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第157回 萩原健太のotonanoラジオ#39

2020/06/30 公開

栗原憲雄(ソニーミュージック洋楽ディレクター)さんをゲストに迎えて

今週のオンエア曲

栗原憲雄(ソニーミュージック洋楽ディレクター)さんをゲストに迎えて

1.

ボブ・ディラン

偽予言者

『ラフ&ロウディ・ウェイズ』2020年7月8日発売

栗原憲雄(ソニーミュージック洋楽ディレクター)さんをゲストに迎えて

2.

ボブ・ディラン

アイ・コンテイン・マルチチュード

『ラフ&ロウディ・ウェイズ』2020年7月8日発売

栗原憲雄(ソニーミュージック洋楽ディレクター)さんをゲストに迎えて

3.

ボブ・ディラン

あなたに我が身を

『ラフ&ロウディ・ウェイズ』2020年7月8日発売

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#39

『ボブ・ディラン<ラフ&ロウディ・ウェイズ>に見え隠れする往年の楽曲集』

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各社ストリーミング事情によってリスト内容や表記が異なる可能性があります。予めご了承ください。

1. マイ・ラフ・アンド・ロウディ・ウェイズ/ジミー・ロジャース

今回の『otonanoラジオ』はボブ・ディランのニュー・アルバム特集。正直言って、深すぎる1枚だけに30分番組で全手を語りきれるはずもなく…。ということで、今回のプレイリスト、番組ではちらっとしか触れることができなかったテーマを。ディランの新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』の収録曲の歌詞などに見え隠れしている往年の楽曲群をピックアップして、その一部を並べてみました。まずはアルバム・タイトルの元になっているこの曲から。カントリー音楽の祖、ジミー・ロジャースが1929年に録音したものです。
2. レッド・キャディラック・アンド・ア・ブラック・マスタッシュ/ウォーレン・スミス

アルバムのオープニングを飾る「アイ・コンテイン・マルチチュード」は、ホイットマンの詩からの引用だとか、エドガー・アラン・ポー、アンネ・フランク、インディ・ジョーンズ、ローリング・ストーンズらへの言及など、興味深い要素が多い1曲。気になる曲名もふんだんに登場する。モット・ザ・フープルの「すべての若き野郎ども」をはじめ、カール・パーキンスの「ピンク・ペダル・プッシャーズ」、ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」など。そしてこの曲、ディラン自身も2001年にカヴァーしたボブ・ルーマンの1957年作品「レッド・キャディラック・アンド・ア・ブラック・マスタッシュ」も象徴的に顔を出す。最後にはベートーヴェンのソナタ、ショパンのプレリュードまで…。
3. イフ・ラヴィン・イズ・ビリーヴィング/ビリー“ザ・キッド”エマーソン

「最も卑劣な殺人」「アイ・コンテイン・マルチチュード」とともに先行公開された3曲のうちのひとつ、「偽預言者」は強力なブルース・チューンで。楽曲の構造そのものを本曲、R&B/ロックンロール・シンガー、ビリー“ザ・キッド”エマーソンが1954年、メンフィスのサン・レコードに残した「イフ・ラヴィン・イズ・ビリーヴィング」に借りている。ディランはこういうふうに、古い楽曲のメロディやサウンドをそのまま受け継いで、そこにより強烈な歌詞を載せてリメイクする、みたいなことをよくやるのだけれど。その最新型だ。
4. ハロー・メリー・ルー/リッキー・ネルソン

これも「偽預言者」より。「偽預言者」の歌詞にもいろいろなことを想像させる曲名が出てくる。番組でもちらっと触れたトラヴェリン・ウィルベリーズ仲間のロイ・オービソンの「オンリー・ザ・ロンリー」やバーバラ・ルイスの「ハロー・ストレンジャー」などのタイトルも引用されているけれど、今回は1961年ヒットしたこのリッキー・ネルソンの曲を。間奏のジェイムス・バートンによるギター・ソロも名演です。
5. 魅惑の宵/ペリー・コモ

リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタインⅡ世が映画『南太平洋』のために書き下ろしたスタンダード・ナンバー。フランク・シナトラ、ビング・クロスビーから、ウィリー・ネルソン、アート・ガーファンクルまで、幅広いシンガーがカヴァーしているメイク曲で、ディラン自身、2015年の『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』で歌っていた。で、新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』の収録曲のひとつ「ブラック・ライダー」にもこの曲のタイトルが歌い込まれていて。その部分だけコード進行を変えてみせたり。ちょっと面白い処理をしていたりする。今回は1949年に全米1位に輝いたペリー・コモのヴァージョンで。
6. ブライト・ライツ、ビッグ・シティ/ジミー・リード

『ラフ&ロウディ・ウェイズ』には前出「偽預言者」をはじめ、強烈なブルース・ナンバーがいくつか収められているのだが、そのひとつが「グッバイ・ジミー・リード」という曲。ジミー・リードというのは、ご存じ、米国南部で生まれ、1950年代から60年代にかけてシカゴで名を馳せた偉大なブルースマンのことだ。ローリング・ストーンズら1960年代英国ビート・バンド勢への影響の大きさでも知られている。ディランも、ゆるさとソリッドさ、熱さと切なさなどが絶妙に交錯する彼のブルースに魅せられた一人なのだろう。というわけで、「オネスト・アイ・ドゥ」「エイント・ザット・ラヴィン・ユー・ベイビー」などと並ぶ彼の代表曲を。1961年のR&Bヒットだ。
7. ディープ・エルム・ブルース/ザ・シェルトン・ブラザーズ

ここからは3月末、もっとも早く先行公開されてディランにとって初の全米ナンバーワン・ヒットを記録した「最も卑劣な殺人」の歌詞に出てくる曲の中からいくつかピックアップして並べてみよう。この曲は1963年11月、ジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件を題材にしているのだが、ケネディが撃たれたとき、彼を乗せた車列はテキサス州ダラスのエルム街を通過中。その流れで“ディープ・エラム”という地名をディランは持ち出している。古くから黒人も多く居住するダラスのダウンタウン東のエンタテインメント地区で、レッドベリー、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ブラインド・ウィリー・ジョンソンらの本拠としても知られている。そこを題材にしたトラディショナル曲が「ディープ・エラム・ブルース」だ。これまた多くの人が取り上げている曲で、ディラン自身も1962年ごろレパートリーに入れていた。今回はシェルトン・ブラザーズが1930年代に録音したヴァージョンで。
8. アイド・ラザー・ゴー・ブラインド/エタ・ジェームス

「最も卑劣な殺人」には日本でもおなじみだったラジオDJ、ウルフマン・ジャックの名前も登場。曲の後半は、キャディラックのリムジンに居残るジョン・F・ケネディの亡霊がカー・ラジオで吼えるウルフマン・ジャックに、誰それのためにあの曲を聞かせてくれ…とリクエストする形になっていくのだが、そのうちのひとつがこの曲。R&Bの女王、エタ・ジェイムスによる1967年の名R&Bバラード。
9. ベイビー、スクラッチ・マイ・バック/スリム・ハーポ

これは歌詞の中で“ストリップ・クラブのオーナー、ジャックのために「スクラッチ・マイ・バック」をかけてくれ”と描かれた曲。たぶんスリム・ハーポが1965年に発表したブルース「ベイビー・スクラッチ・マイ・バック」のことかな、と思われる。ちなみに、ジャックというのは、ケネディ暗殺の単独実行犯とされているリー・ハーヴェイ・オズワルドを逮捕後に射殺したナイトクラブ・オーナー、ジャック・ルビーのことだろう。
10. 悲しき願い/ニーナ・シモン

こちらは“ファースト・レディのために「悲しき願い」をかけてくれ。彼女は気分がよくないだろうから…”と歌われている曲。ファースト・レディというのはケネディが撃たれた際、車に同乗していた“ジャッキー・O”ことジャクリーン・ケネディ・オナシスのこと。「悲しき願い」というのは、1964年にニーナ・シモンが発表したもので、翌年のアニマルズ・ヴァージョンや尾藤イサオによる訳詞ヴァージョンが日本でもおなじみの楽曲だ。
11. 命知らず/ウォーレン・ジヴォン

