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CLUB Tropicana~NON STOP THE ‘80s DISCO POP
80s the COLUMN!!
懐かしいのに、ちょっぴり新鮮。リアル80sポップを胸キュン♡ノンストップ
今から35年前。1983年。この年のオリコン年間アルバムチャートは面白い。1位『フラッシュダンス』サウンドトラック、2位『愛の瞬間』フリオ・イグレシアス、3位『ユートピア』松田聖子。さらに翌年。1984年の年間チャートも興味深い。1位『スリラー』マイケル・ジャクソン、2位『フットルース』サウンドトラック、3位『人気者で行こう』サザンオールスターズ。2年連続の洋楽1,2フィニッシュで、後にも先にもこんな洋高邦低セールスは珍しい。絶頂サザンもスーパーアイドル聖子もかなわなかったんだからスゴイ時代だった。もちろん理由は明確だったりする。このなかで特にセールスの高かった『スリラー』『フラッシュダンス』『フットルース』の共通点は盛況MTVが産んだヒットだったということ。そしてもうひとつ。マイケル・ジャクソン、劇中のジェニファー・ビールス、ケビン・ベーコンになりきってとことん踊れるアルバム、華やかな80sダンス音楽だったということ。
「Let's Hear It For The Boy」Deniece Williams
1984年5月全米1位
1981年8月1日、一日中ミュージックビデオ(以下MV)を流し続ける“MTV”が、アメリカのケーブルテレビで開局。全米ヒットの法則=ラジオ×地道なライヴ活動をたった一日で覆したこのヒット革命は、以降世界共通の絶対的な音楽プロモーション手段となった。イギリスのアーティストたちは映像を通じてユーザーの目に届けさえすれば、楽器を持って大西洋を渡る必要はなくなったのだ。アダム&ジ・アンツら元々ビジュアル表現に長けていたイギリスのミュージシャンはこぞってMV制作に力を注いだ。ヒューマン・リーグ、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ユーリズミックスらがアメリカで大成功を収めた現象は、60年代にイギリスのアーティストが大挙北米大陸に押し寄せたビートルズ、ローリング・ストーンズ以来の“第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン”ともてはやされ、多くのスターがブラウン管から生まれていくことになる。
「Stand And Deliver」 Adam&The Ants
1981年5月全英1位
「Sweet Dreams (Are Made of This)」 Eurythmics
1983年3月全英2位/同9月全米1位
2014年秋、トム・ベイリーがBillboard Live Japan Tourのため来日した。「ホールド・ミー・ナウ」(’83年)「レイ・ユア・ハンズ」(’85年)など世界的ヒットを生んだ英国3人組ポップ・グループ、トンプソン・ツインズの元ヴォーカリストにしてリーダーだ。ルックスの良さからアイドル的人気も博したトム。公演直前の楽屋インタビューで行った80年代の客観的な回想が記憶に新しい。
「まさにポスト・パンクの時代だった。パンク革命がすべてをきれいにさっぱり拭い去っていちからスタートした時代。突然みんなまったく新しいことにトライし始めたんだ。そのひとつがエレクトロニックな音楽テクノロジーの駆使だった。安いシンセサイザーやドラムマシーンが出現し、誰もが人がやらないことに果敢に挑戦するようになった。それともうひとつ。プロモーションが新時代をむかえMTVなどを利用してアーティストがいきなり世界と結びつくようになった。僕らトンプソン・ツインズもビジュアル・エイジということを明確に理解し、実現していたバンドだったと言えるよね。おかげさまで、今日みたいにこのデパート(Billboard Liveがあるミッドタウン東京)で買い物することは、80年代当時はファンに追っかけられて許されなかったけどね(笑)」(トム・ベイリー)
「Hold Me Now」 Thompson Twins
1983年12月全英4位/1984年5月全米3位
