DJ OSSHY TOKYOの未来に恋してる!
安心・安全・健康的なディスコ・カルチャーを伝達することを使命とするDJ OSSHYのインタビュー連載
第21回 【対談① 角松敏生×DJ OSSHY[後編]】
写真提供:ビーンズ/エス・オー・プロモーション
── ( [中編]から続く)角松さんの音楽活動をメインにお聞きしたいと思います。
DJ OSSHY たくさん聞きたいことがあったんですよ(笑)。まず、角松さんは常に進化しているイメージがあるんですが、これからデビュー40周年に向かおうという時期に、どういう方向に行くのか気になるんです。
角松 第一にはファンのみなさんに喜んでもらうということですよね。それは媚びるのではなく、「角松、今度は何やるの?」なんて思われても、最終的には聴いたり観たりした時に、「よかった!」と思っていただけるということをいちばんに考えていますよ。自分が面白いと思ったものを、みなさんにも聴いてもらって、喜んでもらえるのが自分も嬉しいですし。
DJ OSSHY 角松さんでもそうなんですね。
角松 DJもそうですよね。自分がいいな、面白いなと思った音楽を誰かに伝える喜びってあるじゃないですか。
DJ OSSHY DJはまさにそれが仕事ですから。
角松 ミュージシャンだって同じなんですよ。DJがいい音楽を伝えていくっていうのが基本のように、ミュージシャンも自分がいいと思う音楽を奏でる。お客さんにもいいと思ってもらえる時に、頑張った甲斐があったなって思うんですよね。そのなかで、予定調和的なことだけをやっていくというやり方もひとつありだとは思いますし、否定もしません。そうすることでファンも安心して聴けるという意味ではそれも大事だとは思うんですけど、僕としてはまだそういう時期じゃない。
DJ OSSHY そこですよ、角松さんがミュージシャンとして常に進化していると思うところは。
角松 昔と同じ音楽が聴けるから安心してお金を払うというのではなく、もっといろんなものを聴いてほしいし、聴こうと思う気持ちを持ってもらいたいんですよ。
角松敏生
『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』
発売中
── 今回発売されたニュー・アルバム『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』もこれまでになかったビッグ・バンドですね。
DJ OSSHY 私はもう、20回以上ループして聴いてしまいました!
角松 僕のファンにはジャズに対するアレルギーのある人も多いんですよ。とくに、スウィング・ジャズって、いわゆるドラムのキックアクセントが8ビートや16ビートと違う音楽だから、例えば四つ打ちのリズムがないと安心できない人にとっては、まったく腰が動かないというんですよね。でも、こういったスウィング・ジャズは、大衆音楽の基本にあるものなんですよ。ジャズのメソッドがあった上で、ブルースやロックンロール、そしてR&Bへとつながっていくんです。そういった大衆音楽の原点にあるサウンドを自分の中に取り入れることで、いろんな発見があるんです。例えば、スウィング・ジャズを聴き続けていると、さっき言った通りキックのアクセントがなくてもちゃんとグルーヴが何故か聴こえてくるんですよね。聴こえない音が聴こえてくる。もともと1920年代あたりにはこの音楽で踊っていたわけですからね。
DJ OSSHY アレンジも音圧もすごいですよね。
角松 だから、このビッグ・バンドでツアーを回っているんだけど、みんなぶっ飛んで帰っていきますよ。いろいろ大変なんだけど、ライヴを観てわかってもらえるから、それはモチベーションになりますよね。
── そもそもなぜビッグ・バンドだったんですか。
角松 ここ数年、年に1回ビルボードライブ大阪で、アロー・ジャズ・オーケストラという名門バンドと一緒にライヴをやってるんですよ。その企画がとても好評で、なんとか形に残しておきたいなって思ったのがきっかけですね。残しておくのがミュージシャンの使命というか。
DJ OSSHY エルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズの「Night In New York」のカヴァーもあるんですよね。これは私のテーマ曲といってもいいくらい大好きな曲で、DJプレイでは必ずかけるんですよ。
エルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズ
『ナイト・イン・ニューヨーク』
角松 オリジナルはヨギ・ホートンがドラムを叩いているんだよね。そして、エンジニアがマイケル・ブラウアー。1980年代頭にニューヨークに行った時、彼の家に行って彼の仕事をひと通り聴かせてもらったことがあったんです。その時に、この曲を初めて聴いて「すごい!」と思いました。だから青春の一曲なんですよ。
DJ OSSHY なるほど、こうやって名曲はまた蘇るんですね。
角松 実はこのカヴァーは、リミックスを作って、ディスコDJに配ろうと思っているんですよ。
DJ OSSHY それは嬉しい!
