落語 みちの駅
第百四回 「10月の朝日名人会」
第193回朝日名人会(19年10月19日)の報告です。柳家小太郎「疝気の虫」春風亭一之輔「提灯屋」五街道雲助「九州吹き戻し」柳家小里ん「万金丹」柳家小三治「厩火事」。
真打も近い小太郎さんは気鋭の若手ですが、これという理由なくしてこの会での初高座。落語家人口いささか過剰時代には、こんなことも起こりがちなのです。
「疝気の虫」はその昔は枯れた老芸人のやる噺という観念がありましたが、小太郎さんはパワフルな力演で噺を健康的?でコミカルな仕上がりにしました。
一之輔さんの「提灯屋」は朝日名人会のカラーに合わせたのかどうか、最近のこの人としてはオーソドックスな高座。たしかに、ここではこれくらいが得策でしょう。近頃あまりやる人がいない「皇国の興廃この一戦にあり」のくだりを久しぶりに聴かせてもらい、まだウケるということを確認しました。
五街道雲助さんの「九州吹き戻し」は落語の原型復刻事業を衒いも力みもなく堂々と聴かせてくれる貴重な口演。そういう役割ばかりお願いしては失礼ですが、こうしたネタで光る高座は文化財級と言っていいでしょう。
柳家小里んさんの「万金丹」にはなつかしい五代目柳家小さん師の面影が濃く残っていて、穏やかな落語至福の時代が偲ばれました。ギャグ的なクスグリに乏しいために「万金丹」や「提灯屋」が敬遠される時代がくれば、落語は今よりだいぶやせ細ること疑いなし。
柳家小三治さんはこの秋だいぶ快調のようです。この日の「厩火事」もただの十八番演目らしい仕上がりというのではなく、おさきさんの、旦那の、亭主の、それぞれギリギリの思いやエゴがくっきり彫り上がっていて、少し乱れはあったものの、真剣勝負の凄みを感じさせる迫真の出来栄えでした。ここに人間の業を見たと言っては誰かさんに叱られるでしょうか?
80歳間近にして新境地に一歩踏み出した「厩火事」だったと思います。
柳家小太郎「疝気の虫」
春風亭一之輔「提灯屋」
五街道雲助「九州吹き戻し」
柳家小里ん「万金丹」
真打も近い小太郎さんは気鋭の若手ですが、これという理由なくしてこの会での初高座。落語家人口いささか過剰時代には、こんなことも起こりがちなのです。
「疝気の虫」はその昔は枯れた老芸人のやる噺という観念がありましたが、小太郎さんはパワフルな力演で噺を健康的?でコミカルな仕上がりにしました。
一之輔さんの「提灯屋」は朝日名人会のカラーに合わせたのかどうか、最近のこの人としてはオーソドックスな高座。たしかに、ここではこれくらいが得策でしょう。近頃あまりやる人がいない「皇国の興廃この一戦にあり」のくだりを久しぶりに聴かせてもらい、まだウケるということを確認しました。
五街道雲助さんの「九州吹き戻し」は落語の原型復刻事業を衒いも力みもなく堂々と聴かせてくれる貴重な口演。そういう役割ばかりお願いしては失礼ですが、こうしたネタで光る高座は文化財級と言っていいでしょう。
柳家小里んさんの「万金丹」にはなつかしい五代目柳家小さん師の面影が濃く残っていて、穏やかな落語至福の時代が偲ばれました。ギャグ的なクスグリに乏しいために「万金丹」や「提灯屋」が敬遠される時代がくれば、落語は今よりだいぶやせ細ること疑いなし。
柳家小三治さんはこの秋だいぶ快調のようです。この日の「厩火事」もただの十八番演目らしい仕上がりというのではなく、おさきさんの、旦那の、亭主の、それぞれギリギリの思いやエゴがくっきり彫り上がっていて、少し乱れはあったものの、真剣勝負の凄みを感じさせる迫真の出来栄えでした。ここに人間の業を見たと言っては誰かさんに叱られるでしょうか?
80歳間近にして新境地に一歩踏み出した「厩火事」だったと思います。
柳家小太郎「疝気の虫」
春風亭一之輔「提灯屋」
五街道雲助「九州吹き戻し」
柳家小里ん「万金丹」