URCレコード
名盤復刻シリーズ
URCレコードとは
URC(アングラ・レコード・クラブ)。
日本のインディ・レーベルの先駆けとして1969年に産声をあげ、70年代末に活動を終了したレコード・レーベル。高田渡、遠藤賢司、五つの赤い風船、加川良、はっぴいえんど、岡林信康…。その他多くの先鋭的な才能が集ったURCは日本のフォーク/ロックの祖と言える存在。その後もその作品群は多くのファンから強い支持を受けている。
URC(アングラ・レコード・クラブ)。
日本のインディ・レーベルの先駆けとして1969年に産声をあげ、70年代末に活動を終了したレコード・レーベル。高田渡、遠藤賢司、五つの赤い風船、加川良、はっぴいえんど、岡林信康…。その他多くの先鋭的な才能が集ったURCは日本のフォーク/ロックの祖と言える存在。その後もその作品群は多くのファンから強い支持を受けている。
URC銘曲集3として、今回はセッション・ミュージシャンとしてURCのセッションでギタリスト・デビューした伊藤銀次がセレクション。ミュージシャン目線であの時代を今の時代に繋げる秀逸な選曲。全曲解説文付き。
「アルバム第5集 Part 1」と副題が付され、1971年『Flight』と対の形でリリースされたアルバム。冒頭に20分を超える長尺曲「時々それは」を配するなど、リーダー・西岡たかしの奇才ぶりが存分に発揮された実験的な作風。
1967年に西岡たかしを中心に結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。本作発表時メンバーは西岡たかし、藤原秀子、長野隆、東祥高。
「アルバム第5集 Part 2」と副題が付され、1971年『New Sky』と対の形でリリースされたアルバム。『New Sky』とうってかわってこちらはポップ色の強い作風となっている。
1967年に西岡たかしを中心に結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。本作発表時メンバーは西岡たかし、藤原秀子、長野隆、東祥高。
1972年に五つの赤い風船を解散させた西岡たかしが、関西のURC系アーティストと結成したスーパー・グループによる唯一のアルバム。メンバー全員が作曲とリード・ヴォーカルを担うヴァラエティに富んだ作風。
五つの赤い風船解散後ソロ活動に入っていた西岡たかしが、中川イサト(元・五つの赤い風船)、金森幸介(元・都会の村人〜I.M.O.Band)、ながいよう(元・ザ・ディランII)と共に結成。1975年に唯一のアルバムをリリースした。
高橋照幸、谷野ひとし、つのだひろ、木田高介、松本正嗣が在籍した伝説のバンド“休みの国”の真の姿を伝える貴重なアルバム。1972年に録音されたが正式にリリースされたのは1989年。
ジャックスのローディーだった高橋照幸(1948年静岡県浜松市生まれ)が、ジャックスのリハーサルの合間に録音したデモテープが耳にとまり1969年URCよりデビュー。数度の渡欧やヨット製作等をはさみマイペースの活動を続けるが、高橋は2016年に死去。
1972年、アメリカ西海岸のミュージシャンをバックに録音された2枚組アルバム。DISC 1はカリフォルニア州ハリウッドのRCAスタジオにおける録音。DISC 2はカリフォルニア州ロスアンジェルスのエンバシー・オーディトリアムにおけるライヴに、メンバー同士のおしゃべりを挿入した特異な構成。本作の制作中にメンバー間の方向性の違いが表面化し、これが最後のスタジオ録音作品となった。
1967年に西岡たかしを中心に結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。本作発表時メンバーは西岡たかし、藤原秀子、長野たかし、東祥高。
1972年に発表された、三上寛の傑作ライヴ・アルバム! 日本武道館/新宿厚生年金小ホール/高円寺会館の各公演から抜粋。アコースティック・ギター1本による弾き語りを中心に圧巻な演奏を記録した名盤。
青森県生まれ。1971年、コロムビアよりシングル「馬鹿ぶし」でデビュー。以後、3枚のアルバムを残しURCレコードに移籍。自作詩による「夢は夜ひらく」のカバー、「誰を怨めばいいのでございましょうか」等、【怨歌】を歌い話題になる。 日本を代表するフォークシンガーであり、俳優・執筆活動なども熟し活躍している。
