『赤い風船』
(オリジナル発売日 1973.5.21)
LP : ECLJ-1 / CA : EKLC-1 / CT : EZLF-1 / CD : SRCL 1867 (1991.6.15)
フレッシュで可愛くて ちょっぴりいたずらな ミヨちゃんの ファースト・アルバム
“現代の童謡”をコンセプトにした、浅田美代子のデビュー曲「赤い風船」。オリコンでは発売2週目で2位に躍り出て、その翌週には1位をマーク。5週連続で首位に立つという大ヒットを異例の早さで達成した。
品切れとなるレコード店も続出し、CBS・ソニーでは発売1ヶ月足らずで60万枚をプレスしたほど。これは創立5周年の同社にとっても新記録で、美代子は天地真理、よしだたくろう(吉田拓郎)に続く、国内制作部門3人目のオリコン1位獲得アーティストとなった。
この爆発的人気を受け、シングル発売からわずか1ヶ月というスピードでリリースされたのが本作である。
オリコンアルバムチャートでは最高6位をマーク。美代子のアルバムでは突出したセールスを記録し、91年には「CD選書」としてCD化されている。
アナログ盤でA面に相当する冒頭6曲は、シングル「赤い風船/いつかどこかで」を含むオリジナルと邦楽カバーで、B面は60年代洋楽ポップスのカバー。当時のアイドル歌手のアルバムでは定番だった構成となっている。
A面は「時間ですよ」の音楽担当・山下毅雄による「いつかどこかで」を除いて筒美京平作品でまとめられており、本人のキャラクターと現代の童謡のイメージを生かした、ほのぼのとした世界が広がっている。
安井かずみ作詞の「愛のキューピッド」は、同時期に小川みきもレコーディングした作品。ちなみに小川は翌年の「寺内貫太郎一家」に美代子の友人役で出演し、「時間ですよ・昭和元年」でも共演している。
「愛の花咲かせるために」は「時間ですよ」で演出を担当した久世光彦が小谷夏のペンネームで作詞。彼はこれまでにも、自身のドラマにキャスティングした堺正章の「涙から明日へ」や天地真理の「ひとりじゃないの」などを大ヒットさせ、作詞家としても活躍していた。
「恋はそよ風」「夢でいいから」の2曲は、美代子が“目標とする歌手”に挙げていたいしだあゆみのリメイク。ちなみに「夢でいいから」は“筒美系”と呼ばれる女性歌手がこぞってカバーする名曲として知られ、デビュー曲としてシングルリリースした中島まゆこをはじめ、可愛和美、伊東ゆかり、南沙織、麻丘めぐみ、小林麻美、浅野ゆう子らに歌い継がれている。
一方、B面のオールディーズは「ネイビー・ブルー」がダイアン・リネイ、「悲しき天使」がメリー・ホプキン、「レモンのキッス」がナンシー・シナトラ、「そよ風にのって」がマージョリー・ノエル、「花のささやき」はウィルマ・ゴイク、「夢みるシャンソン人形」はフランス・ギャルがそれぞれ歌って世界中でヒットしたもの。日本では伊東ゆかり、森山良子、森山加代子、ザ・ピーナッツ、弘田三枝子らが歌い、日本語によるカバーポップスとしてもよく知られたナンバーばかりであるが、美代子は声量豊かな彼女たちとは違った新しい魅力を創り上げている。
当時主流のアメリカンポップスよりも、イギリスやフランス、イタリアとヨーロッパ中心の選曲になっている点も“第二の天地真理”らしいセレクトといえよう。
歌に関しては、長年にわたり不名誉なレッテルを貼られ続けた美代子だが、生放送や公開収録が多かった当時の歌番組で、緊張の余り音程を外してしまったり、出だしを間違えたりしたことは事実である。特に初期は切り替わるカメラに追いつけず目を泳がせたことも、プロの歌手らしからぬ印象を増幅させていた。
ユーミンこと荒井由実が自虐的な意味合いを込めて自らを“フォーク界の浅田美代子”と称したことでも分かるように、下手の代名詞とされることも多かったが、本作を聴けば、実際は安定した歌唱と豊かな歌心を持つシンガーだったことが確認できるはずだ。
なお、本作はシングル「赤い風船」と同じく、CBS・ソニー5周年記念特別盤としてリリースされている。これは所属アーティストによるオールスターパレードの招待券が当たるという周年企画で、レコードには応募券が付いていた。ちなみにイベントはCBS・ソニーの営業所があった全国7ヶ所を縦断するスタイルで行われ、もちろん美代子も参加している。
『美代子のおくりもの ひとりっ子甘えっ子/ 赤い風船』
(オリジナル発売日 1973.9.1)
LP : ECLJ-2 / CA : EKLD-1 (1973.9.10) / CT : EZLF-2
新しいヤングのアイドル 浅田美代子の 魅力の総て!!
