日本武道館列伝 The Legendary@BUDOKAN

日本最大の“音楽ホール”として愛され続ける日本武道館。数多くの名演、名盤、名場面を生んだレジェンダリーの回想連載。

第4回『エリック・クラプトン~BUDOKANを愛したギターマン』
第4回『エリック・クラプトン~BUDOKANを愛したギターマン』


2019年4月20日、96回目。日本武道館での海外アーティスト歴代最多公演数を更新したエリック・クラプトン。彼は日本武道館のことを、“one of the best places(最高の場所のうちのひとつ)”ではなく、“the best place(最高の場所)”と公言する。世界を魅了するギターの神様がBUDOKANで見続ける光景とは――。


文/細川真平 写真/土居政則 協力/ウドー音楽事務所



 ロックの聖地と呼ばれる、もしくは、そう目される会場が世界中に何か所かある。イギリスならロイヤル・アルバート・ホールやウェンブリー・アリーナだし、アメリカならマディソン・スクエア・ガーデン。そして我が国なら、間違いなく日本武道館だ。

 その武道館での公演回数が最も多い海外アーティストが、エリック・クラプトンである。2019年4月13、15、17、18、20日の5公演を終え、合計回数は96回となった。2位はブライアン・アダムスの24回なので、今後クラプトンの記録を塗り替える海外アーティストは出て来ないだろうと思われる。

 しかし、数字以上に大事なのは、クラプトンにとって武道館が、特別な意味を持つ場所なのではないかということだ。だからこそ、結果的にこの数字になったというのが正しい解釈ではないだろうか。

 彼が初来日を果たしたのは、1974年のことだ。初日は10月31日の武道館で、その後連続して2公演が行なわれた。1日目の1曲目はアコースティックでの「スマイル」(チャールズ・チャップリン作曲)で、アンコールは「レイラ」。彼の武道館伝説は、ここからスタートした。

 この年の7月に彼は、『461 オーシャン・ブールヴァード』を発表している。デレク・アンド・ザ・ドミノス解散後、3年に及ぶ沈黙を経ての復活作であり、本格的にソロ・アーティストとしての第一歩を踏み出した作品でもある。全米/全英チャートともに1位を獲得、シングル・カットされたボブ・マーリーのカヴァー曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」も全米1位の大ヒットを記録している。また、道ならぬ恋とは知りながら、ずっと恋い焦がれ、アルバム『レイラ』を捧げたジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドと暮らし始めたのもこの年のことだった。



▲エリック・クラプトン初来日公演チケット

 こう書くと順風満帆のように聞こえるが、実際は違っていた。ドラッグ依存から何とか抜け出した後、今度は酒に溺れていた彼は、肉体的にも精神的にも、決して良い状態とは言えなかった。4万5000人の観衆を前に、目の不調とひどい酔いが重なって、ステージ上で鉢植えの中に倒れ込んだエピソードを、彼は『エリック・クラプトン自叙伝』(シンコーミュージック・エンタテイメント刊)の中で語っているし、パティとの関係も「みんなが思い描いているようなロマンティックなものではなかった」そうだ。そうした状況の中で、彼は初めて武道館のステージを踏んだのだった。

 クラプトンにとって、そこはいったいどんな場所だったのだろうか? これは単なる想像でしかないと先にお断りをしておくが、武道館で彼は、包み込まれるような大きな安らぎと、演奏することの喜びを感じたのではないかと思う。若くしてスーパースターとして生きていく才能と運命を与えられた彼は、もともと内向的な性格だったこともあって、その重圧に押し潰されそうになり、ドラッグと酒と一時的な享楽に逃げ込んだ。本物の愛だと信じたパティへの思いも、いざ関係が成就してみると疑念が湧いてくる始末だった。そんな時に、初めて訪れた極東で、初めて足を踏み入れた会場。過去にザ・ビートルズが公演を行なったことぐらいは聞いていたかもしれないが、きっと大した予備知識もなしに赴いたその場所は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールに似た印象を彼に与えたのではないかと想像する。


Eric Clapton「Cocaine」
from Eric Clapton: Live at the Royal Albert Hall Concert Film(Official Video)


 ロイヤル・アルバート・ホールの収容人数は8000人(現在は安全を考慮して7000人となっているようだ)ほどで、1万人を超える武道館よりはやや少ないものの近い数字ではあるし、何よりも観客席がすり鉢状になっている作りが、ステージ上から見るとより一層、両者の印象を近づけているのではないかと思う。旧江戸城の一画、皇居にほど近い位置にある武道館が持つ格式の高さに、もともとヴィクトリア女王の夫であるアルバート公に捧げられた演劇場であるロイヤル・アルバート・ホールに近いものをクラプトンが感じた可能性もあるだろう。