エイプリル・フール(小坂忠、細野晴臣、松本隆他)、フード・ブレイン(つのだひろ、陳信輝他)等の活動で日本のロック黎明期を支えたキーボード奏者、柳田ヒロが初めてURCからリリースしたサード・ソロ・アルバム(1972年発表)。石川晶(ds)、杉本喜代志(g)、高中正義(g)、寺川正興(b)等ジャズ~ロック界から腕利きミュージシャンが参加し、自身が歌う7曲のヴォーカル曲の作詞はすべて松本隆による。
1949年東京生まれ。小坂忠らとのザ・フローラルに始まり、エイプリル・フール、フード・ブレイン、新六文銭などのバンド活動の傍ら数多くのレコーディング・セッションに参加。2023年、ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルに出演(小坂忠トリビュートバンドの一員として)。
長野たかし(五つの赤い風船)、金森幸介(元都会の村人)、太田ぼう、秋山たかしの4人で結成されたI.M.O.Band唯一の傑作アルバム(1973年発表)。フォーク・ロックを基調にしたサウンドが特徴。
「イミテーション・ミュージック・オリジナル・バンド」。五つの赤い風船の解散後、元メンバーだった長野隆(b)と、金森幸介(元都会の村人)、太田ぼう、秋山たかしで結成された。名付け親は元五つの赤い風船の西岡たかし。活動期間は短く、わずか一枚のアルバムを残して解散した。
“八事裏山フォーク・オーケストラ”のメンバーだった伴よしかずのソロ・アルバム(1976年発表)。五つの赤い風船の西岡たかし、長野隆らをゲストに迎え制作された。さわやかで軽快なサウンドが特徴。
1973年、名古屋にて結成されたフォークグループ“八事裏山フォークオーケストラ”のメンバーとして活動後、CBCラジオ、東海ラジオなどでDJ活動を開始。1976年、ソロシンガーとして、本作『青春彷徨』をリリース。現在もアーティスト活動、ラジオ・パーソナリティなど精力的に活動を続けている。
五つの赤い風船の絶頂期を記録した1970年の東京厚生年金ホールのコンサート実況盤(1970年発表)。「遠い世界に」「まぼろしの翼とともに」等の代表曲、藤原秀子ソロ曲「一番星みつけた」、ジャックスのカヴァー「からっぽの世界」等が演奏され、西岡たかしの軽妙なMCもふんだんに収録された臨場感あふれるアルバム。ジャックスから早川義夫と木田高介がゲスト参加。
1967年に西岡たかしを中心に結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。本作発表時メンバーは西岡たかし、藤原秀子、長野たかし、東祥高。
加川良以来の大型新人という触れ込みで登場した大阪出身のフォークシンガー、阪本まもるのデビュー作にして唯一のアルバム(1973年発表)。後にシングルで再録される「メリージェーンのおとぎ話」以外は全編ギター1本による弾き語りで、中川イサトが変名でディレクターを務めている。
大阪出身のフォークシンガー。1973年、URCより唯一のアルバム『阪本まもる』を発表。同年ワーナー・パイオニアよりシングル『メリージェーンのおとぎ話/わき道』発表。
後期URCレーベルの中でひときわ異彩を放ったひがしのひとし。ジョルジュ・ブラッサンスを敬愛し、シャンソンをモチーフに洒脱な世界を構築していく。今作は1977年に発表されたセカンド・アルバム。
京都出身のシンガー・ソングライター。1960年代後半からギターを手に歌い始め、高田渡、中川五郎、古川豪らと親交をもつようになる。和製レナード・コーエンとも呼ばれている。
ひがしのひとしに見初められURCからデビュー。飾り気のないメッセージ・ソングで初期のフォークの情熱を感じさせる。今作は1977年に発表されたファースト・アルバム。ジャケットの絵は本人によるもの。
鳥取出身のシンガー・ソングライター。高校を卒業後は九州・小倉のライヴハウスなどで歌い始めるようになる。ウディ・ガスリーやピート・シーガーに憧れ、そのチルドレンとも呼べるシンガー・ソングライターたちのスタイルを、しっかりと身につけている。
デビューのきっかけはひがしのひとしからの「中島光一の音楽を残したい」との声掛けから。後期URCを代表する生粋のフォーク・シンガー。今作は1977年に発表されたデビュー・アルバム。