「赤い風船」の爆発的ヒットで、またたく間にトップアイドルの座に就いた浅田美代子。「時間ですよ」収録の合間には、歌手としてテレビやラジオに出演。さらには芸能誌をはじめ男性週刊誌や学習誌も含む雑誌や、新聞の取材など、分刻みのスケジュールが待っており、生放送の歌番組にはドラマのリハーサルを抜け出して出演していたという。
また、73年6月末に公開された松竹映画「ときめき」(市村泰一監督)にも出演。プライベートでも仲が良かったという主演女優・栗田ひろみの同級生で、歌手という設定の“浅田美代子”役でスクリーンデビューを飾っている。
そして7月には早くも第2弾シングル「ひとりっ子 甘えっ子/風とふたりで」をリリース。
デビュー曲の路線を踏襲した詞世界は、芸能界での育て親、久世光彦が小谷夏名義で手がけたもの。実際には弟を持つ二人姉弟の美代子だが、“甘えん坊のひとりっ子”というイメージはぴったりとはまった。作曲と編曲は引き続き筒美京平が担当。サウンドやハーモニーなど微に入り細に入り練られた構成の甲斐あって、大ヒット曲の次作というプレッシャーをものともせずオリコン10位をマークする連続ヒットを達成した。
東京・豊島園では、この新曲の発表会とファンクラブ結成を兼ねたイベント「ミヨちゃんとファン10万人の大集会」を開催。大勢のファンが詰めかけたほか、月刊「明星」の人気投票ではいきなり女性部門3位にランクインするなど、夏休みの間も新しいヤングのアイドル・浅田美代子の人気は高まるばかりだった。
そんな中、前作からわずか3ヶ月余りというシングル並みのハイペースでリリースされた企画盤が本作である。
“現代の童謡”をコンセプトにしたシングル曲で大成功を収めた美代子だが、ここでは童謡そのものへと回帰。おなじみの童謡や叙情歌、愛唱歌を中心に、日本人の心のふるさとと呼べる世界を繰り広げている。
アナログ盤A面は、当時の最新曲「ひとりっ子 甘えっ子」で始まり、前作に続いて再収録された「赤い風船」で終わるという流れで、この2曲の間にメドレー形式の童謡6曲をはさむという構成となっている。
「赤とんぼ」「故郷」「通りゃんせ」「叱られて」「仲よし小道」「夕やけこやけ」という選曲は、美代子のシングル曲で描かれた夕暮れ時の風景をはじめ、しみじみとした郷愁を誘う作品ばかりが効果的にチョイスされており、オリジナル曲のルーツを掘り下げているようで味わい深い。ミヨちゃんが“みよちゃん”を歌う「仲よし小道」も心憎い仕掛けである。
あどけなさの残る美代子のファルセットは、児童合唱団の歌声とも相性抜群。叙情的なフォークタッチのアレンジも相まって、よりノスタルジーをかき立てるメドレーとなっている。
一方、B面はオリジナルのシングルB面曲「風とふたりで」以外は、邦楽ヒットのカバーで構成。
といっても当時最新の流行歌ではなく、その4年前、69年に大ヒットしたナンバーばかり。トワ・エ・モワの「或る日突然」、フォー・セインツの「小さな日記」、中山千夏の「あなたの心に」、黛ジュンの「雲にのりたい」、はしだのりひことシューベルツの「風」と、ギターの弾き語りが似合うカレッジフォークの雰囲気で統一されている。
A面同様、気軽に口ずさめる愛唱歌を意識した選曲は、美代子の路線である“現代の童謡”の流れにもぴったりフィット。いずれも21世紀まで歌い継がれている名曲ばかりだが、語るように丁寧に歌われた美代子のバージョンには、オリジナルとは違った独特の味わいがある。
今ならさしずめ癒し系とでもいうべき美代子の歌の魅力は、カバーの方がはっきりと実感できる。まさに、歌の上手さとは技巧や声量だけではないことを証明するかのような仕上がりであり、そういう意味でも本作は原点回帰のコンセプト通り、彼女の歌の本質に迫った好企画といえるだろう。オリコン最高16位。
『浅田美代子オリジナル・ ファースト・アルバム わたしの宵待草』
(オリジナル発売日 1973.12.21)
LP : ECLL-2 / CD : DYCL 53 (2016.9.26)
ファン待望!! 美代子自身の 作詩を含む オリジナル 全12曲で綴る 浅田美代子の世界!!
