DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第44回【対談⑫ 角松敏生 × DJ OSSHY[前編]】
ラジオドラマ『松角部長の杞憂』は、ラジオって、こんなにも自由なメディアなんだということも知ってほしかったんですよね。DJ OSSHYならぬDJ USSHY(笑)(角松敏生)
今年は丑年です。2021年はDJ USSHYとしてやっていきます。(笑)(DJ OSSHY)
DJ OSSHY 今回は、2年半前からスタートした対談シリーズの記念すべき最初のゲストとしてご登場いただいた角松敏生さんを再びお迎えして、誰もが予想もしなかった事態となった2020年を振り返りつつ、今年2021年の展望を伺っていきたいと思います。角松さん、再び来ていただきまして、本当に光栄です! よろしくお願いいたします。
角松敏生 このコーナーではお久しぶりですが、2020年も変わらずに公私お付き合いいただいてありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします!
DJ OSSHY こちらこそ! 色々とお声がけいただいてうれしかったです。でも、去年は本当に大変だったんじゃないですか。
角松敏生 まあ、そうでしたね。でも、悩んでばかりもいられないし、動かないわけにもいかない。ということで、まずは5月に『EARPLAY~REBIRTH 2~』というアルバムをリリースしました。その最新作を携えてのツアーを計画していたんですが、その制作期間中から新型コロナウイルスの感染が日本にも広がってきて、3月の時点で中止せざるを得ないということになりました。そうなるかもしれないな、と薄々予感はしていたので、ああやっぱりという感じだったのですが、その中止でどれくらい負債が出るのかという問題が残ってしまうわけです。作品に関してもライヴに関してもぼくが参加してくれた方たちにお支払いしていますし、会場費は絶対に払わないといけないし、収支をすべて自分で見ていますので金額もリアルに見えてくるわけですよ。
DJ OSSHY 痛いほどわかります。私も同じような立場でもありますので。
角松敏生 ですよね。そうした興行の中止に関して国の補償や補助の詳細がだんだん出てきて、行政の判断によって一部支払いが免除になったりもしたんですが、それでもやはり出すものは出さなくてはいけない。まずチケットの払い戻しですごくお金がかかるんですよ。トータルで何千万もの赤字になりました。
DJ OSSHY そんなに!
角松敏生 関わってくれている方も公演も多いですから、金額もそれなりにかかってくるわけです。それからはその損害をどうフォローしていくかになるんですけど、国からの補助金などはしっかりと調べた上で、自分では何ができるのかを考えていったんです。ただ、こういうときはじたばたしないほうがいいんですよ。とにかく何かしなくちゃいけないと焦って動くと軽薄なものができてしまうから。冷静に世の中の動きを見据えて、その上で良きタイミングを見計らってから動くべきことが大事。でも、ツアーが全部中止になったときは、さすがにどうしようと焦りましたよ。でも、これは有事(自然災害や戦争)のときと同じだからと自分に言い聞かせて落ち着かせたんです。外出してはいけないし、家にこもりながらずっと「あつ森」をやってました(笑)。それで徐々にできることを見つけてやっていったという2020年の前半でした。
DJ OSSHY 角松さんが「あつ森」やっている姿は想像できない(笑)。
角松敏生 島で楽しく交流したりしてましたよ(笑)。
DJ OSSHY でも、昨年のコロナ禍で「あつ森」ばかりやられていたわけではなかったですよね。TOKYO FMでの角松さんの番組『ODAKYU SOUND EXPRESS』内で放送されたラジオドラマ『松角部長の杞憂』。これはすごい企画だと思いました。
角松敏生 ありがとうございます。10年以上にわたってパーソナリティーを務めていますが、番組の制作もリモートになったわけです。ぼくの場合は自宅にスタジオがあるので、音に関するあらゆる制作ができる。当然、ラジオも自宅での一人収録になりました。そこで自宅でできる最低限のことで、最高におもしろいことをやってみようと考えたんです。そこでラジオドラマを思いついたんですが、この耳で聴くエンターテインメントは歴史がある。テレビが放送される前は、ずっとラジオがドラマを放送していたんです。
