DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第40回【対談⑪ 大友康平 × DJ OSSHY[前編]】
HOUND DOGデビュー40周年ですね。今年はどのような活動をされますか?(DJ OSSHY)
3月13日と14日に東京の豊洲PIT、21日と22日に大阪の森ノ宮ピロティホールで「HOUND DOG 40th Anniversary Live 2020『First Finale』」と銘打ったライヴを行います。俺はこの4日のために1年間生きている。本業のロックンローラーとしての姿を見せる4日間です(大友康平)
── 2020年の第1弾、DJ OSSHYの連載「TOKYOの未来に恋してる!」の対談シリーズに11人目としてご登場するのは大友康平さんです。今年はHOUND DOGのデビュー40周年という節目の年を迎えられます。さっそくですが、まずはその40周年への思いを語っていただけますでしょうか。ではOSSHYさん、あとの進行はよろしくお願いします!
DJ OSSHY はい! 40周年おめでとうございます! そして、1月1日のお誕生日もおめでとうございました。1年でもいちばんおめでたいお誕生日、しかも2020年でデビュー40周年という節目の年になりますね。
大友康平 ありがとうございます。しかも今年はHOUND DOGでデビューして40周年で、「202040」というね。非常に語呂が良い年を迎えました。1980年にCBS・ソニーからデビューしてから40年ですよ。
HOUND DOG
1stアルバム
『Welcome to The Rock'n Roll Show』
1980年5月発表
でも、純粋に1月1日に生まれた人ってあまり多くないんですよ。12月30日、31日、1月2日、3日あたりに生まれた場合、おめでたいからという理由で1日で出生届を出すんですよね。だからピュアな1月1日生まれは統計上の数字よりもずいぶん少ないはず。実はぼくも前々日の30日生まれ。昔は数え年の風習が強かったからお正月を過ぎると誰でも自動的に年をひとつ取ってしまうから、生まれて3日目で2歳という扱いはかわいそうだろうということで1月1日に出生届を出したそうなんです。でもね、親は子どものことを気遣ってくれたんだろうけど、干支は変わるわ、占いも変わるわで、九紫火星が八白土星になっちゃうわけですよ。もう、何を信じていいかわからない(笑)。占いの先生には運のいい方でお願いしますって言ってますけどね。それでもおかげさまでみんながぼくの誕生日をおぼえていてくれる。うれしいですし、ありがたいことですね。
DJ OSSHY それはそうです、本当に大友さんの誕生日は忘れることがないですよ。今年は特に縁起がいい年になりそうですね。
大友康平 縁起がいいかはわかりませんけどね(笑)。ちなみにぼくの1955年4月から56年3月までの学年には江川卓、掛布雅之、具志堅用高、千代の富士、明石家さんま、島田紳助、桑田佳祐、世良公則、松山千春、郷ひろみがいるというすごい1年で綺羅星揃い。特に高校生の時に江川が高校野球の栃木県予選の5試合中3試合がノーヒットノーラン。しかもそのうちの1試合は完全試合というね。同じ高校生とは思えなかった。本当に怪物。
DJ OSSHY 大友さんの同級生世代はスポーツの偉業もありますが、音楽での顔ぶれも本当にすごいですよね。しかも、みなさん現役バリバリで。
HOUND DOG
2ndアルバム
『STAND PLAY』
1981年4月発表
大友康平 HOUND DOGよりもツイストが3年早く、サザンオールスターズが2年早くデビューしてるんですけど、’81年くらいにとある生放送のイベントで前座が俺たちで、メインがツイストだったときがあるんです。その時はツイストにいた鮫島秀樹が後にメンバーで加入するとは思いもよらなかったですけどね。そのイベントのリハで鮫島がベースの弦を切っちゃって、楽器にこだわりのあるプレイヤーだったら人の楽器は絶対に使わないんですけど、鮫島はうちのメンバーのベースを借りて平気な顔をしてしっかり演奏したんですよ。すげえな、あいつって思わされたんですけど、世良の声量もすごかった。リハなのにPAの卓の針がやたらと振れまくってた。大友の場合は声量はあるけど、マイク乗りが悪いから針がここまでしか振れないんだよってPAのスタッフに言われて悔しい思いをしたことがありましたね。
DJ OSSHY え~そんなことを言われていたんですか。
大友康平 そのイベント終了後にみんなでご飯を食べに行って、お酒を飲むじゃないですか、そこで世良さん登場。世良さんと話していて、ふと世良さんっておいくつですか? って聞いたの。「(世良さんのモノマネしながら)俺は1955年12月や」って返されて、ええ、一緒じゃんと俺と! というふうになって。次の日の朝、ホテルを出るときに「世良! じゃあまたな」って別れたことを、あいつは今も「しかし、大友は現金なやつだ。急に変わりやがって」って言うんですよ(笑)。その頃はインターネットもないし、誰も調べもしないから、年なんて話してみるまでわかんない。でも、桑田はなぜか年が同じだと知っていたんですよね。なんでだろ。
HOUND DOG
3rdアルバム
『POWER UP』
1981年11月発表
DJ OSSHY さすが歴史ありですね。40周年の今年はどのような活動を行なわれるんでしょうか?
