落語 みちの駅
第百五回 「11月の朝日名人会」
11月16日(土)PM2時からの第194回朝日名人会。前座に続いて古今亭志ん吉さんの「だくだく」。師匠(志ん橋)の十八番演目。師匠にはフラがあるから「ウケますけど」の前口上がありました。フラは意識的に、作為的に生むものではないので、の添え口上もあって、そのとおり素直に演じてくれました。近頃落語がうるさく、あざとくなってきたことを憂う私としては、よく辛抱しているねと一声かけたいところ。結構でした。
入船亭扇辰さん「紫檀楼古木」。八代目正蔵、圓生なきあとこの噺が聴きにくくなり(三遊亭圓弥さんがよかったけれど)、故・扇橋さん、現・扇遊さんにも希望を述べたことがありましたが、今回ようやく実現しました。風雅と滑稽がほどよくまじる佳い噺です。これからの扇辰さんの売り物の一つになるでしょう。
金原亭馬生さんは「芝浜」。暮れになると「芝浜」の歳末セールと言いたくなる現象が続いているのは痛し痒しで、私はあまり好みません。登場人物二人だけの、むしろ小品佳編なのです。とはいうものの人気の名作噺ともなれば客席の求めもあること、数年に一回位はお付き合いしなければなりますまい。
志ん生型の比較的簡素な型をと思い、馬生さんにお願いしました。噺の要所を押さえて肥大化を避ける演出とは裏腹のゆったりした語り口。「芝浜」の原点回帰といったら過言でしょうか。
三遊亭円楽さんは「まめだ」。本人は「豆狸」の表記をしたかったようですが、なるほど他の演者とは少し違います。この噺は大阪の芝居町にあった民話が原点と言われていますが、じつは江戸の芝居町にも同工の言い伝えがあって、演者の大師匠・圓生はそれをマクラ噺として録音に残しています。今回の円楽さんの口演はその江戸伝説を踏まえた無理のない改訂があって、なかなか聴きごたえがありました。
桂文珍さんは近年力をいれている「不思議の五圓」。これは「持参金」の改訂版で、噺のいやみが軽減されています。もともとアイデアに富んたおもしろい噺なのですから、ただ禁演令を敷く野暮に落ちず、心ある演者の工夫を促すべきことだったのですよ。
「不思議の五圓(御縁)」という演題は昔から「持参金」の別題として見え隠れしていたもので、これもまた味のある文珍流リサイクルではありました。
古今亭志ん吉「だくだく」
入船亭扇辰「紫檀楼古木」
金原亭馬生「芝浜」
三遊亭円楽「まめだ」
入船亭扇辰さん「紫檀楼古木」。八代目正蔵、圓生なきあとこの噺が聴きにくくなり(三遊亭圓弥さんがよかったけれど)、故・扇橋さん、現・扇遊さんにも希望を述べたことがありましたが、今回ようやく実現しました。風雅と滑稽がほどよくまじる佳い噺です。これからの扇辰さんの売り物の一つになるでしょう。
金原亭馬生さんは「芝浜」。暮れになると「芝浜」の歳末セールと言いたくなる現象が続いているのは痛し痒しで、私はあまり好みません。登場人物二人だけの、むしろ小品佳編なのです。とはいうものの人気の名作噺ともなれば客席の求めもあること、数年に一回位はお付き合いしなければなりますまい。
志ん生型の比較的簡素な型をと思い、馬生さんにお願いしました。噺の要所を押さえて肥大化を避ける演出とは裏腹のゆったりした語り口。「芝浜」の原点回帰といったら過言でしょうか。
三遊亭円楽さんは「まめだ」。本人は「豆狸」の表記をしたかったようですが、なるほど他の演者とは少し違います。この噺は大阪の芝居町にあった民話が原点と言われていますが、じつは江戸の芝居町にも同工の言い伝えがあって、演者の大師匠・圓生はそれをマクラ噺として録音に残しています。今回の円楽さんの口演はその江戸伝説を踏まえた無理のない改訂があって、なかなか聴きごたえがありました。
桂文珍さんは近年力をいれている「不思議の五圓」。これは「持参金」の改訂版で、噺のいやみが軽減されています。もともとアイデアに富んたおもしろい噺なのですから、ただ禁演令を敷く野暮に落ちず、心ある演者の工夫を促すべきことだったのですよ。
「不思議の五圓(御縁)」という演題は昔から「持参金」の別題として見え隠れしていたもので、これもまた味のある文珍流リサイクルではありました。
古今亭志ん吉「だくだく」
入船亭扇辰「紫檀楼古木」
金原亭馬生「芝浜」
三遊亭円楽「まめだ」