DJ OSSHY なるほど。
角松敏生 ラジオって、テレビが登場するまでは通信メディアの主役でした。今のインターネットのような役割を果たしていたと思ったんです。音楽が広まっていったのもラジオからですから。そこにおしゃべりも加わる。ぼくが中高生の頃は『オールナイトニッポン』や『パックインミュージック』、『セイ!ヤング』とかを聴いたり、録音したりして。洋楽の最新情報もFENをエアチェックして知るようになっていました。それが今の自分につながるわけで、ラジオってすごく重要だなとずっと思ってきたんです。
DJ OSSHY 私もまさに同じようなラジオ体験で、DJと並行しながらずっとラジオの番組制作を続けていたのでラジオに対する思い入れは角松さんと同じくらいあると自負しております。でも、今のラジオは残念ながら、そういう重要なメディアではなくなってしまっていますよね。
角松敏生 そうなんですよ。このご時世におもしろいことをやりたいなと考えて、ラジオに行き着いたのも自然な流れで、ぼくたちの時代にあった「スネークマンショー」のようなサブカルチャー的な表現で、わかる人にしかわからないラジオドラマをやってみようと思いついたんです。最初に聴いた人が角松、何を始めたの!? っていう反応を引き出したかったんですよね。全然理解されないだろうな、でもセンスの良い人がこの番組には何かあると付いてきてくれることを願った。ぼくがすべての脚本を書いて、あらかじめ頭の中にある構成や選曲も決めてから、出演をお願いしたい演者さんに電話で演出をつけていったんです。
DJ OSSHY そうだったんですね。
角松敏生 ここはこうやってしゃべって、というように。それで演技した音声をスマートフォンに録音して送ってもらうわけですが、芝居をやっているけれど相手がいないわけですから、ラジオドラマの経験がある方でも違和感はあったと思います。通常の芝居は面と向かってのダイアローグですが、ぼくのラジオドラマはモノローグでダイアローグをやるということなんで。
DJ OSSHY 確かに演技をする相手がスマホですから、演技の経験がある人も初めてのことだったんじゃないでしょうか。
角松敏生 きっと、何度も録音して、聞いて、やり直してだったと思います。その納得がいった演者さんたちのモノローグの音声を切ったり貼ったりしてダイアローグになるように編集していきました。聴いてもらったらみなさん、うわ! ちゃんと会話しているって驚かれてましたけどね。あと、このラジオドラマではミュージシャンをはじめ、芝居をしたことがない人に演技をしてもらうというのがもうひとつの狙いだったんです。実はね、ミュージシャンって、演技とか嫌いじゃないんですよ。もちろん人によりますが、大概は好き。
DJ OSSHY (笑)
角松敏生 ぼくが親しくさせてもらっているミュージシャンの方々は何十年にわたってライヴの打ち上げでどんちゃん騒ぎを共にしてきた仲間なので、人柄も性格もわかっている。なので、この人にはこの役がぴったりだとか、この人にはこんな演技をしてもらおうだとかを考えて、キャスティングありきで全体のストーリーを編み出していきました。さらに今回、昨今仲良くさせてもらっているプロの役者さんやミュージカル方面の方々たちにも出演のお声がけをさせていただきまして、そのみなさんからもこの作品の意義を認めていただけたので安心しました。
DJ OSSHY 光栄にも私にも声をかけていただき、ラジオドラマ『松角部長の杞憂』に出演させてもらいましたが、まさに嫌いじゃなかったです(笑)。
角松敏生 でしょ(笑)? このラジオドラマ以前にもサンリオピューロランドでミュージカルを制作したり、90年代にも脚本を作ることはやったことがあったんです。けれど、ここまで本格的に長い物語を書いたのは初めてでした。それも1クール以上にわたって全30話続けるのはさすがに大変でしたね。でも、その大変さをわかった上で、あえて挑戦したんです。自分がやったことのないことにチャレンジして、やり遂げることが大切だった。自己満足でもいい。思うように活動できないこのコロナ禍だからこそやってみたんです。やってみてあらためて感じたのは、エンターテインメントなんていうものはしょせん浅知恵だということ。
DJ OSSHY 浅知恵?
