大いなる可能性と才能の煌めき、
60年の時を経て放たれる。
大いなる可能性と才能の煌めき、
60年の時を経て放たれる。
▼『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』からの
第一弾「クライ・ミー・ア・リバー」はこちら
バーブラ・ストライサンド
『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』
2022年11月23日発売
紙ジャケット仕様●解説・歌詞・対訳付●Blu-spec CD2
●SICP31575●定価:¥2,860(税込)
<収録曲>
-
デヴィッド・カプラリックによるイントロダクション/
マイ・ネーム・イズ・バーバラ - マッチ・モア
- ナポレオン
- あたし嫌いよ 音楽なんて!
- ライト・アズ・ザ・レイン
- クライ・ミー・ア・リバー
- ヴァリュー
- 恋人よ、我に帰れ
- バンド・イントロダクション
- もうすぐ雨が
- スーパーマーケットにおいで
- ホウェン・ザ・サン・カムズ・アウト
- 幸せの日は再び
- キーピン・アウト・オブ・ミスチーフ・ナウ
- スリーピン・ビー
- アイ・ハド・マイセルフ・ア・トゥルー・ラヴ
- 魅せられて
- 狼なんか怖くない
- アイル・テル・ザ・マン・イン・ザ・ストリート
- 蜜の味
- ネヴァー・ウィル・アイ・マリー
- ノーバディーズ・ハート・ビロングス・トゥ・ミー
- マイ・ハニーズ・ラヴィン・アームズ/
- アイ・ステイド・トゥー・ロング・アット・ザ・フェア
コロンビア・レコード在籍60周年を記念して
2021年の『リリース・ミー2』(キャリアを網羅した、貴重な未発表音源のコンピレーション)以来となる『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』は、バーブラ・ストライサンドのコロンビア・レコード在籍60周年を祝う1枚だ。バーブラ本人によるライナーノートにはこう書いてある。
「ナイトクラブには足を踏み入れたこともなかったんです。そこで歌うようになるまでは。2曲歌って優勝した私は、角を曲がった先のボン・ソワールという洗練されたサパークラブで歌うことになりました。そこには本物のステージがあって、スポットライトもあった。ボン・ソワールでの話題が話題を呼び、1962年、私はコロンビア・レコードと契約しました。今日まで続く長い付き合いが始まったのはその時。最初、そのクラブで録音する予定だった私のファースト・アルバム。この初期のテープは、60年間、私の家の保管庫に眠っていました。こうして、デビュー・アルバムになるはずだった『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』をようやく世に送り出せること、みなさんと分かち合えることを心から嬉しく思います」
デビュー・アルバムになる予定だった
『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』
バーブラと、グラミー賞受賞エンジニアのヨーカム・ヴァン・デル・サーグが監修を手がけた新たなミックスにより、リスナーは、まさにその比類なきキャリアのスタート点に立つ20歳のストライサンドを目撃しているかのような体験をするに違いない。1962年10月1日、バーブラが人生初となるレコード契約をコロンビアと結んでから約一ケ月後となる11月4日、5日、6日に、グリニッジ・ヴィレッジの小さなナイトクラブでライヴ録音されたのが『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』で、本来バーブラのデビュー・アルバムになる予定だった。
意に反して録音状態の技術的な問題があり最終的に『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』のテープはお蔵入りとなり、それに代わってバーブラのナイトクラブでのレパートリーだった11曲をスタジオで録音した『バーブラ・ストライサンド・アルバム』が1963年にリリースされる。この画期的なデビュー作によって、バーブラはグラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤー、最優秀女性ヴォーカル・パフォーマンスを含む数部門に輝いた。
グリニッジ・ヴィレッジに通う者にとって有名な”行きつけの店”、ボン・ソワール。女優を目指しながらブロードウェイで活躍していたバーブラは、コンテストでの優勝をきっかけに、このナイトクラブへの出演を果たす。ステージは大好評で、ニューヨークタイムズ紙は「驚くほど若くてスタイリッシュでパワフルな声を持つおてんば娘」と評し絶賛した。そうして伝説となった年から今年で60周年、『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』には、バーブラ・ストライサンド本人監修の元、プロデュース、ミキシングされた24曲が収録され、その全容が初めてアルバムとしてリリースされる。オリジナル・マスターテープはすべてバーブラの個人保管庫にこれまで眠っていたものだ。
『ライヴ・アット・ザ・ボン・ソワール』は、バーブラ・ストライサンド、マーティン・アーリックマン、ジェイ・ランダースによってプロデュースされた。ランダースは、アルバムに寄せた長文ライナーノーツ(24曲の全曲解説を含む)の中でこう書いている。「1962年以来、レコーディングの科学が遂げた進歩は飛躍的とも言える。グラミー賞受賞エンジニア、ヨーカム・ヴァン・デル・サーグは、先輩エンジニアたちには推測すら出来なかった方法で、オーディオに関する問題を、絶妙に解決してきた。今回もバーブラの素晴らしいヴォーカルには、何一つ手が加えられていない。それでいて、全体的な音像はオリジナル・テープから大きく改善されている」。ヴァン・デル・サーグによれば「テープを現代の最新鋭スピーカーで再生した瞬間、当時のエンジニアたち、ロイ・ハリーとアド”パピー”セルーが、どういう状況に直面していたかがわかった」のだという。「クラブの音響は明らかにレコーディング向けに設計されておらず、楽器から漏れる音を彼女のヴォーカルマイクがたくさん拾ってしまっていた。だから、例えばピアノの音量を下げようとすると、ヴォーカルの音量も下がってしまう。そこで、リスナーに“会場の一番いい席で聴いてもらう”ため、僕らは最先端のスペクトル・エディティング技術を用い、バーブラとバンドの真の芸術性を明確化したんだ」。伴奏を務めるのは、ギターのタイガー・ヘインズ、ベースのアヴェリル・ポラード、ドラムのジョン・クレシ、そしてピアノのピーター・ダニエルズというベテラン・ミュージシャンによる一流カルテットだ。バーブラとバンドの間に、純粋な仲間意識と尊敬の念が交わされていることが見てとれる。
BARBRA STREISAND
バーブラ・ストライサンド
バーブラ・ストライサンドは、レコーディング・アーティスト、俳優、監督、プロデューサー、脚本家、作家、ソングライター、コンサート・パフォーマーなど様々な分野で大きな功績を残し、エンタテインメント界を象徴する存在として広く認められてきた。オスカー2回、エミー賞5回、グラミー賞10回、トニー賞1回、ゴールデン・グローブ賞11回等の受賞歴を誇る。そしてこれまで、6つの連続したディケイド(60年代、70年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代)のすべてにおいて、アルバムのチャート首位を獲得したアーティスト(ソロ、グループ)はバーブラ・ストライサンドただ一人だ。