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Lost In Love|ロスト・イン・ラヴ
グラハム・ラッセルのソフトなヴォーカルとラッセル・ヒッチコックのハイトーン・ヴォイスが80年代の主役の到来を告げる。’80年5月3日付から4週連続で全米最高3位(年間15位)を記録した。映画『プライベート・レッスン』(’81年)では少年が大人になるハイライトで挿入歌として使われ、’12年、主演女優のシルヴィア・クリステル訃報に際し大人になったアメリカのDJたちが葬送曲としてこぞってオンエアしている。
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All Out Of Love|オール・アウト・オブ・ラヴ
’80年晩夏に最もアメリカのラジオでオンエアされた曲で、9月13日付から4週連続全米最高2位(年間55位)を記録、ミリオンセラーにも輝いた。80年代音楽愛が溢れるマーベル映画『デッドプール2』(’18年)では、ライアン・レイノルズ演じる主人公が過去を回想しながらドラムの上に横たわるオープニングのBGMで効果的に使用されている。
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Every Woman In The World|ときめきの愛を
’80年12月27日付から’81年1月31日付で最高5位(年間27位)まで到達。アルバム収録時の初出邦題は直訳的な「この世のすべての女性へ」、日本シングル発売時に意訳的な「ときめきの愛を」に改題されている。アルバム・ヴァージョンに比べて本シングル・ヴァージョンのほうがギターを前面に出すアレンジが施されていて前奏と間奏の違いも一目(一耳?)瞭然。
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The One That You Love|シーサイド・ラヴ
人気実力ともにエア・サプライの頂点到達を物語る歌声は、’81年夏の全米ラジオの主役となった。9週間首位を獲得したキム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」(年間1位)を抜き、エア・サプライにとって初、オーストラリア・バンドとしても初の全米制覇の栄冠に輝いた。’81年7月11日付アダルトコンテンポラリー2位、7月25日付け全米1位(年間28位)を記録したミリオンセラー。
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Here I Am (Just When I Thought I Was Over You)|ヒア・アイ・アム
’81年11月21日付全米最高5位(’82年度年間80位)を記録。タイトルをそのままなぞる♪Here I Amから始まる美曲だけに、♪Here I Am~の感動的なサビを展開した「シーサイド・ラヴ」の続編に位置するナンバーとしても親しまれた。アメリカでは混同されないようにシングル発売に際し「Here I Am(Just When I Thought I Was Over You)」と副題が付けられている。
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I'll Never Get Enough Of You|あなたのいない朝
TBS系木曜ドラマ『いつか黄昏の街で』(’81年10月~12月放送|出演:沢田研二、多岐川裕美ら)の主題歌。『The One That You Love|シーサイド・ラヴ』から日本のみでシングル・カット。’81年12月7日付国内総合40位を記録。日本ではこの頃に人気絶頂を迎えつつあり、国内独自企画の2枚組LP盤『デラックス・パッケージ ’82』も発売され話題になった。
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Sweet Dreams|スウィート・ドリームス
’82年3月20日付全米最高5位(年間28位)を記録。遠く離れた大切な人との再会を夢想するかのような浮遊感漂うイントロと、その夢から突然覚めたかのような力強いキーボードの使い分けが秀逸。会えない想いを爆発させるスリリングなギター・ソロも痛快でエリック・カルメンも手がけるプロデューサー、ハリー・マズリンのアレンジャーとしての手腕も光る。
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Even The Nights Are Better|さよならロンリー・ラヴ
’82年9月4日付全米最高5位(年間37位)を記録。この時点で「ロスト・イン・ラヴ」から7曲連続でシングルを全米トップ5に送り込むという、80年代最初となる偉業を達成した。8月9日付国内総合では35位まで上昇し約6万枚を突破、「あなたのいない朝」(約7万枚)に次いで日本で2番目となる高いシングル・セールスをマーク。同ラジオリクエスト洋楽年間チャートでは4位を記録している。
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One Step Closer|ワン・ステップ・クローサー
『Now and Forever|ナウ・アンド・フォーエヴァー』から日本のみでカットされたシングル。日本航空〈ハワイ・キャンペーン〉のイメージ・ソングに起用され、“息つくところハワイ”のナレーションに合わせテレビCMを爽やかに彩った。EP盤ライナーノーツのキャッチコピー「エア・サプライがロックすると、こうなります!!」も納得のウェストコースト・ロック然としたハーモニーと乾いたギターが秀逸
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Two Less Lonely People In The World|夜明けのふたり
