完全生産限定盤SACDマルチ・ハイブリッド盤(7インチ紙ジャケット仕様)
祝リリース40周年。数々の思い出アイテムを初復刻した、BILLY JOELファン垂涎の永久保存盤!
ビリー・ジョエルニューヨーク52番街
40周年記念デラックス・エディション
- SIJP10123-10124 / 特別価格¥4,500+税
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Sony Music Shop
- 2018年10月17日発売
- <商品仕様>
- ◆SACDマルチ・ハイブリッドCD仕様 ※SACDとCDの2層構造ディスク(SACDプレーヤーでも、既存のCDプレーヤーでも、どちらでも再生可能)
- SACD層
- 2001年DSDマスタリング(オリジナル・アナログマスターより)による5.1chサラウンド音声と2chステレオ音声を収録
- Remastered for SACD by テッド・ジェンセン/5.1ch Surround Mix Produced by フィル・ラモーン
- CD層
- 2011年デジタル・リマスター(オリジナル・アナログマスターより)
- Remastered by テッド・ジェンセン:現存する最新リマスター音源(国内盤未発売の『The Complete Albums Collection』BOXより)を採用
- ◆18cm×18cm(アナログ・シングル・サイズ)の7インチ紙ジャケット仕様
- ◆オリジナルLP(国内盤)初版帯復刻 ◆オリジナルLP(US初版)内袋復刻
- ◆アナログLP盤風レーベル面CD
- <封入特典>懐かしい思い出のアイテムの数々を40年振りに初復刻!
- ◆『ニューヨーク52番街TOUR』 1979年日本公演ツアー・パンフレット(カラー36P:リサイズ)
- ◆ニューヨークの地図が印刷された小窓付きのツアー・パンフレット・ケース(リサイズ)
- ◆当時ツアー・パンフレットに封入されていた4つ折りポスター(リサイズ)
- ◆『ニューヨーク52番街TOUR』 1979年5月21日(月)武道館公演チケット(実寸大)
- ◆『ニューヨーク52番街』からカットされた日本盤アナログ・シングル・ジャケット5種(実寸大)
- ◆『ニューヨーク52番街』オリジナルLP(国内盤)帯4種(初版を除く第2刷以降)
- ◆1978年発売のオリジナルLPと1990年の再発CD、更に2018年の自社一貫生産復活アナログ盤に掲載された全ライナーノーツに加え、1978年当時の日本の担当ディレクターによる最新ライナー・ノーツ、歌詞・対訳を掲載した40Pブックレット
<アルバム『ニューヨーク52番街』とは>
1978年秋に発表された、ビリー・ジョエル通算6枚目のスタジオ・アルバム。ビリーにとって初の全米週間アルバム・チャート1位(1978年11月18日付~1979年1月27付に8週不連続1位/1979年度全米年間アルバム・チャート1位)獲得作品となり、USだけで700万枚以上のセールスを記録している。第22回(1979年度)グラミー賞では最優秀アルバム、最優秀男性ポップ・ヴォーカルの2部門を受賞。「オネスティ」(全米24位)、「マイ・ライフ」(全米3位)、「ビッグ・ショット」(全米14位)などの大ヒット曲を収録した、ビリーの代表作の一つにして歴史的名盤。1982年には世界初の商業用CDとして生産された、音楽産業史上の記念碑的な作品でもある。プロデュース:フィル・ラモーン。
- <収録曲>
- 01. BIG SHOT|ビッグ・ショット
- 02. HONESTY|オネスティ
- 03. MY LIFE|マイ・ライフ
- 04. ZANZIBAR|ザンジバル
- 05. STILETTO|恋の切れ味(スティレット)
- 06. ROSALINDA’S EYES|ロザリンダの瞳
- 07. HALF A MILE AWAY|自由への半マイル
- 08. UNTIL THE NIGHT|アンティル・ザ・ナイト
- 09. 52nd Street|ニューヨーク52番街
7インチ紙ジャケット仕様のSACDマルチ・ハイブリッド盤[日本独自企画盤]
今年の7月18日に、NYのマジソン・スクエア・ガーデン(以下MSG)にて通算100回公演を達成したビリー・ジョエル。レジデンシャル・ショーとしてのMSG公演開始(2014年1月27日)からは4年と半年、自身初のMSG公演(1978年12月14日)からはちょうど40周年目での前人未到の記録樹立となった。先月8月23日には101回目のMSG公演も開催(この日はブライアン・アダムスがサプライズ・ゲストで登場)し、自らの記録を更新し続けるビリー・ジョエル。彼の代表作にして名盤中の名盤『ニューヨーク52番街』のリリース40周年を記念した、日本独自企画となるデラックス盤が10月17日に発売される。
『ニューヨーク52番街』は、1978年10月に発表されたビリー・ジョエル通算6枚目のスタジオ・アルバムで、今年は記念すべきリリース40周年にあたる。「オネスティ」「マイ・ライフ」「ビッグ・ショット」などの代表曲を収録した同作はビリーにとって初の全米週間アルバム・チャート1位(1979年度全米年間アルバム・チャートも1位)獲得作品となり本国アメリカだけで700万枚以上のセールスを記録している。第22回(1979年度)グラミー賞にて、最優秀アルバムと最優秀男性ポップ・ヴォーカルの2部門を受賞している歴史的名盤だ。1982年には世界初の商業用CDとして生産された、音楽産業史上の記念碑的な作品でもある。なお、日本のファンにとっては、今年2018年はビリーの初来日(1978年の『ストレンジャー』ツアー)から40周年というメモリアルな年でもある。