1973年10月には、作曲に都倉俊一を起用した第3弾シングル「わたしの宵待草/恋のシンデレラ」を発売。オリコンでは最高11位と惜しくもトップ10入りを逃したが、連続ヒットは継続。
また、NHKに出演するためのオーディションにも4回目の挑戦でようやく合格を果たし、生歌を披露するシーンでも堂々と歌えるようになっていった。
そして東京12チャンネル(現テレビ東京)では、自身の名を冠した公開バラエティー番組「ひーふー美代ちゃん」がスタート。“第二の天地真理”とはいえ、ドラマデビューから8ヶ月足らずの新人が火曜19時というゴールデンタイムで自身の番組を持つのは、当時としても異例の出来事であり、美代子の人気がいかに凄まじかったかを物語っている。
さらに、頭にリンスのボトルを載せるCMが注目を集めた花王石鹸「カオーフェザー・クリームタイプ」をはじめ、興和「ウナコーワ」「コルゲントローチ」、キリンビール「チェスタ」などのCMキャラクターにも次々に起用され、“ミヨちゃん”人気は全国津々浦々へと浸透していったのである。
年末にかけての賞レースでは日本歌謡大賞などで新人賞に輝いたほか、「時間ですよ」のお膝元であるTBSの日本レコード大賞でも受賞を果たし、11月の部門賞発表の際は堺正章と悠木千帆の応援を受けて涙ながらに歌った。
加えて、日本雑誌協会によるゴールデンアロー賞では新人賞(放送)、日本映画テレビプロデューサー協会が選定するエランドール賞でも新人賞に輝くなど、カラーテレビから生まれた新人アイドルとして最高の栄誉が与えられている。
このように新人離れした活躍を遂げた美代子だが、12月にはぐっと現代色を強めた第4弾シングル「恋は真珠いろ/足ながおじさん」(オリコン16位)とともに、本作を発表した。レコードデビューから8ヶ月、11月発売のベストアルバム「ギフト・パック」(47位)を数えると、何と通算4枚目のLPとなるが、全曲オリジナルでの構成は初めてであり、タイトルでもそれが強調されている。
作詞は小谷夏に加え、デビュー曲以来の安井かずみ、チェリッシュでヒットを飛ばしていた林春生らが担当。作曲には筒美京平に代わりメイン作家となった都倉俊一のほか、ブルー・コメッツ時代から作曲の才能を発揮していた井上忠夫、美代子とデビュー同期のあべ静江をヒットさせていた三木たかしらが参加。
それまでの童謡・唱歌路線を脱し、サウンド面でもフレンチポップスやカレッジフォークの雰囲気を強調。オープニングを飾る人気曲「北風の日曜日」をはじめ、17才の少女らしい等身大の世界でまとめられている。いわば同世代向けのアイドルポップスといえよう。
その方向性をよりリアルにしたのが、美代子自身が作詞した「恋は不思議」「ひとりぼっちの恋」という2曲。中学生の頃から詞を書くことが趣味だった美代子は、この時すでにノート7冊分も書きためていたという。作曲は、デビュー前から彼女に歌とギターを指導していた河野通雄が担当。ライナーには美代子自筆の歌詞やイラストも掲載され、ファンサービスにあふれたアルバムとなっている。オリコン最高37位。
なお、ソニーミュージックの廃盤復刻サイト「オーダーメイドファクトリー」では2007年、2016年の2度にわたって復刻候補に挙がった結果、2016年に単品CD復刻が実現している。
ちなみに、本作の純粋なミュージックテープ版は、カセット、カートリッジともに発売されなかったが、収録曲をシングル曲中心に差し替えた「浅田美代子ベスト・アルバム~恋は真珠いろ~わたしの宵待草~赤い風船」が、翌74年1月21日にリリースされている。
『しあわせの一番星/ 恋は真珠いろ [美代子と世界の旅]』
(オリジナル発売日 1974.5.1)
LP : ECLL-3
浅田美代子 デビュー一周年記念 アルバム!!
