DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第22回 【対談② Bro.KORN×DJ OSSHY[前編]】
レコーディングのときに、TOMにコーラス入れてもらおうと思ったんだけど、彼はパチンコ行ってていなかったんですよ(笑)。だから音源にはTOMの声が入ってない。ライヴではオリオリオリオーってウロウロしてるだけになっちゃった(笑)(Bro.KORN)
一時期、ディスコとかクラブの現場では、邦楽はNGみたいな暗黙のルールがありました。でも「WON'T BE LONG」だけはずっとかけ続けられていた。親子三世代で盛り上がる曲っていうのは、そうそうない。まさに名曲中の名曲だと思いますね(DJ OSSHY)
── DJ OSSHYの連載「TOKYOの未来に恋してる!」が新しい“対談”シリーズに突入。その第2弾に登場するのは、主賓DJ OSSHYさんとプライヴェートでも親交のあるバブルガム・ブラザーズのBro.KORNさんです!
DJ OSSHY ちょうど先週も別件でお会いしたばかりで(笑)、お久しぶりとかでもなんでもないんですけど、こうした取材のようなオフィシャルな場でお会いするのは初めてかもしれませんね。
Bro.KORN だよね。いつも照明が暗い現場ばっかりだから(笑)。
── おふたりが初めて会ったのはいつ頃なんですか?
DJ OSSHY 1983年にバブルガム・ブラザーズがデビューした頃から憧れの存在で。でも、ずーっとザ・芸能界的な、雲の上の人でした。
Bro.KORN よく言うよ(笑)。
DJ OSSHY 私が渋谷のキャンディ・キャンディというディスコでDJデビューしたのが’82年で、その当時はBro.TOMさんがよく来られていました。’90年に「WON'T BE LONG」がリリースされたとき、私は現場でDJとして曲をかけていた側で、ご本人との接点は全然なかったんです。Bro.KORNさんとここまで親しくお話しをさせていただけるようになったのはじつは2010年頃で、本当に最近のことなんですよね。恵比寿のact*squareという会場で、平成ディスコ・ムーヴメントの聖地的な位置づけになっている“Dynasty Tokyo Surfer's Night”というイベントがあったんですが、Bro.KORNさんもact*squareをホームグラウンドにされていて、そこで急速にジョイントするような流れになったのが最初だとおぼえています。だから80、90年代からずっとご一緒しているという関係ではなくて、この10年ほどの間で公私ともに親しくさせていただいているといういきさつなんです。
Bro.KORN 僕は、OSSHYよりも先にテレビのブラウン管の向こう側にいらっしゃったお父さんもお母さんもよく知っているので。
DJ OSSHY 今日も母親から「よろしく」と言付かっております(笑)。
Bro.KORN いえいえ、こちらこそ(笑)。お父さまお母さまは、僕らの時代の名司会者、アナウンサーで、その方のご子息ということで、まずOSSHYを知って。あと、家が近いんですよ。「ここが押阪さん邸なんだ~」なんて言いながら近くを散歩したりとかしていた。押阪の息子さんがDJのOSSHYだっていうことは知っていたんですけど、初めてきちんと会ったのは今OSSHYが言ったとおりで。僕たちはひと世代ディスコの世代が違うんですよ。僕らは第一次ディスコ世代。OSSHYは第二か第三ぐらいだと思うんですよ、曲の内容から言えば。僕らはジ・アザー、ゲットー、ソウルトレインで、ソウルやR&Bで踊っていた。僕はそうした当時はR&B喫茶と呼ばれていたディスコの前身のような場所に中学2、3年生のときから通っていた不良で、その頃のダンスというとステップ。決められたステップを一生懸命おぼえて踊っていました。そういったディスコ前世紀時代から過ごしてきた僕と、ディスコ全盛期のOSSHYとコラボして何かやろうかって言って、いろんなイベントを一緒に企画して、コラボしてやったりとかして、現在に至る感じですね。
── バブルガム・ブラザーズとしてデビューしたのは’83年でした。その当時はどういうスタイルでやっていこうと考えていましたか?
