萩原健一 『ロックコンサート -R-』
萩原健一 『ロックコンサート -R-』
萩原健一 『ロックコンサート -R-』

伝説の1990年渋谷シアターコクーンライブ作品が
初デジタル化!!

全ショーケンファン待望の作品が

HDリマスター・リマスタリング音源にて
Blu-ray再発売!!

新規公開1

「ロックコンサート -R-」Blu-ray発売告知ティザー映像[90秒]

俳優にしてミュージシャン、真のレジェンド
“ショーケン”こと萩原健一が鬼籍に入って3年余。
ショーケンファン待望の1990年
渋谷シアターコクーンライブ映像を
完全HDリマスター・リマスタリング音源にて
Blu-ray化!

■映像:Sony PCL 「RS+」によるHDリマスター
■音源:STUDIO「オレンジ」小泉由香氏によるリマスタリング

商品詳細はこちら

1990年に収録・発売されたこの伝説のライブ作品「ロックコンサート -R-」は オリジナル発売以降いかなる形でも再発売されておらず、30年以上を経た今回が初めてのデジタル商品化。
彼のデビューがバンド「ザ・テンプターズ」のヴォーカルだったことは同時代の人々には有名だが、 実際その後晩年まで断続的にソロ活動が展開されており、これはその一時期のライブ。
ショーケン伝説のシアターコクーンLiveを最高画質・最高音質で楽しめる、超プレミアムなマスターピース作品!!


新規公開2

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

ショーケン・ファンを自他ともに認め
長年彼の活動を追ってきた
音楽ライター・内本順一氏による
7000字近いノーツ解説が到着!!

(以下、一部抜粋)

”当時、自分はエンタメ情報誌の編集をしていたのだが、ラッキーにもそこでショーケンにインタビューすることができた。思い入れの強さ故、前の晩はほとんど眠れなかったが、それはともかく今となってはかなり貴重なインタビュー。行なったのはその年の5月か6月で、このライブにかける意気込みをショーケンが語ってくれた。”
(~中略~)
”(当時)40歳の萩原健一が、ここにいる。全身全霊で躍動し、歌っている。激しくて、純粋で、情熱的で、冗談が好きで、手を抜くことを知らず、子供みたいに笑い、バンドとひとつになって楽しんでいたショーケンが、ここに生きている。”

■寄稿 「ロック・ヴォーカリストとしての萩原健一を振り返って」

音楽ライター/内本順一

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

萩原健一が鬼籍に入って3年半ちょっと。あれからいくつかの記事と数冊の本が世に出て、ドキュメンタリー番組も放映されたが、俳優または人としてのショーケンに焦点を当てたものはあっても、ロック・ヴォーカリスト/ミュージシャンとしての彼を掘り下げたものはまったくと言っていいほどなかった。最後の自著『ショーケン 最終章』(講談社)の第6章「原点」で音楽/ライブについて自ら記しているが、そこでの28ページが恐らく唯一ではないだろうか。

俳優としての圧倒的な個性・魅力・存在感については改めてここで書くまでもないが、自分はそれと同じくらい、あるいはそれ以上にヴォーカリストとしてのショーケンに“やられてきた”人間だ。故に音楽性と録音物とライブについての論考や批評が昔からあまりにも少ないことに不満を持っている。いかにライブが凄かったか。いかに破格で唯一無二のロック・パフォーマーだったか。柳ジョージ&レイニーウッドをバックバンドにして行われた初のソロ全国ツアー(傑作ライブ盤『熱狂雷舞』になったそれだ)を1979年7月14日に渋谷公会堂で観て以来、最後の東京公演となった2018年5月のビルボードライブ東京「Time Files」まで関東におけるライブには毎回足を運んでいた自分としては、機会があればそれを伝えていきたいし、今回1990年のライブ作品が初めてデジタル化(映像のHDリマスター/音源のリマスタリング)されて発売されるのも、ライブアーティストとしてのショーケンを知らない人たちに知ってもらえるいい機会でもあると思う。

