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Young Bloods 佐野元春
スタイルカウンシル調のグルーヴに日本語が醸す儚さを見事に調和させた、まさに奇跡の一曲。ある意味で「SOMEDAY」以上に初期のEPICを象徴しているようだと、楽曲制作者目線で改めて感じる名曲。当時はまだ数える程しかいなかった洋楽的なアプローチで、「国民的」といえる大きな成功を収め得ていた山下達郎さんや桑田佳祐さん。それぞれの方法論で「どこか遠い国から吹き込んでくる風のような存在」として認知されていたであろう時代に、クラスメイトが突然机の上に上がってHungry Heartをシャウトするかのような痛快なスポットライトを灯す存在として、街のティーンネイジャーたちと机を並べていたのではないでしょうか。サビ前、佐野さんとコーラスのビブラートを受けて奏でるピアノとストリングスのオクターブユニゾンの、かくも美しい3拍半のフレーズが、昭和ニッポンのポップミュージック史を実は塗り替えていたのではないでしょうか。
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My Revolution 渡辺美里
名曲であることは言わずもがなですが、制作者の歴史的視点でじゃあ何がすごいかをいくつか振り返ると、1番Aメロの“君に逢えた意味を暗闇の中”の譜割りがまず何よりもの革命なんです。「My Revolution」以前の世の中では、“君に逢えた意味をラララ”程度の字数でこの小節間を賄っていたはずで、この2小節と少しに16文字をぎゅっと詰め込んでしまえた斬新過ぎるスピード感が、実は邦楽史に於ける大変革の始まり。加えてよく言われていることですが、転調を多用するデュランデュラン的展開やキラキラのデジタル系リバーブ感などと併せて、現代のボカロPに繋がる新時代のスピード感を、この80年代に具現化してしまっていた小室さん、大村さん、小坂さんには永久に敬意を表したいです。その詰め込んだ譜割りを突き破らんとする、まだ十代だった渡辺美里さんの清く逞しい歌声のコントラスト、といった構図が、当時の受験戦争真っ只中に捻じ込められた少年少女達の魂を癒し、奮い立たせた最大の要因だろうと推察します。
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そして僕は途方に暮れる 大沢誉志幸
偉大なる我が師匠、音楽プロデューサー木崎賢治氏が手がけた、邦楽史に燦然と輝く傑作中の傑作。僕は中学一年生でカップヌードルのTVCMでこの曲に触れた瞬間から、音楽の世界へと吸い込まれていく運命となりました。それから数年を経て幸運にも出会うことが叶った木崎さん本人から、この名曲が元々「凍てついたラリー」というタイトルの楽曲提供用デモで、そこから「そして僕は途方に暮れる」になっていくエピソードを小さな焼肉店で披露してもらった瞬間から、僕の憧れは音楽スターから「真の音楽制作者」へと進化していきました。銀色さんの淡色で胸を抉る歌詞、アレンジャー大村さんに拠るタイトな8ビートの80’sグルーヴは上質の極みですが、特に1サビ終わりから登場するスネアの音色と2サビの大沢さんのボーカルは、「再現不可能」といえる奇跡のテイクだと今でも感じます。
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格好悪いふられ方 大江千里
見た目や声が人並みだとしても、溢れる情熱があるなら夢を諦めるなと後に続く天才シンガーソングライター達へと高らかに謳ってくれた「十人十色」を経て、さらなる前人未踏の地を切り拓いてくれたのがこの曲、というかこのタイトル。この曲が世に放たれる以前は“いかに素敵か”“いかにカッコ良いか”が楽曲のタイトルに於ける絶対的価値でした。「格好悪いふられ方」が無ければ、平成から令和の音楽史に於ける楽曲のタイトルは曖昧模糊の無味無臭リストだらけだったことでしょう。「部屋とYシャツと私」や「丸いお尻が許せない」や「セロリ」は、きっと違うタイトルでリリースされたのではないでしょうか。リフレインが叫んでいるかのような切なげなAメロを経て、以後一気にカノンコードで昇天させる急展開構造が、同時期の小室哲哉さん達と同様に邦楽にイノベーションを起こした、いかにもEPIC的変革の象徴。
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LOVE TRAIN TM NETWORK
TMNといえばEPIC的には社歌レベルで「Get Wild」になるのですが、もう一つ記しておきたい曲として「LOVE TRAIN」は避けて通れません。この後、90年代に小室さんのプロデュースワークに拠る多くのヒット曲がこの国を席巻することとなりましたが、「ああ、“LOVE TRAIN”の流れだ」と感じる場面にかなり遭遇した記憶があります。そういった楽曲制作的な区分けとして、「Get Wild」はTM NETWORK的なEPIC初期の代表作、「LOVE TRAIN」は90年代邦楽メガヒット曲の源流、といった棲み分けで創り手としては捉えていて、それが最も顕著に表れているポイントがサビの主旋律の譜割り。「Get Wild」がシンコペ重視なのに対し、「LOVE TRAIN」は拍の表を徹底して打つ構造になっています。”LOVE“も”TRAIN“も”もどれない“も、言葉アタマの一文字が拍の表にバチっと当たるように構築されていて、徹底的に日本人が唄い易いメロディを模索しながらも、ユーロビート由来のスタイリッシュな仕上げに落とし込めた、小室さんとTMNチームが到達していたスタジオワークの極みとして称え続けたい名曲。