「最も卑劣な殺人」には“カール・ウィルソンのためにかけてくれ/はるか遠く、ガウアー・アヴェニューの先を見つめながら…”という歌詞が出てくる。これはウォーレン・ジヴォンが1976年のアルバム『さすらい』に収めていた「命知らず」という曲の歌詞“Look away down Gower Avenue”に対応したもので。その曲にはビーチ・ボーイズのメンバーだったカール・ウィルソンがバック・コーラスとコーラス・アレンジで参加していた。
12. ミステリー・トレイン/ジュニア・パーカー&ヒズ・ブルー・フレイムズ

1955年にエルヴィス・プレスリーがカヴァーしたヴァージョンが有名だが、今回はジュニア・パーカーが1953年にリリースしたオリジナル・ヴァージョンで。この列車は彼女を奪い去っていくのか、連れ戻してくれるのか、祝福に向かう疾走なのか、葬列へと誘う旅なのか…。様々な謎が渦巻く“アメリカの寓話”。ディランの歌詞全般に大きく影響を与えた名曲のひとつだ。この他にも、それこそ無数の引用がディランの歌詞には出てくるので、ぜひ各自、深く深く分け入って堪能してほしい。

解説:萩原健太

栗原憲雄(ソニーミュージック洋楽ディレクター)さんをゲストに迎えて

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

Kenta's...Nothing But Pop!

第156回 萩原健太のotonanoラジオ#38

2020/06/23 公開

松浦雅也さんをゲストに迎えて

今週のオンエア曲

松浦雅也さんをゲストに迎えて

1.

PSY・S [saiz]

ファジィな痛み

『ATLAS』 初アナログ/完全生産限定盤 2020年7月22日発売

松浦雅也さんをゲストに迎えて

2.

PSY・S [saiz]

STAMP

『ATLAS』 初アナログ/完全生産限定盤 2020年7月22日発売

松浦雅也さんをゲストに迎えて

3.

PSY・S [saiz]

Wondering up and down ~水のマージナル~

『ATLAS』 初アナログ/完全生産限定盤 2020年7月22日発売

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#38

『男女ポップ・デュオ集~海外編』

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1. 愛ある限り/キャプテン&テニール

PSY・Sというのは日本のポップ・シーンにおいて独特の役割を果たしたポップ・ユニットだったな、と。久々に松浦くんと話ながら思いを新たにしたハギワラです。ということで、今回のプレイリストはPSY・Sのメンバー構成からの連想。古今の男女ポップ・デュオ集・海外編です。厳密にすべてがそうというわけではないけれど、なんとなく女性が歌って男性のほうがトラック作り…みたいな、PSY・Sっぽい役割分担を基本にしている系のものを中心に選んでみました。まずは“キャプテン”ことダリル・ドラゴンがバックトラックを作って、奥さまのトニ・テニールが歌って1975年に大ヒットしたこの曲から。
2. ゼア・マスト・ビー・アン・エンジェル/ユーリズミックス

強力な女性シンガー、アニー・レノックスと、プロデューサー/ギタリストとして多方面で活躍するデイヴ・スチュワートが結成していたポップ・デュオ・ユニット、ユーリズミックスの代表曲。1985年に全英ナンバーワンに輝いた。日本でも大ヒット。スティーヴィー・ワンダーがハーモニカでゲスト参加している。
3. デイ・ザット・アイ・ウェント・ホーム/スワン・ダイヴ

女性シンガー、モリー・フェルダーと、音楽ジャーナリストとして充実した評論記事などを発表したりもしている男性シンガー・ソングライター、ビル・ディメインが組んだ男女ユニット、スワン・ダイヴが1997年にリリースしたアルバム『ユーアー・ビューティフル』の収録曲。
4. アイヴ・ガット・ユア・ナンバー、サン/シー&ヒム

女優さんとして日本でも人気の高いズーイー・デシャネルが、男性シンガー・ソングライターのM・ウォードと組んだポップ・ユニットがシー&ヒム。本曲は彼らが2016年にリリースしたアルバム『ヴォリューム3』のオープニングを飾っていたナンバーだ。
5. タイム・アフター・タイム/タック&パティ

オーディションの現場でふと知り合っていきなり意気投合したという女性ジャズ・シンガーのパティ・キャスカートとギタリストのタック・アンドレスによるデュオ。あまりの相性の良さに、結成した翌年に彼らは結婚してしまったほどだ。本曲はご存じ、シンディ・ローパーのヒット曲。1988年のデビュー・アルバム『ティアーズ・オヴ・ジョイ』でカヴァーして大いに話題を巻き起こした。
6. ハウ・ハイ・ザ・ムーン/レス・ポール&メアリー・フォード

奥さまがシンガー、旦那さまがギタリスト…という組み合わせのタック&パティの大先輩にあたるのがこの人たち。多重録音技術を確立した偉業でも知られる名ギタリスト/エンジニアのレス・ポールと、その奥さまで歌手のメアリー・フォードはテレビ・シリーズなども持っていた人気夫婦デュオだ。1950年代にデュオで30曲の全米ヒットを放っている。その中から1951年に全米ナンバーワンに輝いたこの曲を。
7. ふたりのラヴ・ソング/カーペンターズ

と、そんなレス・ポール&メアリー・フォードの偉業を1970年代、夫婦ではなく兄妹で実現したのがカーペンターズだった。兄リチャードの卓抜したアレンジ/プロデュース能力と、妹カレンの芸術的なアルト・ヴォーカルの組み合わせで無数のヒットを飛ばした。今回はそんな中から1977年のヒット・シングルを。
8. 愛のぬくもり/ロクセット

ロクセットはスウェーデン出身の男女ポップ・デュオ。ヴォーカル担当のマリー・フレデリクソンとギター&ヴォーカルのペール・ゲッスルの組み合わせで、どちらもがんがん歌うのだけれど。今回は女性が歌っている曲中心のプレイリストなので、マリーさんが大きくフィーチャーされたこの曲を。映画『プリティ・ウーマン』の挿入歌として1990年、全米1位にランクした。
9. アイル・テイク・ア・タンゴ/ギャビー・モレノ&ヴァン・ダイク・パークス

グアテマラ生まれの女性シンガー・ソングライター、ギャビー・モレノと、ブライアン・ウィルソンとの深い関わりなどでもおなじみの奇才プロデューサー/ソングライター/アレンジャー、ヴァン・ダイク・パークスが組んだ2019年のコラボレーション・アルバム『スパングルド』より。アレックス・ハーヴェイが作って、シラ・ブラックやハリー・ニルソンが歌っていた曲のイマジネイティヴなカヴァーです。素晴らしい!
10. マイ・ラヴ/ザ・バード&ザ・ビー

リトル・フィートのロウエル・ジョージの娘さんであるイナラ・ジョージと、腕ききプロデューサー/コンポーザーのグレッグ・カースティン。現在の米西海岸シーンを“静かに”代表する二人の才人が組んだポップ・ユニットがザ・バード&ザ・ビーだ。そんな彼らが2009年にリリースしたアルバム『ナツカシイ未来(Ray Guns Are Not Just The Future)』から、この人気曲を。
11. カム・オン・ホーム/エヴリシング・バット・ザ・ガール

かつて“ネオアコ”と呼ばれたシーンを代表する男女シンガー・ソングライター、トレイシー・ソーンとベン・ワットが組んだデュオ・ユニットの曲。1986年にリリースしたサード・アルバム『ベイビー、ザ・スターズ・シャイン・ブライト』の収録曲だ。
12. ホエン・ユー・ゲット・トゥ・アッシュヴィル/スティーヴ・マーティン&エディ・ブリッケル

ほんとは“イーディ・ブリッケル”と発音するのが正しいようですが。ポール・サイモンの奥さまとしてもおなじみの女性シンガー・ソングライターが、コメディアン/俳優として活躍する大御所ながら実はバンジョーの名手でもあるスティーヴ・マーティンと組んだ2013年のアルバム『ラヴ・ハズ・カム・フォー・ユー』からの曲で、今回のプレイリストは幕です。

解説:萩原健太

松浦雅也さんをゲストに迎えて

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

Kenta's...Nothing But Pop!