「いかに破格で唯一無二のロック・パフォーマーであったか」と書いたが、ショーケンは常にライブをやり続けたミュージシャンではない。俳優活動に専念し、あるいはトラブルを起こし、音楽活動をまったくやらなくなった時期も長くあった。また、やれば必ず最高のライブになるかというと、そういうわけでもなかった。最高の時期もあったし、そうじゃない時期もあった。とんでもなく凄いライブもあったし、がっかりさせられたライブもあった。それもまた再評価のし辛さに繋がっているのかもしれないが、それも含めて「あんなヴォーカリストはほかにいなかったし、この先も絶対に出てこないだろう」と断言できる。

ロック・ヴォーカリストとしての全盛期は70年代後半から80年代半ばにかけてで、レーベルで言うなら徳間ジャパンの「Bourbon」期。スタジオ録音の『Nadja』3部作(1977年・1978年・1979年)、『DON JUAN』(1980年)、『D’ERLANGER』(1982年)、『THANK YOU MY DEAR FRIENDS』(1984年)、ライブアルバムの『熱狂雷舞』(1979年)、『DON JUAN LIVE』(1981年)、『SHANTI SHANTI LIVE』(1983年)、『ANDREE MARLRAU LIVE』(1985年)と、この時期は毎年のように傑作を放っていた。歌唱法(節回し)とパフォーマンスのあり方も年々変化し、例えば『熱狂雷舞』ではまだ地声で元のメロディに忠実に歌っているが、『DON JUAN LIVE』では歌を崩してファルセットの割合も増えている。よりロック的というか個性的というか、クセの強い独特の歌唱スタイルがここから始まり、それは次第に強まっていった。「私の音楽的な転機は、1980年代のドンジャン・ロックンロール・バンドにある。それまではPYGから続く井上堯之・大野克夫とのタッグによる音楽づくりに染まっていた。楽曲はロックというよりも歌謡曲かアダルト・コンテンポラリーに近く、ブルース・ロックを愛する私自身とは隔たりがあった。ドンジャンでは、時代に迎合せずに、好きなメンバーと純粋に自分の音楽を追求することができた」。『ショーケン 最終章』の第6章にこのような記述があるが、確かにドンジャン・ロックンロール・バンドの結成からパフォーマンスの自由度と強度が一気に増したと、当時観ていた自分も感じていたものだった。

ツイン・ギターでツイン・ドラム。そんなドンジャン・ロックンロール・バンドと一体となったショーケンのライブは思い出すだけでカラダが熱くなる。『DON JUAN LIVE』になった1980年8月26日の東京厚生年金会館大ホール、1982年7月31日の日比谷野音、ハウンド・ドッグとジョー山中をオープニングアクトに迎えた1983年1月21日の日本武道館。山下達郎、ハウンド・ドッグ、シャネルズ、世良公則&ツイストらの出演で1980年7月27日に西武球場にて行われた「80’s JAM OVER JAPAN」ではトリを務め、豪雨で水がたまったステージ上を何度もスライディングしながら、雨の激しさに耐えられず帰り始めた客に向かって「帰んじゃねえぞぉぉぉ。終わりじゃねえぞぉぉぉぉ。戻ってこい! ノセるぞぉぉぉぉ」と狂ったように絶叫していたのも忘れられない。ドンジャンではないが、柳ジョージ&レイニーウッドのステージに飛び入り出演し、サックスを吹く鈴木明男の頭に脱いだ靴を乗せながらブルーズハープを吹いて歌った1980年大晦日の「浅草ニューイヤーロックフェスティバル」もまたとんでもなかった。その時期のぶっとんだパフォーマンスが大麻の力を借りてのものだったことは後のショーケン自身の告白で知ったが、だとしても観る者を興奮のるつぼに招き入れるパフォーマンスはあまりに凄まじく、ショーケン&ドンジャンはあの時代の日本のナンバー1ロックバンド、RCサクセションのライブ力に完全に匹敵していたというのが自分の確かな実感だ。

大麻不法所持で逮捕された2年半後、1985年8月24日によみうりランド・オープンシアターEASTで「WHAT’S? LAST LIVE!! これが最後か!!」と銘打って行なわれたライブは、ドンジャンの数人にミッキー吉野らを加えてバージョンアップしたアンドレ・マルロー・バンドとのものだった。客席からステージにたばこ状の大麻が投げ入れられ、それを拾って「誰だ、こんなもん吸ってんのは?! 警察に言うぞ」とショーケンが言うと、どっと沸く観客たち。そんなこのライブを、ショーケンは『ショーケン 最終章』で「生涯最高の出来だった」と振り返っている。

