落語 みちの駅

第九十三回 「ある出版社の黄昏」
 9月27日に書籍出版社「青蛙房(せいあぼう)」の経営者・岡本修一氏が69歳で亡くなりました。大手出版社にはやれない分野に多くの書籍を残し、落語関係でも基本的な書物を多く刊行してきた青蛙房もこれで70年の社史を閉じることになります。

『落語事典』(東大落語会編)は今なお代わる書物が見つからない、落語関係者必須の資料本ですが、これはどこかで再刊されるのでしょうか。昭和の名人の口演速記では『圓生全集』『林家正蔵集』『柳家小さん集』、自伝や考証では『あばらかべっそん』(八代目桂文楽)、『寄席育ち』(六代目三遊亭圓生)、『正蔵一代』(八代目林家正蔵)、『桂米朝・上方落語ノート』などの初版を行い、正岡容、安藤鶴夫、矢野誠一などの著作の初版もありました。

 30年も前のことになりますが、筆者も『圓生の録音室』『みんな芸の虫』『芝居と寄席と』の3作で青蛙房のカタログに連なっております。

 実は青蛙房にとっての落語本は第一のジャンルではなく、出版物の中核は江戸の考証学にありました。その種の出版物に力を尽くした功績によって創業者(岡本修一氏の父・経一氏)は「菊池寛賞」(文藝春秋)を受けています。

 ついでながら創業者・経一氏は『半七捕物帳』や『修禅寺物語』で知られる作家・岡本綺堂の養子で、社名は綺堂の別のペンネーム・青蛙堂主人から採っています。

 綺堂は江戸の考証でも知られた人。寄席でよく圓朝の高座を楽しんだようです。

 今年は明治維新から150年ですが、私のような古手の人間は「明治百年」のイベントがはびこった50年前が偲ばれてなりません。綺堂流の江戸考証に携わる人たちもまだ健在でしたし、落語界には昭和の名人たちが、現役でした。落語の聴き方、楽しみ方も今とはずいぶんちがったものでした。

 さらに落語が長生きをするためには新しい落語へのアプローチが必須なことは言うまでもありませんが、この十数年のようにブーム頼み一辺倒になってしまうと、とくに古典落語の味わい方が画一化して危うい方向に行きかねないと思います。

 ギャグの連発がないと退屈する聴き手、そこに不安を覚えてアクセクする演者が数を増やし、楽屋ゴシップがマクラの構成要件になるようでは黄色い信号が点滅するのでは――。

 落語ブームがまだ続くといわれる中、良心的にして落語文化の根幹を支えてきた青蛙房の店仕舞は落語の今後についていろいろと考えさせる出来事でした。

 まあこの際、少なくとも『落語事典』だけは購入して座右において下さいまし。それもしないで落語ファンを自称なさらないよう、お願い申しあげる次第でございます。


青蛙房ホームページ

著者紹介


京須偕充(きょうす ともみつ)

1942年東京・神田生まれ。
慶應義塾大学卒業。
ソニーミュージック(旧CBSソニー)のプロデューサーとして、六代目三遊亭圓生の「圓生百席」、三代目古今亭志ん朝、柳家小三治のライブシリーズなどの名録音で広く知られる。
少年時代からの寄席通い、戦後落語の黄金期の同時代体験、レコーディングでの経験などをもとに落語に関する多くの著作がある。
おもな著書に『古典落語CDの名盤』(光文社新書)、『落語名人会 夢の勢揃い』(文春新書)、『圓生の録音室』(ちくま文庫)、『落語の聴き熟し』(弘文出版)、『落語家 昭和の名人くらべ』(文藝春秋)、編書に『志ん朝の落語』(ちくま文庫)など。TBSテレビ「落語研究会」の解説のほか、「朝日名人会」などの落語会プロデュースも手掛けている。