落語 みちの駅
第百三回 「第192回朝日名人会」
9月21日(土)14時開演の朝日名人会のリポートです。来年早々に二ツ目に昇進する予定の春風亭朝七さんが「たらちね」。前座離れした熟成感の持ち主という注目にそむかぬ高座でしたが、家主が帰り際に「じゃあね」と言ったのには笑わせられました。落語口調に現代の若者が紛れ込んだ結果かどうか、若いうちはこれもご愛敬です。
真打昇進も遠くない春風亭正太郎さん「引越しの夢」もしっかりした口演でした。勢いも明朗な愛敬もたっぷりで、ケレンもなく、大器の印象があります。
林家正雀さん「毛氈芝居」は珍しい噺を気を入れて演じてくれました。マクラや地の部分ではちょっと書生っぽく生真面目に、芝居ぜりふはタップリというメリハリがきっちりしているのは彦六師匠ゆずりでしょう。
中入り前は柳亭市馬さんの「阿武松(おうのまつ)」。講釈ダネの元来は渋い噺ですが、横綱六代のシコ名と出自の言い立て、また阿武松の全勝優勝の過程の叙述は講釈調の聴かせどころです。加えて市馬師匠には他の人がやらない相撲甚句の高らかなアリアという飛び道具があります。一気に派手な噺になりました。
古今亭文菊「棒鱈」は町人の酔っ払いぶりをあまりしつこく演じなかったことが目立ちました。むやみに泥酔を描くやり方では、よほどの名手でない限り、テンポが緩んで噺がしつこくなります。ほどのよさが目立ちました。
トリの柳家権太楼さんは「唐茄子屋政談」。近頃は「死神」「心眼」「文七元結」など、人情噺系の人間ドラマに取り組んでいる権太楼さんはこの噺にも熱い血潮を注ぎました。
一人の道楽者が人助けをするほどに成長する、あるいは人格変貌する。それを一日一夜に凝縮したのがこの名作だと私は考えます。
田原町で親切な土地っ子に助けられ、吉原田甫で甘い追憶にふけったあと彼は変貌する――。
ここは少し強引なほどのパワーも要します。少し粗いところもありましたふが、権太楼流人情噺、いや人間噺が光りました。
春風亭正太郎「引越の夢」
林家正雀「毛氈芝居」
柳亭市馬「阿武松」
古今亭文菊「棒鱈」
真打昇進も遠くない春風亭正太郎さん「引越しの夢」もしっかりした口演でした。勢いも明朗な愛敬もたっぷりで、ケレンもなく、大器の印象があります。
林家正雀さん「毛氈芝居」は珍しい噺を気を入れて演じてくれました。マクラや地の部分ではちょっと書生っぽく生真面目に、芝居ぜりふはタップリというメリハリがきっちりしているのは彦六師匠ゆずりでしょう。
中入り前は柳亭市馬さんの「阿武松(おうのまつ)」。講釈ダネの元来は渋い噺ですが、横綱六代のシコ名と出自の言い立て、また阿武松の全勝優勝の過程の叙述は講釈調の聴かせどころです。加えて市馬師匠には他の人がやらない相撲甚句の高らかなアリアという飛び道具があります。一気に派手な噺になりました。
古今亭文菊「棒鱈」は町人の酔っ払いぶりをあまりしつこく演じなかったことが目立ちました。むやみに泥酔を描くやり方では、よほどの名手でない限り、テンポが緩んで噺がしつこくなります。ほどのよさが目立ちました。
トリの柳家権太楼さんは「唐茄子屋政談」。近頃は「死神」「心眼」「文七元結」など、人情噺系の人間ドラマに取り組んでいる権太楼さんはこの噺にも熱い血潮を注ぎました。
一人の道楽者が人助けをするほどに成長する、あるいは人格変貌する。それを一日一夜に凝縮したのがこの名作だと私は考えます。
田原町で親切な土地っ子に助けられ、吉原田甫で甘い追憶にふけったあと彼は変貌する――。
ここは少し強引なほどのパワーも要します。少し粗いところもありましたふが、権太楼流人情噺、いや人間噺が光りました。
春風亭正太郎「引越の夢」
林家正雀「毛氈芝居」
柳亭市馬「阿武松」
古今亭文菊「棒鱈」