西寺郷太 It's a Pops
NONA REEVES西寺郷太が洋楽ヒット曲の仕組みや背景を徹底分析する好評連載
第17回
ボブ・ディラン「きみは大きな存在」
(1975年)【後編】
―― (【前編】からの続き)「きみは大きな存在」の本題に入る前に、収録アルバム『血の轍』セッションのブートレッグ・シリーズ集第14弾『モア・ブラッド、モア・トラックス』日本盤の帯に書かれているコピーをちょっと読み上げてもいいですか?
西寺 ほう! 新しいパターンですね、どうぞどうぞ。
―― 「1975年発表の全米1位獲得作『血の轍』は、ボブ・ディランの最高傑作に挙げられる一枚ですが、その誕生には思わぬ展開がありました。発売を待つだけだったこの作品、発売日直前にディランの意向により収録曲が差し替えられます。『血の轍』の制作は、壊れかけた人間関係をテーマに気楽でナチュラルに録音したいという狙いで、演奏はソロ、曲によってベースをバックにするという極めてシンプルな編成によりニューヨークで行われました。ところがテスト盤まであがっていたのにディランは再録音を要望し、急遽ミネソタでミュージシャンを集めバンドをバックにレコーディングする事に。そうして、決まりかけていた収録曲の5曲を入れ替えて発売したのです……」。
- ブートレッグ・シリーズ集第14弾『モア・ブラッド、モア・トラックス』
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実際のところ9月にNY録音、当初の11月のリリース予定をキャンセル、12月にミネソタ録音、翌年1月発売ですから、なんだかスゴイですね。
西寺 『血の轍』はミネソタの州都ミネアポリスにある「サウンド80」というスタジオで録り直しているんですけど、僕、行ったことがあるんです。2016年にプリンスが亡くなった後に、ペイズリー・パークを訪れようとミネアポリスに1週間ぐらい滞在したんですが。そのときに。プリンスは1stアルバム『フォー・ユー』(’78年)のデモをスタジオ80で製作しているので、ディランが『血の轍』を録り直したのはその4年前ということですね。実は移転してるんで、実際にディランやプリンスがレコーディングしていた場所ではないんですが、ただ同じスタジオなので機材や伝統は残っていると思って。ディランはミネソタ州北部のダルースという街の出身なので、なぜ地元のミネアポリスで再録音したのか、という点はずっと気になっていて。
―― 地元録音……帰郷レコーディングということが気になるのですか?
西寺 最初にレコーディングした音が気にいらないなら、そのまま手っ取り早くNYで録り直せばいいわけなのに、ディランはわざわざミネソタに行ってから、スタジオ80で差し替え作業をしているんですよね。一月、年が明けてからたとえばニューヨークでミュージシャンを集めてもいいと思いますし。皆、休んでるタイミングでなぜ、と。それにはきっと深いわけがあったと思うんですよ。レコード会社に迷惑をかけても、どうしてもミネソタじゃなくてはならないわけが……あ、ここからはすべて僕の推測ですよ。さっき安川さんが言った「帰郷レコーディング」という言葉ですが……そう、ディランは’73年12月に単にミネソタに行ったわけではなく、クリスマスのホリディシーズンにミネソタに「帰郷」したんだと思います。
―― なんか推理ドラマみたいで面白くなってきましたが……正直よくわかりません(笑)。
西寺 ディランの言葉で一番僕が好きなのは、「自分は音楽で様々な体験をしてきたけど、息子のリトルリーグの試合を観ている時ほど興奮したことはない」というもの。彼には三人の息子がいますよね、一番よく知られているのはミュージシャンになった三男ジェイコブでしょうか。彼らの野球の試合を全部観に行ったっていう。ディランのすごいところは、ハードワークと旅が続く仕事の中でキチンと息子を愛して成長を見守っていたことです。音楽賞のトロフィーやゴールドディスクには見向きもしなかったのに、息子のホームランボールだけは部屋に飾ってあったらしいんですよね。
―― ディランの父の顔。新鮮ですね。
