DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第55回 【対談⑯ 林哲司×DJ OSSHY[後編]】
ボックスセット『Hayashi Tetsuji Song File』はまさに林哲司の作曲・アレンジのすべて、というような副題も付けられそうですね。(DJ OSSHY)
シングルカットもされていない地味な曲が収録されたのは、それこそDJの方たちが昔からプレイしてくれていたからでしょうね。(林哲司)
DJ OSSHY ([前編]からの続き)ところで先日、林さんのインタビュー記事を読んでいて知ったんですが、音楽業界にうんざりした時期があったそうですね。
林哲司 今、振り返ってみると、CDが売れなくなってきて下降線をたどり始めた時期とある意味、リンクしているんですよ。僕はそこに反応したわけじゃないんですけど、ただ音楽業界自体が相対的にそういう雰囲気を背負い始めた時期に、自分が何かを企画してやりたいことが思うようにいかなくなってきたことも理由のひとつとしてありました。もうひとつは、逆にこういうことをやりたいと声をかけてくれた人たちがしばらくすると引いているという状況が何度か続いて失望させられたんです。声をかけてきて、こちらをその気にさせていろいろ進行し始めている状態で、自信がなくなってきたのかどうかわからないんですけど、その話がなかったことになっていたんですよね。
DJ OSSHY 信義にもとる行為ですね。ひどい。
林哲司 同じようなことが続いて、正直そういう状況でストレスを抱えること自体が嫌だなと思い始めていたときに、また同じようなこと起こったんです。ちょうど東京駅に降りて事務所に向かって地下鉄の通路を歩きながら携帯で話をしていた時でした。「林さんにお願いしていたレコーディングですが、こっちでやっちゃいました」みたいな連絡で、僕がやることになっていた約束事が平気で破られてしまったんですね。そのことだけじゃなくてもいろいろと積み重っていたので嫌気がさしてしまい、もういいかなと思って、事務所には行かずに自宅に帰ってしまったんです。わざわざ東京に来たのに。それから、当時のマネージャーに音楽はやめないけれど、もう音楽業界はいいよって告げたんです。
DJ OSSHY ……。
林哲司 その最後として自分の作品を聴いてくれたファンの人たちに応えたいと思うから、翌年の'08年が35周年がいいきっかけになるから、そこでお別れをしようと思ったんです。それを区切りにして、音楽業界とは関係なしに自分が作りたいもの作って、発信していけばいいと考えて。そうして「作曲家35周年記念 林哲司 スペシャルサンクスコンサート」というタイトルで、'08年10月に国際フォーラムのホールAで行われることになって、竹内まりやさんをはじめ、いろいろな仲間に音楽業界から身を引くという話までして声をかけていたんですが……'08年2月にバート・バカラックに会わせてもらったことで考えが変わったんです。
DJ OSSHY バート・バカラックと言えば、すべての作曲家にとって神様みたいな存在ですよね。辞めるなと引き止められたんですか?
林哲司 言葉にしてではないんですけどね。ステージを目の当たりにして考えが変わったんです。同じ国際フォーラム ホールAでの公演で、イベンターの友人から「もしかしたらバカラックに会えるかもしれない」と連絡をもらって楽屋で待っていたら、本当に出てきてくれて話をすることができたんです。彼のステージを観て感じたのは、曲でオーディエンスを連れてきているということ。ディオンヌ・ワーウィックではなくバカラック・シンガーズが歌っていても、表現者たちが素晴らしい表現力を持っていれば、必ずしもオリジナル・アーティストじゃなくてもいいということなんです。もちろん、ディオンヌ・ワーウィックが歌っていれば、それに越したことはないんですけど、それでもバカラックの音楽を聴きたいということで来ている人たちがここにいるんだな、ということを如実に感じたんですよね。
DJ OSSHY 作家冥利に尽きる話ですよね。
林哲司 だからと言って、辞めようとは思っていましたから、その気持ちで10月のライヴに臨んだんです。でも、今度はステージからオーディエンスの拍手をもらった時に妙に元気づけられちゃったんです。ここに来てくださっている方たちは自分の音楽を好きで聴きに来てくれているということが、自分の中にエネルギーとして注ぎ込まれたというか。それで、もうちょっとがんばってやってみようかな、という気持ちに戻って、それからまた曲を書き出したんです。
DJ OSSHY バカラックが日本の音楽界の大きな損失を間接的に防いでくれたという、いい話です。
林哲司 今回のボックスセットのタイトルにもなっている、Song Fileライヴというシリーズ公演はバカラックのステージを見て、自分の公演にも反映しようと思ってスタートさせたんです。シンガーを3人、男性ひとり女性ふたりを選んで、自分の過去作品から歌ってもらっています。今年4月に杉山清貴さんと菊池桃子さんをお迎えして恵比寿ザ・ガーデンホールで行ったのが10回目になりますが、もう5年もやっていることになるんですよね。35周年ライヴからも15年経ち、こうして50周年を迎えているわけですが、その間にいろいろなことがありましたし、いろいろな人たちに出会い、いろいろな音楽に触れてきました。そうした経験が自分の中でまた新しい刺激になっている。だからまだまだやめられない、音楽をやめられないんですよね。
DJ OSSHY 名曲が受け継がれていくことになって本当に良かったです。作曲家のお立場としては一生懸命生み出した楽曲を次の時代も聴き継がれ、歌い継がれていくことが一番だと思うんですけど、この曲はやっぱりこの人だけが歌えるという曲はあったりするんでしょうか?