『Now and Forever|ナウ・アンド・フォーエヴァー』からの3rdカット・シングル。外部ソングライターのひとりは作詞家のハワード・グリーンフィールド。ニール・セダカの全盛期を筆頭に60年代アメリカン・ポップスを巧みなワードで賑わせた逸材で、’91年にはソングライターの殿堂入りを果たしている。’83年1月15日付アダルトコンテンポラリーで4位、1月15日付全米最高38位を記録した。
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Making Love Out Of Nothing At All|渚の誓い
作詞・作曲・編曲の全てを手がけたのはロックオペラを手がけたら右に出るものはいないジム・スタインマン。ポップス界No.1ハイトーン×天才音楽家によるケミストリーは、エア・サプライ史上最高にドラマティック&エモーショナルな楽曲となり、世界中のリスナーを虜にした。’83年10月8日付から3週連続全米2位(年間66位)を記録し3曲目のミリオンセラーを達成。
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I Can Wait Forever|アイ・キャン・ウェイト・フォーエヴァー
映画『ゴーストバスターズ』(’84年)のサウンドトラックから日本のみでリリースされたシングル。グラハム・ラッセル、デヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドンの共作。後者の〈AIRPLAY〉のふたりはプロデュースにも名を連ね、夢のような顔合わせがサントラブームのなかで実現。バラードの達人フォスターのここぞというタメと流麗なストリングス・アレンジに酔う隠れた名曲。
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Just As I Am|潮風のラヴ・コール
自らのグループ名をデビュー・アルバム以来再び冠した8thスタジオ・アルバム『Air Supply|潮風のラヴ・コール』からの1stカット・シングル。エア・サプライらしい爽快さに加えて奥行きのあるロッカバラードは’85年7月27日付アダルトコンテンポラリー3位、同13日付全米最高19位を獲得。アルバムは7月20日付で全米26位、日本では同29日付国内総合11位を記録した。
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The Power Of Love (You Are My Lady)|パワー・オブ・ラヴ
作家陣に名を連ねるジェニファー・ラッシュのオリジナル・ヴァージョンが、’85年度全英1位(年間)を獲得。男目線からの愛の力を唱えるエア・サプライのヴァージョンは’85年8月24日付全米最高68位を記録。ジェニファーの大成功に引っ張られるように全米ラジオフレンドリーになり、10月5日付アダルトコンテンポラリー13位を記録。’93年にはセリーヌ・ディオン・ヴァージョンが世界的ヒットとなっている。
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Lonely Is The Night|ロンリー・イズ・ザ・ナイト
9thスタジオ・アルバム『Hearts in Motion|ロンリー・イズ・ザ・ナイト』からの1stカット・シングル。作家のひとりは英国シンガーソングライター、アルバート・ハモンドで日本人好みの哀愁を帯びたメロディがここでも優雅に漂う。’86年10月4日付アダルトコンテンポラリー12位を記録。共作者のダイアン・ウォーレンは80年代に最も多くのヒット曲を放った女性ライターのひとり。
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It's Not Too Late|イッツ・ノット・トゥーレイト
『Hearts in Motion|ロンリー・イズ・ザ・ナイト』のオープニング曲。グルーヴィなサウンドのなかをグラハムのソフト・ヴォーカルとラッセルのハイトーン・ヴォーカルが行き交う、それまでにない新境地を展開。日本ではサンキストのテレビCFイメージ・ソングとしてシングル発売。意外にも、防寒着で釣りを楽しむ親子を描く“ホットレモネード”のコマーシャルだった。
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The Eyes Of A Child|アイズ・オブ・ア・チャイルド(日本盤シングル未発売曲)
美しいハーモニーに彩られたウィンター・アルバムのお手本のような’87年の傑作『The Christmas Album|エア・サプライのクリスマス』収録のオリジナル曲。ホリデイ・シーズンに子供の眼差しから世界平和を願うラッセルの澄んだ歌声が耳に残る美曲。プロデュースに名を連ねるマイケル・ロイドは1000万枚セールスを突破のサントラ『ダーティ・ダンシング』(’87年)からのヒットを多く手がけた時の人でもあった。
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Love Is All|ラヴ・イズ・オール(日本盤シングル未発売曲)
『The Christmas Album|エア・サプライのクリスマス』収録のオリジナル2曲のうち、もうひとつのグラハム・ラッセル・オリジナル曲。円熟味も加わったラッセルの絶頂期ハイトーンが、街に降りる雪のように美しく、そして温かいアルバムのハイライト・ナンバーとなった。アルバムは’87年12月19日付全米ホリデイ・チャートで10位を記録。1位は『A Very Special Christmas|クリスマス・エイド』だった。