その後、シンガーとしてのショーケンはMOON RECORDSに移籍して『Straight Light』(1987年)と『Shining With You』(1988年)をリリース。『Shining With You』のリリース・タイミングには、その2枚のアルバムを中心とした「HARD RAIN LIVE」をアンドレ・マルロー・バンドと行なった(東京は日比谷野音)。そしてそこから約2年ぶりに行なわれたのが、1990年9月の渋谷・Bunkamuraシアターコクーンにおけるロングラン公演。そう、今回Blu-rayで発売される『ロックコンサート -R-』である。

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

当時、自分はエンタメ情報誌の編集をしていたのだが、ラッキーにもそこでショーケンにインタビューすることができた。思い入れの強さ故、前の晩はほとんど眠れなかったが、それはともかく今となってはかなり貴重なインタビュー。行なったのはその年の5月か6月で、このライブにかける意気込みをショーケンが語ってくれた。そこでの言葉を紹介しよう。

まず、この公演は1990年の9月16日から30日まで15日間連続で行なわれたもの。

「ツアーであちこち回るというのは、僕はどうも……。それよりも少し小さいところ、1000人も入らないようなところで数日間やりたいという僕の希望があったんですよ」「だんだんとお客さんの年齢層が広くなってきたものですからね。あの頃若かった方も僕と一緒に歳をとったりしているから。ああいう(シアターコクーンのような)劇場でやったほうがいいんじゃないかと思ってね」

80年代には西武球場や武道館やよみうりランドEASTといった大会場で数万人の観客を熱狂させてきたわけだが、恐らくショーケン自身、ローリング・ストーンズがスタジアムでやるようなビッグなライブのあり方に飽きて、新しい形に移行したくなっていたのだろう。プリンスは2007年にロンドンのO2アリーナで21回連続公演を行なったものだが、そのように同じ会場で連続して公演を行なうことで到達できる境地というものが確かにあり、ショーケンはそれを求めたに違いない。

バンドメンバーは、井上尭之(ギター)、ミッキー吉野(キーボード)、速水清司(ギター)、菅原裕紀(パーカッション)、渡辺健(ベース)、鈴木明男(サックス)、樋口昌之(ドラムス)。加えてコーラスで杉本和代と鈴木智佳。バンド名はアンドレ・マルロー・バンドからブラック&マルロー・バンドへと改められた。

「みなさん、各分野で活躍されている一流のミュージシャンですからね。若い頃のようにいつも寄り添っているわけではないですけど、スタジオに入れば“さあ、やろうか”って感じで始まりますよ」「今回はジャムセッションみたいな感じでやりたいんです。もちろん一応のスケールはありますが、曲は多めにリハーサルしておきますので。でも、日によって曲をとっかえひっかえやるというのではなくて、ある程度決めたなかでのジャムという感じ。例えば今日のなんとかという曲が明日も同じかというと、違うと思いますよ」「新曲はやらないと思います。みなさん新曲ばかりやりますけど、耳に馴染んでいる曲のほうがいいじゃないですか。だってねえ、わからないものね」

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

前述したように歌唱法、発声法が年々変化していったショーケンだが、それは意識的なのかどうか、そのことも訊いてみた。

「いや、自然ですね。そのときそのときミュージシャンがいて、音が鳴ったときに自然に出てきた歌なんです。だから今度はどんなふうになるのか、自分でもわからない」「でも、ロックですよ。だって、やっぱりロックしかできないからね。ただ歳月が経っているから、音の肌合いは違うんじゃないかな」

因みにコンサートのタイトルは「ロックコンサート -R-」だったが、インタビュー時には「コレラの時代の愛」がメインタイトルだった(その後、それはサブタイトルになった)。「コレラの時代の愛」はガブリエル・ガルシア=マルケスの小説のタイトルで、内戦とコレラのまん延に揺れる19世紀末から20世紀初頭のコロンビアを舞台にしたもの。ショーケンらしい引用だ。