林哲司 そういう意味で顕著なのが、上田正樹さんの「悲しい色やね」ですね。カヴァーもいっぱい出ていますけど、自分の発想で上田正樹さんにあの声質でこういうバラードを歌ってもらいたいというコンセプトがありましたから、それに沿って書いた曲です。関西弁の歌詞になるとは、ちょっと思ってなかったんですけど(笑)。でも、その歌詞によって上田さんのブルース、ソウル・シンガーとしての部分がメロディに反映されて、ああいうバラードになったということは、他の方が歌ったら他の方の味にはなるんですけど、僕にとっては上田さんの歌が素晴らしいと思ってしまいますね。
「悲しい色やね」
上田正樹
1982年10月21日発売
作詞:康珍化/作曲:林哲司/編曲:星勝
収録アルバム『AFTER MIDNIGHT』
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DJ OSSHY コンセプチュアルな部分も含めて、いちばんマッチングしたという思いがあったんですね。
林哲司 杉山清貴さんにしても、稲垣潤一さんにしても、彼らのヴォーカルの個性で作品を仕上げてくれていますから。竹内まりやさんもそうですし、松原みきさんも、杏里さんもそう。歌ものをやっている限りは、最後はそのヴォーカリストによって最終的には仕上げられるということが松原みきさん「真夜中のドア」、それから竹内まりやさん「SEPTEMBER」で体現しました。まったく作り方の違うプロセスで作った曲が最終的には歌い手によって色づけられることを間近で目撃したというか。歌い手さんが持つ色というのは、曲をさらに膨らませてくれる。曲に命を注ぎ込むみたいなことだと思うんです。
「SEPTEMBER」
竹内まりや
1979年8月21日発売
作詞:松本隆
作曲・編曲:林哲司
収録アルバム『LOVE SONGS』
再生はこちら
DJ OSSHY まさにボックスセット『Hayashi Tetsuji Song File』はそういった様々な色によって彩られています。宝箱のようなボックスです。
林哲司 シティポップのブームはそれはそれですごくありがたいし、40年も前の作品を聴いていただけるということはうれしいことなんですけど、“シティポップの作曲家”と言われちゃうと、ほかにもいろいろやっているんですよ、と言いたくなる(笑)。50周年を記念して作っていただいたボックスセットにはみなさんがお好きな代表曲、それとは別にそれほどみなさんの耳に届かなかったけれど作曲家としては十分に良い作品を作ったと思う自信曲、あるいは自分を音楽家として育ててくれた映画音楽など、各ディスクそれぞれテーマを設けて収められています。映画音楽に関しては、ハードワークな時期でも映画やテレビの音楽がやりたくて、曲作りも大変なんですけどやり続けてきました。その中でまだ発表してないレアなものを今回入れてみたんですね。
DJ OSSHY それはぜひ聴いてみたいです。
林哲司 あとはアニメソング。みなさんがよく知っているアニメ作品、そのアニメ自体に焦点が当たるんで、音楽の方は作者知らずになっていると思うんですけど、これもそうだったの!? と言ってもらえるような曲があると思いますので、それはこういう機会に聴いてもらえたらうれしいですね。シティポップを聴いている人たちは『ドラゴンボールZ』や『少年ハリウッド』の音楽を手がけているのが僕だとは思ってないでしょうから(笑)。
DJ OSSHY ディスコの作曲も意外だと思われる方が多いんじゃないでしょうか。林さんと初めてお会いしたのは、私のミックスCD『TOKYO AOR mixed by DJ OSSHY』の発売を記念したクルージング・パーティー<TOKYO AOR CRUISE>で、前もって知らされていなかったので、林さんがいらっしゃっていると聞いてびっくりしたんですよ。
林哲司 まさかあんなシチュエーションでお会いするとは思ってもみませんでした。あー、懐かしいと思いながら、クルーズを楽しませてもらいましたよ。ディスコの作曲に関してはいい経験をさせてもらったなと思っているんです。70年代後半にハッスル本多さんが筒美京平さんにお願いしてDr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスの「セクシー・バス・ストップ」をヒットさせましたが、京平さんはアルバム1枚限りでDr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスとしての活動を終えてしまったんですよね。これは僕の憶測なんですが、本多さんが誰か京平さんに替わる担い手を探していて、まだその当時と売れているわけではなかった僕に声をかけてくれたんじゃないかと思っているんです。
DJ OSSHY それまでの林さんの作曲、アレンジにディスコの要素がなかったのに?