Bro.KORN 音楽をやるからには、今まで遊んできたことの集大成を全部やろうと思ったんですよね。ジェームス・ブラウンが好きだったら、ジェームス・ブラウンが好きだという歌を作ろうって。全部自分で考えてました。それで、ディスコの曲みたいなものをいっぱい研究して、この時代はストリングスが効いてる曲が多いとか、リズムは16や四分一よりも8ビートが流行ってたなとか。全部自分の体験の中から、そういう音を作り出した。そうすると、ものすごい古臭い。自分でわざわざ古臭いものを作ってるんだけど、新しい感覚で聴いてくれるっていう快感がものすごく好きで。だから、昔のいいトコ取りを全部して作ったりとかしました。でも、メロディは悲しいかな、日本のわび・さびが出てしまう。演歌でもディスコになるということがわかった。我々はお茶の間ファンクとかお茶の間ディスコってよく呼んでいたんですけど。
DJ OSSHY バブルガム・ブラザーズやソロも含めて、ほとんどBro.KORNさんが作曲?
Bro.KORN 僕がほとんど作曲で、作詞はほとんどTOM。「WON'T BE LONG」とか自分のソロ・アルバムは、自分で歌詞も作ってる。
── 今回アナログ化された「WON'T BE LONG」ですが、OSSHYさんは発表当時から現場では曲をかけられていたんですか?
DJ OSSHY 「WON'T BE LONG」はね、もう爆発的にフロアが盛り上がってました。今では親子二世代、三世代を通じて、破壊力があるというか、フロアライクな曲としては非常に珍しい曲だと思いますよ。親子三世代で盛り上がる曲っていうのは、そうそうない。まさに名曲中の名曲だと思いますね。一時期、ディスコとかクラブの現場で、邦楽はNGみたいな暗黙のルールがありましたが、その時も「WON'T BE LONG」だけはずっとかけ続けられていますからね。邦楽というだけでダサいって言われるような偏見をものともせず、お客さんから愛され続け、DJがフロアでかけ続けて残っている数少ない曲だと思います。
Bro.KORN それが今は欧米の人たちが日本の音楽って素晴らしいって言ってくれる。日本のアスリートが素晴らしいって言われるのと同じように。OSSHYが言ったような外国の曲じゃないとカッコ悪いよって言った時代って、もうないですよ。ホントにかっこいいんですよ、日本の曲って。
DJ OSSHY 偏見でしかなかったですからね。70年代、80年代の邦楽ってカッコいい曲、つくりが良い曲が多いのに、踊り場ではかけられない。そういう思いをしたDJも、当時大勢いたと思いますね。でも自宅では聴いてたっていう。現場でかける勇気がない。
Bro.KORN カラオケでは歌ってた。
DJ OSSHY そうそう(笑)。そういう中でも、僕のなかでは山下達郎さんの「BOMBER」や「LOVELAND, ISLAND」はキャンディ・キャンディではよくかけてたし、たまに「RIDE ON TIME」をかけることもあった。あとはやっぱり「WON'T BE LONG」。今では「め組の人」と並んで親子二世代、三世代で踊れるような曲になっていますけど、やっぱりリアルタイムのときには、現場でかけづらい曲でもあった。そんな時代があったんですけど、自分が信じていた曲、良いなぁと思う曲はかけるようにしていて、そのスタンスだけは崩さずにやってきました。「WON'T BE LONG」はアース・ウインド & ファイアーの「セプテンバー」とか、ボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる」に並ぶ、全員踊れるお約束の曲。DJからすると、困ったときのこの一手みたいな曲があって、邦楽ではそれが「WON'T BE LONG」なんです
── Bro.KORNさんは「WON'T BE LONG」が出来たとき、これはイケると感じましたか?
