かったFM番組の制作者たちとエレファントカシマシについて話すことはまずなかったと思う。編集部の人たちやFM関係者たちの多くを僕が“くだらない”と思っていたからかもしれないが、それにしてもやはりその時点でのエレファントカシマシというバンドは、その他大勢と言っていい存在のひとつでしかなかったというのが客観的な評価だと思う。
だからこそ、憶えてないことが多いエレファントカシマシに関する出来事のなかで、いまでもはっきりとその場の状況を思い出すことができるエピソードがある。
エレファントカシマシがデビューした3カ月後の1988年6月、サザンオールスターズが、2年余りの活動休止期間を経て、久しぶりのシングル「みんなのうた」をリリースした。そのプロモーションということだったのだろうと思うのだが、桑田佳祐と山下達郎の対談番組が7月にFM東京(当時)でオンエアされた。その収録の現場を取材したときの話なのだが、二人の間でこんなやりとりがあった。
山下:ボク、今度のシングル「みんなのうた」って好きなんです。わたし、「悲しい気持ち」がとっても好きなんですよ。ここんとこメロディが私好みなんです。
桑田:そうですか。やっぱり机の一生懸命がんばって作った曲は見破られますね。「ま、いいか」ぐらいのスタンスで作ったほうがいいみたい。
山下:これはわりとさりげなく作った歌なんですか。
桑田:もうさりげない、さりげない。最初は、エレファントカシマシとかザ・ロック・バンドとかああいう感じのアレンジではじめたんですよ。ズガガガガガみたいなね。歌詞もちょっと違ってて、「学校の先公が」とか歌ってたの。
『FM STATION』(ダイヤモンド社)1988年No.16より
わが耳を疑うというのはこのことで、所属レコード会社のプロモーターからも聞くことがなかったバンドの名前を、なんと桑田佳祐が口にしたのだから“えっ!?”と思ったのだけれど、その直後には心の中で思い切りガッツポーズしたその感覚はいまでもはっきりと思い出せる。そのときの気持ちをざっくり言葉にすれば「わかる人にはわかるんだよ」くらいの感じなのだが、もちろんその時点で桑田がエレファントカシマシの音楽をどんなふうに評価していたのかは知る由もない。それにしても、レコード会社も事務所も違う、デビューしたばかりのバンドの名前を彼が知っていたのだから、世の中は決してくだらないことばかりではないということだけは多分間違いないだろう。
そのラジオ収録から数ヶ月後に行われたこの渋谷公会堂公演についても、記憶はじつに乏しい。しかも、この映像から伝わってくる暑苦しいほどの臨場感があまりに圧倒的なので、その乏しい記憶の中のライブはあるいは別の日のものだったのかな? という気に一瞬なるのだけれど、でもその映像が掘り起こしてくれた記憶もあった。ライブを観終わって渋谷公会堂の外に出てきたとき僕のなかにあったのは、同じような感覚を抱えたバンドのエネルギーの高いライブ・パフォーマンスに溜飲を下げたというような感覚ではなく、むしろ“もっと正気でいないとな”というような意識だったことを思い出した。それは、「こうやって慣れてくんだろうな、オレもな。心配だよ」という宮本の言葉に刺激されたのかもしれないし、そもそも当時の自分が何かに塗れていく途中であるように感じていたのかもしれない。いずれにしても、それから約30年の時間を経て、僕は良くも悪くも慣れてしまったし、ある意味ではエレファントカシマシも慣れたんだろうと思う。が、その一方で、今も変わらずまったく慣れていないところがあるのを確認できるのがこの映像の見どころのひとつだろう。
先に引用した記事の最後で、桑田佳祐はこんなふうにも言っている。
「ボクらは歌にしがみついてましたからねえ。けっこう孤独のなかで、歌と抱っこしてたでしょ」
抱き合うようにして音楽と向き合っているのは、孤独のゆえなのか。あるいは、音楽と抱っこしているから孤独になるのか。その因果関係は定かではないけれど、音楽と抱っこしている孤独者同士がその共通の臭いを敏感に嗅ぎ取るということだけは間違いない。
さて、1988年秋、エレファントカシマシは孤独だったのだろうか? そのエキセントリックとも思えた音楽に身を委ねていたファンは孤独だったのか? 約30年という時間がその答えを少し見えやすくしてくれるかもしれない。答えが見えたからといって、何かがどうなるものでもないのだけれど。
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