大友康平 まずは3月13日と14日に東京の豊洲PIT、21日と22日に大阪の森ノ宮ピロティホールで「HOUND DOG 40th Anniversary Live 2020『First Finale』」と銘打ったライヴを行います。ここ5年くらいの恒例になっている東京と大阪のライヴで、近年はHOUND DOGの曲をジャズ風にアレンジしたり、70年代の曲をカヴァーしてアルバムを作ったりしてますが、この4日間はストロング・スタイルというか、HOUND DOG本来のガッツあふれるロックンロールをやります。かっこつけて言いますが、俺はこの4日のために1年間生きてきてるんだ、と。本業のロックンローラーとしての姿を見せる4日間ですね。
DJ OSSHY 気合いが入ってますね。ライヴはもちろん、例年のように映画やTVドラマ、バラエティなどでも活躍されていますので、大忙しの1年になりそうですね。
大友康平 オファーがあれば、ぜひ今年も色々なことに挑戦していきたいです。でも、ありがたいですよね。音楽以外でもお仕事をいただけるのは。高校生からずっとバンドをやっていて、プロでデビューできたらいいなという夢だけを頼りにやってきたわけですよ。ロック・バンドなんてやってたら食えないというような時代でしたから。でも、’56年生まれで幸せだったのは小学校2年生くらいの時にザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズと出会って、その後もディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、グランド・ファンク・レイルロードが登場してきて、というロックの黄金時代をリアルタイムで体験できたこと。全部新曲なんですから、ずっと興奮しっぱなしなわけですよ。例えば俺とOSSHYがバンドを組むことになって、俺は前のバンドではディープ・パープルのカヴァーをやってたんだけど、今度はツェッペリンをやろうぜという風に色んなスタイルのロックを楽しめましたし。でも、ザ・ビートルズだけはコーラスが重要なのでなかなかできなかった。不良は自分のパートをこなすだけで、ハモリができないので(笑)。
ディープ・パープル
『マシン・ヘッド』
1972年発表
DJ OSSHY じゃあ、キャロルの登場は大友さんにとって、めちゃくちゃ大きい出来事だったんじゃないですか?
大友康平 衝撃でしたね。フジテレビの『リブ・ヤング!』に出演したのを目にしたんですが、革ジャンとリーゼントの出で立ちで、ツバをペッペッと吐きながら歌いまくる。しかも全部ラヴ・ソング。その放送の後、俺は長髪じゃなかったんですが、アマチュア・バンドの仲間たちで長髪のやつらがみんな髪を切って、ポマードで無理やり頭をぺちゃんこにして、今日からはキャロル一筋みたいになっていたのがおかしかったですけど。あと、糸居五郎さんが『オールナイトニッポン』で「すごいバンドが日本から出てきました。聴いてください、キャロル『ルイジアンナ』」と言ってラジオでかけたんですけど、昔の日本の歌謡曲やロック、ポップスのミキシングとは大違いで驚いた。ベースとドラムがどんと飛び込んでくるんですよ。そこに矢沢さんのヴォーカルも迫ってくるという。アマチュア・バンドでずっとドラムを叩いていた自分にとっては驚天動地でした。ドラムと歌しか聴こえてこないようなレコードは初めてだったので。
フリー
『フリー・ライヴ!』
1971年発表
DJ OSSHY ちなみにドラマーでお手本にされた方はいますか?