順風満帆のスタートを切った美代子のデビュー2年目。1974年1月からは、「時間ですよ」と同様に久世が演出を手がけ、向田邦子が脚本を担当したTBS水曜劇場「寺内貫太郎一家」がスタート。
舞台は谷中の石屋と設定はガラリと変わったが、浅田は引き続きお手伝いさん役で、名前も同じ相馬ミヨコを熱演。美代子をメインにしたエピソードの回も制作されたほか、老婆に扮した悠木千帆との息のあった掛け合いも見どころの一つで、演技面でも大きな成長を見せた。
劇中歌も担当し、前半では「赤い風船」と同じコンビが手がけた「しあわせの一番星」(オリコン7位)を、中盤では月刊「明星」募集歌の「虹の架け橋」(12位)を歌い、劇中では西城秀樹と一緒に屋根の上でのデュエットも披露している。
後半の「リンゴがひとつ」は美代子メインで歌われたこともあったが、レコードは貫太郎役の小林亜星と、秀樹のガールフレンド役のいけだももこによるデュエット盤として発売された。ちなみに小林の本業は作曲家であり、「ひーふー美代ちゃん」のテーマソングも手がけていた。
また74年の春休みに公開された松竹映画「しあわせの一番星」(山根成之監督)では初主演を務め、こちらでも西城秀樹と共演。ドラマでのイメージをそのまま投影し、劇中歌も披露した。なお「しあわせの一番星」のシングルジャケットに印刷されたラッキー・カードは、この映画の割引券になるというものだった。
このようにドラマや映画でも大活躍を続けるさなか、デビュー1周年記念盤としてリリースされたのが本作である。
A面は、タイトル通り「しあわせの一番星/恋のまえぶれ」と「恋は真珠いろ/足ながおじさん」の2枚のシングル曲に、林春生+三木たかしコンビによる新曲「恋はうそつき」「花言葉」を加えたオリジナル曲集。
B面は、サブタイトルでもある「美代子と世界の旅」と題したメドレー企画。ジャズピアニストとしても活躍した三保敬太郎がアレンジを担当。美代子自身のナレーションやSEを絡め、赤い風船に乗った世界一周の旅が展開されている。
インストゥルメンタルによるオープニング「ビートでジャンプ」(オリジナルはフィフス・ ディメンション)とクロージング「八十日間世界一周」(ビクター・ヤング/同名映画より)で挟んだのは、50年代から60年代にかけての洋画主題歌を中心にしたナンバーたち。
イタリアの「雨」(ジリオラ・チンクェッティ)、ギリシアの「ネバー・オン・サンデー」(メリナ・メルクーリ/映画「日曜はダメよ」より)、フランスの「アイドルを探せ」(シルヴィ・バルタン/映画「アイドルを探せ」より)、スペインの「マルセリーノの歌」(パブリート・カルボ/映画「汚れなき悪戯」より)とヨーロッパを周った後は、アメリカへ。ハワイの「パイナップル・プリンセス」(アネット)、そしてフィナーレはディズニー・ランドの「ラ・ラ・ルー」(ペギー・リー/映画「わんわん物語」より)。まだディズニー・ランドが本国にしかなかった時代のことだが、実際の美代子は、この直後「明星」の取材で初のヨーロッパ旅行に出かけている。
歌の内容に合わせ、ジャケットの裏面では各国の民族衣装をまとった写真が掲載されていたが、これらは「近代映画」73年12月号のグラビア“ミヨちゃんのワールド・フェア”から。表面も同月号表紙の別カットである。
美代子の場合、多くの雑誌で表紙やグラビアを飾り、付録のポスターなどにも起用されたが、とりわけ「近代映画」は充実。小冊子「浅田美代子大百科」が付録になったり、浅田美代子新聞「THE MIYOKO TIMES」が連載されたほか、増刊号やグラフ特集誌でも美代子の特集号を発行(75年発行の「近代映画じゃんぼ 浅田美代子第2集」は2019年に電子書籍化)したり。さらには2冊の詩集(エッセイ集)も刊行するなど、美代子ファンにとっては特別な存在の芸能誌となっていた。デビュー年の人気投票で女性部門1位を記録したのも同誌である。
なお1周年記念ということもあり、特典として豪華カラー・ポートレートが封入され、抽選で愛用のアクセサリー、プロマイド、サイン色紙が当たる“美代子のおたのしみプレゼント”企画も実施された。オリコン26位。
『美代子の新しい世界 浅田美代子オリジナル・ セカンド・アルバム』
(オリジナル発売日 1974.9.1)
LP : ECLL-5 / CD : DQCL782 (2020.1.27)
話題のシンガー& ソングライター達が 美代子にオリジナル曲を プレゼントしました。 美代子は新しい世界に 挑戦します!!