西寺 ディランってやっぱりすごい変わった人だと思うんです。人と心のつながりをある程度以上は求めないみたいなイメージもあるんだけど。もちろん各地でいろんな女性と寝たりして、プライベートがめちゃくちゃになった時代もあったにせよね。その、ジェイコブ含む息子たちのリトルリーグに関するエピソードは忘れられないんですよね。
The Wallflowers「One Headlight」(1996)
―― ’98年発表の第40回グラミー賞では、ボブ・ディラン『タイム・アウト・オブ・マインド』が最優秀アルバム賞をはじめ3部門受賞。ジェイコブ・ディランが率いるウォールフラワーズも2部門受賞し“親子同時受賞”が当時大きなニュースになりました。そういえば、『タイム・アウト・オブ・マインド』に収録されていた「メイク・ユー・フィール・マイ・ラヴ」が2月に公開される映画『七つの会議』の主題歌になりましたね……ま、それはさておき。ウォールフラワーズの『ブリンギング・ダウン・ザ・ホース』は全米だけで400万枚を突破しましたから、ディランのどのオリジナル・アルバムよりも売れたんですよね。
西寺 ジェイコブって、何年生まれになんでしたっけ?
―― (スマホ検索しながら)えーと、三男のジェイコブは……’69年生まれですね。
西寺 またカッコいい年に生まれてますね(笑)! ちなみにディランの最初の娘さんマリア・ディランは何年生まれでしたっけ?
―― (スマホ検索しながら)えーと、どうやら’61年のようですね。
西寺 ‘74年にディランがミネアポリスで「You're a Big Girl Now」を録り直したときって、彼女は13~14歳になっていたわけですよね。マリアはもう大きな女の子になった?
―― ……え! え? え!? 「You're a Big Girl Now」の「Big Girl」ってディランの最初の子供のことなんですか???
西寺 僕の推測は、そこですね。あくまでも、僕の解釈なんで怒る人もいるかもしれませんが。それこそディランが一度発売を延期して、故郷ミネソタの「帰省」中、ホリデイシーズンにわざわざ再レコーディングした理由なんじゃないかなぁ、と。「You’re a Big Girl Now」って、恋人とのちょっとした喧嘩からの別れ歌というのが定説になっていますよね。僕も最初は、そう思ってたんです。「僕にとって君はいまやすごい『重要な存在』の女の子になっている」と。(【前編】で話した)「If You See Her, Say Hello」の曲もそうなんですけど、「You're a Big Girl Now」って、めちゃくちゃ簡単な英単語しか使ってないのに、とにかく物語に奥行きがある。
「You're a Big Girl Now」written by : BOB DYLAN
The Wallflowers「One Headlight」(1996)
―― 「きみは大きな存在」という邦題がまたニクイですよね。
西寺 思い出したのがピチカート・ファイヴの「メッセージ・ソング」(’96年)。それは小西康陽さんが奥さんと離婚して、娘さんに「ラジオからもしこの歌が聞こえてきたら、それは僕からのメッセージだし、いつかまた君とも会えるよ」っていう歌だと、彼が説明されていたんですね。大好きな歌です。ディランにとって「You're a Big Girl Now」もそういう歌じゃないかな? と僕は思っているんです。マリアはディランがデビューする前、彼が二十歳の頃の子供。未婚ですね。一方、’65年に結婚した最初の妻サラとのあいだには4人の子供に恵まれます。一緒に暮らしていないマリア(’61年生)と末弟ジェイコブ(’69年生)を例えに考えてみると、おそらくジョン・レノンにとっての、シンシアとの最初の子供ジュリアン・レノンとオノ・ヨーコさんとの愛息ショーン・レノンとの距離の置き方に似ていたんじゃないかと。
―― おっと。
西寺 ジュリアンが生まれた’63年はビートルズ始動期で世界中を回って忙し過ぎて、ジョンは息子とどうやって付き合っていいかわからなかったと。それに引き換え、’75年の10月にオノ・ヨーコさんとの間にショーン・レノンが生まれた時は、ジョンはバッサリ音楽をやめて「主夫」をやるじゃないですか。結局、5年後’80年にあの『スターティング・オーバー』で復活しますが、子育てにすべてを捧げたわけです。ジュリアンのときはちゃんと俺はそばで成長を見届けられなかった、今回こそはという想いもあったのではないでしょうか。