第155回 萩原健太のotonanoラジオ#37

2020/06/16 公開

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

今週のオンエア曲

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

1.

大橋純子

たそがれマイ・ラブ

『筒美京平 Hitstory Ultimate Collection 1967~1997 2013Edition』

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

2.

BaBe

Give Me Up

『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1976-1999』

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

3.

大江千里

Rain

『作編曲家 大村雅朗の軌跡 1976-1999』

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

4.

桑江知子

私のハートはストップモーション

『AGAIN~女性ヴォーカリスト・スペシャル・セレクション~』

全国放送決定!BS日テレ
「風の譜~福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗~」
6月28日(日)18:30~19:54 放送

『風の譜(うた)~福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗~』2020年6月28日(日)18:30~19:54

番組HP

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#37

『70年代のメジャー・セヴンス・コードに魅せられてmaj7』

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1. きっと言える/荒井由実

今回のプレイリストは、高橋昌太郎くんとの話の中でも触れたメジャー・セヴンス系のコードにこだわった選曲。今では日本のポップ・シーンでも誰もが普通に使うメジャー・セヴンス・コードだけど、1970年代にはまだまだ使い手も少なく、市民権を獲得できていなかった。ということで、ぼくが1970年代当時、耳にしてしびれた日本のメジャー・セヴンスものを集めてみた。まずは、これでもかと転調を繰り返しながら“Ⅱm7(onⅤ)→Ⅰmaj7”というコード進行をたたみかけて、ぼくたちの度肝を抜いた若きユーミンのこの曲から。1973年のデビュー・アルバム『ひこうき雲』より。
2. 朝/はっぴいえんど

細野晴臣、大滝詠一、松本隆、鈴木茂という鉄壁のラインアップによる、はっぴいえんどが1970年にリリースしたデビュー・アルバムより。デビュー前に“コード進行研究会”のようなことを自宅に集まってよくやっていたという大滝さん(作曲、ヴォーカル)と細野さん(アコースティック・ギター)による小品だ。“横たわるー君の…”の“るー”のところのメジャー・セヴンスが、まじ、たまらなかった。
3. 地球はメリー・ゴーランド/ガロ

この種のメジャー・セヴンスの使い手として当時、大いに人気を博していたアメリカのグループにブレッドという人たちがいて。そのブレッドのサウンドに影響を受けたと思われるガロのシングル曲が1972年のこれ。作曲はメンバーのひとり、トミーこと日高富明。アレンジは当時、ハイセンスな仕事を多数こなしていた東海林修。イントロからメジャー・セヴンス感が炸裂している。1972年にこれやられた日にゃ、もう夢心地でした。
4. ピンク・シャドウ/ブレッド&バター

細野晴臣、鈴木茂、林立夫、斎藤ノブ、ジョン山崎、小原礼、山室恵美子、新井潤子ら名手がこぞってサポートした、ポップで、穏やかで、ちょっとソウル風味混じりの名盤、1974年の『バーベキュー』からの1曲。“Ⅱm7→Ⅰmaj7”という黄金のコード進行でグルーヴする名曲だ。のちに山下達郎もライヴでカヴァーした。
5. 魔法にかかった朝/加藤和彦

これもぼくにとってはけっこう初期に出会った日本のメジャー・セヴンスもの。フォーク・クルセダーズを解散して、その後、サディスティック・ミカ・バンドを結成することになる加藤和彦が、その狭間の時期、ソロで活動していた1971年にリリースしたアルバム『スーパー・ガス』の収録曲だ。ジェイムス・テイラーの「サニー・スカイズ」のAmaj7→Bm7/Eというコード進行と、それをリズミカルに指弾きするギター・パターンをそっくりそのまま拝借した1曲。大好きだった。
6. 哀愁のページ/南沙織

1970年代、わりとメジャーな音楽シーンでメジャー・セヴンス的な洗練されたコード感を得意にしていた日本のアレンジャー/ソングライターというと、前出の東海林修と、村井邦彦と、そして筒美京平ということになりそう。その筒美京平作品をひとつ。たぶん当時人気を博していたカーペンターズあたりを意識して南沙織に提供されたのだろうと思われる1972年作品だ。
7. 忘れていた朝/赤い鳥

そして、続いては村井邦彦作曲作品。1969年にデビューした5人組の赤い鳥は、「竹田の子守唄」のようなフォーク寄りの作風と、「翼をください」のようなポップ路線と、両方の個性を持ちながら活動していた。結果、その後、紙ふうせんとハイ・ファイ・セットという二つのグループに分裂していくことになったのだが。1971年リリースのこのシングル曲はポップ路線の代表曲のひとつだ。村井邦彦のセンスのいいコード感が印象的な名曲。
8. かびん/吉田美奈子

1973年のデビュー・アルバム『扉の冬』の収録曲。キャラメル・ママ(細野晴臣、鈴木茂、松任谷正隆、林立夫)をバックに従え、日本のローラ・ニーロ的な個性を存分に発揮した名曲の名演だ。洗練されたコード進行のもと、美奈子さんならではの“静かなソウル”が見事に表現されている。
9. 魔法の黄色い靴/チューリップ

財津和夫率いるチューリップが1972年にリリースしたメジャー・デビュー・シングル。“きーみー…”という歌い出しの“きー”の音が主和音に対する6th。“にげーて…”の“にげー”がメジャー・セヴンス。“走ーってもー…”の“もー”がⅡ度マイナー・コードにおけるマイナー・ナインス。歌い出しからの4小節でここまでテンション・ノートがふんだんに顔を出す曲なんか、それまでの日本のポップ・シーンで聞いたことがなかった。当時、高校生になったばかりだったぼくは思いきりコーフンしたものだ。
10. 街/大貫妙子

と、ここまで1970年代前半の日本のメジャー・セヴンスものをいろいろ聞いてきたのだけれど。1975年になって、そのピークを形成するような形でシーンに現われたのがシュガー・ベイブというグループ。ところが、シュガー・ベイブの音源は残念ながらいっさいストリーミングされていないので、メンバーのひとりだった大貫妙子のファースト・ソロ、1976年の『グレイ・スカイズ』からこの1曲を。
11. てぃーんず ぶるーす/原田真二

1970年代後半になると、この辺のコードの使い方もずいぶんとこなれてくる。当時のシーンに新鮮な驚きをもたらしてくれた原田真二のデビュー・シングル、1977年の「てぃーんず ぶるーす」は、“駅ーにー…”という歌い出しのメロディからしていきなり主和音におけるメジャー・セヴンスの音。続く“雨ーでー…”の部分がⅡ度メジャー・コードの6th。こんなことを軽やかにやってのける若い個性の登場がうれしかった。
12. 別れ話は最後に/サザン・オールスターズ

そして、1970年代日本のメジャー・セヴンスものの仕上げは1978年にデビューしたサザン・オールスターズのファースト・アルバム『熱い胸さわぎ』からの1曲。桑田佳祐もまたワイルドなロック・スピリットとともに、洗練された都会的コード感覚も併せ持った素晴らしいクリエイターのひとりだった。

解説:萩原健太

高橋昌太郎さんをゲストに迎えて

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

Kenta's...Nothing But Pop!

第154回 萩原健太のotonanoラジオ#36

2020/06/09 公開

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その2)

今週のオンエア曲

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その2)

1.

鈴木雅之

DADDY ! DADDY ! DO ! feat. 鈴木愛理

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その2)

2.