Bro.KORN アルバムの曲を全部作って12曲あがったときに、「シングルは任せる。俺が作った曲は全部自分の息子と娘みたいなもんだから、全部任せるよ。どの曲でも俺は良い」ってスタッフに言ったんです。そうしたら、全員ほぼ一致で「WON'T BE LONG」だった。「結果的にBro.KORNさんのソロですけど、TOMさんよろしいですか?」って聞いたら、TOMも「おお、いいよ!」って言ってくれて。実はレコーディングのときに、TOMにコーラス入れてもらおうと思ったんだけど、彼はパチンコ行ってていなかったんですよ(笑)。だから音源にはTOMの声が入ってない。ライヴではオリオリオリオーってウロウロしてるだけになっちゃった(笑)。
── なるほど。あのパフォーマンスにはそういういきさつがあったんですね。
Bro.KORN 直接ヒットしたきっかけは、みなさんご存じのとおり、『オールナイトフジ』のとんねるず。番組の最終回のときに(石橋)貴明と(木梨)憲武が「コンちゃんこの曲かけよう!」って言ってくれてテレビで「WON’T BE LONG」が流れたんですよ。その後にまた貴明が「コンちゃんもう1回<WON'T BE LONG>かけようよ!!」って言い出して。プロデューサーも「かけよう! かけよう!!」って。で、生放送中に2回オンエアしたら、フジテレビに電話が殺到したの。翌日からずっとね。「WON'T BE LONG」の問い合わせが来たら「あれはバブルガム・ブラザーズの<WON'T BE LONG>ですって答えてくれ」って、全部のデスクに貼ってあった。それまでの売上は全国で多くて1日20枚とか。それがオンエアされてからは、売れ切れ注文が殺到した。1日40枚、100枚、200枚、400枚って、みるみる増え始めたんです。なんだこれー! ってみんなで驚いた。「コンちゃんすごいことになってるよ」「『オールナイトフジ』のおかげだね」って。だからプロモーションのお金はゼロ。僕がフジテレビにCD1枚持って行っただけ。その後、二匹目のどじょうを狙ったんですけど、ダメでしたね(笑)。
DJ OSSHY (笑)
Bro.KORN まあ、そんなもんだよね。でも、発売から1年2か月ぐらい経っても全然売れなかった曲が、箸が転がったように売れ始めた。今の仮想通貨みたいなもんですよ。
DJ OSSHY やっぱり曲の力ですよね。
Bro.KORN で、7、8か月後にテレビ番組でも言った本当の話なんですけど、80万ぐらいしか入っていない貯金から後輩に奢るんで5、6万くらい出そうかなと思ったら、残高が3400万円になってた。そしたら半年後ぐらいに8000万円ぐらい入ってるの。とんでもねーなと思って。3か月ごとに何千万と入って来るんで、ビックリしたよね。
DJ OSSHY すごい(笑)。でも、まもなく30年ぐらいですからね。この曲の力もあらためてすごいと思う。
Bro.KORN EXILEも「WON'T BE LONG」をカヴァーしてくれたしね。僕が入院してたときに、HIROが「『WON'T BE LONG』は絶対俺EXILEでやりたいんで」って言ってたんで、「やってよやってよ」って軽い気持ちで言ってたんです。で、1年ぐらい経って、HIROからまた連絡があって、「決まりました」って。「え、ホントに<WON'T BE LONG>やってくれんの? マジで?」って言ったら、HIROが「誰とやると思いますか?」と返して、僕が「EXILEでしょ?」と当然のように言ったら、HIROが「いや、くぅちゃんとやります」って。「え! 倖田來未とやるの!? すごいじゃん!!」と驚かされた。あれは退院のお祝いみたいだったね。
DJ OSSHY 本当に数多くカヴァーされていますよね。
Bro.KORN うん、世界で言えば19か国。ジャマイカとかアメリカ、中国、韓国とか。ジャマイカのスライ&ロビーがプロデュースしてくれたのはやっぱりうれしかったですね。スラロビね。
── その長く聴き継がれている「WON'T BE LONG」が7インチ・アナログ・シングルになって帰ってきます。
DJ OSSHY これはまた良いデザインですね。
Bro.KORN これ自分が書いてたんですけどね、当時。これまだ原画が残ってますよ。お金なくなったらこれオークションかけようかなって(笑)。
── 35周年を迎えて、期間限定ですがバブルガム・ブラザーズが復活して活動もされていくと聞きました。
Bro.KORN まだ、全然わかんないです。その話が出てからTOMと2回しか会ってない。昨日のステージ用のジャケットの採寸でも、TOMが先に帰っちゃってましたから(笑)。僕らっていつも、何も相談しないんですよ。ステージで顔を合わせたときに、いきなり始まる。台本もなければ何もない。毎回そうでした。友達も違うし、飲みに行く場所も違う。でもお笑いのコンビでもそういうタイプはいるでしょ?
