ディスコという言葉の響きは、それぞれの年代の方々にとって、様々な意味合いを帯びている魔法の言葉みたいなものかもしれない。ディスコ・ミュージック黎明期から全盛時(大まかに1970年代)に青春時代を過ごした世代にとっては特別な何かを伴って響いてくるのはもちろん、ポスト・ディスコ期を経て、現在に至るその後のダンス・ミュージックの中でディスコが連綿と生き続ける各時代を過ごした方々にとっても、(良し悪しは別として)どことなく特殊な響きが伴っている…ディスコという言葉から受ける万国共通なおおまかなイメージみたいなものが確立されてきたというのは、今や明白な事実であろう。驚くべきはディスコ(・ミュージック)という言葉の認知度の高さで、もはやロックやR&B/ソウル・ミュージックといった、音楽の一ジャンルという捉え方をしても、あながち外れていないのかもしれない。恐るべし、ディスコ。
もともとディスコ(ディスコティーク)の発祥は1940 年代、フランスはパリに辿れるもので、持ち寄ったレコードに合わせて踊る一時的かつ享楽的な場所を指していた。“レコードに合わせて踊る享楽的な場”という基本的なディスコティークの概念はそのままに、アメリカはニューヨークに登場したのが60 年代初頭のこと。ロックンロールの誕生(1950 年代~/広い意味でのダンス・ミュージック)から派生した大衆音楽の成熟やレコード文化・メディアの普及による大衆音楽の爆発的な一般層への浸透という時代背景の下、ゲイ・カルチャーや公民権運動とも絡まりながら、ニューヨークのディスコはヒップでトレンディな場所になっていった。
70 年代以降ディスコはさらに隆盛へと向かっていく。日本でも60 年代末から東京で散見されていたが、70 年代に入ると「ムゲン」や「ビブロス」といった時代の先端をいく人気ディスコが出現、バンドの生演奏(メジャー・デビュー前のコン・ファンク・シャンは74~75 年に「ムゲン」のハコ・バンドとして出演していた)を交えたソウル/ファンク系が主流で、多くの文化人・芸能人が集まる場でもあった。60 年代までのロックンロール~ソウルとは明らかに一線を画したダンス・ミュージックに特化したフィリー・ソウルが、その後のすべてのディスコ・ミュージックの源流となり、世界的なディスコ隆盛の兆候がますます膨らんでいく…それが70 年代前半のことだった。(文:KARL 南澤)