角松 喜んでくれるのはOSSHYさんくらいかな(笑)。この曲ってオリジナルの12インチ・シングルもあってかっこいいんですよね。こういうのがディスコでかかると、「あれ、このバージョン知らないぞ?」って気になって、DJブースに覗きに行ったりするパターン。
DJ OSSHY 当時はそうでしたよね。でも悲しいことに今のディスコは違うんですよ。エクステンデッド・バージョンがかかると間延びしてしまって盛り上がらないんです。若いDJたちはサビミックスみたいなのが多くて、そういうのが主流になってるんですよ。
角松 なるほど、ダンスフロアもインデックス文化になっているんですね。
DJ OSSHY そうなんです。デュラン・デュランなんかも、12インチの方がかっこよくて盛り上がったじゃないですか。ヒューマン・リーグの「愛の残り火」なんかも、「なかなかヴォーカルが入ってこないぞ!」とか。でも、今はそういうのがかかると、サーッとお客さんが帰っちゃう(笑)
角松 本当はそっちの方が、オリジナルにないギター・ソロが入っていたりして発見があるんだけどね。
DJ OSSHY それにしても、『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』は、本当に角松さんの音楽への愛が伝わりますね。ご自身で書かれた解説を読むだけでも勉強になります。
角松 読むCDって言われてますからね(笑)。
DJ OSSHY 一曲ごとに解説を読みながら聴くのも、角松さんの音楽の楽しみ方かもしれないですね。でも、気になることがあって、ここ最近のリメイク作品に関しては、過去の自分に納得していないということをよくおっしゃってますよね。
角松 そうですね。まず、デビュー当時の僕の歌にまったく納得がいってないんですよ。
DJ OSSHY どうしてですか。デビュー・アルバム『SEA BREEZE』当時の声も大好きなんですけど。
角松 僕は大嫌い(笑)。
角松敏生
『SEA BREEZE 2016』
DJ OSSHY それがわからないんですよ。
角松 聴き比べたらわかりますよ。声の出し方も違うし、身体の鳴り方も違う。当時から聴いている人は、それが当たり前だって思い込んでいるんでしょうけど、本人はできていないことがわかっているから、その気持がずっと残ったままなんですよ。もちろん当時は一生懸命やったから、仕方がないとは思うけれど、そのことがずっと懸案事項として残っている。だから、今納得する状態でやり直すということですね。もちろん、愛情ある作品だからっていうのもあるし、だからこそ今の温度で伝えたいんですよ。
DJ OSSHY なるほど。
角松 『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』もそうなんです。1988年に数原晋さんのトーキョー・アンサンブル・ラボをプロデュースさせてもらったんですけれど、あの当時はジャズが全然わからなかった。前田憲男さんがアレンジした楽譜なんてどうなっているのかさっぱり。今見ると、「ああ、そういうことか」と思うんですけれどね。だから、今回はジャズへの再挑戦だったし、あえて「Nica's Dream」のような本物のスウィング・ジャズを取り入れたんです。
DJ OSSHY そういう意味でも、今回は納得いく作品といえるんでしょうね。
角松 そうですね。でもこれでしばらくは焼き直し的な作品は出す予定はないです。実は、次に向かう伏線でもあるんです。
DJ OSSHY そうなんですか。角松さんのアニバーサリーというと、次は東京オリンピックの次の年である2021年が40周年ですよね。そろそろ構想はあるんじゃないですか。
角松 もちろんありますよ。今準備を進めている最中です。ただ、頭の中にある構想をスタッフにポロッと話しても、あまりピンと来ないんですよ。OSSHYさんとのイベントの時もそうだったけれど、ある程度形にしてからプロトタイプを持って提案して進めたいんです。その作業を、通常のライヴをやりながら準備していくというのが、これからのミッションですね。
DJ OSSHY 通常のライヴをやりながらというのがすごいですよね。
角松 そこは重要ですよ。お客さんが喜んでくれるライヴをやりながら、常に新しいものを考えていかないといけない。OSSHYさんとの企画の第2弾も絶対に実現させないといけないと思っているし。
DJ OSSHY まだまだいろんな構想がありそうですね。でも、角松さんもあと2年で還暦を迎えられるじゃないですか。私もその年に近づきつつあるので、引き際を考えるんですよ。角松さんにとっての引き際の美学ってどういうものなんでしょうか。
