──このたびアナログレコードの生産工程を、すべてソニーミュージックグループ内にて一貫で行うことが約29年ぶりに可能となりました。そのアナログレコード自社生産復活第1弾として、ビリー・ジョエルの『ニューヨーク52番街』が3月21日にリリースされましたが、まずこの作品が選ばれた経緯から教えてください。
佐々木:まずその自社生産復活が決定した際に、洋楽と邦楽の揃い踏みでリリースしたいということになりまして、ではどんな作品がふさわしいんだろうと考えたところ、『ニューヨーク52番街』になりました。ソニーミュージックが世界で初めて生産したCDが『ニューヨーク52番街』であること、また製造工場が同じDADJというのが決め手でした。DADJの入り口にはCDの記念碑が建てられていて、そこに『ニューヨーク52番街』が飾られているんです。まさにメモリアルな作品ということで決定しました。加えて、『ニューヨーク52番街』が今年リリース40周年、ビリーの初来日から40周年を迎えるということも理由のひとつとしてありました。
──ほかにも候補作は挙がっていたんですか?
佐々木:意外というか、当然というか、『ニューヨーク52番街』しか挙がらなかったんです。誰も異論がありませんでした。
──そうして『ニューヨーク52番街』に決まって、カッティングエンジニアである堀内さんのところに話が持ち込まれたわけですね。
堀内:はい。ああ、やっぱりそうなんだと最初に思いました(笑)。これしかないだろうなという予感があったので。
──カッティング作業に取り掛かる際に、最初に行ったこととは何でしょう?
堀内:当時のマスターテープを96kHz/24bitのハイレゾデータに変換したマスター音源が送られてきましたので、まずそれをスタッフ全員で聴いて確認しました。そこから、どういう方向性の音にしていくかを考えていくことになるんですが、参考までにアメリカで当時生産されたレコードのオリジナル盤も聴いたんです。アナログレコード熟成期の作品なので「やっぱりレコードいいよね」と全員が一致して、このマスターを使って当時のレコードの良さを受け継ぎながら、どういう音作りにしていこうかと話し合いが始まりました。
──オリジナル盤以外のレコードも聴きましたか?
佐々木:はい、USのオリジナル盤、初回発売時の日本盤、日本のマスターサウンド盤、モービル・フィデリティ盤、80年代にリリースされたハーフ・スピード・マスタリング盤を聴き比べました。
堀内:どの盤もいいところがあったんですが、総合的に良かったのがUSのオリジナル盤。音楽的なパワーがすんなりと入ってくるところがポイントでした。ハーフ・スピード・マスタリング盤は(生産された当時の)80年代っぽい音がしたのは意外でした。やはり時代を意識したんでしょうか。
──では、USのオリジナル盤を再現しようとしたのでしょうか?
堀内:理想とする音が見つかったわけですが、ただそれと同じものを作ってもしょうがないという話になって。“名盤”と言われるものですので、世の中には各国でプレスされた盤、独自に音質を追求した盤など、様々な盤があるわけで、比較して聴かれることが多いと思うんです。ですので、当時の盤にも劣らない、今できる良い音を目指しました。これまで聴いてきた方、今回のレコードで初めてビリー・ジョエルの音楽に触れる方双方に受け入れられる音を理想に進めていったんです。
──その理想とする音を言葉にしてみると?
堀内:音楽的に説得力のある音です。そこにこだわりました。そのオリジナル盤の良さを引き継ぎつつも、少し音場が狭い感じがしたので、レンジ感を出すようにしたんです。今っぽいと言うと軽い語感になってしまいますが、現在の音楽と並べても違和感のないような音に仕上げていきました。レコーディング時はきっとこういう音の空気感だったんだろうという想像をもとにした、フレッシュな音になったと思います。聴いた際の臨場感だったり、楽器がそこで鳴っている実在感を引き出そうとしました。
──では、音のイメージが固まってからは、スムーズに進んだのでしょうか?
堀内:ものすごく大変でした(笑)。相当カッティングをやり直しました。いちど仕上がったラッカー盤でテストプレスしたものを聴いてみて、ちょっと違うな、こうなるんだったらこうしてみようと再度カッティングしてという、行ったり来たりで。目指していたフレッシュな音がレコード盤にすると失われてしまって、そのロスをいかに補うかというのが課題だったんです。あとはコンプレッションを弱めて、ナチュラルな音も試してみましたが、そうすると説得力が弱くなってしまって。そうした試行錯誤を1か月以上繰り返していました。結果的に、細かいものを含めればラッカー盤は50枚以上作りました。自社生産復活の第1弾ですので妥協はできなかったですし、ぼくらもここまでできるんだというところを見せたかったんです。
──50枚以上!! 一番苦労した曲はどれだったんですか?
堀内:やはりA面1曲目の「ビッグ・ショット」です。最初に聴かれる曲ですので、こだわり抜きました。出だしが肝心ですので。コンプを緩めたナチュラルな方向性も試してみましたが、やはりインパクトに欠けてしまったので、自然な鳴りで力強さもあるポイントを探しながら調整していったんです。そのポイントを見つけることができたら、今まで聴いてこられた方もこれから聴いてみる方も満足してもらえるだろうと考えました。
──ラッカー盤を聴かせてもらいましたが、おっしゃるように「ビッグ・ショット」のパワーのある出だし、音のみずみずしさがすごく感じられました。
堀内:そのお聴きいただいたラッカー盤が完成形となったわけですが、そこからプレス工場であるDADJとのやりとりが始まりました。テストプレスができて聴いてみると思っていた音とは違う。そこでまたさかのぼって調整してカッティング、再びプレスという工程を何度か繰り返しました。工場の方でもある程度のコントロールはできるんですが、良い方向に行かなかったんです。フレッシュさが足りなかったり、音の輪郭がぼやけたり。こうなることを想定はしていたんですが、思っていたよりも大変でしたね。
──工場のプレスマシーンによってそれぞれ音が違ってくると思いますが、今回導入したマシーンはどんな特徴が感じられましたか?