1948年生まれ。京都出身のシンガー・ソングライター。NHK「みんなのうた」で放送(歌=松崎しげる/1979年)、教科書にも掲載された「大きなうた」の作詞・作曲者として知られる。
五つの赤い風船が“アルバム第三集”として1970年にリリースした作品。随所に人を食ったユーモアや実験的なサウンドメイキングを配し、サイケデリックな香りも漂う彼らの代表作。
1967年に西岡たかしを中心に結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。『巫OLK脱出計画』発表時メンバーは西岡たかし、藤原秀子、長野たかし、東祥高。
五つの赤い風船の紅一点ヴォーカリストであった藤原秀子が1970年にリリースした初のソロアルバム。ジャズ系ミュージシャンをバックに、落ち着いたアルトヴォイスで全編歌われた本作は、隠れた名盤の呼び声が高い。
1946年大阪府出身。1967年、五つの赤い風船の結成に参加。1972年、グループ解散と共に引退、メンバーの東祥高と結婚。2013年没。
1973年に発表された古川豪のセカンド・アルバム。マウンテン・ミュージックやアイリッシュ・トラッドをベースにした、古き良きアメリカン・フォークの風格を漂わせる名盤。アルバム・ディレクターおよびバック・ミュージシャンとして、ザ・ディランIIの永井ようが参加している。
1950年京都生まれ。バンジョーの名手としても名を馳せた京都在住のフォークシンガー。1973年以来、中山ラビ・豊田勇造・ひがしのひとし・三浦久の五人でつづける「七夕コンサート」は日本最長寿のフォークコンサートといえる。
後期URCレーベルの中でひときわ異彩を放ったひがしのひとし。シャンソンをモチーフに洒脱な世界を構築していく。今作は1975年に発表されたファースト・アルバム。
京都出身のシンガー・ソングライター。1960年代後半からギターを手に歌い始め、高田渡、中川五郎、古川豪らと親交をもつようになる。和製レナード・コーエンとも呼ばれている。
札幌で結成されたブルース・バンド。1976年に発表されたこのアルバムは、正統派シカゴ・ブルース・サウンドに日本語を載せて歌うスタイル。大塚まさじがサウンド・プロデュース。オリジナル曲の他にマディ・ウォーターズ、フェントン・ロビンソンを日本語でカヴァーするなど、ブルース愛にあふれる作品。
北海道大学の軽音楽サークル仲間を中心に結成されたブルース・バンド。バンド名はスライド・ギターの名手デュアン・オールマンに因んでつけられた。シカゴ系ブルース・サウンドを基調にしながらも、主に日本語でブルースを歌った。大塚まさじの77年作品『風が吹いていた』、友部正人76年作品『どうして旅に出なかったんだ』のアルバムにも参加。メンバーは、伊藤和幸(V)、金安 彰(G)、信田和雄(P)、水野俊介(B)、船津康次(Dr)。
1972年に発表され、日本のロックにも大きな影響を与えたタイトル・チューン「大阪へやってきた」を含む輝ける名盤。
1950年東京生まれ。日本のフォークシンガー、詩人。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受けソングライティングにのめり込むようになる。1972年『大阪へやって来た』でデビュー。1973年に代表作『にんじん』、『また見つけたよ』をリリース。今もなおギター1本持っていろんな場所に行って歌い続けている。
女性シンガーソングライターの草分けである、金延幸子がURCに唯一残したアルバム。細野晴臣、大瀧詠一、中川イサトらのバックアップによりレコーディングされた。発表から50年を経た今でも名盤として支持されている。
大阪出身の女性フォークシンガー。「秘密結社○○教団」のメンバーとしてデビューの後、「愚」を経てソロシンガーとなる。現在はアメリカ在住、現役アーティストとして活動している。
第76回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞受賞映画『PERFECT DAYS』(監督:ヴィム・ヴェンダース/主演:役所広司/12月22日より公開)に、金延幸子の名盤『み空』収録曲の「青い魚」が起用されることが決定!