シャネルズ

涙のスウィート・チェリー

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その2)

3.

鈴木雅之

Tears On My Pillow <with 少林兄弟、佐藤善雄>

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#36

『1980年の音楽風景~オールディーズ・ブーム』

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1. 愛という名の欲望/クイーン

シャネルズがデビューした1980年、英米の音楽シーンではちょっとしたオールディーズ・ブームの兆しが見られました。今回のプレイリストではそのあたりを振り返ってみます。まずは今回、マーチンさんもカヴァーしたクイーンのナンバー。まだストレイ・キャッツもメジャー・デビューしていなかった1980年に往年のロカビリー・サウンドを再現してみせた名曲です。1980年の全米年間チャートで6位にランク。
2. ユア・オンリー・ロンリー/J.D.サウザー

イーグルスやリンダ・ロンシュタットに多くの楽曲を提供したシンガー・ソングライターが1980年、自ら放った特大ヒット。孤独を歌わせたら右に出る者なしという往年のロックンローラー、ロイ・オービソンの持ち味を自分なりに再構築した名曲だ。マーチンさんの師匠、大滝詠一さんもこの曲に出会って触発され、翌年の『ロング・ヴァケイション』の大ヒットを生むことになった。1980年の年間チャートで57位。
3. ワン・ファイン・デイ/キャロル・キング

ニューヨークのブロンクスで結成されたガール・グループ、ザ・シフォンズが1963年、全米5位に送り込んだジェリー・ゴフィン&キャロル・キング作品。それを作者のキャロルさん自らが取り上げて1980年、アルバムに『パールズ』に収めたセルフ・カヴァー・ヴァージョン。1980年の年間チャートで73位にランクした。
4. 愛は風にのせて/ロッキー・バーネット

1950年代から60年代にかけて活躍したメンフィス生まれのロックンローラー、ジョニー・バーネットの息子。ロックンロール・シーンの二世シンガーの活躍もまた当時のオールディーズ・ブームの気運を盛り上げた。この曲は1980年の年間チャートで48位。ちなみに、この人の従兄弟にあたるビリー・バーネットもやはり1980年に「ドント・セイ・ノー」のヒットを飛ばし、やがてフリートウッド・マックのメンバーにもなっている。
5. 涙がいっぱい/リンダ・ロンシュタット

「悪いあなた」「ヒートウェイヴ」「トラックス・オヴ・マイ・ティアーズ」「ザットル・ビー・ザ・デイ」「ウー・ベイビー・ベイビー」など、リンダはデビュー直後から多くのオールディーズ・ヒットのカヴァーに挑んできた。1980年にリリースしたアルバム『激愛』でもリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズが1965年にヒットさせた本曲をカヴァー。シングル・カットして1980年の年間チャート78位にランクさせた。
6. ワーキング/スピナーズ

原題は「Working My Way Back to You」。スピナーズのヴァージョンはこの乱暴な邦題になっているが、オリジナル・ヴァージョンにあたるフォー・シーズンズの1966年ヴァージョンは「君のもとに帰りたい」。それをカヴァーして当時流行していたディスコ・サウンドでリメイクしたスピナーズ・ヴァージョンは1980年の年間チャート14位にランクするビッグ・リヴァイヴァル・ヒットを記録した。
7. イエス・アイム・レディ/テリー・デザリオ&K.C.&ザ・サンシャイン・バンド

もともとは1965年、黒人女性シンガーのバーバラ・メイソンが全米5位にランクさせた名バラード。それをテリー・デザリオとK.C.のデュエットでリメイクしたのが本ヴァージョンだ。1980年の年間チャートで24位にランクした。テリーとK.C.はハイスクール時代のクラスメイトだったのだとか。
8. スタンド・バイ・ミー/ミッキー・ギリー

1986年にスティーヴン・キング原作の同名映画が大ヒットしたことで一気に知名度を上げた名曲だが、もともとは1961年にベン・E・キングがヒットさせたもの。その後、1975年にジョン・レノンのカヴァー・ヴァージョンもヒットした。本ヴァージョンは1980年にカントリー・シンガーのミッキー・ギリーがメロウにカヴァーしたもの。1980年の年間チャートでは82位にランクしている。
9. デイドリーム・ビリーヴァー/アン・マレー

1967年にザ・モンキーズが放った全米ナンバーワン・ヒット。日本ではゼリーこと忌野清志郎が率いるザ・タイマーズのカヴァー・ヴァージョンでもおなじみだろう。その曲をカナダを代表する女性シンガー、アン・マレーがカヴァーしたのが本ヴァージョン。1980年の年間チャートでは61位にランクした。
10. 恋はこれっきり/クリフ・リチャード

これは楽曲ということではなく、ビートルズ以前のイギリスのポップ・シーンを代表するシンガー、クリフ・リチャードの復活シングルということでセレクト。1980年の年間全米チャートでは45位にランクした。もちろん本国イギリスでも大ヒット。1968年以来のナンバーワン・ヒットを記録。その快挙を祝って、なんとBBCのニュース番組でキャスターたちが乾杯をするというエピソードまで生まれた。
11. ロックンロールが最高さ/ビリー・ジョエル

ディスコものやパンク、ニュー・ウェイヴなどがもてはやされる1980年、それでも自分は古きよきロックンロールが大好きだとビリー・ジョエルが声高らかに歌って見せた痛快な1曲だ。1980年の年間チャートでも9位に食い込む特大ヒットを記録した。やっぱりビリーはすごいぜ!
12. ランナウェイ/シャネルズ

そして、締めはこの曲。何の説明もいらないシャネルズのデビュー・シングルだ。そういえばシャネルズのデビューお披露目イベントにおじゃましたとき、さる売れっ子音楽ライターの方から“ねえ、ドゥーワップって何なの?”という質問をされて面食らったことがある。まだそういう時代だったんだなぁ…。

解説:萩原健太

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その2)

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

Kenta's...Nothing But Pop!

第153回 萩原健太のotonanoラジオ#35

2020/06/02 公開

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その1)

今週のオンエア曲

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その1)

1.

鈴木雅之

Motivation

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その1)

2.

鈴木雅之

Ultra Chu Chu Medley

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その1)

3.

ゴスペラッツ

Pap-Pi-Doo-Bi-Doo-Ba 物語(ストーリー)

『ALL TIME ROCK 'N' ROLL』 2020年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#35

『アマチュア時代のシャネルズが新宿ルイードでよくカヴァーしていたドゥーワップのオリジナル・ヴァージョン集』

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1. エヴリバディ・ラヴズ・ア・ラヴァー/ザ・シレルズ

ゲストのマーチンさんとのお話の中にも出てきたように、ぼくは彼がシャネルズの一員として本格レコード・デビューを飾る前、よく東京・新宿のライヴハウス“ルイード”でアマチュア時代の彼らのドゥーワップ・ショーを楽しんでいた。ということで、当時、シャネルズがよくステージで歌っていたドゥーワップ/R&Bナンバーのオリジナル・ヴァージョンを今回は集めてみた。まずはガール・グループ、シレルズのこの曲から。ドリス・デイのヒットをカヴァーして1962年にヒットさせたもの。シャネルズはいつもライヴのオープニングで演奏していたっけ。
2. ミスター・リー/ザ・ボベッツ

前曲、シレルズもそうだけれど、当時からマーチンさんは女性シンガーの曲であろうと、まったく意に介することなく柔軟にカヴァーしていた。この曲もそのひとつ。ニューヨークの学校に通う11歳から15歳までの黒人の女の子5人組、ザ・ボベッツが5年生を担任する実在の先生のことを歌った楽しい曲。1957年に全米6にランクした。
3. ウィスパリング・ベルズ/デル・ヴァイキングス