元トンプソン・ツインズのトム・ベイリーの言葉を借りるまでもなく“映像を制する者は音楽シーンをも制す”と言われるなか、先見に富んだアーティストたちはMVを“4分間の映画”と位置付けるようになった。2時間の劇場公開映画のハイライトシーンを2~3分の編集映像に落とし込んだ予告編というのは、誰が観ても大抵面白そうに見えるもの。アーティストと楽曲の魅力を伝えるためにMVではそれと同じような効果を出すために映像形成していたのだ。実際にマイケル・ジャクソンは「スリラー」で『ブルース・ブラザーズ』(’81年)『狼男アメリカン』(’82年)のジョン・ランディス監督を迎え、約14分のショートフイルムを完成させた。制作費は当時のMVの平均制作費の10倍の約1億2000万円。史上最高のダンス・パファーマンスと視聴者の度肝を抜く映像の力でマイケルは追随を許さない80s最大にして最高のエンターテイナーへと躍進した。そんなビジュアル重視が追い風の80年代前半、ハリウッドは、面白いことにそんなMV効果を逆転発想した。つまり、4分間の音楽宣伝映像MVを、2時間にバージョンアップさせたのだ。もちろんそのことを声高に公言したわけではないが、スクリーンに映し出される作品は正直で、顕著だった。そんななかで誕生したのが空前のサントラブーム牽引作『フラッシュダンス』(’83年)『フットルース』(’84年)だった。この2作の主人公はダンサーだった。前者は日々プロダンサーになることを夢見る女性。後者はダンスもロックも禁止田舎町に大都会から引っ越し越してきた高校生。ふたりは踊った! とにかく踊った! ジェニファー・ビールスは吹き替えだったけれど、とにかく踊った。90年代に入ってすぐ♪Everybody Dance Now!の大号令が発せられたが、80sリアルタイマーが最初に“想い出のステップ“を踏んだのはこの頃だ。
「Club Tropicana」 Wham!
1983年8月全英4位
「Uptown Girl」 Billy Joel
1983年11月全米3位/同全英1位
80年代半ば。ダンス、シンセサイザー、ビジュアルが三位一体となった華やかなポップ・ミュージックがメインストリームの主役になろうとしている頃、イギリスからひとつのエポック・メインキングなチューンが鳴り響いた。デッド・オア・アライヴの「ユー・スピン・ミー・ラウンド」だ。ヴォーカルのピート・バーンズはボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)を彷彿とさせる両性具有的な魅力をブラウン管から振りまき世界各国でブレイク。日本でも洋楽誌の表紙を飾るなど、ビジュアル新時代のまさに真打ちとなった。「ユー・スピン・ミー・ラウンド」は、イギリスのPWLレコード発プロデュース集団、ストック/エイトキン/ウォーターマン(SAW)が手がけた初の世界的ヒットとしても有名。SAWに代表されるヨーロッパ発ハイエナジーを昇華させた16ビート・ダンス・ポップは“ユーロビート”と名前を変え、以降のダンスフロア、さらに世界各国のヒットチャートを席巻することになる。そんなSAWの秘蔵っ子として登場したのが “黒い声を持つ21歳の童顔”リック・アストリーだった。いきなり全英全米チャートを制覇した「ギヴ・ユー・アップ」に次ぐ「トゥゲザー・フォーエヴァー」も連続大ヒット。ちょっと幅広の80sスラックスも懐かしい。16ビートに合わせでガニ股ステップを刻めるあなたは80sリアルタイマーかな。
「You Spin Me Round(Like A Record)」Dead Or Alive
1985年3月全英1位/同8月全米11位
「Together Forever」Rick Astley
1988年3月全英2位/同6月全米1位
さて。今年2018年は、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』日本上陸40周年をきっかけに盛り上がるディスコ・リバイバル・ムーヴメント。手元にある企画盤『クラブ・トロピカーナ~ノンストップ・ザ・80sディスコ・ポップ』では、ダンクラ~サーファー・ディスコなどブラック・ミュージック中心の従来のコンピレーションでは埋もれがちだった80sポップなダンス・ナンバー、とりわけニュー・ロマンティック/ファンカラティーナ/ユーロビートなど第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンにフォーカスした選曲が満載! もちろん、デッド・オア・アライヴ「ユー・スピン・ミー・ラウンド」、リック・アストリー「トゥゲザー・フォーエヴァー」、ダリル・ホール&ジョン・オーツ「マンイーター」などの80sクラシックな超人気曲もズラリ。世代を超えた誰でも気軽に楽しめる80sディスコ入門盤としてもクロス・マイ・ハート! 曲の前後が心地よくつながっている約80分ノンストップ・ミックス仕立てなので、真夏のドライヴや通勤にもぴったり。
ようこそ、クラブ・トロピカーナへ♪
文/安川達也(otonano編集部)