『み空』は東洋化成主催“レコードの日2023”参加商品として11月3日にアナログ盤も発売される。
関西フォークの代表的グループ、ザ・ディランII(セカンド)が1973年にリリースしたセカンドアルバム。柳田ヒロ、友部正人、渡辺勝、田中章弘、林敏明、シンガーズ・スリー等多数のゲストを迎え、和気藹々としたセッションの様子が伝わる人気作。
大阪の喫茶店「ディラン」を拠点に大塚まさじ、ながいよう(永井洋)、西岡恭蔵により結成されたザ・ディランを母体に、1971年大塚、ながいの二人組ザ・ディランIIとしてURCよりシングル『男らしいってわかるかい/プカプカ』でデビュー。5枚のアルバムを残し1974年解散。大塚、ながい共、現在もそれぞれ活動中。
1974年発表、山下洋輔、アーリー・タイムズ・ストリングス・バンド、ザ・ディランII、坂田明などが参加。前作よりもヴァラエティに富み、オルタナティヴ・サウンドも全開となっている。
青森県生まれ。1971年、コロムビアよりシングル「馬鹿ぶし」でデビュー。以後、3枚のアルバムを残しURCレコードに移籍。自作詩による「夢は夜ひらく」のカバー、「誰を怨めばいいのでございましょうか」等、【怨歌】を歌い話題になる。 日本を代表するフォークシンガーであり、俳優・執筆活動なども熟し活躍している。
タレントとしても大活躍、非凡な凡人、なぎらけんいちの1974年に発売されたURCでの第2作目(通算3枚目のアルバム)。カントリーを基調にしたシンプルなフォーク・ソングで下町情緒と哀愁を表現する。
1952年東京都銀座(旧・木挽町)出身。1972年アルバム『万年床』でビクターよりデビュー。ナンセンスな歌詞で注目を集める一方、フォーク、カントリー、ブルーグラスに造詣が深くギター演奏力の高さも秀逸である。現在は音楽活動のほかに俳優、バラエティタレントなど多彩な活動を行っている。
URCの本質を現代に改めて問うコンピレーションCD第2弾となる今作は大ヒットコンピシリーズ『心に響く唄』とURCアーティストによるフォークソングの絶妙なコラボレーション企画。あの時代だから生まれた郷愁のメロディ、心に響く銘曲を余すところなく収録。 「イムジン河」「サルビアの花」「遠い世界に」「竹田の子守唄」「悩み多き者よ」「ゆきどまりのどっちらけ」「み空」他、時代を超えて愛される“心に響く唄”、日本のフォークソングの真髄が詰まったコンピレーション。
漫画家・三橋乙揶としても知られるブルースシンガー・シバが1972年に発表した1stアルバム。全編自身の歌・ギター・ブルースハープで構成され、「高田渡の後継者」とも称された朴訥な個性が際立つ作品。
1949年八王子生まれ。漫画家を志し、1965年『ガロ』に処女作発表。1970年、高田渡に紹介され全日本フォークジャンボリーに出演、翌年にも武蔵野タンポポ団を率いて登場。1972年のソロデビュー以降、現在もレコーディング、ライヴ、絵画制作等息長い活動を続けている。
大阪のフォーク喫茶「ディラン」から誕生した、大塚まさじ、ながいよう、西岡恭蔵によるグループ「ザ・ディランII」のデビューアルバム。その名の通り、フォーク・ロック期のボブ・ディランを日本語詞に置き換えたような「君の窓から」でアルバムは幕を開ける。デビューシングル「男らしいってわかるかい」のアルバム・ヴァージョンも収録。
1960年頃、大阪のフォーク喫茶「ディラン」に集まっていた大塚まさじ、ながいよう、西岡恭蔵によって結成。ボブ・ディランの曲をカバーしたシングル「男らしいってわかるかい」でレコードデビュー。関西のフォークシーンに新風を吹き込む存在として注目を集めた。
80年代には「いまのキミはピカピカに光って」のポップ・ヒットを放ったシンガー・ソングライター斉藤哲夫。『君は英雄なんかじゃない』は1972年6月にURCレコードから発売した初めてのスタジオ・アルバム。はちみつぱいのメンバーが演奏に参加。
1950年、埼玉県生まれ。1970年2月にURCレコードから早川義夫プロデュースの「悩み多き者よ」でデビュー。ボブ・ディランに影響を受けたその文学性の高い歌詞から「若き哲学者」、「歌う哲学者」などの愛称で呼ばれた。