デル・ヴァイキングズはもともとピッツバーグの空軍に属していたメンバーによって結成された5人組ヴォーカル・グループ。その後、いろいろとメンバーの出入りがあって、グループは二つに分裂してそれぞれ活動するようになったのだけれど。本曲は空軍を退役したメンバーのひとり、クリップス・ジョンソンが、のちにソロ・シンガーとしても成功を収めるチャック・ジャクソンを迎えて結成した新生ザ・デル・ヴァイキングズが1957年に放ったヒット。正式なアーティスト名は“ザ・デル・ヴァイキングズ・フィーチャリング・クリップス・ジョンソン”だった。ややこしい。
4. ズーム/ザ・キャディラックス

ドゥーワップ・グループの名前には鳥の名前(オリオールズ、ペンギンズ、フラミンゴスなど。“バード・グループ”と総称される)や動物の名前(スパニエルズ、ローヴァーズなど)が多いのだけれど、若者らしく車の名前を付ける連中も多かった。エドセルズ、エル・ドラドズなどがその代表格だが、このキャディラックスもそう。シャネルズは「グロリア」「スピードゥ」など、この人たちのレパートリーをよく取り上げていたけれど、今回はこの1956年のアップテンポ・ドゥーワップを。
5. ジング! ウェント・ザ・ストリングス・オヴ・マイ・ハート/ザ・コースターズ

シャネルズはコースターズの曲も多くカヴァーしていた。レコード化もしている「ザット・イズ・ロックンロール」もなかなか見事なカヴァーだったけれど、個人的にはこちらの曲のほうが印象深い。もともとは1930年代にブロードウェイ・ミュージカル『サムズ・アップ』のために書かれた曲で、コースターズがそれをロックンロール・アレンジで1958年にリリースした。シャネルズは前半を佐藤善雄が独特の低音ヴォーカルで、後半をマーチンさんがファンキーに歌っていた。
6. シックスティ・ミニット・マン/ビリー・ワード&ザ・ドミノス

これも佐藤さんが低音ヴォイスでリード・ヴォーカルをとっていた曲。1951年にビリー・ワード&ヒズ・ドミノスが放ったヒットだ。60分の間なら俺におまかせ…と、ベッドでの腕前を自慢する歌詞が各方面で顰蹙を買い多くのラジオ局で放送禁止処分を受けたものの、それが逆に話題作りに貢献したか、全米チャート17位、R&Bチャートでは14週1位に輝く大当たりを記録した。
7. ハニー・ラヴ/ザ・ドリフターズ

こちらは桑野信義がリード・ヴォーカルをとっていた曲。1954年、R&Bヴォーカル・グループ、ザ・ドリフターズが全米R&Bチャート1位に送り込んだナンバーだ。当時ドリフターズのリード・シンガーをつとめていたクライド・マクファターが所属していたアトランティック・レコードのスタッフだった名プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーと共作した調子のいいナンバーだ。桑マンの個性にぴったり。
8. 愛しのラナ/ザ・ヴェルヴェッツ

正式なアーティスト名義は“ザ・ヴェルヴェッツ・フィーチャリング・ヴァージル・ジョンソン”。本国アメリカでは「ラーフ」のシングルB面曲として世に出たが、日本ではこちらの人気が高く独自に大ヒットを記録した。“Ling-a Ling-a-ling-a, Ma-ma-ma-ma ma-ma-ma-ma-ma…”というコーラスが印象的だが、シャネルズは片手にリンゴを、もう一方の手に桃を持ち、“リンゴ・リンゴ・リンゴ、もも、もも、もも、もも…”と歌って会場を沸かせていた。しょーもな…(笑)。
9. シャマ・ラマ・ディン・ドン/ロイド・ウィリアムス

ジョン・ベルーシらが出演していた1978年のコメディ映画『アニマルハウス』の挿入歌。主人公の白人悪ガキたちが黒人専門のナイトクラブに遊びに行って散々な目にあうシーンで披露されていたドゥーワップ調のナンバーだ。アマチュア時代のシャネルズのライヴを初めて見たころ、まだ『アニマルハウス』を見ていなかったぼくは、まさか映画のためのオリジナル曲とは知らず、オリジナル盤探しに苦労したものだ。ああ、懐かしい。
10. シンシアリー/ザ・ムーングロウズ

シャネルズのライヴにはすごいゲストが登場することもあって。そのひとりが山下達郎さん。達郎さんとシャネルズの共演でこの必殺のドゥーワップ・バラードを歌ったことがあった。ケンタッキー州ルイヴィルで結成されたムーングロウズが1954年に発表し、翌年にかけて全米20位、R&Bチャート2位に送り込んだ超名曲です。
11. シビれさせたのは誰?/バリー・マン

こちらはシャネルズが恩師・大滝詠一さんとステージで共演したときに取り上げていた曲。「フラれた気持ち」「ロックンロール・ララバイ」「君を信じたい」など、ソングライターとして数々のビッグ・ヒットを生み出したバリー・マンが、自らシンガーとして1961年、全米7位に送り込んだポップ・ヒットだ。
12. チャペル・オヴ・ドリームズ/ザ・ダブズ

前出、山下達郎さんも“オン・ザ・ストリート・コーナー”シリーズでひとりアカペラを聞かせていたドゥーワップの名バラード。1958年にニューヨークのドゥーワップ・グループ、ザ・ダブズがリリースし、翌年、全米74位にランクさせたのがオリジナル・ヴァージョンだ。シャネルズのステージでもマーチンさんがソウルフルな持ち味を存分に発揮してマニアックなドゥーワップ・ファンたちの胸を熱く締め付けていた。

解説:萩原健太

鈴木雅之さんをゲストに迎えて(その1)

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

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第152回 萩原健太のotonanoラジオ#34

2020/05/26 公開

大江千里さんをゲストに迎えて

今週のオンエア曲

大江千里さんをゲストに迎えて

1.

大江千里

Togetherness

【YouTube配信】 2020年

大江千里さんをゲストに迎えて

2.

大江千里

Poignant Kisses

【7インチ・アナログシングル】 2020年

大江千里さんをゲストに迎えて

3.

大江千里

Re:Vision

『Hmmm』 2019年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#34

『チャリティ・ソング集』

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1. Stuck with U / アリアナ・グランデ&ジャスティン・ビーバー

新型コロナ禍のさなか、不安な日々を送るしかないぼくたちのためにAP通信がセレクトしてくれた40曲に千里さんのナンバーが名を連ねる快挙。それに大喜びしながら、今週は“誰かを助けるために制作されたチャリティ・ソング”の特集をお届けします。まずは現在大ヒット中のこの曲から。売り上げはすべて新型コロナと闘う救急隊員の子供たちに奨学金や助成金を提供するファースト・レスポンダーズ・チルドレンズ基金に寄付されます。
2. ホワッツ・ゴーイング・オン (feat. Chuck D) / All Star Tribute

過去、何度かチャリティ・シングル化されているマーヴィン・ゲイの名曲。今回は2001年、“アーティスツ・アゲインストAIDSワールドワイド”のための基金、および、911同時多発テロでの犠牲者のために制作されたこのヴァージョンを。ジャーメイン・デュプリとボノのプロデュースのもと、デスチャ、ブリトニー、アギレラらスターが勢揃い。
3. バングラデシュ / ジョージ・ハリスン

いわゆるチャリティ・ソング、ベネフィット・ソングの元祖と呼ばれる1曲。1971年、飢えと疫病に苦しむバングラデシュの難民を救うために立ち上がったジョージがリリースしたシングルだ。この曲をきっかけに、エリック・クラプトンやボブ・ディランら企画に賛同した多くのミュージシャンがノーギャラで参加する大規模なチャリティ・コンサートも行なわれた。
4. この素晴らしき世界 / ケイティ・メルア&エヴァ・キャシディ

エヴァ・キャシディは1996年、33歳の若さで他界した米国のシンガー・ソングライター。彼女は生前、このルイ・アームストロングが1967年に残した名曲を録音していたが、その音源をもとに、2007年、グルジア出身のケイティ・メルアがオーヴァーダビング。英国の国際赤十字社/赤新月社連盟のチャリティ・プロジェクトとして見事、現代へとよみがえらせた。
5. 明日に架ける橋 / アーティスツ・フォー・グレンフェル