1960年代後半から一大ブームを巻き起こしたフォークソングは、70年代に入ると日本のミュージックシーンの主流へと発展していった。歌の内容はかつての思想系から私小説系へと変化し、若者の間ではギターの弾き語りが当然のたしなみとなったが、それは美代子がドラマの劇中歌をギターを抱えて歌ったことからも分かる。
そのブームの中心にいたのが、フォーク界のプリンスと呼ばれ、美代子と同じCBS・ソニー(レーベルはオデッセイ)に所属していたよしだたくろう(吉田拓郎)である。
彼をはじめとするフォーク系のシンガー・ソングライターたちはヒットチャートの上位に食い込むとともに、歌謡曲のジャンルからも注目を浴び、ソングライターとして起用されることも多くなっていた。
拓郎だけをとっても、73年には由紀さおりや天地真理、74年には森進一や小柳ルミ子らに楽曲を提供。中でも森に書いた「襟裳岬」はその年の日本レコード大賞を獲得するほどの大ヒットを記録。フォークと歌謡界をより強固に結びつけていくことになる。
また同じ74年には、拓郎とかまやつひろしによるデュエットシングル「シンシア」もヒット。これは拓郎がファンを公言していたアイドル・シンシアこと南沙織に捧げたナンバーだが、ともに中心リスナーが若者という共通点を持つフォーク勢とアイドルは、メディアで共演する機会も多く、その距離もぐっと縮まっていた。ちなみに拓郎は美代子のファンでもあったという。
ちょうどそんな頃に拓郎から提供を受けたのが74年8月発売のシングル「じゃあまたね/パリの絵ハガキ」(オリコン17位)であり、その路線を広げるべく、フォークとの出会いを美代子の新境地ととらえて制作されたのが本作である。
拓郎作曲の「パリの絵ハガキ」を含む全10曲のうちシングル曲「虹の架け橋」以外は、フォーク系のシンガー・ソングライターが中心となって楽曲を提供。かまやつひろし、ケメこと佐藤公彦、チェリッシュ(松崎好孝・悦子)、松山猛、加藤和彦、はしだのりひこ、ガロのトミー(日高富明)らが顔をそろえ、自由かつ新鮮な発想で美代子にぴったりのナンバーを書き下ろすという豪華なアルバムとなった。オリコンでは最高24位まで上昇している。
シンプルなサウンド作りやレコーディング風景を写したジャケットなど、もはやフォーク歌手のイメージだが、特筆すべきはシンガー・ソングライターさながら美代子自身がB面4曲の作詞を手がけたことだろう。いずれも18才の女の子らしい感情を歌詞として表現。オリジナル・ファースト・アルバムで書いた2編と比べると格段の進歩を遂げたのが分かる。
ちなみに美代子は得意な作詞の才能をさらに発揮し、この年の暮れには詩集「にくめないあなたへ」を出版。ベストセラーを記録している。
全編を通じ、フォークだけでなく、乙女チックなアイドルポップス、ロシア民謡風など、これまでにない曲調にも挑戦しているが、トータルアルバムとしての統一感が保たれているのは、「虹の架け橋」以外の全曲を田辺信一がアレンジしているからであろう。
ちなみに田辺は、編曲だけでなく美代子のリサイタルや主演映画の音楽も手がけており、美代子サウンドには欠かせなかった人物である。
なお、フォーク路線へと進んだこのアルバムの流れを受け、12月にはかまやつひろし作曲によるシングルがリリースされることがアナウンスされていたが、結局は林春生+三木たかしコンビによるフレンチポップス風の「想い出のカフェテラス/ひとりぼっちの誕生日」(オリコン40位)に変更された。この「想い出のカフェテラス」を含む同時発売のカセットテープ「浅田美代子ベスト・ヒット」は、オリコン25位をマークしている。
『浅田美代子第一回 リサイタル/ライブ』
(オリジナル発売日 1974.12.10)
LP : ECLL-8
74年9月15日東京、 郵便貯金ホールは、 超満員の熱気ある 声援に包まれました。 このアルバムは 当日の盛りだくさんな プログラムから よりすぐった感動の 実況録音盤です!!