休みの国は、ジャックスのローディーだった高橋照幸による個人ユニット。1969年6月URC会員配布第三回作品として、岡林信康とのスプリット盤『休みの国/岡林信康リサイタル』を発表。今作『休みの国』は、前記スプリット盤からの7曲に、新曲5曲を加えた、URCからは最初で最後となったフルアルバム。木田高介をはじめジャックスのメンバーが全面的に参加。Tr10「悪魔巣取金愚(ストッキング)」は後に映画『特攻任侠自衛隊』(1977年/監督:土方鉄人)主題歌に起用。キノコホテル、特撮(大槻ケンヂ)にもカヴァーされている。
ジャックスのローディーだった高橋照幸(1948年静岡県浜松市生まれ)が、ジャックスのリハーサルの合間に録音したデモテープが耳にとまり1969年URCよりデビュー。数度の渡欧やヨット製作等をはさみマイペースの活動を続けるが、高橋は2016年に死去。
五つの赤い風船の解散後に着手した、西岡たかし初のソロ・アルバム。曲作りからレコーディングのすべての行程を西岡自身でこなし、多重録音の手法を効果的に駆使して仕上げた名作。タイトル曲は米レーベルLight In The Attic監修コンピのタイトルに。欧米でも高い評価を受けている。
1944年生まれ、大阪府出身。1967年五つの赤い風船を結成。前衛的サウンドで注目を集め、熱狂的なファンを生み出した。1972年、五つの赤い風船解散後は、ソロ活動やプロデュース・ワーク、多数のセッション活動も行なう。
小室等率いる東京フォークの実力派・六文銭と、関西フォークの新鋭・中川五郎がアルバムの片面ずつを分け合った初録音作品。1969年4月、URC会員第2回配布作品としてリリース、のち市販された。オリジナルLPでは、六文銭サイド=45回転、中川五郎サイド=33回転という特殊仕様だった。
1968年、小室等を中心に結成されたフォークグループ。1971年の上條恒彦との共演曲「出発(たびだち)の歌」のヒットで知られる。名義やメンバー構成を替えながら現在も息長い活動を続ける。
1949年大阪生まれ。1969年URCより単独初アルバム『終り はじまる』発表。80年代以降は雑誌編集、音楽評論、翻訳等の分野で活躍。2000年代以降は再び歌手としての活動を活発化させている。
フルアルバムとしては第一作目となる通算2枚目のアルバム。デビューから約半年後の1969年に発表された。ディレクションを西岡たかしが手がけ、メンバーそれぞれのソロをフィーチャーするなど、コンセプトアルバム的な志向を持って制作された。
1967年に西岡たかし、藤原秀子、有山淳司、中川イサトの4人で結成されたフォークグループ。70年代初頭にかけて数多くのヒット曲を発表し初期フォークブームを牽引。
1969年、当時20歳の高田渡が五つの赤い風船とのスプリットアルバムの直後にリリースした初の単独アルバム。自作曲を中心にしたギター弾き語りだが、スタジオに招いた若い女性と会話しながらラジオ番組風に進めていくという特異な構成。
1949年岐阜県生まれ東京育ち。URC第1回会員配布作品『高田渡/五つの赤い風船』でレコードデビュー。ピート・シーガー曲に自作詞を付け物議を醸した「自衛隊に入ろう」が名高いが、現代詩をフォーク曲に乗せる手法を確立したアルバム『ごあいさつ』(1973/ベルウッド)や明治演歌のアレンジも評価が高い。2005年没。
本作は木田高介(元ジャックス)、西岡たかし(五つの赤い風船)、斉藤哲夫の3人によるユニットが唯一残したアルバム。その内容はまるで音の洪水が渦巻くような混沌としながらも不思議な魅力あふれる実験的な音楽で海外での評価も高い。ゲストに加藤和彦、細野晴臣、竹田和夫、上村律夫らが参加。ユニットとしての活動はこのアルバムを残したのみでコンサート活動などは行っていない。
ジャックス、六文銭、ナターシャセブン等で知られる木田高介、五つの赤い風船の西岡たかし、シンガーソングライターの斉藤哲夫の3人によるユニット。アルバム『溶け出したガラス箱』1作を残したのみの幻のユニット。