角松敏生 そんなもんですよ。ぼくがラジオドラマをやってみようなんて思ったのも、所詮は浅知恵の最たるもの。ですが、その浅知恵をどれだけ説得力のあるものにしていくのかが大切なんです。これはもしかしたら面白いんじゃないかということをとにかく継続してみること。その継続は情熱とも言い換えることができますが、やっぱり浅知恵だったか! と、失敗することもあったりします。もっと考えないといけなかったりもするんです。しかし「これは!」ということを信じて続けていくことで、だんだんと本物に近づいていく。音楽も含めて、エンターテインメントの多くは「こんなのできたらいいな」というフラッシュアイデアに対して、どれだけ自分が責任を持って向き合っていくかということなんです。やり遂げるからこそ、しっかりとした作品として認知されるとぼくは考えています。
DJ OSSHY いや、説得力のある言葉をいただきました。継続は情熱。今年40周年を迎えられるのも、ひとえに情熱あってのことですね。
角松敏生 でも、40年前と今とでは全然違いますね。ネット時代になった今、能動的に情報を取りに行く人がとても少ない。昔は自分から取りに行かないと情報を得られなかった。だから、今は入ってくる情報以外は知らないというのが普通なんですけど、そんな人たちが興味を持って聴いてみようというアクションを引き起こしたかった。TOKYO FMのみの番組だから、地方の方たちは聴けませんが、radikoを使ってでも聴いてみようかなというくらい巻き込んでいく力を作りたかった。
DJ OSSHY いや、それだけの力はありますよ。とにかく凝ってますから。
角松敏生 話は長くなりましたが、そんな番組にOSSHYさんにも参加してもらおうと脚本を書き始めた時点で決めていました。だいたいシーズン2の9月くらいだなというイメージで。音楽番組でラジオドラマをやるわけですから、音楽を中心としたエンターテインメントでないといけない。同時にOSSHYさんが出演された回の中でも問題として取り上げていますが、既存の曲を自由に使えるのは放送局だけなんですよね。例えばぼくがYouTubeで「松角部長」をやったら一発でアウト。
DJ OSSHY あ、そうか。
角松敏生 そう。著作権がクリアにできていないから。ラジオだけは音楽を好きなだけ自由に放送して、それもイントロだけ使ったり、トークのBGMにも使ったりできる。テレビはシンクロ権をクリアにする必要があるから大変。ラジオって、こんなにも自由なメディアなんだということも知ってほしかったんですよね。だから、前にOSSHYさんにオンライン・ディスコをやらないの? と聞きましたが、有料にしたらできないとわかって。でも、有料じゃないとぼくらがやる意味がないもんね。
DJ OSSHY そうなんですよ。そこはプロですので、楽しんでもらえた対価としていただくわけですから。しかし、出演のオファーがあったときはうれしかったですけど、驚きました。
角松敏生 DJ OSSHYならぬDJ USSHYだったから(笑)。
DJ OSSHY はい(笑)。でも、今年は丑年です。2021年はDJ USSHYとしてやっていきます。それをいち早く、ある意味、予言のようにストーリーを作られているとぼくは読んだのですが。
角松敏生 そう、まさにそれも込みで。土用の丑の日ならぬ、金曜の丑の日のイベントにDJ USSHYが出演することも含めて。必ず、ありえないだろうというお笑いのテイストも加えるようにしていたんです。ドラマがエンディングを迎えるにつれてだんだんとシリアスにはなってきましたが、それまではとんでもないギャグが飛び出したり。笑いを入れるのは難しいところではあるんですが、DJ USSHYにしてもOSSHYさんのことを知っていたら、それだけで笑える。
DJ OSSHY 実際に良い反応でした。
角松敏生 80年代に渋谷のディスコで人気者だった伝説のDJが今はイベントプロデューサーになってお店を経営しているという設定で、そこに松角部長と部下が訪れるシーンがあるんです。部長は還暦を迎えるバブル時代を謳歌した人で、90年頃には芝浦のGOLDで遊んでいたり、世代的にはぼくとかぶるんだけど人格は別。USSHYとOSSHYも同時代なんだけど、キャラクターは違う。ぼくらが実体験した時代を表現しているという意味ではすごくリアリティーがあって、おもしろい。
DJ OSSHY ですので、イメージできるから役作りがしやすかったです(笑)。
角松敏生 DJ USSHYというキャラを説明してもすぐにOSSHYさんに理解してもらえたので、さすが勘がいいなと感心させられました。OSSHYさんとは普段のお付き合いもあるし、DJプレイも見ているから、こんな風に話すだろうなというセリフも入れた。
