落語 みちの駅

第九十八回 「年頭の朝日名人会」
 1月19日(土)PM2時から第186回朝日名人会が開催されました。会場はいつものようにマリオンの有楽町朝日ホール。

 師走もそう押し詰まっていない時期にチケットは完売していました。背景には最近の落語ブームがあるものと思われます。数年前までは年末年始の二週間強の時期にいったんチケットの売れゆきが停滞したものでした。

 今年の秋には真打に昇進する柳家喬の字「千早ふる」、三遊亭萬橘「堪忍袋」、柳家喬太郎「偽甚五郎」、中入り後に古今亭文菊「七段目」、入船亭扇遊「鼠穴」。

「千早ふる」は楷書でしっかり演じられました。こういう噺はウケを狙って崩したり、素っ頓狂に演じるのは禁物です。ただし、少し力んでいたようで、隠居が苦し紛れにデタラメ――、いや見事にストーリー化された作り話を言うおかしさがにじみ出るようになるには多少時間を要すのでしょう。

「堪忍袋」はだいぶ崩しましたが、噺の骨格が「千早ふる」とはまるでちがうので、してやったりの高座でした。袋に吹き込む思いはすっかり現代の夫婦のそれになっていましたし、サゲも面目一新の趣きでした。この人のフラいっぱいの語り口はなかなか魅力的。

「偽甚五郎」は釈ダネ、つまり講が原典で、いわば「甚五郎の鯉」。ホンモノとニセモノの〝自称・他称″左甚五郎が腕を競うなりゆきになるが、ホンモノのほうが淡々としていろところに、この噺の一種の現代性があって、彫られた動物がしゃべったりしない点はもっと現代的です。いくつも噺があって甚五郎の人柄が一定しない状況はそろそろ脱却してもいいでしょう。

 当日の演目中でいちばん正月気分を誘う「七段目」。ひところ、この噺にありとあらゆる芝居ぜりふをぶち込んではしゃぐやり方がはやりましたが、この日の文菊口演は数で稼がず、そのかわり一つ一つのせりふをこってり念入りに言うスタイル。この種の噺に自信があるのでしょう。

「鼠穴」はことさら劇的にせず、扇遊さんらしい篤実な語り聞かせで、トリの風格充分の高座でした。あまり悲劇性を強調しては客席の反発を招きかねず、淡々とやれば「もの足りない」と言われかねない、難しい噺。この日の口演はそのどちらにも転ばない堅実なものでした。

 聞けば立川龍志さんに教わったとのこと。つまりは先代立川ぜん馬から七代目立川談志に伝わった「鼠穴」なのです。

 この噺は昭和の戦争最後の年に他界した名人・三代目三遊亭圓馬がやっていて、それが六代目三遊亭圓生に伝わり、圓生の画期的な演出と名演で世に出た経緯があります。

 談志さんの「鼠穴」も圓馬からぜん馬に伝わったもの。圓生系も談志系も根は一つです。

 両者に目立った相違はありませんが、「夢は土蔵の疲れだ」のサゲ直前の高笑いは扇遊さんにはありませんでした。あの高笑いはいかにも芝居がかっていて、圓生の匠気の表れだったと私は思います。




第九十八回 「年頭の朝日名人会」
柳家喬の字「千早ふる」


第九十八回 「年頭の朝日名人会」
三遊亭萬橘「堪忍袋」


第九十八回 「年頭の朝日名人会」
柳家喬太郎「偽甚五郎」


第九十八回 「年頭の朝日名人会」
古今亭文菊「七段目」

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。