「教訓Ⅰ」が話題となった加川良の2ndアルバム(1972年発表)。デビューアルバムのメッセージ性とは裏腹に、自己内省的な歌が並ぶ作品。深夜放送で話題となった「下宿屋」でのポエトリーリーディングは本作最大の聴きどころ。演奏は、はっぴいえんどのメンバーや駒沢裕城、伊藤銀次などが参加。
1947年生まれのフォークシンガー、シンガーソングライター。1971年『教訓』でURCレコードからデビュー。その後数々の名盤・名曲を残す。代表曲である「教訓1」は今なお、様々なシンガーにカバーされている。
フォークの枠を超えた“純音楽家”として日本のミュージックシーンにおいて異彩を放った遠藤賢司が1970年URCからリリースした1stアルバム。遠藤自身のギター弾き語りに加え、Tr.1、4、5ではデビュー前のはっぴいえんどから細野晴臣・鈴木茂・松本隆が参加した今作は、1970年度『ニューミュージック・マガジン』誌日本のロック賞第2位に輝いた。
1947年茨城県生まれ。ボブ・ディランに影響されて大学時代より音楽活動を開始。1969年より3年続けて中津川フォークジャンボリーに出演。1969年のレコードデビュー以来、膨大な数の作品を発表しつつ旺盛なライヴ活動を展開。代表曲「カレーライス」「東京ワッショイ」「不滅の男」「夢よ叫べ」他。2017年没。
1970年のフォークジャンボリーで好評を博した「教訓Ⅰ」を収録した加川良のデビューアルバム(1971年発売)。「教訓Ⅰ」「戦争をしましょう」等の自作曲のほかにシバの「悲しい気持ちで」のカバー、アメリカ民謡に日本語詞を載せた「夜明け」など全12曲を収録。はっぴいえんどのメンバーや早川義夫、鈴木慶一らが参加。
1947年生まれのフォークシンガー、シンガーソングライター。1971年『教訓』でURCレコードからデビュー。その後数々の名盤・名曲を残す。代表曲である「教訓1」は今なお、様々なシンガーにカバーされている。
本作品は三上寛が、最初にURCレコードからリリースした「怨歌」集である。独自、唯一無二の世界観をいかんなく発揮した問題作。「パンク」という言葉が無かった当時、すでに充分パンクなアルバムとなっている。
1950年青森県生まれ。1971年、コロムビアよりシングル「馬鹿ぶし」でデビュー。以後、3枚のアルバムを残しURCレコードに移籍。自作詩による「夢は夜ひらく」のカバー、「誰を怨めばいいのでございましょうか」等、【怨歌】を歌い話題になる。 日本を代表するフォークシンガーであり、俳優・執筆活動なども熟し今なお活躍している。
URCレコードから1973年1月に発売された友部正人の出世作となった全編弾き語りのセカンド・アルバム。「一本道」「乾杯」「にんじん」「トーキング自動車レースブルース」など、闘争の季節終焉後の閉塞の時代にあって共感を呼んだ名曲の数々を収録。
1950年東京生まれ。日本のフォークシンガー、詩人。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に衝撃を受けソングライティングにのめり込むようになる。1972年「大阪へやって来た」でデビュー。1973年に代表作『にんじん』、『また見つけたよ』をリリース。今もなおギター1本持っていろんな場所に行って歌い続けている。
1970年に知人の自宅で録音されたプライヴェート録音のいわば発掘音源で、宅録物の走りとも言えそうな密室的作品。発売は1973年2月。自宅録音ならではの、ゆったりとしたホームメイド感あふれる名盤。
1947年大阪生まれ。日本のギタリスト、シンガーソングライター。1968年デビューの “五つの赤い風船” で西岡たかし、長野たかし、藤原秀子らとともに活動。“五つの赤い風船” 脱退後、金延幸子、瀬尾一三、松田幸一らと"愚"を結成。1972年には村上律と “律とイサト” というフォークデュオを結成。1973年からはソロ活動が中心となる。日本におけるフィンガーピッカーの草分けの一人。2022年没。
URCの本質を現代に改めて問うコンピレーションCDシリーズがスタート。
第1弾は“戦争と平和”をテーマに選曲。
TBS「報道特集」特任キャスターの金平茂紀氏を監修に迎え、あの時代と現代とを結ぶ金平氏の書き下ろしテキストを掲載。