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うれしい!たのしい!大好き! DREAMS COME TRUE
トップアーティストの「代表作」と言われる楽曲以上に、その少し前、アーティストが上り坂に入る分岐点となったであろう楽曲とその構造に着目する癖が僕にはあり、偉大なるドリカムでいう「LOVE LOVE LOVE」「決戦は金曜日」以上に「うれしい!たのしい!大好き!」が完成した瞬間を想像するだけで鳥肌が立ちます。ユニット立ち上げ時のコンセプトとして“スウィングアウトシスター”という設定があったとはいえ、EUディスコ由来の堅調且つ適量に倍音を効かせたビートに乗せて手を繋いだ日から右手がスーパーでスペシャルになったなどという女性心理をソウルフルなボーカルで僕らに突き刺す、といった芸当は、やはりそれ以前に誰も成し得なかった偉業だったはず。当時のセオリーに縛られて艶っぽいブラコンの世界観でしかこのサウンドを表現できなかった人達の屍の山をカジュアルに飛び越えた、吉田さんという稀代のボーカリストと、作曲・編曲面でグローバルな音像を探究し続けた、中村さんとの最上のコンビネーションを、J-POPシーンに具現化した制作担当ディレクターが、なんとThe Street Slidersやエレファントカシマシを世に送り出した山本慎太郎さんだったという衝撃の事実が、より一層身震いするポイントでもあります。
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どぉなっちゃってんだよ 岡村靖幸
数多のアーティストからリスペクトを集める岡村さんの名曲の中で、「だいすき」や「イケナイコトカイ」以上に稀有な音源として記しておきたい曲がこの「どぉなっちゃってんだよ」。当時頻繁に耳にした“岡村はプリンスなんだよな”論で簡単に片付けられてしまっているようで、勝手に忸怩たる想いをしていた僕なりに当時の誰かに反論させていただきます。まず、冒頭のリバース音からのクラッシュのタイミングとレベル調整、カッティング気味に叩くアコギのマイク位置決めからEQ決め、2拍目を溜め気味に録るパーカスのDB、フィードバック傭員のエレキのアンプ決めからゲイン×レベルのバランス調整×ディレイタイム調整、ベースのミュート具合、バスドラの音色決め…からの、それらすべてを絶妙に配置するMIX。これが冒頭からたった11秒間に岡村さんが達成し得ている、奇跡といえる業績です。そこから展開していく伝説のサビ以降からアウトロまでを含めて、こんな音像とそれまでの常軌を完全に逸脱した歌詞の世界観を、1990年当時邦楽で耳にしたことは一度もありませんでした。令和の今、僕は予算一億円を用意して一年間猶予をもらっても、フル尺は疎かこの冒頭11秒間すら完全に再現できないかもしれません。インターネットもSNSも無い平成初期に本家プリンスを凌駕する音像をたった一人で開拓すると同時に、このクオリティの詞と“ベイビー 週刊誌が俺について書いていることは全部嘘だぜ”のセリフと謎深い振り付けを同時に考えていた超人を世に輩出したことも、またEPICの偉大な功績の一つ。
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Tiny Tiny Tiny Chara
「やさしい気持ち」が存在としてのCHARAさんを象徴する曲だとしたら、音楽家としてのCHARAさんの根っこ、根拠みたいなモノをより強く感じたのがこの「Tiny Tiny Tiny」。CHARAさんが登場する以前のソウルR&B系女性シンガー界は、声量自慢大会さながらの、強く、太く、カタカナ発音で「オー、ハッピー」と張り上げてナンボの世界に見えて、違和感を禁じ得ませんでした。音量的に史上最少のヒソヒソ声で、「魂や血液や体温」といった熱量を多くのファンと共有し得たのは、それまでの誰よりもゴルペル由来のフロウ感やソウルR&B特有の譜面の上下を抉り倒すフレーズのみが醸せる魔法を、「誰よりも理論的に音像化することに成功した最初の女性アーティストがCHARAさんだった」ということなんだと思います。カラフルでPOPでふわっとしたキャラクターにその秘訣を内包して世に送り出した、当時のチームのみなさんにもあらためて敬意を表したい一曲。
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違う、そうじゃない 鈴木雅之