── OSSHYさんは今後も「WON'T BE LONG」をかけ続けていきますか?
DJ OSSHY かけ続けますねぇ。親子三世代に、ディスコの現場に親しんでもらうためには欠かせない曲。洋邦を代表するディスコ・チューンの1曲として、かけ続けていきたいと思います。
Bro.KORN EXILEのHIROも「ずっと『WON'T BE LONG』歌うし、ずっとアルバムに入れていきますから」って言ってくれたんだけど、そしたらEXILE THE SECONDが今年2月に出したシングル「アカシア」のカップリングで「WON'T BE LONG」を入れてくれた。HIROには「ありがとな」って言っておいたよ。あと、カヴァーもすごく多くなってきた。K-POPの超新星がアルバムに入れてくれたりとか。最近ではMintZがカヴァーしていて、それが沖縄ヴァージョンで入っているんですよ。
── いろんなアレンジやスタイルでカヴァーが増えていくのはおもしろいですよね。
Bro.KORN ロック系があればヘヴィメタ系もあれば、地下アイドルの仮面女子や恵比寿マスカッツもカヴァーしてるんですよ。結構すごい数になってきましたね。
── まさに「WON'T BE LONG」だけを集めたコンピレーションが作れそうですね。
Bro.KORN じつはやろうと思ってるんですよ。自分用にカヴァーを集めたCDを焼いてあって、車でかけたりしてます。ずーっといろんな人の「WON'T BE LONG」が流れていて、おもしろいですよ。
DJ OSSHY 僕の方は9月の頭ぐらいに、親子で楽しむファミリーディスコをテーマにしたミックスCDを出すんですが、基本的にはカヴァーで構成されているんですが、その中に「WON'T BE LONG」はオリジナルで入れさせていただきました。自分が現場でかけるということだけでなく、作品としてしっかりと知ってもらう役目を自分なりに果たせたかなという思いがありますね。[後編に続く]
インタビュー・文/油納将志
写真/佐々木理趣(otonano編集部)
●Bro.KORN(ブラザー・コーン)
DA BUBBLEGUM BROTHERSを結成し、3~4年間ライヴハウス周りをしながら当時の幻のライヴハウス「新宿ルイード」で3年間超満員の記録を作り、6社のレコード会社からスカウトされ、その後あの「WON’T BE LONG」の大ヒットにより売り上げ180万枚のミリオンセールスを達成する。その後、NHK 紅白歌合戦初出場を果たし、FNS歌謡祭、有線大賞、TBS音楽祭新人賞等々を受賞 し、久保田利伸とファンカーヒップスツアーで全国周りを果たす。現在はソロ活動中心で、鈴木雅之、ゴスペラーズ、Skoop On Somebodyと毎年恒例の【SOUL POWER SUMMIT】にも参加し、久保田利伸、藤井フミヤ、(故)飯島愛、つのだ☆ひろ、郷ひろみ、中森明菜、等々、最近では八神純子、岩崎宏美の楽曲も手がけ様々なアーティストの楽曲提供、プロデューサー、シンガー、タレント活動を行っている。また2012年よりパラリンピック選手を応援する「Sports of Heart」チャリティーイベントに積極的に参加している他、東日本大震災後、精力的に各地域を訪問し、持ち前のパフォーマンスを通して「元気・勇気」を与え続けている。2014年11月より、アーティスト名を従来のBro.KORNに表記を戻す。2018年8月、バブルガム・ブラザーズ結成35周年記念盤「WON’T BE LONG」アナログを発表した。
バブルガム・ブラザーズ結成35週年記念盤
「WON’T BE LONG」7インチ・アナログ・レコード特設サイト
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9/1(土) | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-18:00 生放送 |
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9/8(土) | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-18:00 生放送 |
9/9(日) | MAHARAJA ROPPONGI DISCO NIGHT@ホテルアソシア静岡 |
9/10(月) | 『新宿ディスコナイト』出版記念トークイベント<80'sディスコ・スペシャル!! |
9/15(土) | RADIO DISCO/InterFM897 15:00-18:00 生放送 |
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