高品質Blu-spec CD2仕様。
かねひら・しげのり ジャーナリスト。1953年北海道生まれ。1977年TBS入社。以降、同局で記者、ディレクター、キャスターなど一貫して報道現場を歩む。早稲田大学客員教授など歴任。2004年度「ボーン上田国際記者賞」、2022年度外国特派員協会「報道の自由賞」等受賞。『ロシアより愛をこめて―モスクワ特派員滞在日誌』(筑摩書房)『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など著書多数。
本作はURCレコード第一弾として1969年に発表された記念碑的作品集。Track01〜07はフォークの巨匠、高田渡のライブ音源集。脚光を浴びた名曲「自衛隊に入ろう」収録。Track08〜16は西岡たかし、藤原秀子らの美しいコーラスハーモニーを聴かせる五つの赤い風船の作品。名曲「遠い世界に」など収録。
1949年岐阜県出身。日本を代表するフォークシンガー。
使用楽器はギター、マンドリン、オートハープ。
1969年以降の関西フォークムーブメントの中心人物として活動を開始した。
1967年に西岡たかし、藤原秀子、有山淳司、中川勇人の4人で結成されたフォークグループ。
「遠い世界に」など数多くのヒット曲を発表した。
『終り はじまる』は、高校時代から音楽活動を始めた関西フォークの旗手・中川五郎が、六文銭とのスプリット盤に続いて1969年弱冠20歳でリリースした単独初アルバム。ピート・シーガーの強烈なプロテスト・ソングに自ら訳詞を付けた「腰まで泥まみれ」から、専業主婦の嘆きをユーモラスに綴った「主婦のブルース」まで、中川の瑞々しい才能が全編にわたって光るメッセージ・フォークの名盤。
1949年大阪生まれ。
高校時代から音楽活動を始め、1969年に小室等のグループ六文銭とのスプリットアルバム『六文銭/中川五郎』でURCからレコードデビュー。
80年代以降は雑誌編集、音楽評論、翻訳等の分野で活躍。
2000年代以降は再び歌手としての活動を活発化させている。
本作はジャックス解散直後の1969年11月に発表された。バンドサウンドとは大きく異なり全編を通して、ほぼ弾き語りで人間の持つ閉塞感を赤裸々に語っている。その楽曲は陰鬱な雰囲気が立ち込めていて、重く切なく聴くたびに彼の孤独の叫びが切々と伝わってくる。
東京都出身。シンガーソングライター、著述家。
1960年代後半にロックバンド、ジャックスのメンバーとして活動開始。
解散後はソロとして活動を継続している。
なぎらけんいちがURCに残した名盤。表題曲「葛飾にバッタを見た」や深夜放送で話題になった「悲惨な戦い」など、フォーク・カントリーの名演全13トラック。
1952年東京都銀座(旧・木挽町)出身。
1972年アルバム『万年床』でビクターよりデビュー。
ナンセンスな歌詞で注目を集める一方、フォーク、カントリー、ブルーグラスに造旨が深くギター演奏力の高さも秀逸である。
現在は音楽活動のほかに俳優、バラエティタレントなど多彩な活動を行っている。
加川良が盟友中川イサトと共に行った、数々のコンサートから初出曲やカバー曲など、ここでしか聴けない名演を収録。
1947年生まれのフォークシンガー、シンガーソングライター。
1971年『教訓』でURCレコードからデビュー。
その後数々の名盤・名曲を残す。
代表曲である「教訓1」は今なお、様々なシンガーにカバーされている。
1968年10月17日、大阪フェスティバルホールにおけるフォークル解散公演を収めたライヴ・アルバム。
2003年に初めて公開された貴重音源を、映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』公開を記念して再リリース。
1965年、加藤和彦、北山修らにより京都で結成。1967年の自主制作盤『ハレンチ』収録曲「帰って来たヨッパライ」がラジオで話題を呼ぶ。これが東芝レコードからシングルとしてリリースされると200万枚超えの大ヒットを記録し、一躍人気グループとなるが、1968年アルバム『紀元貮阡年』をリリースした後、当初の予定通り同年10月に解散。2002年、加藤、北山に坂崎幸之助(THE ALFEE)を加えて期間限定再結成を果たし、同年末に再び解散。加藤は2009年、端田宣彦は2017年に他界。