このたび発売が決定した『ニューヨーク52番街 40周年記念デラックス・エディション』は、SACDマルチ・ハイブリッド盤となっており、SACD層には、オリジナル・アナログマスターからのDSDマスタリングによる5.1chサラウンド音声と2chステレオ音声を収録。CD層には、同じくオリジナル・アナログマスターからテッド・ジェンセンが2011年にリマスタリングを行った、現存する最新リマスター音源(国内盤未発売)を採用している。また、パッケージは7インチ紙ジャケットに数々のメモラビリアを復刻した封入特典満載の豪華仕様で、1978 年~1979 年当時の記憶を思い出させてくれる様な充実の内容。1979年5月21日(月)の『ニューヨーク52番街』ツアーでの武道館初公演チケットや、同公演のツアー・パンフレットも40年振りに復刻。また、日本で『ニューヨーク52番街』からカットされたアナログ(ドーナツ)盤シングルのジャケットも、当時掲載されたタイアップ表記やロゴなどもそのままに全て復刻されている。
1978年当時の国内担当ディレクター=小野志朗が語る、『ニューヨーク52番街』とビリー・ジョエル秘話
■邦題『ニューヨーク52番街』
1970年代の日本は、音楽もファッションもウエストコーストが大人気で、東海岸のニューヨークは、まだ憧れの遠い存在だった。だから、ビリー・ジョエルというアーティストをより大勢の方に知ってもらうためには、なんとかニューヨークをブームにしなくてはいけないと考えて、ひとり「ニューヨーク、ニューヨーク」と言い続けた。その流れで、アルバムの邦題にも“ニューヨーク”を入れたいという思いがまずあった。
原題の『52nd Street』は、プロデューサーのフィル・ラモーンが所有するA&Rスタジオのあった場所が52ndストリートだったので、そこにちなんだものだ。この通りにはCBS・レコードの本社ビルがあったのと、かつてバードランドをはじめとする人気ジャズ・クラブがここに集まっていて、50年代にはチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン、マイルス・デイヴィスらが連日この界隈で演奏していた。今も道路標識にSwing St.とある。そんな歴史と、レコーディングにフレディ・ハバードやマイク・メイニエリといったジャズ・ミュージシャンが参加しているのも意識したかもしれない。
その邦題をつける時に、一般的に知られているStreetを“丁目”と訳すと、東西に長くつながる道なのに、狭い印象になってしまうのではないか。そう考えて、52丁目ではなく、52番街とすることにした。それを誤訳と指摘されることがあったけれど、辞書にstreet = 番街とあったし、ジェリー・ラファティーの「Baker Street」も邦題は、「霧のベーカー街」だった。翻訳の定義が曖昧なだけで、間違いではないと確かめたところで、最終的に『ニューヨーク52番街』という邦題に決めた。
■アルバム・ジャケット
ジャケットは、A&Rスタジオがあるビルの外で撮影された。日本で発売された直後の1978年12月にニューヨークに行った時に、僕も同じ場所で写真を撮ったけれど、エレベーターに銃弾の跡があったりした。これは、関係者に確かめたわけではないので、おそらくというレベルだけれど、撮影はポラロイド(インスタントカメラ)で行っているはずだ。
ビリーが手に持っているのは、レコーディングに参加したフレディ・ハバードのトランペット。この写真で学んだというか、気になって調べたのが白いスニーカーで、スウェーデン発のブランド、トレトンのものだった。テニス王者だったビョルン・ボルグが愛用し、彼のライバルだったジョン・マッケンローの妻で、女優のテータム・オニールが履いている写真を映画雑誌で見つけた。さらにテニスが趣味だったソニーの盛田昭夫会長が履いているのも社内報の写真で知った。
俄然ミーハー心に火がつき、発足したばかりのファンクラブに探してみてよとお願いしたところ、アメ横で見つけてきてくれた。当時の価格で8,800円と高額だったし、サイズも少し大きめだったけれど、それでも喜んで履いていた。
着ているジャケットもどこのものか気になったけれど、最後までブランドはわからなかった。 (Interview & Text : 服部のり子) 『ニューヨーク52番街 40周年記念デラックス・エディション』ブックレットより抜粋
BILLY JOEL(ビリー・ジョエル)
アメリカのNY州サウス・ブロンクス出身のシンガー・ソングライター(1949年5月9日日生まれ)。ポップなメロディと都会的なコンテンポラリー・サウンドに加え、高い芸術性を持ちつつ、現代に生きる“普通の人々”の挫折、葛藤、希望などをリアルな筆致で切り取った歌詞が特徴的で、1970年代後半から1990年代前半にかけてヒットを連発した。全世界で1億枚以上のレコード・セールスを記録し、アメリカでのレコード総売上第6位のアーティストとなっている。代表曲に、「ピアノ・マン」「素顔のままで」「ストレンジャー」「オネスティ」「アップタウン・ガール」などがある。日本人の感性にマッチした親しみやすく哀切を帯びたメロディに、英語が分からなくても、全ての “普通の人々”がそれぞれに情景を思い浮かべて自身の思い出を重ねることが出来る様な、<人生のサウンドトラック>たりうる普遍性を持っており、ビリーの作品はここ日本でも時代を超えて生き続けている。2014年1月から、ニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンにてレジデンシャル・ショー(毎月の定期公演)を開催。この会場では2015年1月に13回連続のチケット売り切れ新記録を作り、同年7月1日で計65回目のショーを行なったことでエルトン・ジョンを抜いて単独アーティストによる最多回数記録を樹立している。このレジデンシャル・ショーは2018年も継続中。