林哲司 たぶん僕がジグソーに曲を提供したり、洋楽的な曲を書いているという噂が本多さんの耳に入ったからでしょうね。70年代から80年代にかけてのディスコ文化はアメリカだけじゃなく、ドイツのミュンヘンをはじめ、至るところからヒットしていましたから、そのディスコの音楽のスタイル自体も本格派のものからイージーなものまで多彩で、恐らく本多さんは日本発のディスコも作れるという意識があったんじゃないでしょうか。そこで京平さんと通じる洋楽的なソングライターの僕に依頼をしたのではないかと思います。
DJ OSSHY 依頼があった時どういう印象を抱かれましたか?
林哲司 何の衒いもなく、ひとつの仕事だと思ってお引き受けしました。僕もソウルが好きだったんで、フィリー・ソウルを支えているスタジオ・ミュージシャンたちが作ったバンドがMFSBだと知っていましたから、イースタン・ギャングをやるという発想になった時に、同じようにスタジオ・ミュージシャンを集めてやろうとすぐに思い立ったんです。まあ、はっきり言うと覆面バンドですよね。そういう架空のバンドを作って、そのリーダーとして自分が音をまとめればいいんだということはわかっていたんで、企画自体はおもしろいなと。
DJ OSSHY 要は林さんがバンマスで、ミュージシャンの選定もされたということですか?
林哲司 そんな感じでしたね。当時、スタジオ・ミュージシャンの世代交代もあって、インペク、正確にはインスペクターと言われるスタジオ・ミュージシャンを手配する仕事が音楽業界にはあって、そのミュージシャンというのは各アレンジャーについていますから、このアレンジャーは誰を使うかということはだいたい決まっていました。なので、ギターだったら今剛や松原正樹、ドラムは村上“ポンタ”秀一、林立夫、青山純というように組み合わせをしながらセッティングしていって、彼らからすると“俺は知らねーよ”と言うかもしれないけれど、イースタン・ギャングになるわけです。シグマ・サウンドに入ってくるミュージシャンはみんなMFSBになるように(笑)。
DJ OSSHY みなさん日本の音楽界を代表する凄腕ミュージシャンだから、クオリティも高いわけですね。和製ディスコと呼ばれていた楽曲は。
林哲司 夜な夜な本多さんと一緒にディスコ通いをして自分でも勉強になったなと思うのは、それぞれの街によってディスコの選曲が違うということ。街の空気感を反映した選曲で、新宿あたりだとアラベスクやジンギスカンですごく盛り上がっている。僕は踊らないから、どういう曲でみんなフロアに出て踊っているのかをずっと観察していたわけです。六本木のサンバ・クラブに行くと、もうちょっと洒落た曲じゃないとダメだったり、その違いがおもしろかったですね。
DJ OSSHY ロケハンですね(笑)。それ以前はディスコに行かれていたんですか?
林哲司 赤坂のMUGENは行っていましたね、ゴーゴーの時代から。まだ、その頃は音楽の仕事はしていませんが。人がダンスするという文化というのは、僕も音楽の仕事を通してわかったんですけど、人間の本能として歌を歌うことと、踊るということは太古の時代からずっと繋がっていて、人間の感情を表す意味でもこの表現は永遠に続いていくことでしょうね。90年代に入ると小室(哲哉)くんの時代が到来して、現在のEXILEにつながっていくというように基本的にはダンサブルな音楽というのは形態を変えながら永続的に作られていくと思います。
イースタン・ギャング、SHOODYほか
『ディスコティーク:ルーツ・オブ・林哲司』
DJ OSSHY ディスコやブラコンの曲で参考にされた思い出の曲などはありますでしょうか?