「やっぱり微熱じゃ面白くないからね。コレラくらいの熱が出ないと(笑)」

今ならまずそうなそんな発言もありつつ、「観終わったあと、必ずいい酒が呑めるようなライブにするよ」と話したショーケン。また、この年はローリング・ストーンズが遂に初来日した年でもあったのだが、それを観ての感想をこんなふうにも話していた。

「やっぱりよかったね。丸くなったと言う人もいるけど、あれだけ長い間ひとつのことをやっていて、それでとんがり続けていたらおかしいよ。彼らが僕にロックを教えてくれたんだよ」

もちろん自分はこのコンサートも観た。当時の印象は、以前にも増して「演じるように」歌っていた、ということ。役者としての感覚をそれまでよりも濃くパフォーマンスに反映させているということで、その印象は今回改めて作品を見直しても変わらなかった。表情がよく変わる。怒ったような顔をすれば、その数秒後には子供のような笑顔を見せる。上へ下へと声を動かし、両手、両足、身体全体を忙しく動かす。パントマイムじゃないが、祈るように手を合わせたり、女性を抱くように手を動かしたり、足をバタつかせたり。片時もじっとしておらず、尭之さんや速水さんや鈴木さん、あるいはコーラスのふたりに絡みにいっては、また歌う。

その場の雰囲気とタイミングに合わせて歌詞を自由に変えるのもショーケン流だ。例えばここでの「大阪で生まれた女」は、「踊り疲れたディスコの帰り」を「黙り疲れた留置場の帰り」と変えていた。そういうちょっとした悪戯をいろんなところに入れ込む。「ある程度決めたなかでのジャムという感じ。例えば今日のなんとかという曲が明日も同じかというと、違うと思いますよ」と言っていたのは、つまりそういうことだ。同じ曲が同じ曲じゃなくなる。そのときによって変わる。それがライブの醍醐味だという考えをショーケンは持っていたが、とりわけこのロングラン公演はそれが如実に反映されたものだった。

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

声の出力はどうか。中立的に見て、80年代の全盛期に匹敵するほどの出力ではなく、見ていて少し掠れているところが気になる人もきっといるだろう。だが、悪くない。それも味と捉えることができる範囲での掠れだ。それにライブの半ばから後半にかけてはどんどん声の強度が増していっている。それも凄いところだ。

このロングラン公演のあと、ショーケンは音楽活動をストップし、長きに亘って俳優業に専念。次にライブを観ることができたのはそこから実に13年が過ぎた2003年11月、渋谷公会堂での「ENTER THE PANTHER」だったのだが、そのときはブランクがたたったのと声帯の変化によって地声の弱さがかなり目立っていた。「ファルセットでばかり歌っていたら、裏声を出すところに肉がついちゃったんです」と2018年春にインタビューした際にそう話していたものだが、2000年代と2010年代に行なわれた何度かのライブは、そことどう折り合いをつけて歌うかで良し悪しが分かれたものだった。2010年1月23日に京橋のル テアトル銀座で観た「ANGEL or DEVIL」、2013年6月27日に横浜BLITZで観た「I FEEL FREE」、2017年5月8日にビルボードライブ東京で観た「Last Dance」及び9月28日の川崎CLUB CITTA「Last Dance Vol,2」。先にも書いた通り、いいライブもよくないライブもあった。よくないときというのは、地声が強く出せず裏声に逃げることの多くなるときだった。

2000年以降で最も素晴らしかったのは、最後の東京公演となってしまった2018年5月4日のビルボードライブ東京「Time Files」だ(このツアーのラストにして生涯最後のライブとなったのは6月10日のモーション・ブルー・ヨコハマだった)。病の進行から最後のツアーとなることを覚悟し、それを最高のものにすべくショーケンはボイストレーニングに通ってライブに臨み、あの裏声唱法を封印。ほぼ裏声に逃げることなく中音域も地声で歌い、結果、歌唱の説得力と深みはそれまでと段違いのものになっていた。最後のツアーでショーケンは最高のパフォーマンスを見せたのだ。

