落語 みちの駅
第九十六回 「一之輔さんの“意地くらべ”」
11月22日(木)PM13時開演の「朝日いつかは名人会」(浜離宮朝日ホール)で春風亭一之輔さんが「意地くらべ」を口演しました。
この会は二ツ目が2人登場し、トリは真打という構成です(この日の二ツ目さんは金原亭馬久さんと古今亭志ん松さん)。
マリオン朝日ホールの「朝日名人会」とはちがい、演目は演者自身が決める寄席方式。トリの一之輔さんが「意地くらべ」をやるとは、全く予期していませんでした。
この噺は明治後期から昭和戦前にかけて、演劇・演芸界に重きをなした作家にして演出家、評論家の岡鬼太郎が作った、いわば明治大正期の新作落語。基礎教養たっぷりの作者だけに行き届いた作品で五代目柳家小さんの十八番演目の一つでした。
その小さん師匠が老境に入ってから、おもしろい、味わいのある「意地くらべ」が聴けなくなりました。私も朝日名人会で二、三の演者に依頼したものの、もう一つ満足を得られず、この噺はもう現代未来には生きられないのか――と諦めの心境になっていました。
簡単にストーリーを紹介しましょう。
近頃仕事がうまくいかず、気心の知れた隠居に借金をした。隠居は無利息無証文で貸してくれた。いつまでに返せとは言わない。ゆとりが出来たら返しておくれ。
主人公の男は深く恩に着た。隠居には言わなかったが、一か月で返そうと心に決めた。だが依然として状況は変わらない。明日がその心の期日だが、とても返せない。
それでも返済したい。主人公は心安い下駄屋の主人に借金を申し出た。渋っていた下駄屋もいきさつを聞いて意気に感じた。その心がけが気に入った。手元にそこまでの金額はないので近所を何軒か回って用立ててくれた。
だが隠居は受領を拒む。他人に借りてまで返すには及ばない、と言っただろう。帰れ!
仕方がないから下駄屋に返そう。下駄屋も怒った。オイ、人をオモチャにするなよ!
みんないい人なのに事がこじれた。まあ、男には男の意地ってものがある。下駄屋の女房が出て来て、嘘も方便の解決方法を授けた。明治の昔から男はこだわり女は現実的と見える。一件落着かと思われたが別件が発生して意地と意地の些細なトラブル劇はさらに続く――。
いくら男が永遠に少年だとしても、こんな意地の張り合いは今の世の中には適合しない。往年の名・新作落語「意地くらべ」もそろそろ年貢の納めどきか――。
ところが、われらが春風亭一之輔師匠は見事に「意地くらべ」で大ウケしたのでした。「意地くらべ」は蘇生したのです。
一之輔さんは今どき流行らないと思われがちな「意地くらべ」を型で演じたりはせず、その「意地」を「やむにやまれぬ思い」にして演じたのです。仕事運のよくない男にも、せめてもの意地の張りどころはある。どうか、頼むから私の思いを受け入れてほしい!
結果、主人公の思いは現代の聴き手のみなさんに響いたのです。古いとか新しいとかの話ではなく、その人間が、その思いが客席に浸透すれば、現代の聴き手にもドラマの灯が点るということでしょうか。
中年期までの五代目小さんは古風なやりとりの呼吸の妙でこの噺を演じていましたが、その半世紀以上あとに小さんの型をなぞってしゃべるだけでは、もはや何も生まれないということでもあるでしょう。
とりあえず、ひとり春風亭一之輔に限って往年の名作「意地くらべ」が復活しました。ちがいなく「私の落語史」中の一章です。
春風亭一之輔 CD各タイトル好評発売中
『落語 The Very Best 極一席1000 春風亭一之輔』
『芝浜とシバハマ』
『毎日新聞落語会 春風亭一之輔2』
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この会は二ツ目が2人登場し、トリは真打という構成です(この日の二ツ目さんは金原亭馬久さんと古今亭志ん松さん)。
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この噺は明治後期から昭和戦前にかけて、演劇・演芸界に重きをなした作家にして演出家、評論家の岡鬼太郎が作った、いわば明治大正期の新作落語。基礎教養たっぷりの作者だけに行き届いた作品で五代目柳家小さんの十八番演目の一つでした。
その小さん師匠が老境に入ってから、おもしろい、味わいのある「意地くらべ」が聴けなくなりました。私も朝日名人会で二、三の演者に依頼したものの、もう一つ満足を得られず、この噺はもう現代未来には生きられないのか――と諦めの心境になっていました。
簡単にストーリーを紹介しましょう。
近頃仕事がうまくいかず、気心の知れた隠居に借金をした。隠居は無利息無証文で貸してくれた。いつまでに返せとは言わない。ゆとりが出来たら返しておくれ。
主人公の男は深く恩に着た。隠居には言わなかったが、一か月で返そうと心に決めた。だが依然として状況は変わらない。明日がその心の期日だが、とても返せない。
それでも返済したい。主人公は心安い下駄屋の主人に借金を申し出た。渋っていた下駄屋もいきさつを聞いて意気に感じた。その心がけが気に入った。手元にそこまでの金額はないので近所を何軒か回って用立ててくれた。
だが隠居は受領を拒む。他人に借りてまで返すには及ばない、と言っただろう。帰れ!
仕方がないから下駄屋に返そう。下駄屋も怒った。オイ、人をオモチャにするなよ!
みんないい人なのに事がこじれた。まあ、男には男の意地ってものがある。下駄屋の女房が出て来て、嘘も方便の解決方法を授けた。明治の昔から男はこだわり女は現実的と見える。一件落着かと思われたが別件が発生して意地と意地の些細なトラブル劇はさらに続く――。
いくら男が永遠に少年だとしても、こんな意地の張り合いは今の世の中には適合しない。往年の名・新作落語「意地くらべ」もそろそろ年貢の納めどきか――。
ところが、われらが春風亭一之輔師匠は見事に「意地くらべ」で大ウケしたのでした。「意地くらべ」は蘇生したのです。
一之輔さんは今どき流行らないと思われがちな「意地くらべ」を型で演じたりはせず、その「意地」を「やむにやまれぬ思い」にして演じたのです。仕事運のよくない男にも、せめてもの意地の張りどころはある。どうか、頼むから私の思いを受け入れてほしい!
結果、主人公の思いは現代の聴き手のみなさんに響いたのです。古いとか新しいとかの話ではなく、その人間が、その思いが客席に浸透すれば、現代の聴き手にもドラマの灯が点るということでしょうか。
中年期までの五代目小さんは古風なやりとりの呼吸の妙でこの噺を演じていましたが、その半世紀以上あとに小さんの型をなぞってしゃべるだけでは、もはや何も生まれないということでもあるでしょう。
とりあえず、ひとり春風亭一之輔に限って往年の名作「意地くらべ」が復活しました。ちがいなく「私の落語史」中の一章です。
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『芝浜とシバハマ』
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