大友康平 フリーのサイモン・カークですね。『フリー・ライヴ』というライヴ盤で代表曲の「オール・ライト・ナウ」を1曲目にやるんですけど、アガっちゃったのか、ドラムがずっこけちゃうんですよ。それがうれしくてね。プロでもアガったりするんだなって思えて。あとはカーマイン・アピス。ヴァニラ・ファッジやカクタスで叩いていたドラマーで、70年代半ばにはロッド・スチュワートのバンドにいて、とにかくすご腕なんだけど、そのすご腕ドラマーが決められたリズムを守ってソロやアドリブをしないことがまたかっこよくて。ロッドの「ホット・レッグス」で叩いていたことを知って、『明日へのキック・オフ』をすぐに買いに行ったくらい。
ロッド・スチュワート
『明日へのキック・オフ』
1977年発表
DJ OSSHY 「ホット・レッグス」はディスコでもかかってました。「アイム・セクシー」もロッドとアピスの共作でしたね。ロッドからの影響も大きかったんじゃないですか? 特にステージ・パフォーマンスとか。
大友康平 もちろん、マイクスタンドのアクションとかね。矢沢さんと世良も研究してるでしょうけど、俺のようなアクションはできないですね。あ、すいません間違えました、矢沢さん別格ですね(笑)。
DJ OSSHY でしょうね(笑)。ヴォーカリストとしてのロッドはどうなんですか? 影響を受けられましたか?
大友康平 ロッドよりジョニー・ウィンターの方がヴォーカリストとしての影響を受けたかもしれないですね。100万ドルのギタリストという異名を持つ彼ですが、本人は俺はだまされてロックンロールをやったというくらいブルースがルーツなんですが、高校生時代にロックの最高傑作だと思ったライヴ盤『ライヴ』でストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」をハード・ロックかと思えるほど激しいアレンジでカヴァーしているんですよ。そのぶっ飛んだ演奏にあまりに衝撃を受けて、ジョニーの唱法を真似していたら、こんな声になっちゃった。もともとじゃないんですよ、このハスキーな声は。
ジョニー・ウィンター
『ライヴ』
1971年発表
後はJ・ガイルズ・バンド。「堕ちた天使」でブレイクする前のライヴ盤『フル・ハウス』と『狼からの一撃』はよく聴いて、真似したりしましたね。当時アメリカで最も人気のある女優のひとりだったフェイ・ダナウェイが安っぽいところで演奏していたJ・ガイルズ・バンドを見て、ヴォーカルのピーター・ウルフに一目惚れして彼を追ってツアーにも付いていっちゃうんですよ。それで最後には結婚しちゃうという、ロックンローラーとしては最高のストーリーを見せてくれたわけです。
J.ガイルズ・バンド
『“ライヴ”フルハウス』
1972年発表
DJ OSSHY いやいや大友さんも40年にわたって、最高のロックンロールストーリーを見せてくれているじゃないですか。本当に数多くのステージを踏まれてきたわけですが、大友さんなりの本番に臨む際のお約束はあるんですか?
大友康平 ありますね。メンバーの誰よりも先に会場に入って、周りをジョギングすることにしています。走りながら、その日歌う予定になっている曲を全部3倍くらいのテンポで口ずさんで歌詞をチェックするんですけど、引っかかった曲はやばいなと思っておさらいします。だいたい1時間くらいは走るかな。目線が下るからプロンプターを置くのが嫌なんですよ。だから、毎回走っていい汗かいて、歌詞もチェックする。ブツブツ言いながら走ってるから不審がられているかもしれないですけど(笑)。あと、本番直前になっても緊張しない日はやばいですね。これで完璧なんだろうか、声は大丈夫かとか、頭の中を色々な不安要素でいっぱいにさせるんですけど、だんだんヒートアップしていく会場の雰囲気に助けられてステージに上がっていくんです。ステージに一歩でも踏み出した瞬間にもう緊張や不安は消えてなくなっている。あとはもう音楽とお客さんと向き合うだけなんで。
DJ OSSHY すごい! アスリートが競技に臨むようなウォーミングアップですね。これを長年続けてきたということに感服します。
大友康平 でもね、最近ステージで悩みがあって。マイクスタンドがよく飛ぶんですよ(笑)。ずっとSM58というシュアーのワイヤレスマイクを使っていたんですが、電波法が改正されて使えなくなったんです。ホルダーも頑丈で安心して振り回していたんですが使えなくなってしまったので、別のマイクを使うようになったんですが、こないだは頭3曲くらいでホルダーが折れてしまって。2曲続けて折れたこともあった。今は完全にテーピングしたものと外せるものの2種類を使っているんですけど、ステージ・パフォーマンスに大変な影響が出ています。いつの日かSM58のワイヤレスマイクが戻ってくることを願ってやまないですね、マイクスタンドを振り回すシンガー連合としては。
DJ OSSHY 振り回すシンガー連合(笑)。でも、心配しながらマイクスタンドを使うとどうしても抑え目になってしまいますよね。
大友康平 そうなんです。華麗なるマイクスタンドアクションが死んでしまうんですよ。恐る恐るやったらダメなんで。背中に回して、脇に当てて、くるっと回転させてスポンと取るとか、色んなパターンがあるんですが制限ができてしまっている。うちのライヴはお客さんがもうひとりのメンバーのようにめちゃくちゃ盛り上がってくれるんですけど、そのお客さんにまた喜んでもらえるようなマイクスタンドアクションを見せたいですね。
HOUND DOG 40th Anniversary Live 2020
『First Finale』
DJ OSSHY 私もその日が再びやってくるのを待ちわびています。今回、ライヴのタイトルが「First Finale」と付けられていますが、これはどういう思いが込められているんですか?