 彼が初めてロイヤル・アルバート・ホールのステージに立ったのは'64年、19歳の時。ヤードバーズの一員としてだった。'68年のクリームの解散コンサートも、ここで行なわれている。つまり、彼にとってはロイヤル・アルバート・ホールは、ホームのような場所でありながら、その時点では実際の演奏回数は少なく、まだ憧れも入り混じったような場所だったに違いない。そして彼は初めての武道館に、同じような思いを抱いたのではないだろうか。

 それともうひとつ、武道館がクラプトンを魅了した理由には、“武道館でクラプトンのライブを観る”ことに対する日本の観客たちの思い入れが作用しているのかもしれないとも思う。そうした思い入れを醸成するのもまた、武道館が持つマジックなのではないかと思うし、それがクラプトンにとって武道館を、“ホームにして特別な場所”へと成長させていったに違いない。


エリック・クラプトン
『ジャスト・ワン・ナイト~エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館~』
ユニバーサル ミュージック


 翌'75年と'77年のツアーでは、最後の2日間が武道館公演となった。そして、'79年はラスト前の2日間が武道館だった。彼の数あるライブ盤の中で、『ジャスト・ワン・ナイト~エリック・クラプトン・ライヴ・アット武道館~』('80年リリース)は、日本のファンにとって特に大事な1枚だ。いま述べた'79年の武道館2デイズの初日、12月3日の模様を収録した傑作アルバムだからだ。これを聴くと、ああ、この時にはもう、武道館は彼にとって間違いなくホームであり、特別な場所になっていたんだな、ということがよく分かる。また、だからこそこのアルバムを制作し、リリースしたのだという気がする。

 その後、'81年ツアーでは武道館公演は1回のみ、'85年ツアーでは一度もない。簡単に分析にするならば、'81年頃は彼の人気に陰りが出ていたため、武道館公演は控えられてしまったのだろう。'85年は逆に、アルバム『ビハインド・ザ・サン』の大ヒットやライヴ・エイドへの出演などがあって人気が再燃しており、国立代々木競技場第一体育館2デイズが開催される運びとなったためだ。そして、'87年にはまた武道館で3日間の公演を行なっている。

 '88年のデビュー25周年ツアーはエルトン・ジョンとマーク・ノップラーをゲストに迎えて開催され、東京ドーム公演の翌々日には武道館で追加公演が行なわれた。この時にはスティングが飛び入りするというサプライズもあった。'90年には、武道館3連発公演の後に国立代々木第一体育館に臨むという、凄い日程になっている。続く'91年はジョージ・ハリスンとの共演ツアーということで、東京公演は東京ドームでの3デイズとなり、武道館公演はなかった。

 そして、その代わりにというわけではないが、'93年には武道館で8回もの公演を行なっている。これは、'92年のライヴ・アルバム『アンプラグド~アコースティック・クラプトン』、そしてシングル「ティアーズ・イン・ヘヴン」の大ヒットによって、ファン層が大幅に拡大したことの表れだろう。その流れで、'95年には国立代々木第一体育館4デイズ+武道館3デイズという離れ業を実現している。

 その後、'97、'99、2001、'03年にはそれぞれ8回ずつ、そして'06年にはついに10回もの武道館公演を行なうこととなった。この'06年ツアーでは、バンドにデレク・トラックス(G)を迎え、熱心なファンの間で今でも語り草になっているほどの素晴らしい演奏を展開してくれた。'09年は7回だが、その途中にジェフ・ベックとのさいたまスーパーアリーナでのジョイント・ライブを2日間組み込むという、これもまた凄い離れ業をやってみせた。

 '11年には5回、'14年には4回で、その'14年の武道館初日が記念すべき来日公演200回目となった。

 そして、武道館最終日には、「レイラ」の間奏で、こう語っている。「僕はもう40年もここ(武道館)に来ている。皆さんのうちの何人かが生まれるよりも前からだよ。ここは僕が演奏してきた中で最高の場所だ。僕をここに招いてくれてありがとう」。彼は武道館のことを、“one of the best places(最高の場所のうちの一つ)”ではなく、“the best place(最高の場所)”と言い切っている。多少のリップサービスが含まれているとしても(彼はそういうのが得意ではないと思うが)、何とも嬉しい言葉ではないか。

 '16年になると、日本公演はもう武道館での5日間のみとなり、それは'19年も同じだった。年齢的なこともあり、あまり無理はしないという姿勢なのだろう。しかし今回は、体調が思わしくなくてやや精彩に欠けた印象があった'16年に比べて、見た目も歌もプレイも若返ったと言っても過言ではなかった。溌溂としていて、楽しそうで、時にはブルージーに、時にはエネルギッシュに、時にはクールに、まさに音楽とひとつに溶け合ったかのようなステージを見せてくれた。