DJ OSSHY 牛の鳴き声まで入れてもらって。しかもキャッチフレーズが「マスクDEダンス」。舞台がコロナ禍の現在だから、すごく話がシンクロするんですよね。わかる、わかるって。
角松敏生 その時々の状況をしっかり追いました。ドラマが始まった5月は松角部長はリモートワークしてましたから。最初の緊急事態宣言が解除になった後の7月は交代制勤務になったりとか、そういうディテールにはこだわりましたね。OSSHYさんが出てくれた9月はようやく金曜日のイベントに人が戻り始めたりとか。みんな何だかんだ言いながらも外に出て行きたいんでしょうねと。この店は盛り上がってますね、というセリフを部長の部下が言えば、このお店は感染対策がしっかりとしていて信用していると部長が答えたり。そこでお店に入ったら、DJ USSHYがマスクDEダンス! というわけです。しかし時流を追うのは大変でした。ラジオですから納品を考えたら、半月から1か月前に作らないといけないわけです。こんな世の中ですから、次の月にはどうなっているかを予測しながらストーリーを練っていかないといけない。
DJ OSSHY 大変な作業ですよね。しかし、丑の日だけにお店がミルク飲み放題になっているのも笑えました。お腹を壊した人もいたし、次のイベントの時はチーズ食べ放題になるのでまた来てくださいというアナウンスがあったり。昔ながらのディスコのフリーフード、フリードリンクにも通じる描写もあって、これまたさすがだなとうならされました。この凝った設定は私の回だけじゃなく、すべてですからね。ラジオドラマのスケールじゃない、大河ドラマ級ですよと本気でお話をさせてもらったり。
角松敏生 それだけに大変な作業量ですけどね(笑)。
DJ OSSHY お察しします。あと音楽の使われ方もすばらしい。一話ごとにストーリーが完結しながらも、ちゃんと連続ドラマにもなっている。その一話の中でのオンエア曲が絶妙で、音のインサートの仕方やフェイドイン、フェイドアウト、声のイコライジングなどの技法も、DJと並行しながらラジオの番組制作を続けている私の経験から見させてもらっても、プロ顔負けなんですよ。失礼ながらミュージシャンを辞められても、ラジオ制作で食べていけます。そう太鼓判が押せるほどの完パケ力なんですよね。
角松敏生 でも、それってOSSHYさんとぼくの番組のディレクターにしか褒められないし、わかってもらえない(笑)。聴いてる人にはその苦労はわからないからね。
DJ OSSHY それが裏方というもんです(笑)。脚本からキャスティング、演出、音の編集作業、納品まで、もう会社レベルですよ。毎回、相当時間をかけてらっしゃるというのがわかります。これを半年以上続けていて、ライフワークにもなってきたという思い入れの強さを以前に伺いましたが、その間にライヴの無観客配信も行っていたという角松さんの2020年。まだまだ聞いていきたいと思います。
[中編]に続く
対談進行・文/油納将志 写真/島田香
- ●角松敏生(かどまつとしき)
- 本名同。1960年、東京都出身。1981年6月21日シングル「YOKOHAMA Twilight Time」、アルバム『SEA BREEZE』の同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。角松自身のリリースされるアルバムは、いずれもチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーも敢行。1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。
角松敏生オフィシャルサイト
http://www.toshiki-kadomatsu.jp/
●最新作|Blu-ray/DVD
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『TOSHIKI KADOMATSU Performance“2020.08.12 SPECIAL GIG”』
2020年12月23日発売
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1月30日(土) | 《RADIO》InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
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