美代子初のライブアルバムとなった本作は、1974年9月15日、東京・芝郵便貯金ホールで開かれた「美代子・キューピットコンサート」から、当日の模様をダイジェストで収録したもの。オリコンでは最高50位にランクインした。
アルバムのタイトルは“第一回”となっているが、厳密に言えば2回目で、初のリサイタルはこの8ヶ月前、1月13日に同じ会場で行われたワンマンショー「'74新春 美代子と共に」とされる。
さて、実際のステージは3部構成のプログラムだったが、レコードでは第1部のミュージカルがA面、第3部のヒット・パレードがB面に収録されている。録音は開演直前から始まっており、超満員で入りきれない観客もいたという会場の熱気や興奮も伝わってくるようだ。
ミュージカルのタイトルは「美代子、18才、秋」。すべての楽曲はオリジナルで、放送作家としても知られる鈴木悦夫と、美代子のファースト・アルバムから編曲を手がけている田辺信一のコンビが担当。養護施設・風船の家を舞台に、美代子と子供たちのふれあいを描いた物語が繰り広げられている。
相手役で同い年の少年・仁を演じるのは、特撮ヒーローもので人気を博し、映画「しあわせの一番星」でも共演した立花直樹。彼は71年に筒美京平作品で歌手としてもデビューしており、「すれちがいの青春」では美代子とのデュエットも披露している。
下は5才という風船の家の子どもたちと息の合った歌や芝居、不良少女グループ・ヒョウの爪との激しいやり取りなど、美代子はまさに体当たりの熱演を見せた。歌手・浅田美代子としてよりも、役柄に入り込んで歌う方がしっくりくるのだろう。台詞や歌の端々には、ミュージカル女優としての初々しい魅力ものぞく。
一方、B面のヒット・パレードでは、デビュー曲の「赤い風船」から当時の最新曲「じゃあまたね」まで、おなじみのシングル曲すべてを披露。忙しなかった当時の歌番組とは違い、テンポを落としたバンド演奏をバックに全力投球で臨んでいる。男性ファンによるミヨちゃんコールをはじめ、観客からの熱い声援や拍手もつぶさに録音されており、アイドル歌手として絶大な人気を誇っていたことがしっかり確認できる。
なお、アンコールとしてラストに収録された「今、さよならの時」はコンサート用のオリジナル曲である。
ちなみに、レコードで割愛された第2部はロック・メロディーと題されたコーナーだったが、実はそれこそがマネージャーの相馬一比古がライフワークとして追求した分野であり、美代子のステージングの特徴でもあった。
そこでは同じEPICレーベルに所属していた、つのだひろとスペース・バンドと共演。ディープ・パープルなど従来の美代子からは想像もつかないハードロックも披露したといい、本作に収録されなかったのが残念な限りである。
また、ウイッグを付けたり、ジャンプスーツを着たり、衣装はライナーの写真でも確認できるが、楽曲の振り付けはすべて、シングル曲も手がけた一の宮はじめが担当。美代子の場合、テレビでは小首を傾げたり、指先を動かしたり、シンプルなものが多かったが、一の宮は山本リンダや西城秀樹らの激しいボディーアクションの生みの親。第2部のステージでは、美代子にも大胆な振りが付けられたという。
なお、74年のアルバムとしては、このほか11月に「浅田美代子ヒット全曲集」(オリコン49位)を発売しているが、このベスト盤は当時流行の4chステレオに対応したレコードのため、「ひとりっ子 甘えっ子」などが新たにミックス・ダウンされている。シングル盤とはボーカルテイクが異なるものもあり、コレクターズアイテムといえるだろう。
『この胸にこの髪に』
(オリジナル発売日 1975.12.5)
LP : ECLL 15 / CT : EKLB 4 / DQCL783 (2020.1.27)
よみがえった 浅田美代子の 新しい魅力! 「この胸にこの髪に」 を中心とした 美代子の世界
