気になる洋楽~すっきり解消!あのCMで使われていた曲は?~

70s~90sのCM洋楽ヒストリーを紐解く短期連載をお届けします。

VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

スリラー前夜! 日本のブラウン管にMJ降臨

 70年代後半、ビリー・ジョエルの「ストレンジャー」「オネスティ」の洋楽CMヒットの成功は80年代にさらなる発展を遂げながらお茶の間に発展しようとしていた。宝焼酎<純>のCMソング「クリスタル・ジャパン」デヴィッド・ボウイ(’80年)、ニッカウヰスキーのCMソング「今宵焦がれて」ロッド・スチュワート(’81年)など国内のみのシングルリリースにととまらず歌っている本人もCMにも出演するという日本独自の洋楽CM文化が築かれようとしていたのだ。

 ホンダの小型自動車<シティ>のCMは、英国発ネオ・スカバンド、マッドネスが♪ホンダホンダホンダを連呼するムカデダンスが、小学生も身体を密着して教室で列をなすほど大人気(筆者も闊歩しました)。CMで効果的に使われた「イン・ザ・シティ」(’81年)は15万枚のセールスを記録する洋楽大ヒットとなった。洋楽アーティスト達が、日本のブラウン管のなかで存在感を増していくなか、ホンダと同じ輸送機器メーカーのスズキはのちにキング・オブ・ポップと呼ばれる世紀のスーパースターとタッグを組んだ。マイケル・ジャクソンだ。それは『スリラー』が発売される半年前のことだった。





MICHAEL JACKSON「Don’t Stop 'Til You Get Enough」Official Video(1979)


Newスター、マイケル・ジャクソン ✕ Newスクーター スズキ<ラブ>

 ’82年2月、スズキはバイクブーム到来を告げるかのようにスリムなボディ・デザインによる50ccスクーター<ラブ>は発売した。商品呼称はCL50。価格は10万9000円。キャッチコピーは「ライトスクーター、スズキ・ラブ」。テレビCMのイメージ・キャラクターとして登場したのがマイケル・ジャクソンだった。音楽界の新しいスター=マイケル・ジャクソンと新しい感覚のスクーター=スズキ<ラブ>との「共演」は日本のテレビCM界でのエポック・メイキングとなった。

 マイケルは、当時23歳。兄弟グループ、ジャクソンズのヴォーカリストから本格的なソロ・アーティストに移行した時期で、’79年8月に発表した古巣モータウンを含むと通算5枚目、エピック移籍第1弾となったソロ・アルバム『オフ・ザ・ウォール』で大成功を収めた直後のこと。


VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

 「今夜はドント・ストップ」(’79年10月13日付全米1位)、「ロック・ウィズ・ユー」(’80年1月19日付から4週連続全米1位)、「オフ・ザ・ウォール」(’80年4月12日付全米10位)、「あの娘が消えた」(’80年6月21日付全米10位)を記録し「1枚のアルバムから全米トップ10入りするシングルを4曲も出した最初のソロ・アーティスト」に輝いた(この記録はのちに7枚のヒットを生んだ『スリラー』で自己更新する)。アルバムも最高3位(’80年度年間3位)を記録し、アメリカだけで800万枚、全世界で1000万枚のセールスを突破する大スターとなっていた。母体ジャクソンズで70年代に築いた成功をたった1枚のアルバムで凌駕したのだ。一方、日本では、全盛ディスコに通うリスナーや熱心な洋楽ファンには新しい80年代を担うトップ・アーティストとして認知されていたが、一般層までにマイケル・ジャクソンの名前はまだ浸透していなかった……。


マイケル・ジャクソンのCM登場に世界中が衝撃!

 ’82年春、突如、蝶ネクタイとスーツ姿のマイケル・ジャクソンが、スパンコールのドレスを着た白人女性と<ラブ>の周りを超キレッキレッのダンスするCMがお茶の間に登場。「Don’t Stop 'Til You Get Enough/今夜はドント・ストップ」の歌い出しの♪Lovely is the feelin’を商品名の<ラブ>に引っ掛けたことで、一般リスナーにはオリジナルCM曲と思わせるほど、マイケルの新代名詞が最大限の効果を発揮した。決め台詞はカメラ目線の「Love is My Message」。そして極めつけは明らかに照れているはずの両目ウインク! もしかしてマイケルは片目ウインクが出来ないのか? (そんなどうでもいい)噂も流れた。


VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

 流行りに敏感な若者はマイケルのCM登場を大歓迎し、ひとまわり上の世代は「ジャクソン5の一番下の男の子?」と驚いた。それでも、いちばん驚愕したのは当時、日本に訪れていたアメリカのビジネスマンだった。「え!? なんでマイケル・ジャクソンが日本のテレビCMに出てるの!!」。それもそのはず。アメリカでは映画俳優やミュージシャンとテレビCMには長年にわたりお互いに干渉しない不可侵のルールのようなものがあり、同じブラウン管のなかでミュージシャンのパフォーマンスとCMの同居は皆無に等しかった。あわせて人種問題もくすぶっていた。当時スズキ<ラブ>でマイケルに支払ったギャラはわずか数百万円と言われている。CMに携わった日本企業による世界が羨む先見はもはや称賛に値する(’84年にマイケルが不可侵のルールを突破しペプシのキャラクターになった時は全米を揺るがす社会的ニュースになったが、ギャラは10億円を超えていた)。


人気もドント・ストップな必殺の両目ウインク!!

 「今夜はドント・ストップ」CMヴァージョンが大きな話題になると、「Off The Wall/オフ・ザ・ウォール」CMヴァージョン第2弾が投下された。アメリカ西海岸(だと思われる)どこかの豪邸の大きな屋上で、今度はラフなスタイルのマイケルさんが<ラブ>の横でまたもや超キレッキレのダンス、ダンス。ロサンゼルス(と思われる)の街のなかをマイケルらしき人がヘルメットをして<ラブ>で快走するシーンも登場しまたもや大きな話題となった。ここでも最後は決め台詞「Love is My Message」。そして、すっかりお馴染みになっていた必殺の両目ウインク!!  


VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

VOL.2●マイケル・ジャクソンお茶の間に登場!!

 日本では、それぞれスズキ<ラブ>用のシングル盤が再発売され、’82年夏にかけて本国アメリカより少し遅れて『オフ・ザ・ウォール』が再注目された。その頃、マイケル・ジャクソン当人はクインシー・ジョーンズとスタジオに籠もり世界中が腰を抜かすモンスター・アルバムに着手していた。売上1億枚、世界で一番売れるアルバムとなる『スリラー』だ(’82年12月発売)。その『スリラー』が社会現象になった’84年、日本では同じエピックから、今度はふたりのウキウキで弾けるUKデュオがCMブラウン管を賑わすことになる。……見晴らしいいよ、ハイポジション!? [続く] 

文/安川達也(otonano編集部)



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