朝水彼方さんに拠る歌詞とタイトルの効能が効きまくっている、90年代を代表する大ヒット曲ですが、改めて聴き込んでみて驚愕するのがまずAメロ。Aメロの8小節間、ワンコードのままワングルーブを貫いてヒットした曲とは?と問われて他の例が瞬時に浮かばないレベルの神業だと思います。端的に表してこれも主に鈴木さんのボーカル術に拠るものですが、唄っていない時間、休符の間も聴衆に席を立たせないかのように語尾のニュアンスを操るフレイジングのみで、次の展開を聴き逃せない構造になっていて、こういった説明し辛いポイントをよく“センス”の一言で表現されますが、僕はむしろこれぞ“プロの技”だと解釈しています。そしてあまりに有名なこのサビのイメージで「派手なサウンド」という漠然とした印象を抱いていましたが、ブラスが目立つ箇所以外は「4リズム+極上のボーカル」という意外や意外なシンプル構造を貫いていて、二度驚愕するに至りました。ベースの効用についてよくダメ出しをくださった大先輩、小林和之さんのプロデュース術の極み…お洒落です。
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アジアの純真 PUFFY
イントロを聴いた瞬間、ELOのカヴァーだと反応してしまった僕は素で踊らされた一人。毎秒油断させぬよう綴られた歌詞も然ることながら、デフレマインドが隅々まで行き渡った、現代では考えることすら許されないクラスの遊び心をこれだけ高いレベルで結実させてしまう領域に邦楽が到達していた証としても、是非とも記しておきたい一曲。この曲で出会ったという亜美さんと由美さんに、母音を強調しまくるビートリーな民生さんばりのボーカルテイクを初レコーディングから体現させ得た要因の一つに、「やはり民生さんの仮唄があったのではないか?」と勝手に推察していまして、アーティストとのファーストコンタクトに於いて、「やはりサンプルの精度にも拘らねばならん」と勝手に思い出すキッカケにしている一曲。
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ワダツミの木 元ちとせ
EPIC制作部時代、部会で先輩がプレゼンした“奄美大島で生まれ育って高校卒業後に本州で美容師を目指したんだけど、薬剤アレルギーで一か月後に断念した”という元ちとせさんのエピソードを鮮明に覚えていて、好感度を数珠繋ぐ適切な紹介例として今でもよく使わせてもらっています。「ワダツミの木」は、この曲でデビューする奄美の歌姫と、元レピッシュ上田現さんのセッション的構造そのままに、シマ唄独自の南国フロウ感と90年代UA的Lo-Fiなちょいレゲエ・レアグルーヴサウンドの絡ませ方が適切以上の奇跡の配分。冒頭、「アコギのハーモニクスとシンセ×ストリングスの浮遊感を切り裂くドラムフィルを受け唄い始める聴き馴染みの無い歌声」という演出に、リバーブとディレイを最小限に抑えて耳元で聴かせる方向に振り切った英断がいかに正しかったか、発売から二か月後にオリコンシングルチャートで1位になった記録が証明するように、人々の耳を着実に一つずつ捉えていった、稀代の名プロダクツといえると思います。これもEPIC4部の遺伝子が産み出した最高傑作の一つ。
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JOY YUKI
YUKIちゃんのアルバム制作に携わるにあたり、10,000曲以上のデモを聴いて最初に選んだのがこの曲の原曲。僕としては清水の舞台から飛び降りる覚悟で、当時ほぼニートだった蔦谷好位置と、CM音楽で食い繋いでいた田中ユウスケを世に送り出し、そこからYUKIちゃんと共に怒涛の快進撃を歩んでいくターニングポイントを創れたと自負する「JOY」。当時“曲調的にタイアップをつけ辛い”といった理由でシングルカットはしない方向で上層部の間で話が進みかけていたところを、「なんとかシングルとしてリリースして欲しい」と、現場のみんなであの手この手で懇願し続けたことを今でも鮮明に覚えています。どうにか各位の合意を得てアルバム先行シングルとしてリリースされ、アルバム「joy」と共に大ヒットすることが叶いましたが、すべての選択肢の中から、最良・最適を見抜く1/10,000の神話を自分の中に確立できたことは、僕と我がagehaspringsにとっても後の大きな分岐点となりました。アーティストの迸る才能を正確に見積もり、最適なチームを編成するEPICの遺伝子を齧って仕上げることができた、我が至極の一曲。
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Mela! 緑黄色社会
見出してから永い育成期間をかけてアーティストの才能を高いレベルまで磨き上げてからデビューを迎える伝統がかつてのEPICにはありましたが、その系譜にいる本格派バンドとしても僕は緑黄色社会を秘かに支持しています。この「Mela!」はagehaspringsの横山裕章も編曲プロデュースで参画し、普遍性の中での独自性をさらに確立できた曲でもあると感じる一曲。音楽業界の中枢ほど忘れがちなことではありますが、「奇を衒わない上質なサウンドで人々の関心を惹きつけること」の難易度を知り尽くすが故に、歴史に名を残せるレベルのボーカル、品質が担保された楽曲群、多くの人が「心地良い」と感じる良質なサウンド、といった、ポップミュージック偏差値を誇れるレベルで獲得したプロジェクトは、世に知られて以後永続きする、という大原則を今一度思い出させてくれるヒット曲になったと思います。これも、素晴らしい才能と最良のチームが編成できたことへのご褒美の系譜。