Special Interview with Danielle Vidal by Lucy Kent
ダニエル・ビダル『ランデブー』
スペシャル・インタビュー
by ルーシー・ケント
アルバム『ランデブー』では生まれ変わった私の代表曲と、私のこれまでのパーソナルな人生がCDのなかで一緒に描くことが出来たのが本当に嬉しいし、何よりも幸せでした(ダニエル・ビダル)
―― 今日はお会い出来るのを楽しみしていました! 日本でDJをしているルーシー・ケントです。聞きたいことがたくさんあるのですが。まずはニュー・アルバムのタイトル『ランデブー』はどういう想いで付けられたのですか。
ダニエル 『RENDEZ-VOUS』ね。長い時間、日本での音楽活動をしていなかったので、私と同じ年齢を重ねた当時のファンと今再開できることを期待したランデブー。それからその往年のファンとこれからファンになってくれるかもしれない日本の新しいリスナーの音楽を通してのランデブーも願って。そう、音楽、友人、もう全部、私が日本とランデブーしたかったの!
―― ステキです。今回、代表曲の新しい解釈を含まれた『ランデブー』を聴かせてもらって、音楽も時の流れと一緒に成長したという印象を受けました。アレンジもすごくいいですね。
ダニエル ありがとうございます。フラッシュ金子さんのアレンジですね。今回彼がアルバムをアレンジしてくれたのは私にとって幸せでした。時にエキサイティングして、時に気がつけばエモーショナルにもなっていて。いい時間でした。私も、彼もミシェル・ルグランのファンなんですよ。あ、ルーシーも好きですか? ミッシェルの一番好きな作品を教えてください。
―― 逆質問ですね(笑)。『シェルブールの雨傘』も『ロシュフォールの恋人』も大好きです。
ダニエル いいですね(ニッコリ)。音楽の好みはその人の生き方も表します。金子さんとも音楽の趣向が一緒ということがあったから、余計な話や打ち合わせを必要以上にしなくても彼はすぐに私のやりたいことを理解してくれた。
―― 金子さんとはどういうきっかけで知り合いになったんですか。
ダニエル 共通の知り合いというか友達がいたんです。日本で彼と初めて会ったとき「ダニエルさん日本で再デビューするのはいかがでしょうか?」って言われて、嬉しかったです。私は大好きな日本でもういちど音楽活動するチャンスだと思って快諾しました。
―― それこそ素晴らしいランデブーですね!
ダニエル はい! パーフェクトなランデブーですね。やっぱり今回はこの言葉に繋がっていきます。
―― 1曲目の「あまい囁き」。デュエットしているジェームス小野田さんの声もすごいいいですね。
ダニエル カッコいいでしょ! 彼は囁くような甘い声で日本語で歌い、私はそのままフランス語で「PAROLE PAROLE」を歌う面白いデュエット曲になりました。今の時代こういう曲があっても良いと思ったんです。だって、私が最初に日本に来た時はこの歌のように日本人の男性、女性に甘い囁きとかしなかったでしょ? ルーシーあなたがいくら綺麗でも、昔の日本の男性はあなたに囁くことはなかったでしょ? 電話番号を聞かれることはなかったでしょ?