大友康平 さあ、どうでしょう(笑)。40周年なのでこれまでの「Outstanding Rock'n' Roll Show」や「It's Show Time」みたいなテイストとはちょっと違った感じのタイトルになりました。内容に関しては見てのお楽しみ。いちおう大友も考えたんだな、と思ってもらえるライヴになるんじゃないかと思っています。
DJ OSSHY なるほど。色々と思いを巡らせて、ぜひ拝見できればと思います。3月を楽しみにしています!
[後編]に続く
対談進行・文/油納将志
- ●大友康平(おおとも・こうへい)
- 1976年、東北学院大学在学中に学校の仲間とHOUND DOGを結成し、1980年にメジャー・デビューを飾る。軽快なロックンロールと重厚なバラードを武器にライブでは絶大な評価を得る。‘85年シングル「ff(フォルテシモ)」が大ヒット。その後「Only Love」「BRIDGE」など数多くのヒットを生み出し、アルバム『GOLD』『BRIDGE』はオリコン1位を獲得。ライヴでも武道館15日連続公演といった記録だけでなく、HIROSHIMAピース・コンサート(チャリティ)を10年間行い続け、被災者施設を建設するなど、日本のロック文化を常に担い続けてきた。2008年5月28日にソロプロジェクトとして、70年代の名曲に特化したコンセプトカヴァーアルバム「J-STANDARD 70’s」をリリースし、全国ツアーを行い、2009年5月20日には「HOUND DOG ULTIMATE BEST」をリリース、2010年3月21日にメジャーデビュー30周年を迎え、「BIRTHDAY LIVE」を行った。 2011年3月11日の東日本大震災以降、被災地で炊き出しやミニライブを行うなど精力的に活動し、復興支援チャリティソング『ハガネのように 花のように』の楽曲とPVを2011年6月1日より配信開始した。また、数多くのバラエティドラマや映画にも出演し、役者としての評価も高い。
HOUND DOG 40th Anniversary Live 2020
『First Finale』
豊洲PIT(東京)
2020年3月13日(金) 開演 : 19:00
2020年3月14日(土) 開演 : 16:00
森ノ宮ピロティホール(大阪)
2020年3月21日(土) 開演 : 18:00
2020年3月22日(日) 開演 : 16:00
詳細は、iehokオフィシャルホームページよりご確認ください
www.iehok.com
DJ OSSHY オフィシャルファンクラブ
DJ OSSHY 出演スケジュール
2月21日(金) | 【東京都・六本木】ナバーナマンスリーパーティー @ エスプリ東京 |
2月22日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
2月23日(日) | 【東京都・西麻布】サンデーディスコ @ 西麻布エーライフ |
2月29日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
3月7日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
3月13日(金) | 【東京都・六本木】ナバーナマンスリーパーティー @ エスプリ東京 |
3月14日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
3月19日(木) | BSフジ「DJ OSSHY DISCO TV」23:30~23:55 |
3月21日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
3月28日(土) | InterFM897「RADIO DISCO」15:00~17:45 生放送 |
3月29日(日) | 【東京都・西麻布】サンデーディスコ @ 西麻布エーライフ |
▲諸事情によりイベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。