林哲司 イースタン・ギャングの曲を書く際に自分の嗜好ではないですけど、アラベスクやシルバー・コンベンションは参考にしましたね。みんなが口ずさむことができるわかりやすいメロディ、それから連呼するようなフレーズがヒットの要素として必要だと、彼らの曲から感じ取りました。個人的にはおしゃれな曲が好きなんですけれど、むしろ“え、こんな曲やるの!?”と言ってしまうような単純明快なメロディのリフから学び取ったことは大きかったですね。それが'80年代に曲を書いていた際に役立ちました。“I Can't Stop The Loneliness”のように、サビは一番盛り上がるところで音程的にも高いところを取るというのがひとつのフォーマットですが、その中でいかにわかりやすくて、いかに良い言葉を入れてもらってリスナーに伝えるかということのプロフェッショナリティみたいなものは、ディスコのソングライティングによって培われた部分がありますね。もちろん、そればかりじゃないですけど。
林哲司
『Hayashi Tetsuji Song File』
CD5枚組 +ブックレット
2023年6月21日発売
DJ OSSHY なるほど、様々なソングライティングを通して、常にご自身の作曲、アレンジのスキルをアップデートしていったからこそ、半世紀という長きにわたって第一線で活躍されてきたんですね。ボックスセット『Hayashi Tetsuji Song File』はまさに林哲司の作曲・アレンジのすべて、というような副題も付けられそうですが、選曲は林さんだけでなく、監修の方、レコード会社のスタッフの方も参加されて決められたと伺っていますが、こういう曲選んでくるんだとか、意外な曲を選んできたなというのはありましたか?
林哲司 例えば、中村由真さんの「Dang Dang 気になる」はアニメの『美味しんぼ』のオープニング・テーマということでなじみがあって、気に入ってくださっている方が多いそうです。あと、郷ひろみさんの「入江にて」。シングルカットもされていない地味な曲なのに収録されたのは、それこそDJの方たちが昔からプレイしてくれていたからでしょうね。国分友里恵さんの「Just A Joke」とかも、今のシティポップ・ブームで注目されているナンバーです。自分が収録曲を選んでいたら、50年のキャリアを整理するような選曲になって、もしかするとリスナーを無視することになる可能性もはらんでいると考えたので、やはり第三者の視点も含めたフラットな内容になって良かったと思います。[終わり]
対談進行・文/油納将志 写真/島田香
●林哲司(はやし・てつじ)- 1973年シンガーソングライターとしてデビュー。以後作曲家としての活動を中心に作品を発表。竹内まりや「SEPTEMBER」、松原みき「真夜中のドア〜Stay With Me」、上田正樹「悲しい色やね」、杏里「悲しみがとまらない」、中森明菜「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語-NEVER ENDING SUMMER-」など全シングル、菊池桃子「卒業-GRADUATION-」など全曲、稲垣潤一「思い出のビーチクラブ」など、1500曲余りの発表作品は、今日のシティポップ・ブームの原点的作品となる。 また、映画音楽、TVドラマ音楽、テーマ音楽、イベント音楽の分野においても多数の作品を提供。ヒット曲をはじめ発表作品を披露するSONG FILE LIVEなど、積極的なライブ活動も行っている。
林哲司 オフィシャルサイト
【関連イベント】
林哲司50周年記念SPイベント
『歌が生まれる瞬間(とき)』 ~Talk&Live~
会場:赤坂レッドシアター
●6/30(金)
出演:林哲司
ゲスト:萩田光雄(作曲家・編曲家)、船山基紀(作曲家・編曲家)
ゲストMC:半田健人
●7/1(土)
出演:林哲司
ゲスト:売野雅勇(作詞家)
ゲストシンガー:大和邦久、富岡美保、一穂
●7/2(日)
出演:林哲司
ゲスト:松井五郎(作詞家)
ゲストシンガー:藤澤ノリマサ、松城ゆきの、一穂
イベント詳細は林哲司 オフィシャルサイトにて
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DJ OSSHY 出演スケジュール
2023.07.07 | 《EVENT》 【東京都・銀座】DJ OSSHY DISCO R&B Night @ 銀座DisGOONieS <主催イベント> |
2023.07.09 | 《EVENT》 【愛知県・名古屋】Flashback Dancebeat Vol.6 |
2023.07.16 | 《EVENT》 【京都府・祇園】surfer disco 祇園祭SP @ マハラジャ祇園 |
2023.07.21 | 《EVENT》 【東京都・渋谷区】DJ OSSHY&DJ AKIRA Presents 「Boogie Nights」<主催イベント> |
2023.07.30 | 《EVENT》 【東京都・六本木】サンデーディスコ @ マハラジャ六本木 <主催イベント> |
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