CAST
きたやまおさむ 松山猛 朝妻一郎 新田和長 つのだ☆ひろ 小原礼 今井裕 高中正義 クリス・トーマス 泉谷しげる 坂崎幸之助 重実博 コシノジュンコ 三國清三 門上武司 高野寛 高田漣 坂本美雨 石川紅奈(soraya) 他
ARCHIVE
高橋幸宏 吉田拓郎 松任谷正隆 坂本龍一 他(順不同)
企画・構成・監督・プロデュース:相原裕美
制作:COCOON 配給・宣伝:NAKACHIKA PICTURES
協賛:一般社団法人MAM
2024年|日本|カラー|ビスタ|Digital|5.1ch|118分
©2024「トノバン」製作委員会
公式サイト:https://tonoban-movie.jp/
公式:@tonoban_movie
5月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次公開
CDマスタリング 鈴木浩二(ソニーミュージックスタジオ)
ジャケット表1のイラストは和田博巳により描かれ、1970 年に音楽誌に掲載された「ムーヴィン」広告絵柄です。
日本のインディ・レーベルの先駆けとして1969年に産声をあげ、70年代末に活動を終了したURC(アングラ・レコード・クラブ)。高田渡、遠藤賢司、友部正人、加川良、はっぴいえんど、岡林信康、その他多くの先鋭的な才能が集ったURCは日本のフォーク/ロックの祖と言える存在。2023年6月、ソニーミュージックよりURC名盤群の数々がCD再発されるのと同時に、URCの本質を現代に改めて問うコンピレーションCDシリーズ「URC銘曲集」もスタート。その第4弾は伝説のロック喫茶 高円寺「ムーヴィン」(1969−1975年) のオーナー兼マスター和田博巳による選曲・監修。タイトル通り当時「ムーヴィン」で流れていたURCアーティストの名曲の数々をコンパイル。50年を経て明かされる貴重なストーリー、和田博巳書下ろしムーヴィン小史 全8ページをCDブックレットに掲載!
僕が1969年5月に高円寺南口で始めた《ムーヴィン》は、最初ジャズ喫茶だった。が、1年を待たずしてロック喫茶に鞍替えした。
《ムーヴィン》はおそらく東京で4番目のロック喫茶だ。その当時のロック喫茶は、新宿《ソウル・イート》、渋谷《ブラック・ホーク》、吉祥寺《ビ・バップ》の3つだったと思う。《ブラック・ホーク》は最初ロックタイムを設けてジャズの合間にビートルズやローリング・ストーンズといった ……
(CDブックレット冒頭より一部抜粋)
1948年生まれ。新宿のジャズ喫茶「DIG」に勤務後、1969年に高円寺にジャズ喫茶、その後ロック喫茶となる「ムーヴィン」をオープン。1971年、ロックバンドはちみつぱいにベーシストとして参加。1986年から、フリーのレコーディングディレクター・音楽プロデューサーとして、あがた森魚、オリジナル・ラブ、ピチカート・ファイヴなどのアルバム制作に携わる。現在はオーディオ評論家として活躍中。
Amazon…… メガジャケ
応援店…… 紙製コースター(URCロゴ柄)
特典が無くなり次第終了となります。
レーベルコンピレーション最新版では、かねてよりURCに造詣の深い曽我部恵一(サニーデイ・サービス)を選曲者に起用。“シティ・フォーク”をキーワードに、後追い世代ならではの視点で選曲。ジャケットデザイン、ライナーノーツも曽我部自身が担当する。60~70年代の“若者たち”の心象風景を映し出した“URCレガシー”を、従来のURCファンにとどまらず、現在の若いリスナーにも伝える1枚。
昔の少年少女たちがフォークをやってから、50年ほどが過ぎた。輝きを増すものもあれば、古めかしくなったものもある。どちらも素敵だと思う。2024年の今、もういちど自分の部屋で聴きたいURCの歌たちを集めた。
あなたにも気に入ってもらえたら、とても嬉しい。
(曽我部恵一/ライナーノーツより)