角松 もちろん引き際は意識しています。ただ、僕は常に計画があるので、今はそこに向けて進んでいるし、それが具体化したらまた次の計画が生まれてくるんです。だから、その年になってみないとわからないというのもありますね。逆に言えば、バサッとどこかで切られたとしても、まだやりたいことがあるという状態であることが理想かもしれない。そう考えると、はたして引き際って必要かなと。スポーツ選手のようないわゆる「引退」のようなものが、ミュージシャンに必要かというと、自分はそう思わないし。
DJ OSSHY 私も引き際ってうまく考えられなくて、ギリギリまでお客さんを踊らせたいって思っていますね。
角松 ステージで死にたいっていうタイプだね(笑)。
DJ OSSHY そうそう、そうですよ!
角松 なかなかそんな訳にはいかないし、実際そうなったらとても迷惑だよ(笑)。
DJ OSSHY それもそうですよね(笑)。
角松 いずれにしても、人は必ず死ぬし、死んでしまったらなにも無くなりますからね。僕は、人は死んだらすべてが無になると思っていますから。
DJ OSSHY 哲学者ですね(笑)
角松 この話は長くなりそうだから、さて、これから飲みに行く?
DJ OSSHY はい、ぜひ行きましょう! [終わり]
インタビュー・文/栗本斉
●角松敏生(かどまつとしき http://www.kadomatsu.jp/)
本名同。1960年、東京都出身。1981年6月21日シングル「YOKOHAMA Twilight」、アルバム『SEA BREEZE』の同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行。1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。
角松敏生
『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』
発売中
詳細はこちら
VARIOUS ARTISTS
『レッツ・ディスコ~ノンストップ・ミックス~mixed by DJ OSSHY』発売中
オリコンランキングDANCE&SOUL部門初登場14位(2018年6月27日付)
詳細はこちら
DJ OSSHY 出演スケジュール
イベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。
角松さんのここ最近のリメイク作品に関しては、過去の自分に納得していないということをよくおっしゃってますよね(DJ OSSHY)
そうですね。まず、デビュー当時の僕の歌にまったく納得がいってないんですよ。聴き比べたらわかりますよ。声の出し方も違うし、身体の鳴り方も違う(角松)
── ( [中編]から続く)角松さんの音楽活動をメインにお聞きしたいと思います。
DJ OSSHY たくさん聞きたいことがあったんですよ(笑)。まず、角松さんは常に進化しているイメージがあるんですが、これからデビュー40周年に向かおうという時期に、どういう方向に行くのか気になるんです。
角松 第一にはファンのみなさんに喜んでもらうということですよね。それは媚びるのではなく、「角松、今度は何やるの?」なんて思われても、最終的には聴いたり観たりした時に、「よかった!」と思っていただけるということをいちばんに考えていますよ。自分が面白いと思ったものを、みなさんにも聴いてもらって、喜んでもらえるのが自分も嬉しいですし。
DJ OSSHY 角松さんでもそうなんですね。
角松 DJもそうですよね。自分がいいな、面白いなと思った音楽を誰かに伝える喜びってあるじゃないですか。
DJ OSSHY DJはまさにそれが仕事ですから。
角松 ミュージシャンだって同じなんですよ。DJがいい音楽を伝えていくっていうのが基本のように、ミュージシャンも自分がいいと思う音楽を奏でる。お客さんにもいいと思ってもらえる時に、頑張った甲斐があったなって思うんですよね。そのなかで、予定調和的なことだけをやっていくというやり方もひとつありだとは思いますし、否定もしません。そうすることでファンも安心して聴けるという意味ではそれも大事だとは思うんですけど、僕としてはまだそういう時期じゃない。
DJ OSSHY そこですよ、角松さんがミュージシャンとして常に進化していると思うところは。
角松 昔と同じ音楽が聴けるから安心してお金を払うというのではなく、もっといろんなものを聴いてほしいし、聴こうと思う気持ちを持ってもらいたいんですよ。
角松敏生
『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』
発売中
── 今回発売されたニュー・アルバム『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』もこれまでになかったビッグ・バンドですね。
DJ OSSHY 私はもう、20回以上ループして聴いてしまいました!