エリック・クラプトン@日本武道館(2019年4月) 写真/土居政則

 セットリストとしては、ブルース、アコースティック・セット、代表曲がバランスよく配置され、演奏時間的にはややコンパクトながら、凝縮感はこの上ないものとなっていた。ただし、「レイラ」のエレクトリック・バージョンが演奏されたのは初日のみで(あとの4日はアコースティック・バージョンで披露)、しかもジョン・メイヤーがゲスト出演して「コカイン」を共演したということもあって、その日に行かれた方が一番満足度が高かったのではないかという気はする。

 今回もいつもと同じく、演出と言えるような演出は、ステージ奥の照明の明滅以外はほぼ皆無と言ってもよかった。だが、それで十分だと思わせてくれた。クラプトンが歌い、演奏し、超一流のメンバーがそれをサポートする。先ほど書いたようにクラプトンが音楽と一つに溶け合う時、同時に、我々観客も音楽と溶け合うことができる。これを至福と言わずして何と言おうか。

 そして、その至福の体験ができるのも、武道館だからこそではないかという気がしてならない。この形で、このサイズで、この場所にあって、この歴史があって、この格式と風格があるからこそ、クラプトンが感じている安らぎや居心地の良さや楽しさや喜びが、音に乗って我々にも伝わってくる。きっとこれも、武道館のマジックのひとつなのだろう。


文/細川真平 写真/土居政則 協力/ウドー音楽事務所



エリック・クラプトン来日公演記録
([カッコ]内は武道館公演通算数)


●1974年
10月31日・日本武道館[01]
11月01日・日本武道館[02]
11月02日・日本武道館[03]
11月05日・大阪厚生年金会館
11月06日・大阪厚生年金会館

●1975年
10月22日・フェスティバルホール
10月23日・フェスティバルホール
10月24日・京都会館
10月27日・北九州市立総合体育館
10月29日・静岡駿府会館
11月01日・日本武道館[04]
11月02日・日本武道館[05]

●1977年
09月26日・フェスティバルホール
10月01日・フェスティバルホール
09月27日・岡山県体育館
09月29日・京都会館
09月30日・名古屋市公会堂
10月04日・真駒内アイスアリーナ
10月06日・日本武道館[06]
10月07日・日本武道館[07]

●1979年
11月23日・茨城県立県民文化センター
11月25日・名古屋市公会堂
11月26日・京都会館
11月27日・大阪厚生年金会館
11月28日・広島郵便貯金ホール
11月30日・新日鐵大谷体育館
12月01日・大阪府立体育館
12月03日・日本武道館[08]
12月04日・日本武道館[09]
12月06日・道立産業共進会場

●1981年
11月27日・新潟県民会館
11月30日・愛知厚生年金会館
12月01日・フェスティバルホール
12月03日・福岡サンパレス
12月04日・京都会館
12月07日・日本武道館[10]
12月08日・横浜文化体育館
12月09日・東京厚生年金会館

●1985年
10月05日・国立代々木競技場第一体育館
10月06日・国立代々木競技場第一体育館
10月07日・大阪厚生年金会館
10月09日・名古屋市民会館
10月10日・フェスティバルホール
10月11日・福岡サンパレス

●1987年
11月02日・日本武道館[11]
11月04日・日本武道館[12]
11月05日・日本武道館[13]
11月07日・愛知県体育館
11月09日・大阪城ホール

●1988年 エリック・クラプトン with エルトン・ジョン & マーク・ノップラー
10月31日・名古屋レインボーホール
11月02日・東京ドーム
11月04日・日本武道館[14]
11月05日・大阪スタヂアム

●1990年
12月04日・日本武道館[15]
12月05日・日本武道館[16]
12月06日・日本武道館[17]
12月09日・国立代々木第一体育館
12月10日・名古屋レインボーホール
12月11日・大阪城ホール
12月13日・横浜アリーナ

●1991年 ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン and ヒズ・バンド
12月01日・横浜アリーナ
12月02日・大阪城ホール
12月03日・大阪城ホール
12月05日・名古屋市国際展示場
12月06日・広島サンプラザ
12月09日・福岡国際センター
12月10日・大阪城ホール
12月12日・大阪城ホール
12月14日・東京ドーム
12月15日・東京ドーム
12月17日・東京ドーム

●1993年
10月12日・日本武道館[18]
10月13日・日本武道館[19]
10月14日・名古屋レインボーホール
10月17日・福岡国際センター
10月21日・日本武道館[20]
10月22日・日本武道館[21]
10月23日・横浜アリーナ
10月25日・日本武道館[22]
10月26日・日本武道館[23]
10月27日・日本武道館[24]
10月30日・横浜アリーナ
10月31日・日本武道館[25]

