気になる洋楽~すっきり解消!あのCMで使われていた曲は?~
70s~90sのCM洋楽ヒストリーを紐解く短期連載をお届けします。
VOL.4●80s青春CMサクセス! オーバーナイト・サクセス!!
What a Feelingな映像時代に生まれた新世代CM
’84年夏、ジョージ・マイケル&アンドリュー・リッジリー=全英No.1アイドル・ポップ・デュオ=ワム!が日本独自の洋楽アーティスト出演CMラインに乗りマクセルのカセットテープ「UD」シリーズに登場。「バッド・ボーイ」「フリーダム(CMオリジナル)」に合わせ最高の笑顔を振りまき一躍お茶の間の洋楽アイドルになった頃、同じくMTVムーヴメントの追い風に乗って、カセットテープのライバル社、ソニーが時代を象徴するCMを完成させようとしていた。ワム!で大成功を収めたマクセル「UD」に報いるための一夜の成功ストーリー……Overnight Successだ。
衝撃の米MTV開局から端を発した第2次ブリティッシュインヴェイジョンが大きなうねりとなったなか、’81年~’82年頃の全米ヒットチャートはもうひとつのムーヴメントの兆しを見せはじめていた。『エンドレス・ラブ』『アーサー』『愛と青春の旅だち』『ロッキー3』などの映画主題歌が軒並みヒットチャートの首位を独走。劇中フィルムをふんだんに使ったミュージックビデオ(MV)の効果も功を奏したことはいうまでもない。そんなビジュアル重視が追い風の’83年、空前のサントラブームの火付け役となる映画が公開された。
サントラブーム牽引したのは“インディ・ジョーンズ”シリーズで盛況イケイケのパラマウント映画だった。看板プロデューサーにドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーを迎え、音楽監督はジョルジオ・モロダー、そして作品は『フラッシュダンス』(’83年)だった。プロのダンサーを夢見る主人公アレックス(ジェニファー・ビールス)が、アイリーン・キャラが歌う主題歌「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」に包まれる。窓から陽が差し込むオーディション部屋。審査員の前で踊る印象的なラストシーンは、80sMTVフィーリング映画の華やかさを集約し輝きを放っていた。
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「オーバーナイト・サクセス」はソニーのオリジナルCM曲として誕生!
青春映画を後押しするWhat a feeling なロック&ポップスとの蜜月に注目したソニーは自社の推し進めるβビデオテープ、カセットテープのCMもサクセス・ストーリーを採用。国内制作のEPICレーベルが原盤制作、ミスターミュージックがCM音楽制作を請け負うことになった。
「テクノ系はやってて楽しかったんだけど、CMの話題のわりにはシングルとして売れないんですよ。それも面白くないなと思って、作ったのがあの曲ですね。ちょうど映画『フラッシュダンス』がヒットしている時で、あの主題歌を作っているロサンゼルスのチームに依頼して出来たんですけど、あれがヒットして、みんな同じようにロスに事務所を作ったりするようになった(吉江一男/Mr.ミュージック)」*
▲カルボーン&ズィトー フューチャリング テリー・デサリオ
EP盤「オーバーナイト・サクセス」(1984年)*最初のジャケット
『フラッシュダンス』の音楽監督だったジョルジオ・モロダーの片腕でもあり「フラッシュダンス~ホワット・ア・フィーリング」でもアレンジ&ギター・ソロで貢献したリッチー・ズィトー。アイリーン・キャラは同曲でのグラミー賞の受賞スピーチでズィトーに賛辞を贈っていた。そのリッチーとの盟友でもあり、映画『里見八犬伝』(’83年)の音楽を手がけ、キーボーディストとして矢沢永吉のツアーにも同行していたジョーイ・カルボーン。そして、KC&ザ・サンシャイン・バンドのハリー・ケーシーとのデュエット曲とのハリー・ケーシーとのデュエット曲「イエス・アイム・レディ」(’80年3月全米2位)の実績を持つ女性ポップ・シンガー。この3人が組んだ楽曲「オーバーナイト・サクセス」はソニーのオリジナルCM曲として誕生した。
▲カルボーン&ズィトー フューチャリング テリー・デサリオ
EP盤「オーバーナイト・サクセス」(1984年)
*表記のマイナーチェンジがあった2ndジャケット