堀内:そうなんです。工場それぞれの特性があるんです。DADJのプレスはナチュラルな感じがしました。ひずみも少なくて。きれいな音だと思います。これからお互いに制作する枚数が増えていって、コミュニケーションもより交わしていくことで今よりもより良くなっていくはずです。
──試行錯誤の繰り返しを経て、テストプレスの最終盤まで行き着いたと思いますが、最終盤を試聴した際の反応はいかがでしたか?
佐々木:カッティングをやり直す度に聴き返していたので正解がわからなくなった時もあったんですが、最終的にふくよかな臨場感がすごく出ていたんで、これで行けると思いました。でも、最終盤の後にまだ行けるかもしれないと欲を出して再度やり直したんです。当然良くなるだろうと思っていたんですが、これがうまくいかなくて。少しナチュラルにしてみたんですが裏目に出てしまったんです。音の収まりは良かったんですが、パンチに欠けた。ということで、ひとつ前のテストプレスを最終盤として採用しようということになったんです。締め切りがなかったら理想の音を求めて、延々と繰り返していたでしょうね。まさに“沼”にはまっていた状態でした(笑)。ミュージシャンの方々がずっとレコーディングを続けようとするのが少しだけ理解できたような気がします。
──今後もまず指標となる音を見つけて、そこから今の音として通用する音作りを考えてレコードを送り出していくんでしょうか。
堀内:はい、そう考えています。今回、ビリー・ジョエルでやれるところまでやったので、その経験を活かしていければと思います。作品ごとに個性が違うので難しいことに変わりはないでしょうけど、それがカッティングのおもしろみでもあるので今後も楽しみですね。名盤を再発するからには新しい魅力や解釈を加えていきたい。ぼくらも最初はハイレゾの音をアナログレコードで再現しようとしたんですが、そうじゃないんですよね。作品ごとの特性をうまくつかんで、アナログレコードならではの気持ち良い音に仕上げていくのが最も重要な点なんです。ハイレゾともCDとも違った、アナログレコードならではの音を楽しんでもらいたいですね。これからソニーミュージックグループが送り出す、一貫生産のアナログレコードにご期待ください!
(INTERVIEW & TEXT:油納将志)
自分自身もレコード世代だったのに、<ソニーが29年ぶりにアナログ盤を完全自社生産>というニュースを聞いてもピンとは来なかった。しかし今回、ビリーの『ニューヨーク52番街』が手元に届くと、もう一気に魂が持って行かれるのを感じた。大きなジャケット写真、帯のコビー、手に触れる質感など、すべてが心の琴線に触れるようで、あの時代の匂いまで一瞬にして思い出してしまった。今、スマホで簡単に綺麗な写真が誰にでも撮れる時代になった。 しかし、トイカメラやフィルムカメラも若い人を中心に密かなブームになりつつあると言う。手軽なのが一周して、手の掛かるのが楽しいと言う事が認知されて来たのかも知れない。____阿久津知宏(ビリー・ジョエル 公認ステージ・カメラマン)
『ニューヨーク52番街』が新たなアナログで鳴りだした時、心は1978年の空気感でいっぱいになった。音色がすごくこなれていて暖か味があり、音圧をCDの様にやたらに高くしないよう配慮されたバランスの良い音がする。お帰りなさい、アナログ!____岩田由記夫(音楽/オーディオ・ライター)
音がギュッと詰まっていて、エネルギー感がありますね。ドラムが気持ち良く鳴っているのも特長。CDの方がはっきり聴こえる場合もあるけれど、個人的にはこの音がしっくりくるかな。____奥田民生
ハイファイだけど音が尖っているわけではなく、弾力性があるアナログサウンド。無理にEQやディメンジョンで厚化粧しておらず、バランスよく自然に音が上から下まで伸びていて、奥行きもある。これはアナログ盤を満喫できるいいリイシューですね。楽しくリスニングできました。____田島貴男(ORIGINAL LOVE)
アナログ盤というのはクラシック・カーと似たところがあるかも知れない。名車がずっと愛されるように名盤も永遠。丸40年の時間が魔法のように巻き戻され、若き日のビリーの才能と魅力を再確認できた。___立川直樹(プロデューサー/ディレクター)
「”アルバム”って覚えてる?」と、生前のプリンスは言いました。今回丁寧に完全復刻されたアナログ盤を手にして、タイトル、ジャケット、邦題も含めて例えばこの『ニューヨーク52番街』のような作品こそが、真の意味での「アルバム」だと再認識出来ました。ふくよかな音像で、これからが楽しみです。____西寺郷太(NONA REEVES)
『ニューヨーク52番街』B面4曲目「夜のしじま」のイントロの低音ピアノとか。シビれる。荘厳さと奥深さが共存する響きは、もうアナログ盤ならでは。A面ラスト「ザンジバル」のトランペット・ソロもアナログで聞いてこそなんぼのジャジーな音色だ。そもそも、この“A面ラスト”って黄金の位置取り。CDが失ってしまった大切なものが帰ってきた感じで…。まじ、うれしいっ!____萩原健太(音楽評論家)
レコードの方が聴きやすいですよね。耳ざわりが良い音というか。高域が伸びすぎていない分、音量を上げても耳に刺さる感じがしなくて、疲れないで聴けるし、歌の表情もはっきりとわかる。____山内総一郎(フジファブリック)