角松 僕のファンにはジャズに対するアレルギーのある人も多いんですよ。とくに、スウィング・ジャズって、いわゆるドラムのキックアクセントが8ビートや16ビートと違う音楽だから、例えば四つ打ちのリズムがないと安心できない人にとっては、まったく腰が動かないというんですよね。でも、こういったスウィング・ジャズは、大衆音楽の基本にあるものなんですよ。ジャズのメソッドがあった上で、ブルースやロックンロール、そしてR&Bへとつながっていくんです。そういった大衆音楽の原点にあるサウンドを自分の中に取り入れることで、いろんな発見があるんです。例えば、スウィング・ジャズを聴き続けていると、さっき言った通りキックのアクセントがなくてもちゃんとグルーヴが何故か聴こえてくるんですよね。聴こえない音が聴こえてくる。もともと1920年代あたりにはこの音楽で踊っていたわけですからね。
DJ OSSHY アレンジも音圧もすごいですよね。
角松 だから、このビッグ・バンドでツアーを回っているんだけど、みんなぶっ飛んで帰っていきますよ。いろいろ大変なんだけど、ライヴを観てわかってもらえるから、それはモチベーションになりますよね。
── そもそもなぜビッグ・バンドだったんですか。
角松 ここ数年、年に1回ビルボードライブ大阪で、アロー・ジャズ・オーケストラという名門バンドと一緒にライヴをやってるんですよ。その企画がとても好評で、なんとか形に残しておきたいなって思ったのがきっかけですね。残しておくのがミュージシャンの使命というか。
DJ OSSHY エルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズの「Night In New York」のカヴァーもあるんですよね。これは私のテーマ曲といってもいいくらい大好きな曲で、DJプレイでは必ずかけるんですよ。
エルボウ・ボーンズ&ザ・ラケッティアーズ
『ナイト・イン・ニューヨーク』
角松 オリジナルはヨギ・ホートンがドラムを叩いているんだよね。そして、エンジニアがマイケル・ブラウアー。1980年代頭にニューヨークに行った時、彼の家に行って彼の仕事をひと通り聴かせてもらったことがあったんです。その時に、この曲を初めて聴いて「すごい!」と思いました。だから青春の一曲なんですよ。
DJ OSSHY なるほど、こうやって名曲はまた蘇るんですね。
角松 実はこのカヴァーは、リミックスを作って、ディスコDJに配ろうと思っているんですよ。
DJ OSSHY それは嬉しい!