話を1990年の「ロックコンサート -R-」に戻すと、このときはまだ、ファルセットも随所に入れ込みはするが、基本的には地声でしっかり歌っている。バンドアンサンブルも素晴らしく、ショーケンとの一体感が最高だ。腕と心のあるミュージシャンたちのプレイ姿、とりわけショーケンと共に度々前に出る井上尭之と速水清司と鈴木明男の動きは絵になるし、3人とも楽しんでいるのがよくわかる。「ラストダンスは私に」のイントロの尭之さんのギターなどは、聴いていてうっとりしてしまうものだ。

全12曲。オープナーはザ・テンプターズ時代の「神様お願い」(1968年)で、ソロ活動を始めてからは歌っていなかったが、確かこの公演で初めてソロ・ライブのレパートリーに加えたんじゃなかったかと記憶している。そして「ショーケントレイン(9月25日吉日、友の結婚)」からはライブの定番曲(「ラストダンスは私に(Save the last dance for me)」「大阪で生まれた女」「シャ・ラ・ラ」「Ah! Ha!」「愚か者よ」など)に、MOON移籍後の2作から「GIMME YOUR LOVE」「プレゼント」「メフィスト・ガール」を混ぜて展開。進むほどにボルテージを上げるが、なんといっても最後の「Thank You My Dear Friends(58年9月、お世話になりました)」が感動的だ。母親と父親にSORRYと詫び、世話になったポリスマンと尼さん(瀬戸内寂聴)にGOOD BYEと言い、「偉大なあなたの やさしい愛が」というサビに至って観客みんながシンガロング。そのときのショーケンの笑顔。たまらない。グッとこないではいられない。

(当時)40歳の萩原健一が、ここにいる。全身全霊で躍動し、歌っている。激しくて、純粋で、情熱的で、冗談が好きで、手を抜くことを知らず、子供みたいに笑い、バンドとひとつになって楽しんでいたショーケンが、ここに生きている。

萩原健一 『ロックコンサート -R-』
萩原健一 『ロックコンサート -R-』

萩原健一

『ロックコンサート -R-』

発売日:2022年12月7日

価格:¥5,500(税込)
品番:MHXL-128

商品形態:Blu-ray(通常盤のみ・約81分収録)
発売:ソニー・ミュージックレーベルズ

【収録曲】

  1. 神様お願い
  2. ショーケントレイン(9月25日吉日、友の結婚)
  3. God Bless You (去年の暮れ―予感)
  4. GIMME YOUR LOVE
  5. ラストダンスは私に(Save the last dance for me)
  6. 大阪で生まれた女
  7. プレゼント
  8. シャ・ラ・ラ
  9. Ah!ha!
  10. メフィスト・ガール
  11. 愚か者よ
  12. 12.Thank You My Dear Friends (58年9月、お世話になりました)

*収録時間 81分
*途中にインタビュー、モノローグを含みます

<対象店舗/特典内容>

店舗別の購入特典は以下の3種となります。

■Sony Music Shop
 ・・・ オリジナルミニタオル

萩原健一 『ロックコンサート -R-』

■楽天ブックス
 ・・・ オリジナル缶バッチ

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■Amazon.co.jp
 ・・・ ビジュアルシート2枚

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*注意事項
・特典は数に限りがありますので、 無くなり次第終了となります。 あらかじめご了承ください。
・上記店舗以外での配布はございません。 ご了承ください。
・特典絵柄は追ってご案内いたします。
・各オンラインショップに関して、 カートが公開されるまでに時間がかかる場合がございますので、 予めご了承ください。
・Amazon.co.jp、 楽天ブックス、 その他一部オンラインショップでは”特典対象商品ページ”と ”特典非対象商品ページ”がございます。
・ご予約の際にご希望される商品ページかをご確認いただいてからご予約いただきますよう、 お願い申し上げます。

萩原健一 Profile

1950年生まれ。1967年 ザ・テンプターズのヴォーカリストとしてデビュー。
「神様お願い!」「エメラルドの伝説」等が大ヒット。バンド解散後、PYG(ピッグ)を結成。
その後映画『約束』での演技が高い評価を得、これを機に音楽活動を続けながら俳優へと本格的に転身。
1972年、TVドラマ『太陽にほえろ!』『傷だらけの天使』等に出演。
以降も多くのドラマ・映画作品などに出演し、俳優として大きな人気と存在感を示し続けた一方で、
ミュージシャンとしても精力的な活動を続けた。