1974年10月からは、「寺内貫太郎一家」の後番組として「時間ですよ・昭和元年」がスタート。美代子は娘役に昇格し、お手伝いの役は“第二の浅田美代子”としてオーディションで選ばれた谷口世津に引き継がれた。美代子のデビュー時と同様、ドラマでは劇中歌「わたし」は美代子とのデュエットも披露されたものの、レコードは谷口がソロとして発売。世代交代したかのように見えたが、後半の「少女恋唄」はまた美代子が担当し、75年3月にシングルとしてリリース。竹久夢二の美人画を思わせるようなナンバーで、オリコン26位まで上昇している。
歌についてはデビュー以来心ないバッシングを受け、常に消極的だった美代子だが、この頃はさらに顕著で「1年ぐらいは芝居に専念したい」「ちゃんとしたレッスンをして下手と言われないようにしてから歌いたい」など、歌手活動から遠ざかる発言が目立っていた。
それは、主演第2作となった松竹映画「あした輝く」(山根成之監督)で演技開眼したことも無縁ではないだろう。この映画は、里中満智子の同名少女漫画が原作のシリアスな戦争もの。純愛大河ロマンと称された長編で、映画も当初は2部に分けての制作が予定されていたほど。美代子の役柄も少女から母親になるまでと、出産シーンを含み演技の幅を要求される内容であり、アイドル映画の域を出なかった前作とは一線を画す作品となった。
その手ごたえを感じていたせいなのか、引き続き出演した水曜劇場「寺内貫太郎一家2」や、人気アイドルの大集合ドラマとして話題を呼んだ「あこがれ共同隊」も好調の75年6月。美代子は、女優一本に絞りたいという理由で歌手休業を宣言する。惜しむファンは多かったが、「歌番組の中にいる私は何だか劣等生のような気分になってくる」「3ヶ月に1回歌を出すのがつらかった」と正直な心情を打ち明けた美代子の意思を尊重した形となった。
これを機に、事務所も相馬が立ち上げたアクト・ワン・エンタープライズへと移籍。山田太一脚本によるTBSドラマ「なつかしき海の歌」では、ロマンスが囁かれていた吉田拓郎と初共演。三浦友和主演で文芸大作をリメイクした東宝映画「陽のあたる坂道」にも出演するなど、女優・浅田美代子として話題作への出演が相次いだ。
この流れから歌手休業は少なくとも1年と見られていたが、ファンの要望に応える形で8月には早くも音楽活動の再開を表明。新たな試みとして自作詞にりりィが曲をつけた「母(おや)不幸」がテレビ番組で披露されたほか、10月には再デビュー曲と称されたシングル「この胸にこの髪に/ヒロシの想い出」(オリコン43位)をリリース。いしだあゆみ作品なども手がけていた橋本淳+中村泰士コンビによって、大人の女性へのイメージチェンジが図られた。
復帰コンサートも企画され、歌手・浅田美代子の復活が印象づけられたが、本作もそのタイミングで発表されている。しかし、ニューアルバムとはいうものの、新曲は「初めての悲しみ」「きれいな涙」「銀河のささやき」の3曲のみ。ほかは直近2枚のシングル(「この胸にこの髪に/ヒロシの想い出」「少女恋唄/紅い花」)と、過去のシングルB面曲(「恋のまえぶれ」「きょうは留守番」「ひとりぼっちの誕生日」)、それにアルバムからチョイスされた2曲(「花言葉」「恋はうそつき」)というベスト盤的な構成となった。
新曲にしても、かまやつひろし作曲の「初めての悲しみ」は74年のアルバム「美代子の新しい世界」と同時期に制作され、同年暮れの新曲としてリリースされるはずだった作品で、その後「想い出のカフェテラス」のB面に予定されながら結局はお蔵入りとなっていたもの。
また作曲に、天地真理や桜田淳子のメインライターだった森田公一を初めて起用した「きれいな涙」と「銀河のささやき」も、シングル候補のストック曲と見るのが自然であろう。
このように、収録内容だけを見ても美代子の歌手活動再開は本格的とは言いがたく、消化試合のムードが漂う。それを裏付けるかのごとく、これ以降新曲のリリースが続くことはなかった。
なお、本作は「美代子の新しい世界」との2枚組で2020年にCD復刻が実現している。
『美代子のページ』
(オリジナル発売日 1976.2.25)
LP : ECLL 16
昭和50年12月7日 東京芝郵便貯金 ホールでは 熱気と興奮に つゝまれた ファン待望の 実況録音盤 こゝに完成 LIVE! −詩情あふれる 美代子の世界−