角松 喜んでくれるのはOSSHYさんくらいかな(笑)。この曲ってオリジナルの12インチ・シングルもあってかっこいいんですよね。こういうのがディスコでかかると、「あれ、このバージョン知らないぞ?」って気になって、DJブースに覗きに行ったりするパターン。
DJ OSSHY 当時はそうでしたよね。でも悲しいことに今のディスコは違うんですよ。エクステンデッド・バージョンがかかると間延びしてしまって盛り上がらないんです。若いDJたちはサビミックスみたいなのが多くて、そういうのが主流になってるんですよ。
角松 なるほど、ダンスフロアもインデックス文化になっているんですね。
DJ OSSHY そうなんです。デュラン・デュランなんかも、12インチの方がかっこよくて盛り上がったじゃないですか。ヒューマン・リーグの「愛の残り火」なんかも、「なかなかヴォーカルが入ってこないぞ!」とか。でも、今はそういうのがかかると、サーッとお客さんが帰っちゃう(笑)
角松 本当はそっちの方が、オリジナルにないギター・ソロが入っていたりして発見があるんだけどね。
DJ OSSHY それにしても、『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』は、本当に角松さんの音楽への愛が伝わりますね。ご自身で書かれた解説を読むだけでも勉強になります。
角松 読むCDって言われてますからね(笑)。
DJ OSSHY 一曲ごとに解説を読みながら聴くのも、角松さんの音楽の楽しみ方かもしれないですね。でも、気になることがあって、ここ最近のリメイク作品に関しては、過去の自分に納得していないということをよくおっしゃってますよね。
角松 そうですね。まず、デビュー当時の僕の歌にまったく納得がいってないんですよ。
DJ OSSHY どうしてですか。デビュー・アルバム『SEA BREEZE』当時の声も大好きなんですけど。
角松 僕は大嫌い(笑)。
角松敏生
『SEA BREEZE 2016』
DJ OSSHY それがわからないんですよ。
角松 聴き比べたらわかりますよ。声の出し方も違うし、身体の鳴り方も違う。当時から聴いている人は、それが当たり前だって思い込んでいるんでしょうけど、本人はできていないことがわかっているから、その気持がずっと残ったままなんですよ。もちろん当時は一生懸命やったから、仕方がないとは思うけれど、そのことがずっと懸案事項として残っている。だから、今納得する状態でやり直すということですね。もちろん、愛情ある作品だからっていうのもあるし、だからこそ今の温度で伝えたいんですよ。
DJ OSSHY なるほど。
角松 『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』もそうなんです。1988年に数原晋さんのトーキョー・アンサンブル・ラボをプロデュースさせてもらったんですけれど、あの当時はジャズが全然わからなかった。前田憲男さんがアレンジした楽譜なんてどうなっているのかさっぱり。今見ると、「ああ、そういうことか」と思うんですけれどね。だから、今回はジャズへの再挑戦だったし、あえて「Nica's Dream」のような本物のスウィング・ジャズを取り入れたんです。
DJ OSSHY そういう意味でも、今回は納得いく作品といえるんでしょうね。
角松 そうですね。でもこれでしばらくは焼き直し的な作品は出す予定はないです。実は、次に向かう伏線でもあるんです。
DJ OSSHY そうなんですか。角松さんのアニバーサリーというと、次は東京オリンピックの次の年である2021年が40周年ですよね。そろそろ構想はあるんじゃないですか。
角松 もちろんありますよ。今準備を進めている最中です。ただ、頭の中にある構想をスタッフにポロッと話しても、あまりピンと来ないんですよ。OSSHYさんとのイベントの時もそうだったけれど、ある程度形にしてからプロトタイプを持って提案して進めたいんです。その作業を、通常のライヴをやりながら準備していくというのが、これからのミッションですね。
DJ OSSHY 通常のライヴをやりながらというのがすごいですよね。
角松 そこは重要ですよ。お客さんが喜んでくれるライヴをやりながら、常に新しいものを考えていかないといけない。OSSHYさんとの企画の第2弾も絶対に実現させないといけないと思っているし。
DJ OSSHY まだまだいろんな構想がありそうですね。でも、角松さんもあと2年で還暦を迎えられるじゃないですか。私もその年に近づきつつあるので、引き際を考えるんですよ。角松さんにとっての引き際の美学ってどういうものなんでしょうか。
角松 もちろん引き際は意識しています。ただ、僕は常に計画があるので、今はそこに向けて進んでいるし、それが具体化したらまた次の計画が生まれてくるんです。だから、その年になってみないとわからないというのもありますね。逆に言えば、バサッとどこかで切られたとしても、まだやりたいことがあるという状態であることが理想かもしれない。そう考えると、はたして引き際って必要かなと。スポーツ選手のようないわゆる「引退」のようなものが、ミュージシャンに必要かというと、自分はそう思わないし。
DJ OSSHY 私も引き際ってうまく考えられなくて、ギリギリまでお客さんを踊らせたいって思っていますね。
角松 ステージで死にたいっていうタイプだね(笑)。
DJ OSSHY そうそう、そうですよ!