ご存じ、サイモン&ガーファンクルが1970年にリリースした名曲を、ロビー・ウィリアムズ、ジェイムス・ブラント、レオナ・ルイスら英国を代表する50組以上のアーティストたちがカヴァー。2017年にロンドン西部ノース・ケンジントン地区の24階建て高層公営住宅“グレンフェル・タワー”で発生した大規模火災の犠牲者を支援するためのチャリティ・シングルとしてリリースされた。
6. サン・シティ / アーティスト・ユナイテッド・アゲインスト・アパルトヘイト

南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策を激しく非難するプロテスト・ソング。ブルース・スプリングスティーンの盟友、リトル・スティーヴンの呼びかけに応えてマイルス・デイヴィス、アフリカ・バンバータ、ジョージ・クリントン、ホール&オーツ、ルー・リードら多くのアーティストが結集。彼らの収益はすべて公益信託“The Africa Fund”に寄付された。
7. 愛のハーモニー / ディオンヌ&フレンズ

バート・バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガー作の名曲。もともとはロッド・スチュワートのレパートリーとして世に出たが、それをディオンヌ・ワーウィック、グラディス・ナイト、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョンという豪華な4人がカヴァーし、米国エイズ研究財団のためのチャリティーシングルとして1985年にリリース。300万ドル以上の収益を上げた。
8. キャンドル・イン・ザ・ウインド1997 / エルトン・ジョン

前曲にも参加していたエルトン・ジョンが1973年、マリリン・モンローに捧げる曲として書き、アルバム『グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード』に収めたものが原曲。その歌詞を少し替えて、1997年、悲劇の死をとげたダイアナ元英皇太子妃への追悼シングルとしてリリースされた。ダイアナ元妃の葬儀でも歌われた。売り上げはすべて元妃が生前行なっていた慈善事業に寄付された。
9. ローナン / テイラー・スウィフト

2011年、4歳の誕生日を迎える3日前に神経芽細胞腫の小児がんによって亡くなった少年、ローナンくん。彼の闘病の様子を綴った母親のブログを読んで感動したテイラー・スウィフトが、家族のために書き上げた名曲だ。天国のローナンくんへ宛てた母親の深い思いが綴られている。売り上げは“Stand Up To Cancer 2012”というがん基金に寄付された。
10. ウィー・アー・ザ・ワールド / U.S.A.フォー・アフリカ

1985年、アフリカの飢餓と貧困を救うために作られたキャンペーン・ソング。クインシー・ジョーンズのプロデュースのもと、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、ダイアナ・ロス、シンディ・ローパー、ヒューイ・ルイス、スティーヴィー・ワンダー、ブルース・スプリングスティーン、レイ・チャールズ、ボブ・ディランらスーパースターが一堂に会したチャリティ・プロジェクトだった。
11. ワン / U2

U2が1991年にアルバム『アクトン・ベイビー』で発表した曲。翌年、シングル・カットされてヒットした。ゲイであることをカミングアウトした息子とその父親の関係性をモチーフにボノが書いた曲。シングルの売り上げはエイズの調査機関に寄付された。ミーシャ・パリス、ジョニー・キャッシュなど多彩なシンガーがカヴァーしており、メアリー・J. ブライジはU2との共演ヴァージョンもレコーディングした。
12. タイムズ・ライク・ジーズ (BBC Radio 1 Stay Home Live Lounge) / ライヴ・ラウンジ・オールスターズ

最後も現在の新型コロナ禍のもとで生まれた曲を。英国BBCの人気企画“ライヴ・ラウンジ”シリーズの一環として、フー・ファイターズの名曲をコールドプレイのクリス・マーティンをはじめ24組のアーティストがカヴァー。フーファイのデイヴ・グロールも協力している。収益金は新型コロナ感染症で甚大な影響を受けた災害時要援護者の支援、およびWHO支援機構に寄付されるそうだ。

解説:萩原健太

大江千里さんをゲストに迎えて

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

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第151回 萩原健太のotonanoラジオ#33

2020/05/19 公開

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その2)

今週のオンエア曲

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その2)

1.

寺尾紗穂

楕円の夢

『楕円の夢』 2015年

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その2)

2.

寺尾紗穂

あの山で光るものは

『わたしの好きなわらべうた』 2016年

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その2)

3.

寺尾紗穂

記憶

『北へ向かう』 2020年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#33

『海外の童謡を下敷きにしたポップ・ソング』

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1. メアリーの子羊 / ポール・マッカートニー&ウイングス

忘れられかけた日本のわらべうたを独自の視点から継承する寺尾紗穂さんの活動に敬意を表して、今週のプレイリストは“ナーサリー・ライム(Nursery Rhymes)”、つまり海外の童謡を下敷きにしたポップ・ソングのセレクション。まずはポール・マッカートニー率いるウイングスが1972年にリリースしたこのシングル曲から。もちろん“Mary Had a Little Lamb”という原題でおなじみ「メリーさんの羊」を元にした牧歌的な佳曲です。
2. スティックス・アンド・ストーンズ / レイ・チャールズ

“スティックス・アンド・ストーンズ”というのは、棒と石だけが人を傷つけるのではない、言葉のいじめもいけません…ということを諭す童謡のタイトルとしてお馴染みのフレーズ。それを流用したポップ・ソングは無数に存在するけれど、今回はレイ・チャールズが1960年にリリースしたこのシングル・チューンを。レイ・チャールズを敬愛するジョー・コッカーによる熱いカヴァー・ヴァージョンも人気が高い。
3. ア・ティスケット・ア・タスケット / エラ・フィッツジェラルド

19世紀後半にアメリカで人気を博すようになった子供の言葉遊びソング。1938年にチック・ウェブ・オーケストラの演奏でヒットしたのをきっかけにジャズ・スタンダードとして定着した。ヴォーカルを担当していたのは、当時、同楽団の専属シンガーだったエラ・フィッツジェラルド。軽快なスウィング感を存分に楽しめる。
4. トゥイードル・ディー&トゥイードル・ダム / ボブ・ディラン

トゥイードル・ディーとトゥイードル・ダムはルイス・キャロルの作品でもおなじみ、イギリスに古くから伝わる童謡の主人公。お互い争いながらも二人寄り添って生きている。そんな設定をそのまま、しかしかなりブラックな切り口で描いたのがボブ・ディランによるこの曲だ。2001年のアルバム『ラヴ・アンド・セフト』のオープニングを飾っていた推進力に満ちたロカビリー・チューン。
5. スターライト・スターブライト / リンダ・スコット

『マツコの知らない世界』のテーマ曲としておなじみの「星に語れば(I've Told Every Little Star)」を大ヒットさせたことでおなじみのガール・シンガー、リンダ・スコットが1961年にリリースしたファースト・アルバムの表題曲。最初に見えた星に祈ると願いがかなう、という、古くから伝わる迷信を託した童謡として19世紀からアメリカで歌われはじめ、それがイギリスへと伝わって世界に広がったらしい。
6. ピギー・イン・ザ・ミドル / ザ・ラトルズ

「こぶたちゃん市場へいった(This Little Piggy)」や「ヘイ・ディドル・ディドル」といった童謡の歌詞を盛り込んだ曲。タイトルの“ピギー・イン・ザ・ミドル”というのは、違う意見を持つ2人の間で板挟みになっている人のことを表わす定型句だ。歌っているのはビートルズのパロディ・バンドとしておなじみのラトルズ。ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォーラス」を見事にパクっている。1978年作品。
7. 恋のショック / ブレンダ・リー