●1995年
10月01日・国立代々木第一体育館
10月03日・国立代々木第一体育館
10月05日・国立代々木第一体育館
10月06日・国立代々木第一体育館
10月08日・大阪城ホール
10月09日・大阪城ホール
10月11日・日本武道館[26]
10月12日・日本武道館[27]
10月13日・日本武道館[28]

●1997年
10月13日・日本武道館[29]
10月14日・日本武道館[30]
10月16日・日本武道館[31]
10月17日・日本武道館[32]
10月20日・マリンメッセ福岡
10月21日・大阪城ホール
10月22日・大阪城ホール
10月24日・広島グリーンアリーナ
10月25日・名古屋レインボーホール
10月27日・日本武道館[33]
10月28日・日本武道館[34]
10月30日・日本武道館[35]
10月31日・日本武道館[36]

●1999年
11月09日・日本武道館[37]
11月11日・愛知県体育館
11月13日・マリンメッセ福岡
11月15日・大阪城ホール
11月16日・大阪城ホール
11月17日・大阪城ホール
11月19日・日本武道館[38]
11月20日・日本武道館[39]
11月22日・日本武道館[40]
11月24日・横浜アリーナ
11月26日・日本武道館[41]
11月27日・日本武道館[42]
11月29日・日本武道館[43]
11月30日・日本武道館[44]

●2001年
11月19日・大阪城ホール
11月20日・大阪城ホール
11月21日・大阪城ホール
11月24日・愛知県体育館
11月26日・マリンメッセ福岡
11月28日・日本武道館[45]
11月29日・日本武道館[46]
11月30日・日本武道館[47]
12月03日・日本武道館[48]
12月04日・日本武道館[49]
12月05日・日本武道館[50]
12月08日・宮城県総合運動公園総合体育館
12月10日・日本武道館[51]
12月11日・日本武道館[52]
12月14日・横浜アリーナ
12月15日・横浜アリーナ

●2003年
11月15日・広島グリーンアリーナ
11月17日・大阪城ホール
11月19日・大阪城ホール
11月20日・大阪城ホール
11月22日・名古屋レインボーホール
11月24日・さいたまスーパーアリーナ
11月26日・さいたまスーパーアリーナ
11月27日・横浜アリーナ
11月29日・日本武道館[53]
11月30日・日本武道館[54]
12月02日・日本武道館[55]
12月03日・日本武道館[56]
12月05日・宮城県総合運動公園総合体育館
12月09日・日本武道館[57]
12月10日・日本武道館[58]
12月12日・日本武道館[59]
12月13日・日本武道館[60]
12月07日 札幌ドーム

●2006年
11月11日・大阪城ホール
11月12日・大阪城ホール
11月14日・大阪城ホール
11月15日・大阪城ホール
11月17日・名古屋レインボーホール
11月18日・名古屋レインボーホール
11月20日・日本武道館[61]
11月21日・日本武道館[62]
11月23日・日本武道館[63]
11月24日・日本武道館[64]
11月26日・札幌ドーム
11月29日・日本武道館[65]
11月30日・日本武道館[66]
12月02日・さいたまスーパーアリーナ
12月05日・日本武道館[67]
12月06日・日本武道館[68]
12月08日・日本武道館[69]
12月09日・日本武道館[70]

●2009年
02月12日・大阪城ホール
02月13日・大阪城ホール
02月15日・日本武道館[71]
02月18日・日本武道館[72]
02月19日・日本武道館[73]
02月21日・さいたまスーパーアリーナ(&ジェフ・ベック)
02月22日・さいたまスーパーアリーナ(&ジェフ・ベック)
02月24日・日本武道館[74]
02月25日・日本武道館[75]
02月27日・日本武道館[76]
02月28日・日本武道館[77]

●2011年 エリック・クラプトン & スティーブ・ウインウッド
11月17日・北海きたえーる
11月19日・横浜アリーナ
11月21日・大阪城ホール
11月22日・大阪城ホール
11月24日・マリンメッセ福岡
11月26日・広島グリーンアリーナ
11月28日・いしかわ総合スポーツセンター メインアリーナ
11月30日・日本ガイシホール
12月02日・日本武道館[78]
12月03日・日本武道館[79]
12月06日・日本武道館[80]
12月07日・日本武道館[81]
12月10日・日本武道館[82]

●2014年
02月18日・日本武道館[83](来日公演200回目)
02月20日・日本武道館[84]
02月21日・日本武道館[85]
02月23日・横浜アリーナ
02月25日・愛知県体育館
02月26日・大阪城ホール
02月28日・日本武道館[86]

●2016年
04月13日・日本武道館[87]
04月15日・日本武道館[88]
04月16日・日本武道館[89]
04月18日・日本武道館[90]
04月19日・日本武道館[91]

●2019年
04月13日・日本武道館[92]
04月15日・日本武道館[93]
04月17日・日本武道館[94]
04月18日・日本武道館[95]
04月20日・日本武道館[96]
【編集部調べ】