角松 なかなかそんな訳にはいかないし、実際そうなったらとても迷惑だよ(笑)。
DJ OSSHY それもそうですよね(笑)。
角松 いずれにしても、人は必ず死ぬし、死んでしまったらなにも無くなりますからね。僕は、人は死んだらすべてが無になると思っていますから。
DJ OSSHY 哲学者ですね(笑)
角松 この話は長くなりそうだから、さて、これから飲みに行く?
DJ OSSHY はい、ぜひ行きましょう! [終わり]
インタビュー・文/栗本斉
●角松敏生(かどまつとしき http://www.kadomatsu.jp/)
本名同。1960年、東京都出身。1981年6月21日シングル「YOKOHAMA Twilight」、アルバム『SEA BREEZE』の同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に1983年リリースの 杏里「悲しみがとまらない」、1988年リリースの 中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品としてチャート第1位を記録、今だスタンダードとして歌い継がれている。1993年までコンスタントに新作をリリース、いずれの作品もチャートの上位を占める。年間で最高100本近いコンサート・ツアーを敢行。1997年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(角松敏生が結成した謎の覆面バンド )のシングル「 ILE AIYE(イレアイエ)~WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。1998年2月の<1998 長野冬季オリンピック>閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、今や国民的唱歌「WAになっておどろう」が披露され、この映像は全世界に向けて映し出された。 その妥協を許さないスタンスとクオリティで常に音楽シーンの最前線で活動をしている。
角松敏生
『Breath From The Season 2018~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~』
発売中
詳細はこちら
VARIOUS ARTISTS
『レッツ・ディスコ~ノンストップ・ミックス~mixed by DJ OSSHY』発売中
オリコンランキングDANCE&SOUL部門初登場14位(2018年6月27日付)
詳細はこちら
DJ OSSHY 出演スケジュール
7/30(月)~8/3(金) | NHK FM 24:00~24:50「夜のプレイリスト」出演 |
8/3(金) | ナバーナマンスリーパーティー@西麻布エーライフ |
8/4(土) | InterFM897 15:00~17:00「RADIO DISCO」生放送 |
8/11(土) | InterFM897 15:00~17:00「RADIO DISCO」生放送 |
8/11(土) | TOKYO MX 19:00~19:29 「ミュージック・モア 今夜、僕たちはきっと音楽を聴く。」出演 |
8/13(月) | ファミリーディスコ/80’s ナイトフィーバー@クラブチッタ http://www.osshy.com/schedule/view/214 |
8/17(金) | ナバーナマンスリーパーティー@エスプリトーキョー |
8/18(土) | InterFM897 15:00~17:00「RADIO DISCO」生放送 |
8/19(日) | 2018 AMEFES(アメフェス)@富士スピードウェイ |
8/24(金) | DISCO FEVER presents Summer 80’s LIVE & DISCO @グランドハイアット東京 http://www.osshy.com/schedule/view/394 |
8/25(土) | InterFM897 15:00~17:00「RADIO DISCO」生放送 |
8/26(日) | サンデーディスコ@西麻布エーライフ |
8/29(水) | EVVIVA!DISCO Special Day@ららぽーと海老名 |
8/31(金) | NHKラジオ第1「ごごラジ!」 DJ OSSHYのプレミアム・ディスコタイム 全国生放送 |
8/31(金) | ”Disco Night Aquarium”〜フライデーナイトフィーバー @日本橋三井ホールCOREDO室町 |
イベントは変更になることもございます。 詳しくはDJ OSSHY公式サイト(www.osshy.com) をご参考ください。