歌手休業宣言を撤回し、新曲「この胸にこの髪に」を引っさげて歌手活動を再開させた浅田美代子。1975年12月7日には、東京・芝郵便貯金ホールで第3回目となるリサイタルを開催した。昼夜2回公演で、歌手復帰の意味を込め「WELCOME BACK ミヨコ」と題されたが、本作はその模様を収めたライブ盤である。
総合プロデュースはもちろん相馬一比古が担当。これまでとは違い、本格的に歌を聴かせるステージとなったが、緻密な構成と大胆な選曲に驚く。本人も訳詞に挑戦するなど、歌手・浅田美代子の集大成というべき内容となっている。
演奏はザ・コンソレーション、ジュエルポップス。コーラスは男声がタイム・ファイブ、女声がコーラル・エコー。ダンサーはポピーズ・シャルマン。振り付けはモダンダンスの浦辺日佐夫で、美代子は猛特訓を受けたという。
オーバーチュアで幕が開くと、スタイリスティックスの「CAN'T GIVE YOU ANYTHING(BUT MY LOVE)(愛がすべて)」でスタート。最新のソウルヒットを英語で歌ったかと思えば、CCRの「プラウド・メアリー」を黒いスパンコールをちりばめたミニドレスでダンシングチームと歌い踊り、美代子は新しい一面を次々に見せる。
収録はされていないが、サングラスとツナギ姿でダウンタウン・ブギウギ・バンドよろしく「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の替え歌「港のミヨコ・アカサカ・ロッポンギ」も披露したという。
前半の聴かせどころは、コーラスを生かした童謡とそれに呼応したヒット曲によるメドレーだろう。「赤とんぼ」と「赤い風船」、「一番星みつけた」と「しあわせの一番星」、そして「叱られて」と「ひとりっ子甘えっ子」というように、初期の路線をなぞる演出が心憎い。
ヒット曲には“あちゃこ!”や“ミヨちゃん!”というファンのコールが重なるが、声援に応え、微笑みながら歌う美代子からは余裕すらのぞいている。
B面でもメドレーが光る。冒頭の「TOP OF THE WORLD」と「JAMBALAYA(ON THE BAYOU)」というカーペンターズ・ナンバーも良いが、出色は朝をテーマにしたメドレーだろう。
赤い鳥「忘れていた朝」から始まり、クリフ・リチャードの「EARLY IN THE MORNING(しあわせの朝)」と続き、オードリー・ヘップバーン主演の映画主題歌「BREAKFAST AT TIFFANY'S(ティファニーで朝食を)」では男声スキャットをバックにナレーションも披露。
オリジナルのヒット曲「虹の架け橋」をはさみ、ナンシー・シナトラの「SUGER TOWN(シュガー・タウンは恋の町)」、カトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画主題歌「I WILL WAIT FOR YOU(シェルブールの雨傘)」までの流れは、華麗なミニミュージカルのよう。美代子のナレーションも、朗読というより一人芝居のモノローグである。
そしてフィナーレは、今後への決意をこめた「想い出のカフェテラス」と、美代子の心情そのものであろう「20才の出逢い」。10代最後のリサイタルに万感の思いが込み上げる中、涙をこらえて歌い切った姿は、まさに詩情にあふれ、歌手としての飛躍を予感させるほどであった。
しかし「これからも歌っていきたい」と語った言葉とは裏腹、実際には、歌のみならず芸能活動そのものにピリオドを打つことになる。
余談だが、洋楽中心の選曲やきらびやかな衣装、全身を使った振り付けなど、確固たるコンセプトのもとで華やかにショーアップされたこのステージは「世界に通用するスターを育てたい」という相馬の夢が反映されたものであった。
ちなみに、その夢は美代子の引退後、相馬が見出した2人の少女へと引き継がれ、大きく花開くことになる。その2人とは、美代子と入れ替わるようにデビューしたピンク・レディー。日本中に大ブームを巻き起こし、アメリカ進出も果たすが、このリサイタルは確かにピンク・レディーのステージングの原型といえる内容なのである。