―― ジョン・レノンの会心とボブ・ディランの家族観が似ている、と。
西寺 その後に、息子たちのリトルリーグを全部観に行くディラン。その最大のきっかけは、一緒に暮らしていないマリアへの想いや愛情、捻れてしまった関係だったんじゃないかなって。でもその当時の妻サラや息子たちの前でマリアへの想いを言葉として口にすることはなかった気がします。僕は最初の娘への愛が、この「You're a Big Girl Now」って曲のなかに込められたと思うんです。
―― 録音時が’74年というのがその推測に説得力を増します。
西寺 ボブ・ディランっていうアーティストが長続きしてる理由。意外なことですが彼が独身ではなく、親になり……世の中でどれだけ褒められても、有名でも、法的に離婚して会いたい娘に会えない、自分のせいだ、みたいな寂しさもあるわけじゃないですか。だからこそ目の前にいる息子たちは大事にしようと思えたんじゃないでしょうか。
―― 確かにディランって孤高のイメージだけど、本当は逆なんじゃないかと。
西寺 ミネアポリスで。クリスマスが終わってから12月27、28、29日の年の瀬にわざわざレコーディング・メンバーを集めているわけじゃないですか。ということは、ミネソタの地元で一般家庭と同じようにホリディを過ごしていたんじゃないか、と。おじいちゃんかおばあちゃんか、お父さんかお母さんか知らないけど、子供や孫たちを合わせて喜ばせようとしていたかもしれない。そのなかでこそ、「You're a Big Girl Now」は録り直さなければならなかったんじゃないかと。
―― そう考えるとやっぱり、NYでの最初のレコーディングは「You're a Big Girl Now」という曲に対してちょっと違ったアプローチをしてしまった、と。
西寺 「You’re a Big Girl Now」はもしかしたらビートルズで言うジュリアン・レノンに対して歌った「ヘイ・ジュード」のような気がします。あ、あれは父親の相棒であるポールが書いた曲ですけど(笑)。
Bob Dylan「If You See Her Say Hello」 (Take 1) (Lyric Video)
―― ディランってすぐれた作詞家だからこそ多くは自分のことを歌ってないと思ってるんですよ。でももしかしたらこのアルバム『血の轍』、特にこの「You’re a Big Girl Now」は極私的なメッセージ・ソングなのかもしれない、と。
西寺 『モア・ブラッド、モア・トラックス』の手書き歌詞ノートを見てても、彼がこのアルバムに込めた真摯な想いが伝わってきます。確かに歌詞自体の構成は複雑で多面的です。初期のブルース・スプリングスティーンにも影響を与えた、乱反射する万華鏡のようなイメージ。午後1時には怒ってた。午後2時には笑ってた。午後3時には昼寝してた。みたいな、それをぎゅっと5分にまとめたキュビズムのような抽象性。でもそれがひとつの読み方をさせない照れ隠しというかディラン文学っていう作り方だったのかなぁって。でも「You’re a Big Girl Now」「If You See Her, Say Hello」はちょっとディランにしては正統派。アルバム名にしたって『血の轍』……原題『Blood on the Tracks』ですからね。トラックスに血が流れる、って。
―― 血ですね。
西寺 『Blood on the Tracks』ってジャケットがえんじ色。ちょっと自分の歌に本当の自分の血を流してみようって、そう思ったんじゃないか、と。Trackってレコーディングトラックっていう意味も、道って意味もあると思うんだけど……(調べたスマホ辞書を読み上げて)車・船などの通った跡、わだち、小路、踏み鳴らした道、鉄道、線路、通り道、航跡。船が通った跡ね。足跡、通路……。秋にNYでレコーディングして、彼はドキッとしたんじゃないですかね。やりすぎた、さらけ出してしまったと。今まで自分が、フォークのスターとして祭り上げられ、ロックのスターにメタモルフォーゼしながら歩んできた道。そして、息子たちを育てていくなかで自分が辿った過去をいちど振り返る瞬間が訪れた。そもそもディランって終わったものは過去だからという理由で自分の作った音楽を全く聴かないと言っていたこともあります。そんな人が「ちょっと待って、そのNYのTracksは出さないでくれ!」ってあえて言うこと自体が、逆に言うとこのアルバムに対する、ある種の思い入れの深さ。そこに初めての子、マリアの存在があるのでは? と。