Over Night Successとはブロードウェイ用語のひとつ。舞台の封切り前に、評論家やマスコミを集めてプレビューを行い、翌日のNYタイムズにはそのステージ評が掲載される。その評価によって舞台の成否が左右されるわけだが、高い評価が付くとロングランが保証され、出演者たちはスターへの道も拓かれていく。すなわち一夜にしてスターが生まれる“オーバーナイト・サクセス・ストーリー”は、そのままアメリカン・ドリームへと繋がっていく。耳と目を同時にエンターテインメントさせるブロードウェイのイメージは、80年代のキーワードでもあった音と映像をテーマしたソニーのβビデオテープ、カセットテープ戦略とマッチした。
▲ソニー1984年秋・雑誌広告(『MUSIC LIFE』’84年12月号より|シンコー・ミュージック刊)/ショーウィンドウを見ながら未来のスターを夢見ていたペイジー編
‘84年秋から放映されたCMでは、未来のスターを夢見てブロードウェイの舞台を目指す若者たちの姿が映し出されていく。若きダンサーが「オーバーナイト・サクセス」の曲が流れるなか合わせて一斉に踊りだすシーンは、CMのために実際にNYダンス・スクールの生徒を47人集め、実在する名門グラスコ劇場で収録。オーディションのシーンは、ブロードウェイの雑居ビルのロフトで、また印象的なショーウィンドウの前で17歳のペイジーが踊るシーンはNYソーホー地区の路上で撮影されている。
▲テリー・デサリオ ウィズ カルボーン&ズィトー
LP盤『オーバーナイト・サクセス』(1984年)
●紙ジャケット2009年デジタル・リマスター再発盤
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<Over Night Success>プロジェクト自体がCMサクセス!!
青春映画のトレーラーを見ているようなソニーのテープ<Over Night Success>CMシリーズは、制作側の狙い通り映画『フラッシュダンス』を彷彿とさせる音楽と映像のマッチングが大反響となり、若者のハートをしっかりとつかんだ。<Over Night Success>プロジェクト自体がサクセス・ストーリーとなるその物語の主題歌ともいえるCM曲「オーバーナイト・サクセス」も大ヒット! ‘84年11月26日付けより11週連続オリコン洋楽チャートの首位を独走した。総合チャートでは12月17日付けで最高9位を記録。28万枚のセールスを記録し、’85年度オリコン洋楽シングル・チャートでは「ウィ・アー・ザ・ワールド」(USA for Africa)、「ネヴァー・エンディング・ストーリー」(リマール)に次ぐ第3位を記録した。
▲テリー・デサリオ ウィズ カルボーン&ズィトー
12インチシングル盤「オーバーナイト・サクセス(ダンス・ミックス)」(1984年)
Over Night Successは音楽に直結していたこともあり次々に再生商品が発売された。’84年12月には流行りの12インチ・アナログ・シングル「オーバーナイト・サクセス(ダンス・ミックス)』、さらにはテリー・デサリオ ウィズ カルボーン&ズィトー名義でのアルバム『オーバーナイト・サクセス』も同時発売された。さらに’85年にはCM放映時から要望が高かったCMシリーズの映像を編集した映像パッケージもついに発売された。
しかし、あれだけCMが大量投下され刷り込まれていたソニーのテープ=オーバーナイト・サクセスのイメージをわずか1年で覆す、VHDとレーザーディスクのみの発売という驚愕の事実には、大人になりかけていた若者も一夜の熱狂から少し興ざめ? βビデオ vs VHS、そしてVHD vs レーザーディスクの規格対決。80年代、音声や映像の再生メディアの進化は本当に早かった。世相を反映するCMもあっという間にオーバーナイトの幻に――。時代は変わる。[続く]
文/安川達也(otonano編集部)
*『みんなCM音楽を歌っていた 大森昭男ともうひとつのJ-POP』(田家秀樹・著/スタジオジブリ・発/2007年・刊)
<気になる追伸>
「オーバーナイト・サクセス」(’84年)を手がけたリッチー・ズィトーは、敏腕プロデューサーとして80年代後半の米ロック界の主役に躍り出る。エディ・マネー『キャント・ホールド・バック』(’86年)、サントラ『トップガン』(’86年)、チープ・トリック『永遠の愛の炎』(’88年)、バッド・イングリッシュ『バッド・イングリッシュ』(’89年)、ハート『ブリゲイド』(’90年)と次々にミリオンセラー・アルバムを輩出しメロディアス・ロックの名手として一目を置かれる逸材に。日本企画制作の「オーバーナイト・サクセス」はリッチー・ズィトーとしてのアーティスト名義が連なる極めてレアな作品なのだ。(安川達也)
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