―― 私は男っぽいという理由で何もなかったかも(笑)。でも確かに日本の男性も積極的になってきましたけど、まだまだ。もっと頑張れ! と言いたい。
ダニエル アハハ。さっきここに来る前に街で赤ちゃんかごを持った日本の男性を見たけど、昔はいなかったはずよ。いろんな場面で変わってきていると思うわ。そうそう、フランスでは家庭料理を作るのはだいたい30代の男性ね。料理できない女性も多いのよ。でもお互いのキャリアを尊重しながら紅茶を入れあって夫婦を長く続けようって気持ちが美しい。
―― あなたの声は変わっていないかも。
ダニエル ありがとう。それは今が楽しいからかもしれない。ディナーショーで歌ったりしているから声はあまり歳をとっていないかもしれないわ。今のパートナーが南フランスでレストラン持ってるから、そこのデコレーションもやったりしているから、そういうことも楽しいの。今度帰ったらクリスマス・デコレーションで忙しくなるわね。あとよく動くんです。森を歩くクラブにも入ってるから、おとなしくソファで座っている時間があまりないかも(笑)。一日中、なにかたくさんやってる感じ。お友達に食事に招待されるとよく言われるの。「ダニエル座って。座らなければ食べれないよ」って。
―― 元気ですねー。そういう活力がアルバムにも注入されている気がします。エディット・ピアフ「ラ・ビアン・ローズ」のカバーもステキでした。
ダニエル 私、エディット・ピアフを尊敬しているんです。彼女のシャンソンへのオマージュを捧げながら、違うムードも出したかったから、若い女性ミュージシャン代表としてレイナ・キタダにバイオリンを弾いてもらったの(インタビュー部屋にいる彼女にウインク)。モンマルトルの小さなカフェで友達同士が偶然あって、そこで「ラ・ビアン・ローズ」をセッションしちゃったみたいにな持ちにしたかった。
―― いいですね。そんな雰囲気がありました! フランスっていうと街の中でバイオリンとかアコーディオンが流れてくるっていうイメージが私のなかでもあって。でも日本だとアコーディオンっていう楽器は、のど自慢とかのイメージかな。
ダニエル フランスもそういうイメージはありますよ。古いイメージだったけれど、だんだんなくなってきたかもしれない。子供もアコーディオンを習うことが珍しくないし、アコーディオン・フェスティバルもある。やっぱりフランス大衆音楽の根元の楽器なんだと思います。今、モンマルトルでもパリでも、普通のカフェとかでアペリティフとか飲んでいると、そこにアコーディオン持ってる人来て、シャンソン歌ったりする。若い人も老いた人も、男性も女性も、外国人も観光客も一緒になってアコーディオンで歌わされちゃう。
―― 好きですね。そういう文化。ダニエルさんは、小さい時に何か楽器やってたんですか?
ダニエル 私は残念ながら楽器を弾かず、クラシックバレエを踊っていました。
―― 小さい時ってどんな曲を歌っていたんですか?
ダニエル ママがアクトレスだったの。私達兄弟6人の面倒を見ながら音楽を良く聞いていたから、自分の年齢よりうーんと上の世代のシャンソンも知っている。ポエムにも触れた。ママのおかげで、フランス音楽の知識と幅が子供ときに広がったんだと思います。
―― シャルル・アズナブールから歌手スカウトされたっていう話を聞いたことがあるんですけど。
ダニエル あ、それは、説明しますね。シャルル・アズナブールがマルセイユで大きなショーを開催していたんです。それで、彼が他のタレントと一緒にステージに上がらなければならない時間があって、たまたま私を選んでくれたということです。何が嬉しかったって、シャルルのお客様がまだデビュー前の私に「大丈夫だ!」をお墨付きしてくれたここと。マルセイユのお客さんですよ。厳しいことは知っていますよね、昔も今もマルセイユのサッカーのサポーターを見れば(笑)。
―― サッカーの話で思い出したんですけど、去年のワールドカップでフランスが優勝したじゃないですか。代表のエムバペ選手を称える時に「オー・シャンゼリゼ」の替え歌が流れていましたね。確か日本のサッカーでもベガルタ仙台が応援する時にサポーターが「オー・シャンゼリゼ」を歌うんですよね。
ダニエル 嬉しいですね。愛されていますね。元々いい歌ですから。リズムもいいですし。メロディも覚えやすい。『ランデブー』でフラッシュ金子さん率いるBIG HORNS BEEがフィーチャーされた「オー・シャンゼリゼ」の新しいリズムも大好きです。タンタン、踊りたくなるじゃないですか。
―― 最初に「オー・シャンゼリゼ」(’71年)が日本で大ヒットした時はおいくつだったんでしたっけ?
ダニエル デビュー曲の「天使のらくがき」(’69年)の時は17歳でした。当時のフランスはいわゆる大人は21歳だったんです。私は本当の子供だった。今は18歳になれば自分で政治家を選んで投票できるから……やだ、この話、うんと昔の江戸時代の話みたい。
―― アハハ。初来日を覚えていますか?