小柄な身体で迫力たっぷりの歌声を聞かせることから“リトル・ミス・ダイナマイト”と呼ばれたブレンダ・リーが1963年に放ったヒット曲。原題は“My Whole World Is Falling Down”。そこからも想像できる通り、日本でもおなじみの童謡「ロンドン橋落ちた(London Bridge Is Falling Down)」のメロディに別の歌詞をつけた、まあ、いわば替え歌ヒットだった。
8. ラヴェンダー・ブルー / サミー・ターナー

17世紀から伝わる童謡「ラベンダーはブルー」の歌詞を流用しながら、サミー・ターナーが1959年に大ヒットさせたR&Bバラード。“ディリー、ディリー”という囃しことばが印象的だ。
9. イーニー・ミーニー・マイニー・モー / ビリー・ホリデイ

最近では三代目 J Soul Brothersのヒット曲のタイトルとして知られるフレーズだが、もともとは英語圏でおなじみだった子供向けの数え歌。日本で言えば“どれにしようかな…”のようなものだ。調子のいい言葉だけに、様々な音楽家が曲に取り入れているが、今回はジャズ・ヴォーカル最大の歌姫、ビリー・ホリデイが1935年にリリースしたこのヴァージョンを。
10. オール・ザ・キングズ・ホーシズ / アレサ・フランクリン

日本でもよく知られている童謡の主人公にハンプティ・ダンプティがいるけれど。そんなハンプティ・ダンプティを歌った曲の中に登場してくるフレーズ“All the King's horses / And all the King's men”を使ったアレサ・フランクリンの自作曲だ。1972年の超名作アルバム『ヤング・ギフティッド・アンド・ブラック』の収録曲。
11. ジョージー・ポージー / Toto

19世紀に定着したと言われる童謡の歌詞“ジョージー・ポージー、プリンにパイ/女の子たちにキスして、みんな泣かせた…”を借用してスティーヴ・ルカサーが作ったオリジナル・ソング。彼がギタリストをつとめるTOTOのファースト・アルバムの収録曲として1979年に世に出た。
12. アンド・ユア・ドリーム・カムズ・トゥルー / ザ・ビーチ・ボーイズ

これまた日本でもおなじみの童謡「キラキラ星(Twinkle, Twinkle, Little Star)」のメロディをそのまま使って、新たな歌詞を乗せ、他のロック・グループには絶対の真似のできない完璧なオープン・ハーモニーでアカペラ・コーラスを聞かせるビーチ・ボーイズのナンバー。1965年のアルバム『サマー・デイズ(アンド・サマー・ナイツ)』のエンディングを飾っていた名演で今回のプレイリストはおしまい。

解説:萩原健太

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その2)

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

Kenta's...Nothing But Pop!

第150回 萩原健太のotonanoラジオ#32

2020/05/12 公開

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その1)

今週のオンエア曲

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その1)

1.

寺尾紗穂

北へ向かう

『北へ向かう』 2020年

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その1)

2.

寺尾紗穂

君は私の友達

『北へ向かう』 2020年

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その1)

3.

寺尾紗穂

やくらい行き

『北へ向かう』 2020年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#32

『ピアノが似合う女性アーティスト』

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1. ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ / キャロル・キング

寺尾紗穂さんといえば、イノセントで透き通った歌声だけでなく、その歌声にぴったり寄り添ったピアノ演奏も魅力。ということで、今回のプレイリストはピアノが似合う女性アーティスト特集。まずはその代表格、キャロル・キングの1971年の名盤『タペストリー』からこの曲を。ジェイムス・テイラーとジョニ・ミッチェルのコーラスも泣けます。
2. ターン・ミー・オン / ノラ・ジョーンズ

2002年の大ヒット・アルバム『カム・アウェイ・ウィズ・ミー』より。もともとは名ソングライター、ジョン・D・ラウダーミルクが1961年、マーク・ダイニングに提供した曲。ニーナ・シモンによるカヴァー・ヴァージョンも有名だが、ノラが『カム・アウェイ…』で取り上げてからは彼女の持ち歌のようになってしまった。名唱!
3. アイヴ・チェンジド・マイ・アドレス / ダイアナ・クラール

カナダ出身のダイアナ・クラール。彼女が2004年、ジャズ・ピアニストとしても現在最高峰のひとりである彼女が旦那さまのエルヴィス・コステロの力も借りながら作り上げたオリジナル曲中心のアルバム『ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム』より。ブルージーな間奏のピアノ・ソロも素晴らしい。
4. 大いなる椎の木 / 矢野顕子

1976年にリリースされた衝撃のファースト・アルバム『JAPANESE GIRL』より。このアルバムはアナログLPのA面がリトル・フィートをバックに従えたアメリカン録音サイド、B面が日本人ミュージシャンとともに録音したジャパニーズ・サイド。本曲はB面トップを飾っていた1曲だ。細野晴臣、林立夫らティン・パン・アレーの面々がサポートしている。
5. マイ・オールド・マン / ジョニ・ミッチェル

アメリカを代表する女性シンガー・ソングライター、ジョニ・ミッチェルが1971年にリリースした4作目のアルバム『ブルー』より。彼女は誰にも真似できないユニークかつ多彩なオープン・チューニングによるギター演奏の印象も強いが、ピアノ演奏も見事。そのあたりの魅力が存分に発揮された弾き語り作品だ。
6. ポーカー・フェイス(Piano & Voice Version) / レディー・ガガ

2008年に世界各国でナンバーワン・ヒットを記録した代表曲を、ピアノ一本の弾き語りで聞かせるライヴ・ヴァージョン。2009年リリースのEP『The Cherrytree Sessions』に収められていたものだ。エキセントリックな面が強調されがちなガガだけれど、根底にある音楽性の確かさや演奏力の高さ、曲の良さなどを改めて知ることができる。
7. セイヴ・ザ・カントリー / ローラ・ニーロ

1960年代後半から70年代初頭、フィフス・ディメンションやブラッド・スウェット&ティアーズ、スリー・ドッグ・ナイトら多くのアーティストにヒット曲を提供したことでもおなじみの女性シンガー・ソングライターが1969年にリリースした大傑作『ニューヨーク・テンダベリー』より。ミステリアスでアンニュイな彼女なりのゴスペルという感じ。
8. 週末 / 吉田美奈子

1973年の傑作デビュー・アルバム『扉の冬』の収録曲としてもおなじみの名曲。アルバムのほうでは細野晴臣、鈴木茂らキャラメル・ママがバックアップしていたが、今回は1973年9月21日、東京・文京公会堂で行なわれた伝説のはっぴいえんど解散コンサート『CITY -LAST TIME AROUND-』にゲスト出演した際のピアノ弾き語りライヴ・ヴァージョンで。
9. みんな私のせいよ / ニーナ・シモン

ジャズ、ブルース、フォーク、ゴスペル、R&Bなど様々な音楽性を呑み込みながら独自のユニークな個性を存分に発揮した偉大な黒人女性アーティスト、ニーナ・シモンが1969年に発表したアルバム『ニーナとピアノ』より。文字通り、自身が奏でるピアノと歌声だけで綴った1枚から、このトラディショナル曲を。奥深い表現は誰にも真似できない。
10. グラヴィティ / サラ・バレリス

2007年にシングル「こんなハズじゃなかったラヴ・ソング」を大ヒットさせて一躍知名度を上げたサラ・バレリスだが。本曲はその10年ほど前、大学生時代に作ったという初期オリジナル。メジャー・デビュー・アルバム『リトル・ヴォイス』を締めくくる1曲として世に出た。近年は女優としても活躍する彼女ならではのドラマチックな表現が聞ける。
11. ベイビー・ベイビー・ベイビー / アレサ・フランクリン

ジャンルを超え、すべての女性アーティストの頂点に位置するアレサが1967年にリリースした傑作アルバム『貴方だけを愛して』に収録されていた自作曲。幼いころから教会でゴスペルのピアノ弾き語りをしてきた彼女だけに、その演奏力も抜群だ。マッスル・ショールズ・スタジオの腕ききたちと互角に渡り合いながら見事な腕前を披露している。
12. yuraruyuruyura / 寺尾紗穂

そして、最後はゲストにお迎えした寺尾紗穂さんの1曲で。2008年にリリースされた通算3作目のアルバム『風はびゅうびゅう』からの名曲/名演で今週のプレイリストを締めます。

解説:萩原健太

寺尾紗穂さんをゲストに迎えて(その1)

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

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第149回 萩原健太のotonanoラジオ#31

2020/05/05 公開

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

今週のオンエア曲

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

1.