- 『Blood on the Tracks』
(1975)
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―― ここまで郷太さん推測に、引き込まれました。
西寺 ひとつの仮説。西ディラン説。西・ディラン(笑)。でもやっぱりディランのいいところは、こうやって既発曲を、ファンそれぞれが好き勝手に想像して、投げかけても本人が答えを言わないところ、そこに尽きると。ミュージシャンやソングライターって実は答えを言いたいんですよね。聞かれますし。誤解されることって本当は嫌なことなんで。でも他のアーティストに関しては散々語りますが、僕もNONA REEVESや自分の作品についてはできるだけ余計なことは言わないようにしてます。僕が「そう思って作りました」って言ったら、それが答えになって、それで物語は終わりですから。でもやっぱりある程度は求められる。ラジオに出たり、雑誌などの取材もありますし。だけどディランのすごいところは、答えを絶対に言わない。メロディも変える(笑)。だからこそ、これだけ長続きしてるんですよね。いまもどこかでネヴァー・エンディング・ツアー中ですからね。
―― 自分は郷太さんとミネアポリス・ロック・ツアーしてみたい。
西寺 あ、いいですね! ディランはNY発ですから、ミネアポリスってプリンスが出てくるまでは音楽的には後進の場所だって言われて。ただ昔のアナログレコードの経由地っていうか、倉庫とかがみんなミネアポリスにあったそうで。全米のど真ん中のちょい上というのが取り次ぎ地としては良かったらしいんですよ。プリンスはそんな街で……
―― あ、もうその続きは次回連載にしましょう(笑)。テーマはもちろんプリンス。曲名は……
西寺 考えておきます(笑)! 【終わり】
聞き手/安川達也(otonano編集部)
Bob Dylan「You're a Big Girl Now 」(Take 2) (Lyric Video)
- BOB DYLAN「You're a Big Girl Now」(1975)
Release:January 17, 1975(album)
Songwriter:Bob Dylan
Produce:Bob Dylan
Label:Columbia
ボブ・ディラン通算15枚目のスタジオ・アルバム『血の轍』(Blood on the Tracks/写真))に収録された楽曲。『血の轍』は、コロンビア→アサイラム→コロンビアに戻って最初に発表したリリースされたアルバム。1974年9月にディラン自身のプロデュース、フィル・ラモーンのエンジニアリングによりNY録音、11月発表予定だったが、プレス直前になってディラン自身で発売延期を決定。12月にミネアポリスで地元ミュージシャンを起用して一部録り直し。本曲「You're a Big Girl Now」を含む数曲を差し替えてアルバムは1975年1月にリリース。1976年3月1日~8日付で2週連続全米1位を記録した。
2018年11月に発売されたブートレッグ・シリーズ第14集『モア・ブラッド、モア・トラックス』には「You're a Big Girl Now」 ①(Take1)solo ②(Take2)solo ③(Take3)solo ④(Take1,Remake)with bass and organ ⑤ with bass,organ,and steel guitar ⑥(Take1,Remake2)with bass ⑦(Take3,Remake2)with bass ⑧ with bandの計8テイクが収録されている。