ダニエル 日本に来る前にフランスで「あなたのレコードが日本でナンバーワンになってるよ」と周りから言われて何のことだろうと思っていたの。「日本どこー?」って(笑)。だってあの頃、アジアの国っていうことは知っていても、日本のことは多くのフランス人そんなに詳しくなかったはず。でも日本に着いたら、もう知らないところで設立されていたファンクラブの日本のファンが、羽田空港で待っていたの。小さなフランス人形をたくさん持ってね。私はまさに“不思議の国のダニエル“だった。
―― 17歳の少女にとっては驚きでしたね。
ダニエル 驚きは驚きでしたが、日本のファンって可愛くて、優しくて、礼儀正しい人ばかりだったから楽しかったです。お母さんも一緒に来てくれてね。新聞も週刊誌の取材もお母さんと一緒。いろんなことがありました。日本の芸能界の素晴らしいのは時間通り来ることね。ちゃんと時間を守りますよね。そして、お互いにアーティスト同士が尊敬しているのも好きです。ちゃんと挨拶するじゃないですか。「お疲れ様」って言葉のフランス通訳は難しいけれど、一緒によく一緒をして疲れたという意味じゃないですか。フランス人は疲れるほど仕事しないから(笑)。日本人は昔も今も本当に仕事に一生懸命、番組だときちんと台本も作ってるし、テキトーなことがぜんぜんない。かっこいいよ。スタッフためのルールでもあるし、仕事を守るためのルールが上から下まで行き届いているのは、かっこいい。
―― 今日もこのインタビューは日本語で答えてくれていますが、日本語はどこで覚えたのですか?
ダニエル 耳で覚えたの。若いうちに日本で仕事をしながら覚えたのが良かったのかもしれませんね。話している言葉は覚えやすいですよ。人間と人間のコミュニケーションが何よりも好きですから。
―― 日本との関わりの想い出の「天使のらくがき」に、サエキけんぞうさんによって今回新しい日本語歌詞が付きました。ユニークな組み合わせですね。サエキさんは「ゲンスブール委員会」の一員ですし、フレンチ音楽愛好家として知られています。
ダニエル ユニークでしたね。この曲もステキなランデブーでした。日本人のフランス音楽好きは嬉しいです。「シャンソン」のイメージ作ったのは日本だと思っています。シャンソンにどこかクラシカルなイメージを付けたのは日本のリスナーなんですね。感覚的な話ですが我々フランス人でいうとシャンソンはシャンソン。今もシャンソンもシャンソンですね。
―― オリジナル曲「メロディ・ダムール」も大好きです。
ダニエル ありがとうございます! 作曲がフラッシュ金子さんで、歌詞書いたのは私の日本の娘といっても過言ではないレイナ・キタダ。彼女のフランス語は、もうパリジャン。「メロディ・ダムール」は私のなくなった旦那様と息子へのメッセージ・ソング。だから今回のアルバム『ランデブー』では生まれ変わった私の代表曲と、私のこれまでのパーソナルな人生がCDのなかで一緒に描くことが出来たのが本当に嬉しいし、何よりも幸せでした。
―― そういえば、来年2020年に東京でオリンピックが開催されるのですが、その次、2024年はパリなんですね。ダニエルさんにとっては本当の故郷と第二の故郷がずっとオリンピック。
ダニエル ワオ! それは素晴らしい。じゃあ、また会える可能性があるわね。そのオリンピック前に、ルーシー、フランスに遊びに来てね。先週はフラッシュ金子さんご夫妻が南フランスのお店に来てくれたの。街も案内しますから。もしかしたら、気がついたらルーシー、街で彼氏が見つかるかもしれないわね。
インタビュー/ルーシー・ケント
文/安川達也(otonano編集部) スチール撮影/塩坂芳樹(otonano編集部)
DANIELLE VIDAL(ダニエル・ビダル)
1969年、17歳の時に「天使のらくがき」でデビュー。たちまち話題となり“愛らしいフランス人形”と形容された。その後「オー・シャンゼリゼ」のビッグヒットにより、日本でフレンチ・アイドル・シンガーの時代を築いたダニエル・ビダル。70年代にはバラエティ番組やCMなどにもしばしば出演し多くの人に愛された彼女。本人も親日家である事を公言しており、テレビ番組等に出演した際は流暢な日本語を披露している。
近年はディナーショーを行なうなど、今もなお、そのキュートな魅力は変わらず多くのファンを持つ。
LUCY KENT(ルーシー・ケント)
アメリカ人と日本人の両親を持つ。アメリカ生まれ、3歳の時に東京に移住。 8歳の時に原宿でスカウトされ雑誌・ポスター・TVCMなどモデルとして活動をはじめる。 高校卒業後、ラジオDJ、ナレーター、MCの仕事もスタート。 ‘81年から6年間、六本木のライブハウス『KENTO'S』のボーカリストを務めた。 ‘88年、J-WAVE開局と同時にDJに起用される。以降、同局で様々な レギュラー番組、イヴェントの司会を担当。 ‘98年には長野冬季五輪では聖火ランナーに選ばれた。