加藤登紀子

アメイジング・グレイス with Yae

『あなたに捧げる歌』 2019年

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

2.

加藤登紀子

未来への詩

2020年5月13日発売シングル

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

3.

加藤登紀子

哀しみのダンス

[シングル]1985年

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

4.

加藤登紀子

百万本のバラ

『あなたに捧げる歌』 2019年

萩原健太 選曲|otonanoラジオ プレイリスト#31

『加藤登紀子がカヴァーした名曲のオリジナルヴァージョン集』

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各社ストリーミング事情によってリスト内容や表記が異なる可能性があります。予めご了承ください。

1. 哀しみのダンス / レナード・コーエン

番組の中でもお話ししたことだけれど、加藤登紀子という歌い手はぼくたちに世界中のさまざまな曲を教えてくれる紹介者としての役割も果たしてくれた。そんな加藤さんの側面をざっとおさらいするプレイリスト。加藤さんがカヴァーした世界中の名曲のオリジナル・ヴァージョンを集めてみた。まずは番組でもご紹介した「哀しみのダンス」。カナダのシンガー・ソングライター、レナード・コーエンが1984年に発表した必殺の名曲だ。加藤さんは1986年にカヴァーなさっていた。
2. 百万本のバラ / アーラ・プガチョワ

ラトビアの歌謡曲「ダーヴァーヤ・マーリニャ」が原曲。それを1982年、当時のソビエト連邦の歌手、アーラ・プガチョワが歌って世に広まった。加藤登紀子は1986年、自らの訳詞でシングルB面曲として発表。じわじわと口コミで人気が高まり、翌年A面曲として改めてシングル化された。これが2年かけてミリオンセラーを記録。様々な訳詞ヴァージョンが存在するが、中でも加藤さんの訳詞が決定版となった。
3. 灰色の瞳 / ウニャ・ラモス

ケーナとサンポーニャの名匠、ウニャ・ラモス作のフォルクローレ。1974年に加藤登紀子が独自に日本語詞をつけ、長谷川きよしとのデュエットでヒットさせた。これをきっかけに日本でもフォルクローレという音楽の魅力が一般の音楽リスナーにも広がっていった。近年、椎名林檎と草野マサムネのデュエットによるカヴァーも話題に。ここではラモスの演奏ヴァージョンを。
4. ANAK〜息子 / フレディ・アギラ

フレディ・アギラはフィリピンのシンガー・ソングライター。1977年にこの自作曲で人気を博した。翌年、日本にも紹介され、なかにし礼の訳詞による杉田次郎ヴァージョンと、自らが訳詞も手がけた加藤登紀子ヴァージョンがシングルとしてヒットを記録した。今回は作者フレディ・アギラ自身のヴァージョンで。
5. Mama / シポー・マブゼー(feat. ミリアム・マケバ)

1970年代半ば、ビーターズというバンドの一員として活動を開始した南アフリカのシンガー・ソングライター、シポー・マブゼが1989年、“ママ・アフリカ”とも呼ばれる同国のベテラン女性シンガー、ミリアム・マケバをゲスト・ヴォーカルに迎えてリリースした感動的な名曲。加藤さんは2000年、南アフリカでレコーディングしたアルバム『トキコ・スカイ 蒼空』でカヴァーしていた。
6. 忘却(オブリヴィオン) / アストル・ピアソラ

アルゼンチンが生んだ最高のバンドネオン奏者/ソングライター、アストル・ピアソラが1984年、イタリア映画『エンリコ4世』のために書き下ろした楽曲。もともとはインストゥルメンタル曲だったが、そこにフランス語の歌詞をつけてミルバやアメリータ・バルタールが歌ったヴァージョンがおなじみだ。が、ミルバによる決定版がストリーミングされていないようなので、今回はピアソラ自身による演奏ヴァージョンで。
7. 帰り来ぬ青春 / シャルル・アズナブール

カナダ、ロシア、アルゼンチン、フィリピン、南ア…と各国の音楽をここまで並べてきたけれど、ここからは加藤さんにとって重要なルーツであるシャンソンを生んだフランスの楽曲群を。もちろん加藤さんが自らのレパートリーに採り入れている名曲ばかり。まずは「Yesterday When I Was Young」という英語詞でもおなじみ、フランスを代表するシンガー・ソングライター、シャルル・アズナブールが1964年に発表したこの曲から。
8. 暗い日曜日 / ダミア

これはもともとハンガリーの曲。1936年にダミアが歌ったフランス語ヴァージョンが大ヒットしたため、シャンソンとして世界的に知られるようになった。日本でも、加藤さんを筆頭に、淡谷のり子、越路吹雪、美輪明宏、戸川昌子、岸洋子、金子由香利ら、シャンソン系の歌手がこぞって取り上げている。
9. 懐かしき恋人の歌 / ジャック・ブレル

ジャック・ブレルは「行かないで」「フランドル女たち」「忘れじの君」など多くのシャンソン・ヒットを持つベルギー出身のシンガー・ソングライター。この曲は1967年、ブレルが作詞し、彼の曲想をもとに当時彼のピアニストをつとめていたジェラール・ジュアネストが曲を完成させた1曲だ。
10. 聞かせてよ愛の言葉を / リュシェンヌ・ボワイエ

シャンソンと言えばまずこの曲とも言われ、1930年代から日本でも人気の高い名曲。1960年代にジュエット・グレコがカヴァーしたヴァージョンも有名だが、今回は1930年にリリースされてフランスの第1回Grand Prix Du Disqueを受賞したリュシェンヌ・ボワイエによるオリジナル・ヴァージョンで。
11. さくらんぼの実る頃 / イヴ・モンタン

1872年のパリ・コミューンの蜂起を歌ったシャンソン。1992年の宮崎駿監督によるアニメ映画『紅の豚』で、加藤登紀子が声を担当したマダム・ジーナが歌う曲としてもおなじみだろう。コラ・ヴォケール、ジュリエット・グレコなどシャンソンの代表的な歌手たちが歌い継ぐ名曲だが、今回はイタリア出身の名シャンソン歌手、イヴ・モンタンの歌唱ヴァージョンで。
12. バラ色の人生 / エディット・ピアフ

1946年、ルイ・グリェーミが作曲し、フランスでもっとも愛されている伝説の国民的歌手エディット・ピアフが作詞と歌唱を手がけた名曲中の名曲。実際はピアフが作曲し、グリェーミの名を借りて登録したという説も。その2年前、1944年にステージで共演したことをきっかけに始まった年下のスター歌手、前曲を歌ったイヴ・モンタンとの恋愛から生まれた1曲だった。

解説:萩原健太

加藤登紀子さんをゲストに迎えて(その2)

●萩原健太プロフィール
萩原健太(はぎわら・けんた)。1956年生まれ。 早稲田大学法学部卒。 早川書房に入社後、 フリーに。 TBS系『三宅裕司のいかすバンド天国』(’89~’90年)の審査員として出演。 テレビ朝日系『タモリ倶楽部』の「空耳アワード」(’93年~)審査員も担当。 また、 音楽評論の傍ら、 音楽プロデュース、 コンサート演出、 作曲等も手がける。 主なプロデュース作品に米米CLUB『Go Funk』『米米CLUB』、 山崎まさよし『HOME』、 憂歌団『知ってるかい!?』、 鈴木雅之『ファンキー・フラッグ』など。 また、 自らもギタリストとして多くのユニット楽曲にも参加している。

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